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2005年6月15日 (水) 05:33時点における版
小笠原諸島(おがさわらしょとう)とは、東京の南南東の約1,000kmの太平洋上にある30余の島々のこと。総面積は104km²。聟島列島︵聟島、嫁島、北ノ島等︶、父島列島︵父島、兄島、弟島等︶、母島列島︵母島、姉島、妹島等︶、火山列島︵北硫黄島、硫黄島、南硫黄島︶の4つの列島と孤立した島である南鳥島、沖ノ鳥島、西之島からなる。父島と母島以外は無人島である。︵ただし、硫黄島・南鳥島には気象庁、自衛隊、海上保安庁などの施設があり、係官が常駐して業務を行なっている。︶行政上は東京都小笠原支庁小笠原村に属する。
英語ではBonin Islandsとも呼ばれるが、これは江戸時代の無人島︵ぶにんしま、ぶにんじま︶という呼び名に由来する。
ファイル:小笠原位置001.jpg小笠原諸島の位置
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父島列島の ランドサット衛星写真。上から弟島、兄島、父島。
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母島
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父島︵上︶と母島
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cd/%E7%88%B6%E5%B3%B6%E6%AF%8D%E5%B3%B6001.jpg)
自然
気候は亜熱帯に属し、年間を通じて暖かいが、夏と冬の気温差は少ない。台風シーズンというのはなく、年中来る。 小笠原諸島は歴史上ずっと大陸から隔絶していたため、島の生物は独自の進化を遂げている。そのため、東洋のガラパゴスとも呼ばれるほど、貴重な動植物が多い。しかし、人間が持ち込んだ生物や島の開発などが原因で、オガサワラオオコウモリやオガサワラノスリなどいくつかの固有種は絶滅の危機に瀕している。 周辺の海域では鯨やイルカが生息しているため、それらを見るために島を訪れる人も多い。歴史
●1593年に小笠原貞頼が発見したという伝説があり、名称もそれに由来する。 ●1675年に江戸幕府が調査に船を派遣した。 ●19世紀になると捕鯨船が寄港するようになり、1827年にイギリスが領有を宣言。 ●1830年白人5人ハワイ人25人が、ハワイ・オアフ島から父島に入植し、初めての移住民となる。 ●1847年ジョン万次郎、米捕鯨船に乗って小笠原に来航。後年、今度は日本側官吏として小笠原にやってくることになる。 ●1857年にはペリーが寄港してハワイからの移民を首長に任命した。 ●1861年幕府、小笠原の領有を宣言。アメリカから帰還したばかりの咸臨丸で小笠原に官吏を派遣し、八丈島から移民を送った。 ●1876年(明治9年)に日本の領有が確定。それまでの住人は日本に帰化した。 ●1928年に東京上野で﹁東京大正博覧会﹂開催。﹃小笠原館﹄で小笠原住民が"陳列"される。 ●戦前は、トラック諸島やサイパンなどの南洋に向かう船が、半月に一度寄港していた。1936年(昭和11年)当時、父島までの2等料金が37円。公務員の初任給が75円の時代だった。 ●現在のようなビニール栽培がなかった時代、小笠原では、季節外れの果物や野菜を栽培して本土に送っており、それが本土でもてはやされたため、住民は豊かな生活を送っていたようだ。 ●第二次世界大戦時に硫黄島は激戦地となり、住民は本土へ疎開。戦後、サンフランシスコ講和条約によりアメリカ海軍の統治下に置かれ欧米系の旧島民のみに帰島が許される。 ●1968年6月26日に日本に返還された。交通アクセス
本土から ●竹芝桟橋-父島間週1便、所要時間26時間程度かかる定期船︵小笠原海運︶。2005年秋から、世界初のTSL﹁SUPER LINER OGASAWARA﹂が就航予定。最高時速70km、総トン数14,500トン、乗客数740人で、約17時間程度に短縮される。 ●月島埠頭-父島・母島間月2便程度、所要時間40時間程度かかる不定期貨物船︵旅客9人まで乗船可能・共勝丸︶。 ●母島には更に父島から定期船﹁ははじま丸﹂で渡ることになる。 このように、本土から小笠原諸島へは非常にアクセスしにくいため、島内で急を要する重い病気が発生した場合、硫黄島基地所属の海上自衛隊のヘリコプターにより硫黄島経由か、岩国基地所属の飛行艇で急患搬送を行っている。以前は、小笠原のヘリポートに夜間照明が設置されていなかったため、﹁夜発病すると手遅れ﹂とも言われていたが、現在は、夜間でも急患輸送ができるようになった。 島内には小笠原村営バスが運行されている︵シルバーパス使用可︶。他には、観光タクシー、レンタカー、レンタバイク、レンタサイクルがある。自家用車の島内持ち込みは難しい。産業
小笠原の就業者のうち3割を公務員が占め、観光業や飲食業などを加えて、第三次産業従事者が7割超である。以下、第一次産業が1割、第二次産業が2割となっている。観光によって成り立っている島である。出先機関
