コンテンツにスキップ

嶋田哲也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。多摩に暇人 (会話 | 投稿記録) による 2021年9月13日 (月) 12:03個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (「嶋田哲也」を保護しました: IP利用者による問題投稿の繰り返し ([編集=自動承認された利用者のみ許可] (2021年9月14日 (火) 12:03(UTC)で自動的に解除) [移動=自動承認された利用者のみ許可] (2021年9月14日 (火) 12:03(UTC)で自動的に解除)))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

嶋田 哲也
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県山陽小野田市
生年月日 (1967-05-13) 1967年5月13日(57歳)
身長
体重
183 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1990年 ドラフト5位
初出場 1991年8月10日
最終出場 1996年8月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


  1967513 - 24

来歴・人物

選手時代




19905

11991199362781151996221998退

退199退

審判時代


退1999西242419881997退

200822009

201410283[1]

201741661261000[2]

2019421642019[3]

2021

選手としての特徴

スリークォーターからの力強いストレートを武器としたが、制球に苦しむタイプであった。一例として、1996年6月29日ヤクルトスワローズ戦で古田敦也に対して死球すれすれの胸元を抉るビーンボールを4球続けたために古田が激怒、山田勝彦捕手とのもみ合いから両チームの選手が入り乱れての大乱闘騒ぎに発展したことがある。また乱闘の際ヤクルトのコーチ八重樫幸雄と掴み合いになってしまうなどエキサイトしていた(退場にはなっていない)。この試合では、後に嶋田の上司となる田中俊幸三塁塁審(責任審判)が、場内説明で「スワローズ」と言うべきところを「アトムズ」と言ってしまい、当時の川島廣守セ・リーグ会長までが処分を受けた。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1991 阪神 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 14 4.0 2 0 1 0 0 2 0 0 0 0 0.00 0.75
1993 13 7 0 0 0 1 3 0 -- .250 172 39.0 37 6 19 2 2 28 1 0 21 20 4.62 1.44
1996 22 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 138 29.1 35 1 7 0 4 15 0 0 18 12 3.68 1.43
通算:3年 37 8 0 0 0 1 3 0 -- .250 324 72.1 74 7 27 2 6 45 1 0 39 32 3.98 1.40

記録

背番号

  • 45 (1991年 - 1998年)

審判出場記録


20024294

1363772351180134385

220092016

3201420162020

2020[4]

表彰

  • ウエスタン・リーグ優秀審判員:1回 (2003年)
  • セントラル・リーグ審判員奨励賞:1回(2010年)
  • ファインジャッジ賞:1回 (2019年)

脚注

  1. ^ 2014年度 SMBC日本シリーズ 試合結果(第3戦) - 日本野球機構公式サイト(2014年10月29日閲覧)
  2. ^ 嶋田哲也審判員 1000試合出場達成のお知らせ - NPBニュース(日本野球機構公式サイト)、2017年4月16日
  3. ^ ファインジャッジ賞 受賞について 日本野球機構オフィシャルサイト(2020年06月09日閲覧)
  4. ^ 2019年度 審判員・記録員 嶋田哲也

関連項目

外部リンク