オーランド・マジック
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オーランド・マジック Orlando Magic | ||||
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チームロゴ | 青の大文字でORLANDO MAGICと描かれたロゴ。 | |||
所属リーグ |
NBA ![]() ![]() | |||
カンファレンス | イースタン・カンファレンス | |||
ディビジョン | サウスイースト | |||
創設 | 1989年 | |||
チーム史 |
オーランド・マジック (1989年 - ) | |||
本拠 |
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アリーナ | アムウェイ・センター | |||
チームカラー | 青、白、銀、黒 | |||
オーナー | リッチ・デヴォス | |||
社長 | ジェフ・ウェルトマン | |||
GM | ジョン・ハモンド | |||
ヘッドコーチ | スティーブ・クリフォード | |||
優勝歴 | 0回 | |||
ファイナル進出 | 2回(1995年, 2009年) | |||
ディビジョン優勝 | 4回(1995年,1996年,2009年,2010年) | |||
永久欠番 | 6 | |||
NBAGL提携チーム | レイクランド・マジック | |||
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オーランド・マジック︵Orlando Magic︶は、アメリカ合衆国フロリダ州オーランドに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。イースタン・カンファレンス、サウスイースト・ディビジョン所属。チーム名の﹁マジック﹂は、オーランドに本拠を置くテーマパークディズニーワールドのキャッチコピー﹁魔法の世界へようこそ﹂に因んでいる。
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シャキール・オニール
苦境にある新興チームの光明となったのが、1992年のドラフト全体1位で獲得したシャキール・オニールだった。オニールは1年目から23.4得点13.9リバウンドと大物ぶりを発揮し、オールスターの先発、そして新人王を受賞した。この1992-93シーズンのチーム成績は41勝41敗だったが、勝敗で並んでいたインディアナ・ペイサーズがイースタン8位となり惜しくもプレイオフ進出を逃した。プレイオフに進出できなかったチームの中で最も勝率が良かったものの1993年のドラフトでは2年連続で全体1位指名権を獲得するという幸運に恵まれ、指名したクリス・ウェバーをただちにゴールデンステート・ウォリアーズの指名を受けたアンファニー・ハーダウェイとトレードした。オニールとハーダウェイのコンビは若いチームマジックをリーグの強豪へと成長させていった。
1993-94シーズンからブライアン・ヒル監督に率いられたマジックは50勝32敗の好成績でレギュラーシーズンを終え、第4シードで初のプレイオフに進出したが1回戦でインディアナ・ペイサーズに3連敗で敗れた。
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ブライアン・ヒルHC
1994-95シーズンはシカゴ・ブルズからリバウンドの取れるホーレス・グラントをフリーエージェントで獲得してベストの布陣を築き上げ、57勝25敗でイースタン1位でシーズンを終えた。プレイオフでは、セルティックス、マイケル・ジョーダンが復帰したばかりのブルズ、そしてペイサーズを破り、チーム設立5年目でNBAファイナルに進出した。ヒューストン・ロケッツとのファイナルはアキーム・オラジュワンとオニールのセンター対決に加え、お互いにいいシューターが揃っていた点で﹁3ポイントシュートの雨あられが降るだろう。﹂と言われた。レギュラーシーズンをウェスタン6位と苦しみながら2年連続ファイナルに進出したヒューストン・ロケッツと比べて、若さや勢い、チーム戦力などから、下馬評ではオーランド・マジック優位との声が強かった。しかし、戦いが始まってみると経験豊富なヒューストン・ロケッツの前にリードしては逆転されるという試合展開が続き、大方の予想とは異なり4連敗で敗れ去った。シリーズ第2戦では、後にオニールと共にロサンゼルス・レイカーズでNBAファイナル優勝を果たしたロバート・オーリーにファイナル新記録の7スティールを喫した。
1995-96シーズン、マジックは60勝22敗の成績で第2シードとなり、プレイオフではデトロイト・ピストンズ、アトランタ・ホークスを破ったが、シーズン72勝10敗という記録を作った最強のシカゴ・ブルズに4連敗で敗れ、前年の雪辱を果たされた。シーズン終了後、オニールは﹁ブライアン・ヒルのもとでは優勝できない﹂という言葉を吐き、ロサンゼルス・レイカーズに移った。
