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五月危機

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19685 [1]

概要

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19631968351051355306(en:1968 French legislative election)[1]Mai 68May 68

NO519686196934[1]

共産主義・新左翼の影響

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1960[2][3][4]

デモ支持派における毛沢東主義への憧れ

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文化大革命の紅衛兵。五月革命当時のフランスではまだ文化大革命の実態は知らされておらず、フランス人のあいだでは毛思想への過剰な期待がふくらんでいた。

Grand Timonier[5]Le petit livre rouge de maoENS[6][7]
「 造反有理」をかかげた日本の1960年代の安保闘争同様、有権者の多数派の支持は得られず、現実の選挙・議会構成には大きな影響をおよぼすことがなかった。

騒動以前の戦後フランスの状況

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ド・ゴール大統領

1946-195821946-19541954-19621953退1954[8]1958

タイムライン

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1968年3月15日付日刊紙ル・モンドにジャーナリスト、ピエール・ヴィアンソン=ポンテは「現在、私たちの生活を定義するものは退屈だ」、「フランス人は退屈だ。彼らは世界を揺るがす激動に参加していない」と書いた。その後の出来事は、「退屈」が反乱の強力な触媒として作用したことを示唆している[9]

1968年3月22日

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1968

1966UNEF[10][11]19641019683225[12]

西UNEFLCR32930

1968年5月1日

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極右の学生組織「オキシデンタル・グループ(Occidental group)」がナンテール校を攻撃しようとしているという噂が広まり、緊張が高まった。

1968年5月2日

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ソルボンヌの学生組合ビルの一部が燃え、オキシデンタル・グループによって非難される。ダニエル・コーン=ベンディットを含む7名ものメンバーは3月22日の運動の件で懲戒委員会に呼び出される。

1968年5月3日

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500(CRS)10020

1968年5月6日

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6003454227UNEF4 退9CGT (CFDT) 

1968年5月10・11日

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 (SNES[13])  (ORTF) 251102377418601113

1968年5月13日

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労働組合(CGT、CFDT、FEN)と左派政党は学生支援のために24時間のストライキを呼びかけた。約80万人もの教師、組合員、政治家がパリの通りに集まる。ジョルジュ・ポンピドゥ首相は、ソルボンヌの再開を発表することで状況を落ち着かせようとした。学生は恒久的な占拠を宣言する。討論と会議は昼夜を問わずに行なわれた。

1968年5月14日

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シャルル・ド・ゴール大統領は、ルーマニアに公式訪問。ストライキは多くのルノー工場に波及し、およそ50もの工場が労働者に占拠され、工場の責任者は労働者の手によって拘束され、工場に「赤い旗」が掲げられた。5月17日までに20万人がストライキを決行、この数字は翌日のストライキで200万人にふくれあがり、その後1週間でフランス人労働者のおよそ2/3にあたるおよそ1千万人が参加したと言われる。

1968年5月15・16日

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16

1968年5月17・18・19日

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17日、フランス共産党が左派の共通プログラムを呼びかけ、鉄道(SNCF[14])もストライキ。18日、極右勢力による反共産主義デモが行われ、ストラスブール大学で自治が宣言される。19日、フランス国鉄・パリ市交通公団・郵便通信電話局でストライキ、燃料不足が始まる。

1968年5月20日

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ほとんど全てのセクターでゼネストに近い状態になった。全学連(UNEF) とフランス民主労働総同盟(CFDT)英語版が記者会見をひらき、談上の「労働者と学生の闘争は同じである」という語はスローガンとなり、教師達の組合の枠を超えてストライキがひろがるきっかけとなった。フランス放送協会(ORTF)は放送を中止する。

1968年5月21日

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銀行や繊維産業等も含めた大規模なゼネスト、フランスの交通システムはすべて麻痺状態に陥った。

1968年5月22日

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フランスでは800万人以上の人々がストライキを行なった。ドイツを旅していたダニエル・コーン=ベンディットはフランスへの再入国を拒否される。

1968年5月24日

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パリ市庁舎証券取引所を学生が襲撃、20万人の農業労働者や各大学もストライキに突入し、カトリック教会でも学生の要求に親和的な意見が高まる。デモはパリ市街をまわり「人民政府」を要求。はじめて2人の死者を出す。テレビ演説でド・ゴール大統領は国民投票を提案して世論を取り戻そうとしたが、演説はほとんど影響を及ぼさず、抗議者は辞表を要求した。ラテン地区での衝突で456人が負傷し、795人が逮捕された。ストラスブールボルドーナントリヨンでも衝突が起こり、警察官がトラックで押しつぶされ、死亡している。

1968年5月25日

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ド・ゴール主義の国務長官ジャック・シラクが主宰で労働者、国、雇用主組織のあいだでの三者間会議が催される。

1968年5月27日

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Minister of Social Affairs and Employment31Grenell agreements

1968年5月29日

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80

1968年5月30日

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1968年6月

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3

6233012

1968年7月10日

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ド・ゴール大統領はモーリス・クーヴ・ド・ミュルヴィルを首相に任命した[15]

デモ参加学生の内部

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1938年、フランスの大学生は6万人にすぎなかった。それが1961年に24万人、1968年時点には60万5,000人にまでふくれあがっていた[16]

新左翼と左翼の混在

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新左翼(反ソ連共産党)

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「赤毛のダニー」こと、ダニエル・コーン・ベンディット。五月革命というとフランス人が先導していたと思いがちだが、先導していたのはドイツ人移民だった。

