「小田村四郎」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
HIDECCHI001 (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
|||
35行目: | 35行目: | ||
== 関係者 == |
== 関係者 == |
||
曾祖父は、[[長州藩]]の志士で初代[[群馬県知事一覧|群馬県令]]を務めた[[楫取素彦]]である<ref>[http://mainichi.jp/feature/news/20120919ddlk10040191000c.html 楫取素彦:初代県令、没後100年 子孫ら招き﹁偲ぶ会﹂−−前橋﹁臨江閣﹂] 毎日新聞群馬県版 2012年9月19日閲覧</ref>。楫取素彦は元は小田村家の養子で、長男の希家に小田村の家名を継がせた。四郎の父の[[小田村有芳|有芳]]は希家の養子であるが、母の治子は希家の実弟楫取道明の娘であり、四郎は血縁上も楫取素彦の曾孫である。曾祖母の久子は素彦の最初の妻で、[[吉田松陰]]の妹である。久子の死後、素彦は久子の妹で[[久坂玄瑞]]の妻だった[[楫取美和子|美和子]]と再婚している。四郎の兄には、日本学生協会のメンバーをもとに結成された[[社団法人]][[国民文化研究会]]の理事長・[[亜細亜大学]]教授を務めた[[小田村寅二郎]]がいる。同会出身のメンバーには、ほかにも[[名越二荒之助]]、[[東中野修道]]、[[占部賢志]]、[[八木秀次 (法学者)|八木秀次]]ら保守派の論客がいる{{要出典|date=2015年12月}}。
|
曾祖父は、[[長州藩]]の志士で初代[[群馬県知事一覧|群馬県令]]を務めた[[楫取素彦]]である<ref>[http://mainichi.jp/feature/news/20120919ddlk10040191000c.html 楫取素彦:初代県令、没後100年 子孫ら招き﹁偲ぶ会﹂−−前橋﹁臨江閣﹂] 毎日新聞群馬県版 2012年9月19日閲覧</ref>。楫取素彦は元は小田村家の養子で、長男の希家に小田村の家名を継がせた。四郎の父の[[小田村有芳|有芳]]は希家の養子であるが、母の治子は希家の実弟[[楫取道明]]の娘であり、四郎は血縁上も楫取素彦の曾孫である。曾祖母の久子は素彦の最初の妻で、[[吉田松陰]]の妹である。久子の死後、素彦は久子の妹で[[久坂玄瑞]]の妻だった[[楫取美和子|美和子]]と再婚している。四郎の兄には、日本学生協会のメンバーをもとに結成された[[社団法人]][[国民文化研究会]]の理事長・[[亜細亜大学]]教授を務めた[[小田村寅二郎]]がいる。同会出身のメンバーには、ほかにも[[名越二荒之助]]、[[東中野修道]]、[[占部賢志]]、[[八木秀次 (法学者)|八木秀次]]ら保守派の論客がいる{{要出典|date=2015年12月}}。
|
||
== 主な著書 == |
== 主な著書 == |
2017年5月15日 (月) 23:23時点における版
経歴
学生時代は、日本学生協会の活動家として﹁現行の高校、大学には﹁情意の枯渇﹂がはなはだしいと﹂難じ、その刷新運動に参加した。1943年に学徒出陣[要出典]。
終戦後に東京帝国大学︵現‥東京大学︶に復学卒業。1947年︵昭和22年︶大蔵省︵現‥財務省︶に入省し、1976年︵昭和51年︶に行政管理庁事務次官、その後日本銀行監事を務めた。1995年︵平成7年︶から2003年︵平成15年︶まで拓殖大学第16代総長。
2007年︵平成19年︶7月13日に駐日アメリカ合衆国大使館に手渡されたアメリカ合衆国下院121号決議への抗議書に賛同者として名を連ねた[要出典]。
略歴
- 1923年(大正12年):東京に山口県人小田村有芳の四男として生まれる。
- 1942年(昭和17年):東京府立高校を経て、東京帝国大学(現:東京大学)法学部政治学科入学
- 1943年(昭和18年):陸軍入隊
- 1944年(昭和19年):陸軍経理学校入校、陸軍航空本部経理部
- 1947年(昭和22年):東京帝国大学(現:東京大学)法学部政治学科卒業、大蔵省(現財務省)入省
- 1962年(昭和37年):大蔵省(現財務省)主計局主計官
- 1966年(昭和41年):同局法規課長
- 1968年(昭和43年):同省大臣官房調査企画課長
- 1970年(昭和45年):名古屋国税局長
- 1972年(昭和47年):防衛庁(現防衛省)経理局長
- 1974年(昭和49年):日本銀行政策委員会大蔵省代表委員 行政管理庁(現総務省)行政管理局長
- 1976年(昭和51年):行政管理事務次官
- 1978年(昭和53年):農林漁業金融公庫副総裁就任
- 1985年(昭和60年):日本銀行監事就任:- 1993年(平成5年)
- 1991年(平成 3年):学校法人拓殖大学理事就任
- 1993年(平成 5年):勲二等旭日重光章に叙勲
- 1995年(平成 7年):第16代拓殖大学総長就任
- 2003年(平成15年):拓殖大学総長退任
日本李登輝友の会・國語問題協議會会長、財団法人日本国防協会・社団法人亜東親善協会・防衛法学会・日本教育再生機構各顧問、日本戦略研究フォーラム・財団法人行政管理研究センター各評議員、昭和聖徳記念財団理事、﹁日本の建国を祝う会﹂会長[1]、靖国神社崇敬会総代を務める[要出典]。
関係者
曾祖父は、長州藩の志士で初代群馬県令を務めた楫取素彦である[2]。楫取素彦は元は小田村家の養子で、長男の希家に小田村の家名を継がせた。四郎の父の有芳は希家の養子であるが、母の治子は希家の実弟楫取道明の娘であり、四郎は血縁上も楫取素彦の曾孫である。曾祖母の久子は素彦の最初の妻で、吉田松陰の妹である。久子の死後、素彦は久子の妹で久坂玄瑞の妻だった美和子と再婚している。四郎の兄には、日本学生協会のメンバーをもとに結成された社団法人国民文化研究会の理事長・亜細亜大学教授を務めた小田村寅二郎がいる。同会出身のメンバーには、ほかにも名越二荒之助、東中野修道、占部賢志、八木秀次ら保守派の論客がいる[要出典]。主な著書
- 『憲法と自衛権』(日本戦略研究センター)1984年(昭和59年)
- 『情勢の変化に対応する安全保障政策の抜本的見直し』(日本戦略研究センター)1987年(昭和62年)
- 『占領後遺症の克服』(国民文化研究会)1995年(平成7年)
- 『こんな憲法にいつまで我慢できますか 亡国の民とならないために』(大原康男他共著 明成社)2003年(平成15年)ISBN 4-944219-25-3
脚注
- ^ “建国記念、賛否両派が集会 天皇制めぐり主張展開”. 共同通信社. 47NEWS. (2005年2月11日) 2013年9月6日閲覧。
- ^ 楫取素彦:初代県令、没後100年 子孫ら招き「偲ぶ会」−−前橋「臨江閣」 毎日新聞群馬県版 2012年9月19日閲覧
関連人物
関連項目
外部リンク
- 日本会議公式ホームページ
- 小田村 四郎(政策研究大学院大学オーラルヒストリー・政策研究プロジェクト)
- 関連記事(國民新聞 (1972年-))
|
|