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ドワイト・ハワード
2004年のオフシーズン、チームは大胆な再建に取りかかり、マグレディはスティーブ・フランシスらとトレードでヒューストン・ロケッツに放出され、フリーエージェントでヒド・ターコルーを獲得した。ドラフトでは1993年以来の全体1位指名権を獲得し、ドワイト・ハワード、ジャミーア・ネルソンを指名、時間を掛けて育成する方針を採ることになった。
2004-05シーズンは、健康になったグラント・ヒルがオールスターに出場する活躍を見せたものの、36勝46敗と負け越した。
2005-06シーズンは、ブライアン・ヒルがヘッドコーチに復帰、再びグラント・ヒルが故障したこともあり、序盤は大きく低迷した。チームはフランシスをニューヨーク・ニックスへ放出し、デトロイト・ピストンズよりカルロス・アロヨ、ダーコ・ミリチッチを加えた。オールスター後、チームは快進撃を続け、前年と同じ36勝46敗まで持ち直しシーズンを終えた。
2006-07シーズン、前シーズン後半の勢いを続けイースタン首位を快走している。最終的になんとかプレーオフに進出するが、4年連続カンファレンスファイナル進出中のデトロイト・ピストンズを止めることができず4連敗し、ブライアン・ヒルは解任された。
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スタン・ヴァン・ガンディHC
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ハワードとジャミーア・ネルソン
2007-2008シーズン前、マジックは大きな動きを見せた。スタン・ヴァン・ガンディをヘッドコーチに招聘し、長年チームに在籍したグラント・ヒルはフェニックス・サンズに移籍、シアトル・スーパーソニックスからラシャード・ルイスを獲得した。前年29位という得点力の低さを改善する為で、この動きはとても注目された。そして迎えた開幕戦、ミルウォーキー・バックスに19点差をつけ快勝。その後同じく大型トレードで成功を収めていたボストン・セルティックスに初めて勝利し、8連勝を止めてみせた。特に大黒柱のドワイト・ハワードの活躍は目覚しく史上最年少でリバウンド王に輝き、またヒド・ターコルーはMIPを受賞、チームはシャック&ハーダウェイ時代以来の好成績となる52勝30敗でレギュラーシーズンを終えた。プレーオフでは1回戦でトロント・ラプターズを降し、カンファレンス準決勝まで進出するが、ピストンズの前に2年連続で敗退した。
2008-2009シーズン、チームはNBAファイナルに進出したがロサンゼルス・レイカーズに1勝4敗で敗れた。シーズン後、主力のターコルーがチームを離れ、ニュージャージー・ネッツからビンス・カーターを獲得した。
2009-2010シーズンのプレイオフでは1回戦、2回戦を無傷の8連勝で勝ち上がったがカンファレンスファイナルでボストン・セルティックスに2勝4敗で敗れシーズンを終えた。
2010-2011シーズン12月、主力メンバーでルイスをワシントン・ウィザーズへ、カーター、マルチン・ゴルタット、ミカエル・ピートラスをフェニックス・サンズへ放出した。代わりにウィザーズからギルバート・アリーナスを、サンズからジェイソン・リチャードソン、ターコルー、アール・クラークを獲得するビッグトレードを行ったが、このトレードが失敗となり、プレーオフには第4シードで進出したが、ファーストラウンドで昨年スイープしたアトランタ・ホークスに2勝4敗で敗れる結果となってしまった。
2011-2012シーズンは、ロックアウトで開幕が遅れ、チームはドワイト・ハワードの契約問題に振り回された。そのハワードは契約を1年延ばしトレード期限後もチームに残留したが、腰の故障に悩まされシーズン終盤とプレーオフを欠場。大黒柱を失ったチームが勝てるわけがなく、第6シードとなったチームは、ファーストラウンドでインディアナ・ペイサーズに1勝4敗で敗れシーズンを終えた。
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ジャック・ヴォーンHC
2012-2013シーズンは、スタン・ヴァン・ガンディヘッドコーチ、オーティス・スミスGMが解任され、ロブ・ヘニガン新GMのもと、ハワードをロサンゼルス・レイカーズに放出後、新ヘッドコーチに、サンアントニオ・スパーズからジャック・ヴォーンを迎え、騒動を一先ず収束させた。ネルソンとターコルー、J・J・レディック、グレン・デイビスの残留するところへ、中堅のアフラロ、ハリントン、ジョシュ・マクロバーツを補強し開幕を迎えた。シーズン後半に故障者が続出し最終的に、20勝しか挙げられずディビジョン最下位にまで沈んで、プレーオフ進出は逃したものの、ニコラ・ブーチェビッチらの成長は見られた。
歴史
初期