●小笠原総合事務所(国有地の管理、出入国管理、検疫、植物防疫、労働基準監督、職業安定、雇用保険などを総合的に行う) ●東京都小笠原支庁 ●海上保安庁横浜海上保安部小笠原海上保安署 ●警視庁小笠原警察署、母島駐在所 ●日本郵政公社小笠原郵便局、母島簡易郵便局︵郵便受付のみで配達はしていない。局内の私書箱へ住民が取りに来る方式。ATMは設置されていないが局内窓口で預入払戻は可能︶ ●気象庁父島気象観測所 ●海上自衛隊横須賀地方隊父島基地分遣隊 ●NASDA小笠原衛星追跡所教育
父島に小笠原小中学校と小笠原高校、母島に母島小中学校があり、一通りの教育機関は揃っているが、高等教育を受けるために島を離れる子供は多い。孤島ゆえに教員の数も不足しがちで、テレビ放送を効果的に利用するなど、質の高い教育を維持するための模索が続いている。最近、小笠原でも生涯学習機関設置の要望が高まってきており、どのようにすべきか検討されている。ショッピング
24時間のコンビニエンスストアはないが、スーパー、レストラン、薬局などの商店は揃っている。東京都では、生活必需品に限り運送費を補助し、価格の安定化を図っている。本土からの物資輸送は﹁おがさわら丸﹂に頼る部分が非常に大きく、﹁おがさわら丸﹂の入港日には商店が活気付き、﹁おがさわら丸﹂が小笠原諸島の生活サイクルの中心になっている。例えば、新聞の宅配はなく、﹁おがさわら丸﹂入港時に、一週間分の新聞がまとめて商店に並べられる。父島のJA直売所では、小笠原で取れる亜熱帯の珍しい果物が手に入り、観光客に人気がある。 ATMは、JAと小笠原郵便局、銀行系カードは七島信用金庫で利用可能。方言
小笠原には、欧米系先住民が話していた英語のフレーズと八丈方言、標準語がミックスされた、独特の小笠原方言と呼べるものが存在するが、最近は、急激に標準語化が進んでおり、現在では、ほとんど標準語に近くなっている。民謡
小笠原には、日本的な民謡、ミクロネシアの影響を受けたものが共存しており、後者の民謡は﹃南洋踊り﹄と呼ばれ、1987年に東京都指定の民俗文化財となった。電話回線
小笠原の電話は、1969年父島から銚子無線電報局を相手に短波回線により運用を開始。1983年まで短波帯多重無線による電話が行われていた。当時は回線が数回線しかなく、オペレーターに通話を申し込む方式で、電話が殺到すると待たされることも多かったようだ。また、電波妨害により雑音が交じり、通信が困難になることも多かった。 1983年に通信衛星を利用した本土とのダイヤル即時通話が始まり、現在に到っている。 回線の高度化により、現在ではダイヤルアップISDNまで可能になっているが、ケーブルにつながっているわけではないので、常時接続のブロードバンドには対応していない。また、テレホーダイ等を始めとするいかなる定額料金制度も適用されない。アナログ回線は離島特例による隣接MA扱いによる料金設定で、本土東京との便宜が図られているが、ISDNのディジタル回線には適用されない。小笠原諸島の近くには、本土とグアム・サイパンを結ぶKDDIの海底光ファイバーケーブルが走っており、これを利用することもできそうだが、NTTとKDDIの関係もあり、今のところ小笠原諸島につなげる計画はない。 なお、携帯電話は、1999年から父島と母島の一部でNTT Docomoの音声通話のみ使える。i-modeやFOMAは使えない。テレビ・ラジオ
テレビ
局名 | 父島 | 母島 |
---|---|---|
NHK衛星第1テレビジョン | 9ch | 10ch |
NHK衛星第2テレビジョン | 11ch | 12ch |
東京メトロポリタンテレビジョン | 47ch | 48ch |
NHK教育テレビ | 49ch | 50ch |
NHK総合テレビ | 51ch | 52ch |
日本テレビ放送網 | 53ch | 54ch |
東京放送 | 55ch | 56ch |
フジテレビジョン | 57ch | 58ch |
テレビ朝日 | 59ch | 60ch |
テレビ東京 | 61ch | 62ch |
本土と変わらないテレビ放送としては、1984年のNHK-BS放送開始により、小笠原でも視聴できるようになったことに始まる。1996年から東京都江東区青海にあるテレコムセンターにて東京タワーから送信されるNHKや民放の放送を受信して、それらの電波を通信衛星であるJCSAT-3号にVHF波により送られて中継している。
父島では地上波が、上表のUHF波に変換されて島内の送信所から再放送されているが、一部の地区では共聴受信により本土東京とほぼ同じチャンネルで受信できるようになっている︵ただし、東京放送[TBS]‥4ch、東京メトロポリタンテレビジョン‥5ch、日本テレビ放送網‥6chとなっている、NHK-BSは上表と同じ︶。この放送の視聴のため、島民から毎月3,000円が徴収されている。
衛星中継使用のため、大雨時などの際に受信障害が発生する。また、将来の地上デジタル放送では衛星中継を使わず、海底光ファイバーケーブル経由での使用が予想される。