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{{ホール概要 |
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[[画像:Kaho gekijou.JPG|thumb|250px|嘉穂劇場(2009年5月)]] |
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| 名称 = 嘉穂劇場 |
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'''嘉穂劇場'''(かほげきじょう)は、[[福岡県]][[飯塚市]]にある[[劇場]]である。 |
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| 外国語名称 = |
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| 画像 = 画像:Kaho gekijou.JPG |
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| 画像説明 = |
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| 地図 = |
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| 通称 = |
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| 正式名称 = 嘉穂劇場 |
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| 旧名称 = |
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| 完成年 = 1931 |
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| 完成月 = |
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| 完成日 = |
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| 開館年 = 1931 |
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| 開館月 = |
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| 開館日 = |
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| 開館公演 = |
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| 閉館年 = <!-- 閉鎖されたホールのみに使用 --> |
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| 閉館月 = <!-- 同 --> |
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| 閉館日 = <!-- 同 --> |
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| 最終公演 = <!-- 同。分かっている場合は記入 --> |
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| 収容人数 = 約1,200 |
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| 客席 = 1階席 450 - 800名<br/>2階席 300 - 400名 |
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| 延床面積 = 劇場本体:1,513.71 |
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| 設備 = |
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| 用途 = 演劇 |
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| 旧用途 = |
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| 運営 = 飯塚市 |
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| 郵便番号 = 820-0041 |
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| 所在地 = [[福岡県]][[飯塚市]]飯塚5番23号 |
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| 緯度度 = | 緯度分 = | 緯度秒 = |
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| 経度度 = | 経度分 = | 経度秒 = |
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| 座標右上表示 = |
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| 最寄駅 = [[JR九州]][[筑豊本線]]「[[飯塚駅]]」下車徒歩15分<br>[[JR九州]][[筑豊本線]]・[[後藤寺線]]「[[新飯塚駅]]」下車徒歩20分 |
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| 最寄バス停 = [[西鉄バス]]「嘉穂劇場入口」下車徒歩1分 |
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| 最寄IC = |
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| 外部リンク = |
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| 特記事項 = |
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'''嘉穂劇場'''︵かほげきじょう︶は、[[福岡県]][[飯塚市]]にある[[劇場]]である。建物は国の[[登録有形文化財]]<ref name="bunka">{{Cite web|和書|title=嘉穂劇場 |url=https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00005933 |publisher=文化庁 |accessdate=2021-06-13 }}</ref>。[[近代化産業遺産]]に認定されている<ref name="meti">{{Cite web|和書|year=2007 |title=近代化産業遺産 33 |url=https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/creative/kindaikasangyoisan/pdf/isangun.pdf |publisher=経済産業省 |accessdate=2021-06-13 }}</ref>。