NBAの好調な業績に後押しされ、1980年代末に二つの新興チームが設立された。1989年創設のオーランド・マジックはその一つだった。 1989-90シーズン︵最初のシーズン︶、スコット・スカイルズ、ドラフト全体11番目に指名したニック・アンダーソンなどがプレイ、11月4日、ニュージャージー・ネッツとの試合がチーム最初の試合で、その2日後のニューヨーク・ニックス戦で初勝利をあげて、最終的に18勝64敗に終わった。 1990-91シーズンはドラフト全体4番目で指名したシューターデニス・スコットが加入、その年のみウエスタン・カンファレンスのミッドウェスト・ディビジョン に所属により、最終的にウエスタン・カンファレンス9位となり31勝51敗だった。 1991-92シーズン、この年はけが人も多く、17連敗を記録するなど、21勝61敗とファンを失望させた。シャックの時代
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シャック退団後
1996-97シーズン、マジックはハーダウェイやダレル・アームストロング、新しくフリーエージェントで加入したロニー・サイカリーを軸に戦って45勝37敗の成績を残した。このシーズンの開幕2連戦で、オーランド・マジックは日本を訪れ、ニュージャージー・ネッツと対戦した。プレイオフではマイアミ・ヒートと1回戦で対戦、最初の2ゲームで連敗したが、第5戦までもつれこませることができた。 1997-98シーズン、マジックは監督にチャック・デイリー、フロントにはジュリアス・アービングを迎え、新たな体制を整えた。しかしハーダウェイの怪我もあり、ニック・アンダーソン、新しく加入したボー・アウトローを中心に戦ったが41勝41敗と苦戦してプレイオフには進出できずに終わった。シーズン途中にサイカリーをニュージャージー・ネッツにトレードして複数の選手や将来のドラフト指名権と交換した。 1998-99シーズンはハーダウェイが故障から復帰、ドミニク・ウィルキンス、ジェラルド・ウィルキンス兄弟の獲得などをして33勝17敗でイースタン1位タイ︵この年はロックアウトのためシーズン短縮︶と躍進したがプレイオフでは1回戦でアレン・アイバーソン率いるフィラデルフィア・セブンティシクサーズに敗退した。シーズン終了後、ハーダウェイはフェニックス・サンズとダニー・マニング︵マジックではプレイしなかった︶、パット・ギャリティなどとトレードされ、アンダーソン、ホーレス・グラントもトレードでチームを去った。 1999-2000シーズン、スター選手がいない中で、アームストロング、アウトロー、そして若き日のベン・ウォレスの活躍で41勝41敗と踏みとどまり、新ヘッドコーチのドック・リバースはコーチ・オブ・ザ・イヤーを受賞した。2000年のオフシーズン、前シーズンに節約した選手年俸でティム・ダンカン、トレーシー・マグレディ、グラント・ヒルといった大物選手の獲得を狙った。ダンカンはスパーズに残留したが、マグレディとグラント・ヒルを獲得した。 2000-01シーズン、マグレディがこの年開花してトップスコアラーの仲間入りをした。またドラフトで獲得したマイク・ミラーは新人王を受賞した。しかしグラント・ヒルは怪我で4試合しか出られずに43勝39敗と平凡に終わった。 2001-02シーズン、パトリック・ユーイング、ホーレス・グラントを獲得したが、グラント・ヒルは故障がちで、マグレディ、アームストロング、マイク・ミラー中心の戦いを強いられ44勝38敗、プレイオフではバロン・デイビス率いるシャーロット・ホーネッツに1勝3敗で敗れた。 2002-03シーズンはショーン・ケンプを獲得したが浮上のきっかけを掴めず、マイク・ミラーはメンフィス・グリズリーズに放出され42勝40敗、プレイオフではデトロイト・ピストンズを後一歩のところまで追い詰めた処で、マグレディの挑発で怒られたピストンズ全員は3連勝で逆転され、屈辱な敗北を喫した。2003-04シーズンも、マグレディは得点王を獲得するため無理やり得点を上げたせいで、マジックはさらに苦しみ19連敗を含む21勝61敗の結果に終った。ドワイト・ハワードの時代
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/76/Dwight_Howard.jpg/200px-Dwight_Howard.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/53/StanVanGundy_20050723.jpg/100px-StanVanGundy_20050723.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3f/Dwight_Howard_and_Jameer_Nelson.jpg/150px-Dwight_Howard_and_Jameer_Nelson.jpg)
ハワード移籍後
シーズン終了後、ハワードはロサンゼルス・レイカーズ、フィラデルフィア・セブンティシクサーズ、デンバー・ナゲッツの4チーム12人が絡むトレードでレイカーズに放出され、アーロン・アフラロやアル・ハリントンらを獲得。チームは再建期に突入した。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/df/Jacque_Vaughn_cropped.jpg/100px-Jacque_Vaughn_cropped.jpg)
