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「五式十五糎高射砲」の版間の差分

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しかし、この戦果についてはアメリカ軍記録に該当するものが存在しないこと、<!--また、当時の貧弱な高射装置の性能を考えれば、-->1発の射撃で2機撃墜という戦果はきわめて考えにくく、[[神話]]に過ぎないとする意見もある。日本の公刊戦史にも「その威力を十分に発揮するに至らずして終戦になった」と書かれている。もともと第二次世界大戦時の高射砲は、危害半径と発射弾数による確率論的な効果で敵航空機の撃墜を狙うものであり、高速で移動する航空機に対して初弾から命中を期待することは不可能に近い。これは日本に限らず連合国でも同様である。[[近接信管]]をいち早く実用化した米軍でさえも、必中には程遠かったことが実戦記録から示されている。

しかし、この戦果についてはアメリカ軍記録に該当するものが存在しないこと、<!--また、当時の貧弱な高射装置の性能を考えれば、-->1発の射撃で2機撃墜という戦果はきわめて考えにくく、[[神話]]に過ぎないとする意見もある。日本の公刊戦史にも「その威力を十分に発揮するに至らずして終戦になった」と書かれている。もともと第二次世界大戦時の高射砲は、危害半径と発射弾数による確率論的な効果で敵航空機の撃墜を狙うものであり、高速で移動する航空機に対して初弾から命中を期待することは不可能に近い。これは日本に限らず連合国でも同様である。[[近接信管]]をいち早く実用化した米軍でさえも、必中には程遠かったことが実戦記録から示されている。



ただし、1945年(昭和20年)8月2日のアメリカ陸軍315BWの128機(通常爆弾搭載)が[[川崎]]の三菱石油川崎製油所を空襲の際、久我山付近にて2機が撃墜(一部アメリカ側資料では高速戦闘機かロケット砲による攻撃とされている)されている、これはこの砲による戦果と見られるという説もある。

ただし、1945年(昭和20年)8月2日のアメリカ陸軍315BWの128機(通常爆弾搭載)が[[川崎市|川崎]]の三菱石油川崎製油所を空襲の際、久我山付近にて2機が撃墜(一部アメリカ側資料では高速戦闘機かロケット砲による攻撃とされている)されている、これはこの砲による戦果と見られるという説もある。



アメリカ陸軍315BWの公式サイトによると、8月1-2日の作戦(夜間爆撃)で130機が出撃したが被害は対空砲火で2機が大きなダメージ、13機が軽微なダメージを受け、結局130機のうち大破した2機とエンジントラブルの3機の計5機が硫黄島の基地に着陸し搭乗員は全員無事帰還している。[http://www.315bw.org/wing5.html]

アメリカ陸軍315BWの公式サイトによると、8月1-2日の作戦(夜間爆撃)で130機が出撃したが被害は対空砲火で2機が大きなダメージ、13機が軽微なダメージを受け、結局130機のうち大破した2機とエンジントラブルの3機の計5機が硫黄島の基地に着陸し搭乗員は全員無事帰還している。[http://www.315bw.org/wing5.html]




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==戦後==

==戦後==


2017年6月4日 (日) 05:26時点における版

五式十五糎高射砲
使用勢力 大日本帝国陸軍
採用年 1945年(昭和20年)
口径 150mm
砲身長 9,000mm(60.35口径)
最大射程 26,000m
最大射高 19,000m
俯仰角 0度から+85度

使 B-29


12cmB-29B-2912cm10,00015,00012cm16,00015cm194419412A2-18-18

15(cm)149.1mm1802,00020,000200

[1]


5100

19452081130B-2912600[1]112

12

19452082315BW1282

315BW812130213130235[1]

81279329291


21調[1]1[2]

要目

  • 砲身
    • 重量:9.2トン
    • 砲身長:9メートル (60.35口径) 
  • 射界
    • 高低:0~+85度
    • 周囲:360度
  • 最大射程:26,000メートル
  • 最大射高:19,000メートル
  • 操作人員:調査中
  • 発射速度:約六秒/発

参考文献

脚注

  1. ^ a b c 潮書房『丸』平成6年(1994年)4月号 No.113
  2. ^ 潮書房『丸』昭和37年(1962年)3月号 No.181 p.152

関連項目