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== 歴史 == |
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建物は国の[[登録有形文化財]]。現在は[[特定非営利活動法人]]によって運営されており、理事長は伊藤英昭(2代目)。 |
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[[1931年]]︵[[昭和]]6年︶、当時の[[嘉穂郡]]飯塚町で伊藤隆により設置される。前身は[[1921年]]︵[[大正]]10年︶に大阪・[[中座]]を模して建てられた木造3階建ての﹁株式会社中座﹂であり、[[1928年]]︵昭和3年︶に焼失し、翌年に再建されるも[[1930年]]︵昭和5年︶の[[台風]]で倒壊した。翌年、嘉穂劇場として再々建される。
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観客は当時[[筑豊]]地域の中心[[産業]]であった[[炭鉱|石炭炭鉱]]の[[労働者]]とその[[家族]]が中心で、[[大衆演劇]]や[[歌手]]の公演などで賑わった。しかし[[石炭産業]]の衰退もあって、[[1962年]]︵昭和37年︶には延べ266日であった公演数は、[[1970年代]]には10 - 15日に落ち込む。こうした事態を打開すべく、隆の死後に経営を引き継いだ娘・英子の奮闘もあり<ref>その一つに[[新劇]]から芸能の原点を目指した[[小沢昭一]]主宰の劇団[[芸能座]]の旅公演﹁清水次郎長伝・伝﹂の公演があり、劇団員と劇場主・英子との記念写真も残っている。出典:小沢昭一﹃昭和の肖像<芸>﹄p.148-154</ref>、[[1979年]]︵昭和54年︶から毎年9月に[[九州演劇協会]]による﹁'''[[全国座長大会]]'''﹂が開催されるようになったことや、レトロな雰囲気が人気となり、近年では、年間30 - 40日の公演が行われていた。
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==歴史== |
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[[1931年]]︵[[昭和]]6年︶、当時の[[嘉穂郡]]飯塚町で伊藤隆により設置される。前身は[[1921年]]︵[[大正]]10年︶に大阪・[[中座]]を模して建てられた木造3階建ての﹁株式会社中座﹂であり、[[1928年]]︵昭和3年︶に焼失し、翌年に再建されるも[[1930年]]︵昭和5年︶の台風で倒壊した。
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観客は当時筑豊地域の中心産業であった石炭炭鉱の労働者とその家族が中心で、大衆演劇や歌手の公演などで賑わった。しかし石炭産業の衰退もあって、[[1962年]]︵昭和37年︶には延べ266日であった公演数は、[[1970年代]]には10~15日に落ち込む。こうした事態を打開すべく、隆の死後経営を引き継いだ娘・英子の奮闘もあり、[[1979年]]︵昭和54年︶から毎年9月に[[九州演劇協会]]による﹁'''[[全国座長大会]]'''﹂が開催されるようになったことや、レトロな雰囲気が人気となり、近年では、年間30~40日の公演が行われていた。
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[[2000年]]([[平成]]12年)[[7月30日]]には[[椎名林檎]]の一夜限りのライブイベント「[[座禅エクスタシー]]」の会場に使われた。 |
[[2000年]]([[平成]]12年)[[7月30日]]には[[椎名林檎]]の一夜限りのライブイベント「[[座禅エクスタシー]]」の会場に使われた。 |
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[[2003年]]︵平成15年︶[[7月19日]]の大雨により、劇場がある飯塚市の中心部一帯が浸水し、客席や舞台 |
[[2003年]]︵平成15年︶[[7月19日]]の大雨により、劇場がある飯塚市の中心部一帯が浸水し、客席や舞台・[[花道]]などが浮き上がり、1階内部が使用不能になる被害を受ける。九州演劇協会会長・玄海竜二より連絡を受けた[[津川雅彦]]らが芸能人仲間に呼びかけ、[[中村玉緒]]、[[明石家さんま]]、中村勘九郎︵後に[[中村勘三郎_(18代目)|18代中村勘三郎]]︶などといった名立たる俳優や芸能人が駆け付けた復旧チャリティイベントが行われ、イベントに先立ち飯塚市中心商店街で﹁[[練り|お練り]]﹂も行われた。このイベントでは、[[田村正和]]や[[木村拓哉]]らの私物がチャリティオークションにかけられ、東京でも滅多に無い豪華なイベントとして話題となった。
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上記水害の後、約1年かけて復旧工事が行われ、翌年 |
上記水害の後、約1年かけて復旧工事が行われ、翌年9月に復興し、11月には、水害直後の2003年︵平成15年︶9月に公演予定だった九州の人気劇団[[ギンギラ太陽'S]]の公演も行われた。
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開場より伊藤家の家族経営により営業を続けてきた唯一の民営の芝居小屋であったが、復旧に際して公的資金の支援を受ける必要があったことから、[[特定非営利活動法人]](NPO)化され、英子が初代理事長となった。しかし、この時点で英子は既に高齢となっていたため、後に養子として入った伊藤英昭夫妻に劇場運営全般は移し、自らは来場する役者らの話し相手を務め、[[2010年]]︵平成22年︶[[8月22日]]、老衰で91年の生涯を閉じた。
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[[2021年]](令和3年)[[5月18日]]から休館。 |
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[[2022年]](令和4年)10月より耐震補強をはじめとする改修費用を[[ふるさと納税]]によるクラウドファンディングで公募。目標額1億2,000万円に対し、5億2,865万円が集まった。返礼品費用を差し引いた約1億8,264万円が充てられることになった<ref>[https://www.city.iizuka.lg.jp/bunka/kahogekijo/kahogekijo.html#kihugaku NEW”嘉穂劇場クラウドファンディングの最終結果について”︻令和6年2月1日︼]</ref>。
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== 劇場の様式と規模 == |
== 劇場の様式と規模 == |