チーム再構築
2013-2014シーズンは、前年の戦績から、ドラフト2位指名権が得られ、名門インディアナ大学出身のビクター・オラディポを指名した。PG、SGの両方をこなすことができるオラディポは、新人王こそマイケル・カーター=ウィリアムスに譲ったものの、44試合に先発出場し、トリプルダブルも記録するなど、ルーキーイヤーとしては十分な活躍を見せた。しかしながら、戦績は23勝59敗と振るわずディビジョン最下位が続いた。 2014-2015シーズンは、ネルソンとアフラロの放出、チャニング・フライとベン・ゴードン、ルーク・リドナー、ウィリー・グリーンらのベテラン勢の補強と、ドラフト4位指名で、アーロン・ゴードンを獲得し、これまでのチームカラーが薄まる形で開幕に臨んだが、チーム状況は好転せず、2015年2月5日にジャック・ヴォーンヘッドコーチは解任された。その後も調子は上がらず、25勝57敗止まりで3年連続で30勝に届かなかった。そして5月29日に、マジックOBでもあるスコット・スカイルズのヘッドコーチ就任が発表された。 スカイルズを新ヘッドコーチに迎えて挑んだ2015-2016シーズンは、開幕当初は5割前後の戦いで踏ん張ってきたが、徐々に負け星が増え、トレード期限日の24勝30敗の時点でミルウォーキー・バックス時代からスカイルズと確執が根深かったトバイアス・ハリスをデトロイト・ピストンズに放出。結局はその後も調子は上がらず、前シーズンより10勝上積みしたのに止まり、35勝47敗で終え、スカイルズは5月12日に辞任を表明した。 スカイルズが辞任したマジックは、インディアナ・ペイサーズを躍進させたフランク・ヴォーゲルを新HCに招聘し、更に2016年のNBAドラフトでは、オクラホマシティ・サンダーを相手に大型トレードを敢行。サージ・イバーカを新たに獲得し、更にビスマック・ビヨンボ契約するなど、積極的に動いた。しかし、2016-2017シーズンも悪い流れは変わらず、トレード期限日にはイバーカをトロント・ラプターズに放出するなど、歯車は噛み合わず、29勝53敗で終了した。2017-18シーズンは、開幕当初は5割前後だが、その後大きな連敗し、さらに主力の怪我人が続出し最終的に25勝57敗で終え、ヴォーゲルはそのシーズン終了後に解任された。 スティーブ・クリフォードを新監督に添え、2018-19シーズンを迎えた。下馬評は高くなかったものの、昨季よりも守備力が向上。カンファレンス7位でレギュラーシーズンを終え、7年ぶりにプレーオフ進出を果たした。ニコラ・ブーチェビッチはNBAオールスターゲームのリザーブに選ばれた。 プレーオフでは、トロント・ラプターズとの1回戦で先に先手を取るも、その後4連敗で敗退した。シーズンごとの成績
Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率シーズン | 勝 | 敗 | % | プレーオフ | 結果 | |
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オーランド・マジック | ||||||
1989-90 | 18 | 64 | .220 | |||
1990-91 | 31 | 51 | .378 | |||
1991-92 | 21 | 61 | .463 | |||
1992-93 | 41 | 41 | .500 | |||
1993-94 | 50 | 32 | .610 | 1回戦敗退 | ペイサーズ 3, マジック 0 | |
1994-95 | 57 | 25 | .695 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
マジック 3, セルティックス 1 マジック 4, ブルズ 2 マジック 4, ペイサーズ 3 ロケッツ 4, マジック 0 | |
1995-96 | 60 | 22 | .732 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退 |
マジック 3, ピストンズ 0 マジック 4, ホークス 1 ブルズ 4, マジック 0 | |
1996-97 | 45 | 37 | .549 | 1回戦敗退 | ヒート 3, マジック 2 | |
1997-98 | 41 | 41 | .500 | |||
1998-99 | 33 | 17 | .660 | 1回戦敗退 | シクサーズ 3, マジック 1 | |
1999-2000 | 41 | 41 | .500 | |||
2000-01 | 43 | 39 | .524 | 1回戦敗退 | バックス 3, マジック 1 | |
2001-02 | 44 | 38 | .537 | 1回戦敗退 | ホーネッツ 3, マジック 1 | |
2002-03 | 42 | 40 | .512 | 1回戦敗退 | ピストンズ 4, マジック 3 | |