ソ連と関係が深かった「スターリン主義」的なフランス共産党は、当初は影響下にある労働総同盟(CGT)を通じて労働者のストライキを組織した。だが、当時の共産党幹部ジョルジュ・マルシェは運動のリーダーであるダニエル・コーン=ベンディットら”ソ連を非難する急進的な学生運動”を「アナーキストのドイツ人」と否定、バリケードを構築しての衝突や街頭占拠をすすめる学生や労働者を「トロツキスト」と非難した。党や労働総同盟には学生主導のストライキを組織する力はなく、逆に学生や労働者のほうがより時代にあった根本的な要求をかかげていた。さらに五月革命には党や組合によって、組織されたものではない運動の自由で自発的な性質があり、「反=組合」「反=共産党」の幸福感があった。同じようにスターリン主義に幻滅していた、無神論的実存主義の哲学者ジャン・ポール・サルトルが学生運動家に接近した。

政権との総選挙と最低賃金引き上げ約束

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政治生命の危機に直面したシャルル・ド・ゴール大統領は、国民議会を解散し、あくる6月に総選挙をすることを約束した。解散にさきだつ5月27日、政府は労働組合との賃上げ交渉に寛大にこたえるかたちで事態の鎮静化をはかった。その結果、学生と労働組合はよりよい条件の「グルネル協定」(すべての賃金の10%上乗せと最低賃金の35%引き上げ[17])を締結した

著名人の反応

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1968530

姿
1967

UJC(ml))

196768

1968[18]



騒動後のフランス国内

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70年代パンク・ムーブメント

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英国人デザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッド。ロンドン・パンクはファッションに大きな影響を与えた。とくにセックス・ピストルズとヴィヴィアン・ウエストウッドのファッションは衝撃的で、当時産業ロックなどで停滞していたロック界や、ファッション界に新たなる風をもたらした。

1970退DIYSEX



I wanna be anarchist[19]Anarchy in the UK-The Sex Pistols

セックス革命とアンチセックス

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Me Too

68 () 60Me too

文化大革命の実態報道

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サブカルチャーの流行

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サブカルチャーはマンガ、アニメだけでなく、ヘヴィメタルなどのロックや麻薬、フリーセックスもふくまれた。キリスト教の影響が強い欧米社会において、セックス革命というのは「社会の世俗化(vulgar)」を意味する。キリスト教(とくにカトリック)や、キリスト教原理主義者はその教義のなかで「中絶」、「同性愛」を厳しく戒めてきた。なお中絶禁止は聖書には書かれていない。いまだ性をマイナス・イメージでとらえる信者も多い。したがって、このような社会の「世俗化」は、保守派の眉を顰めさせるような出来ごとであり、従来の価値を愛する保守の市民の根強い反発もある。くわえてサブカルチャーと結びついた麻薬やセックスの自由は、「中毒」や「依存症」になる危険もある。革命以後、アメリカのみならず、ヨーロッパも革新と保守の乖離の問題を抱えることとなった。

パリ五月革命と黄色いベスト運動

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参考図書

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  • ミシェル・ヴィノック『フランス政治危機の100年-パリ・コミューンから1968年5月まで』大嶋厚訳、吉田書店、2018年(第8章「一九六八年五月」参照)

五月革命に関連した映画

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1967

1968 - 

調1968 - ==

(=/1968)

1989 - 

2003 - 

2005 - 

2011 - 

脚注

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(一)^ abc,1998  p.152-160

(二)^ Rubin, Alissa J.. May 1968: A Month of Revolution Pushed France Into the Modern World (). https://www.nytimes.com/2018/05/05/world/europe/france-may-1968-revolution.html 2018825 

(三)^ 1968 WWD JAPAN201893

(四)^ Egalité! Liberté! Sexualité!: Paris, May 1968 (). The Independent. https://www.independent.co.uk/news/world/europe/egalit-libert-sexualit-paris-may-1968-784703.html 2018825 

(五)^ Informations, Chine. Grand Timonier (). chine.in. 2018828

(六)^ Accueil | ENS (). www.ens.fr. 2018826

(七)^ Mayo del 68: una revolución fallida. lab.elmundo.es. 2018827

(八)^ http://www.biography.com/people/charles-de-gaulle-9269794

(九)^ RFI - Timeline May 68. www1.rfi.fr. 20181219

(十)^   - . . https://situationniste.hatenablog.com/entry/20130730/p1 2018830 

(11)^ 1968: a Turning Point in History? (). CNRS News. 2018830

(12)^ 1968: a chronology of events in France and internationally (). libcom.org. 2018830

(13)^ SNES - Syndicat National des Enseignements de Second degré (). www.snes.edu. 201896

(14)^ SNCF - Trains, Services, Businesses | SNCF (). www.sncf.com. 201896

(15)^ .   3 2015. 2018827

(16)^ Egalité! Liberté! Sexualité!: Paris, May 1968 (). The Independent. https://www.independent.co.uk/news/world/europe/egalit-libert-sexualit-paris-may-1968-784703.html 2018828 

(17)^ 7 etapas para entender la revolución de Mayo del 68 (). Paris infinito. (201851). https://www.paris-infinito.com/7-etapas-para-entender-la-revolucion-de-mayo-del-68/ 2018827 

(18)^ Rubin, Alissa J.. May 1968: A Month of Revolution Pushed France Into the Modern World (). https://www.nytimes.com/2018/05/05/world/europe/france-may-1968-revolution.html 2018828 

(19)^ Sex Pistols - Anarchy In The U.K. Lyrics | AZLyrics.com (). www.azlyrics.com. 201893

関連項目

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