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*様式 |
* 様式 : [[江戸]][[歌舞伎]]小屋様式。鉄板葺、木造2階建<ref name="bunka" />。 |
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*舞台 |
* 舞台 : 間口 10[[間]](18.2m)、奥行き 9間(16.4m)、[[プロセニアム・アーチ|プロセニアム]]高さ 2.5間(4.5m)、[[劇場#舞台各部の名称|簀の子]]までの高さ 5間(9.1m) |
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* 客席 : 1階 450 - 800人、2階 300 - 400人(状況によって変化可能) |
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* 舞台設備 : |
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:[[廻り舞台]](直径 15.8m、手動回転式) |
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:[[歌舞伎#迫り|セリ]](廻り舞台前方と[[花道]]) |
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== 登録など == |
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[[2006年]]︵平成18年︶に、国の[[登録有形文化財]]に登録される<ref name="bunka" />。[[2007年]]︵平成19年︶には、[[近代化産業遺産]]の﹁31.産炭地域の特性に応じた近代技術の導入など九州・山口の石炭産業発展の歩みを物語る近代化産業遺産群﹂の一つとして認定された<ref name="meti" />。
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== 特定非営利活動法人嘉穂劇場 == |
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特定非営利活動法人嘉穂劇場は福岡県飯塚市に主たる事務所を置く[[特定非営利活動法人]]。2004年1月9日設立。 |
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2003年の集中豪雨被害において集まった寄付金や助成金を活用するために新設され、劇場運営を当該法人に移管した。 |
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2014年に57,000人を超えた来場者が2019年は27,000人に減り、2020年は[[日本における2019年コロナウイルス感染症による社会・経済的影響|新型コロナウイルスの影響]]で公演やイベントのキャンセルが相次ぎ8600人に落ち込んだ<ref>[https://www.nishinippon.co.jp/item/n/668018/]西日本新聞2020年11月27日分記事</ref>。老朽化した設備の改修に必要な資金が確保できず、今後の見通しがたたないことから、運営の断念を決定した。 |
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2021年5月17日、特定非営利活動法人嘉穂劇場は解散<ref>[http://kahogekijyo.com/blog/1908/ 嘉穂劇場公式ホームページ]</ref>。劇場は当面閉館され、[[飯塚市]]に譲渡されることが決定した<ref>{{Cite news|url= https://web.archive.org/web/20210517103303/https://www3.nhk.or.jp/lnews/kitakyushu/20210517/5020008650.html |title= ﹁嘉穂劇場﹂運営するNPOが解散 劇場は飯塚市に譲渡へ |newspaper= NHK NEWS WEB |date= 2021-05-17 |accessdate=2021-05-17 }}{{リンク切れ|date=2021-11}}</ref>。
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; 理事長 |
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* 伊藤英子(初代) |
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* 伊藤英昭(2代目) |
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==類似劇場== |
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* [[八千代座]] |
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* [[旧金毘羅大芝居]] |
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==交通アクセス== |
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*[[JR九州]][[筑豊本線]][[飯塚駅]]より徒歩15分(1200m) |
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*[[西鉄天神高速バスターミナル]]から[[西鉄バス]]筑豊特急線に乗車し「嘉穂劇場入口」下車徒歩1分(80m) |
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*マイカーの場合、[[九州自動車道]][[福岡インターチェンジ (福岡県)|福岡インターチェンジ]]から[[八木山バイパス]]経由で22㎞、もしくは同[[鞍手インターチェンジ]]から21㎞。 |
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==脚注== |
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*客席:1階 450~800人、2階 300~400人(状況によって変化可能) |
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{{脚注ヘルプ}} |
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*舞台設備: |
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{{Reflist}} |
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:廻り舞台(直径 15.8m、手動回転式) |