2003-04 | 21 | 61 | .256 | |||
2004-05 | 36 | 46 | .439 | |||
2005-06 | 36 | 46 | .439 | |||
2006-07 | 40 | 42 | .488 | 1回戦敗退 | ピストンズ 4, マジック 0 | |
2007-08 | 52 | 30 | .634 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 |
マジック 4, ラプターズ 1 ピストンズ 4, マジック 1 | |
2008-09 | 59 | 23 | .720 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退 |
マジック 4, シクサーズ 2 マジック 4, セルティックス 3 マジック 4, キャブス 2 レイカーズ 4, マジック 1 | |
2009-10 | 59 | 23 | .720 | 1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退 |
マジック 4, ボブキャッツ 0 マジック 4, ホークス 0 セルティックス 4, マジック 2 | |
2010-11 | 52 | 30 | .634 | 1回戦敗退 | ホークス 4, マジック 2 | |
2011-12 | 37 | 29 | .561 | 1回戦敗退 | ペイサーズ 4, マジック 1 | |
2012-13 | 20 | 62 | .244 | |||
2013-14 | 23 | 59 | .280 | |||
2014–15 | 25 | 57 | .305 | |||
2015–16 | 35 | 47 | .427 | |||
2016–17 | 29 | 53 | .354 | |||
2017–18 | 25 | 57 | .305 | |||
2018–19 | 42 | 40 | .512 | 1回戦敗退 | ラプターズ4,マジック1 | |
通算勝敗 | 1,116 | 1,214 | .479 | |||
プレイオフ | 57 | 66 | .463 |
主な選手
現役選手
プレーヤー | スタッフ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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記号説明 外部リンク 更新日:2019年10月26日 |
年代別主要選手
太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人
栄誉
永久欠番
|
殿堂入り
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コーチ、その他
歴代ヘッドコーチ
- マット・グーカス (Matt Guokas) (1989-90/1992-93)
- ブライアン・ヒル (Brian Hill)(1993-94/1996-97)
- リッチー・アデュベイト (Richie Adubato) (1996-97)
- チャック・デイリー (Chuck Daly) (1997-98/1998-99)
- ドック・リバース (Doc Rivers) (1999-00/2003-04)
- ジョニー・デイヴィス (Johnny Davis) (2003-04/2004-05)
- クリス・ジェント (Chris Jent) (2004-05)
- ブライアン・ヒル (Brian Hill)(2004-05/2006-07)
- スタン・ヴァン・ガンディ (Stan Van Gundy) (2007-08/2011-12)
- ジャック・ヴォーン (Jack Vaughn) (2012-13/2014-15)
- スコット・スカイルズ (Scott Skiles) (2015-16/)
チーム記録
脚注
外部リンク
チーム名 | オーナー | GM | ヘッドコーチ | ホームコート |
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アトランタ・ホークス | アントニー・レスラー | トラヴィス・シュレンク | ネイト・マクミラン | ステートファーム・アリーナ |
シャーロット・ホーネッツ | マイケル・ジョーダン | ミッチ・クプチャク | ジェームズ・ボーレゴ | スペクトラム・センター |
マイアミ・ヒート | ミッキー・アリソン | パット・ライリー | エリック・スポールストラ | カセヤ・センター |
オーランド・マジック | ジェフ・ウェルトマン | ジョン・ハモンド | ジャマール・モズリー | アムウェイ・センター |
ワシントン・ウィザーズ | テッド・レオンシス | トミー・シェパード | ウェス・アンセルド・ジュニア | キャピタル・ワン・アリーナ |