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:セリ(廻り舞台前方と花道) |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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{{commonscat|Kaho Gekijō}} |
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*[http://www.kahogekijyo.com/ NPO嘉穂劇場] |
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* [http://www.kahogekijyo.com/ NPO嘉穂劇場] |
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* [https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00005933 国指定文化財データベース – 嘉穂劇場] |
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[[Category:福岡県の劇場]] |
[[Category:福岡県の劇場]] |
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[[Category: |
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[[Category:日本の木造建築物]] |
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[[Category:福岡県の特定非営利活動法人]] |
2024年6月4日 (火) 00:39時点における最新版
嘉穂劇場 | |
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情報 | |
正式名称 | 嘉穂劇場 |
完成 | 1931年 |
開館 | 1931年 |
収容人員 | 約1,200人 |
客席数 |
1階席 450 - 800名 2階席 300 - 400名 |
延床面積 | 劇場本体:1,513.71m² |
用途 | 演劇 |
運営 | 飯塚市 |
所在地 |
〒820-0041 福岡県飯塚市飯塚5番23号 |
最寄駅 |
JR九州筑豊本線「飯塚駅」下車徒歩15分 JR九州筑豊本線・後藤寺線「新飯塚駅」下車徒歩20分 |
最寄バス停 | 西鉄バス「嘉穂劇場入口」下車徒歩1分 |
歴史[編集]
1931年︵昭和6年︶、当時の嘉穂郡飯塚町で伊藤隆により設置される。前身は1921年︵大正10年︶に大阪・中座を模して建てられた木造3階建ての﹁株式会社中座﹂であり、1928年︵昭和3年︶に焼失し、翌年に再建されるも1930年︵昭和5年︶の台風で倒壊した。翌年、嘉穂劇場として再々建される。 観客は当時筑豊地域の中心産業であった石炭炭鉱の労働者とその家族が中心で、大衆演劇や歌手の公演などで賑わった。しかし石炭産業の衰退もあって、1962年︵昭和37年︶には延べ266日であった公演数は、1970年代には10 - 15日に落ち込む。こうした事態を打開すべく、隆の死後に経営を引き継いだ娘・英子の奮闘もあり[3]、1979年︵昭和54年︶から毎年9月に九州演劇協会による﹁全国座長大会﹂が開催されるようになったことや、レトロな雰囲気が人気となり、近年では、年間30 - 40日の公演が行われていた。 2000年︵平成12年︶7月30日には椎名林檎の一夜限りのライブイベント﹁座禅エクスタシー﹂の会場に使われた。 2003年︵平成15年︶7月19日の大雨により、劇場がある飯塚市の中心部一帯が浸水し、客席や舞台・花道などが浮き上がり、1階内部が使用不能になる被害を受ける。九州演劇協会会長・玄海竜二より連絡を受けた津川雅彦らが芸能人仲間に呼びかけ、中村玉緒、明石家さんま、中村勘九郎︵後に18代中村勘三郎︶などといった名立たる俳優や芸能人が駆け付けた復旧チャリティイベントが行われ、イベントに先立ち飯塚市中心商店街で﹁お練り﹂も行われた。このイベントでは、田村正和や木村拓哉らの私物がチャリティオークションにかけられ、東京でも滅多に無い豪華なイベントとして話題となった。 上記水害の後、約1年かけて復旧工事が行われ、翌年9月に復興し、11月には、水害直後の2003年︵平成15年︶9月に公演予定だった九州の人気劇団ギンギラ太陽'Sの公演も行われた。 開場より伊藤家の家族経営により営業を続けてきた唯一の民営の芝居小屋であったが、復旧に際して公的資金の支援を受ける必要があったことから、特定非営利活動法人(NPO)化され、英子が初代理事長となった。しかし、この時点で英子は既に高齢となっていたため、後に養子として入った伊藤英昭夫妻に劇場運営全般は移し、自らは来場する役者らの話し相手を務め、2010年︵平成22年︶8月22日、老衰で91年の生涯を閉じた。 2021年(令和3年)5月18日から休館。 2022年(令和4年)10月より耐震補強をはじめとする改修費用をふるさと納税によるクラウドファンディングで公募。目標額1億2,000万円に対し、5億2,865万円が集まった。返礼品費用を差し引いた約1億8,264万円が充てられることになった[4]。劇場の様式と規模[編集]
●様式 : 江戸歌舞伎小屋様式。鉄板葺、木造2階建[1]。 ●舞台 : 間口10間(18.2m)、奥行き9間(16.4m)、プロセニアム高さ 2.5間(4.5m)、簀の子までの高さ5間(9.1m) ●客席 : 1階 450 - 800人、2階 300 - 400人︵状況によって変化可能︶ ●舞台設備 : 廻り舞台︵直径 15.8m、手動回転式︶ セリ︵廻り舞台前方と花道︶登録など[編集]
2006年︵平成18年︶に、国の登録有形文化財に登録される[1]。2007年︵平成19年︶には、近代化産業遺産の﹁31.産炭地域の特性に応じた近代技術の導入など九州・山口の石炭産業発展の歩みを物語る近代化産業遺産群﹂の一つとして認定された[2]。特定非営利活動法人嘉穂劇場[編集]
特定非営利活動法人嘉穂劇場は福岡県飯塚市に主たる事務所を置く特定非営利活動法人。2004年1月9日設立。 2003年の集中豪雨被害において集まった寄付金や助成金を活用するために新設され、劇場運営を当該法人に移管した。 2014年に57,000人を超えた来場者が2019年は27,000人に減り、2020年は新型コロナウイルスの影響で公演やイベントのキャンセルが相次ぎ8600人に落ち込んだ[5]。老朽化した設備の改修に必要な資金が確保できず、今後の見通しがたたないことから、運営の断念を決定した。 2021年5月17日、特定非営利活動法人嘉穂劇場は解散[6]。劇場は当面閉館され、飯塚市に譲渡されることが決定した[7]。- 理事長
- 伊藤英子(初代)
- 伊藤英昭(2代目)
類似劇場[編集]
交通アクセス[編集]
- JR九州筑豊本線飯塚駅より徒歩15分(1200m)
- 西鉄天神高速バスターミナルから西鉄バス筑豊特急線に乗車し「嘉穂劇場入口」下車徒歩1分(80m)
- マイカーの場合、九州自動車道福岡インターチェンジから八木山バイパス経由で22㎞、もしくは同鞍手インターチェンジから21㎞。
脚注[編集]
外部リンク[編集]
座標: 北緯33度38分11.36秒 東経130度41分13.77秒 / 北緯33.6364889度 東経130.6871583度