セントラル・リーグ
セントラル・リーグ | |
---|---|
競技 | 野球 |
開始年 | 1950年 |
参加チーム | 6 |
国 | 日本 |
前回優勝 | 阪神タイガース(18年ぶり6回目) |
最多優勝 | 読売ジャイアンツ(38回) |
概要[編集]
日本におけるプロ野球リーグの一つで、読売ジャイアンツ︵巨人︶、阪神タイガース、中日ドラゴンズ、東京ヤクルトスワローズ、横浜DeNAベイスターズ、広島東洋カープの6球団から構成されている。 巨人・阪神・中日の3球団は、戦前に誕生し現在に至るまで親会社が変わらずに存在する老舗球団である。現存する6球団すべてが太平洋ベルト上︵東海道・山陽新幹線沿線︶に本拠地球場を置いており、うち広島以外の5球団はすべて三大都市圏︵首都圏・近畿圏・中京圏︶、その中でも巨人・ヤクルト・DeNAの3球団は首都圏に本拠地を置いている。 パシフィック・リーグとは異なり、指名打者制︵DH制︶を採用しておらず、投手を含めた9人のスタメンで構成されているのがセ・リーグの大きな特徴である。 2019年︵令和元年︶11月11日にJERAとタイトルパートナー︵冠スポンサー︶契約を締結。契約期間は2020年︵令和2年︶から3年間。2020年シーズンより、リーグ戦では﹁JERA セントラル・リーグ﹂の名称が使用される[1]。沿革[編集]
誕生[編集]
1950年代[編集]
その後1951年から1959年にかけて、水原茂監督率いる読売ジャイアンツの第2次黄金期だった。日本シリーズでも1951年から1953年、1955年において、鶴岡一人監督率いる南海ホークスを圧倒し、4度の日本一を達成した。しかし、1956年から1958年ではかつて巨人を指揮した三原脩監督率いる西鉄ライオンズに3年連続で敗退。さらに1959年でも杉浦忠擁する南海ホークスに0勝4敗と敗退した。なお、日本シリーズでストレートでの4連勝を決めたのは南海が史上初だった。 1951年1月10日に開催が予定されたセ・リーグ代表者会議を前に、経営危機に直面していた広島と西日本を整理する構想が浮上したものの、当日の会議では問題を先送りされた[3]が、結局シーズン開始直前に西日本パイレーツがパ・リーグの西鉄クリッパース︵現‥埼玉西武ライオンズ︶と合併し脱退。1952年シーズン終了後には大洋ホエールズと松竹ロビンスが合併して﹁大洋松竹ロビンス﹂を結成し、6球団になる[要出典]。1951年8月19日には中日スタヂアムが全焼、死者4名、重軽傷者多数を出す惨事となった。 以降、親会社及びチーム名の変更こそあるものの、チーム数そのものの増減は無い。大洋松竹ロビンスが1953年︵昭和28年︶に下関から大阪へ、さらに1955年︵昭和30年︶大洋ホエールズに改称して神奈川県川崎市の川崎球場へ移転して以降は、各球団の保護地域の変更も無い。同球団は、1978年に横浜市の横浜スタジアムへの移転とともに横浜大洋ホエールズに改称しており[注 2]、それ以降、本拠地︵球場︶所在地の変更も無い。 1954年は中日ドラゴンズが杉下茂を擁して球団初のリーグ優勝、その年の日本シリーズでも球団初のパ・リーグ優勝を決めた西鉄ライオンズを破り日本一となった。 1959年6月25日の巨人×大阪戦︵後楽園︶で、プロ野球史上初めての天覧試合が開催された。1950年代後半から巨人の王貞治・長嶋茂雄が球界のスター選手となり、宿命のライバルである村山実・G.バッキー・金田正一らとの名勝負を繰り広げた。1960年代~1970年代前半[編集]
1960年は、前年まで6年連続最下位に喘いでいた、この年に就任した三原脩監督率いる大洋ホエールズが球団初のリーグ優勝。そしてその年の日本シリーズでも西本幸雄監督率いる毎日大映オリオンズ︵大毎︶を4勝0敗で制した。 巨人は1961年から球団OBの川上哲治が監督に就任。当時の巨人は打撃陣では長嶋茂雄だけが頼りになる存在で、投手陣でも絶対的な存在がいなかった。そのため、川上は﹃ドジャースの戦法﹄をチームに導入し、後に﹁V9﹂と呼ばれるセ・リーグ9連覇・日本一という前人未到の黄金期を築き上げる。また、1960年代前半にテレビ中継︵主に日本テレビ系列など︶の普及も相まって、やがて巨人と阪神は爆発的な人気を得ることになる。特に巨人同様読売新聞グループである日本テレビのプロ野球中継は日テレの看板番組でもあり、巨人は爆発的な人気を獲得し、﹁子供の好きなものといえば﹃巨人・大鵬・卵焼き﹄﹂と言う言葉ができるなど、V9が始まる前から社会現象となっていた。 そんな中、巨人のライバル球団である阪神タイガースは1962年・1964年にリーグ優勝を果たすも、前者は元巨人の監督だった水原茂監督率いる東映フライヤーズに、後者は南海ホークスに敗れた。なお、1964年の日本シリーズは関西私鉄同士だったこともあり、﹃御堂筋シリーズ﹄と呼ばれた[注 3][注 4]。1965年~1973年(巨人のV9時代)[編集]
1970年代後半 V9の終焉、広島の赤ヘル旋風[編集]
1974年に与那嶺要監督の中日ドラゴンズが優勝し、巨人の10連覇を阻止、V9時代は終焉を迎えた。10月14日、戦後史に残る長嶋茂雄の引退スピーチが行われた。翌1975年は、古葉竹識監督率いる広島東洋カープが山本浩二・衣笠祥雄・外木場義郎らを擁して初優勝を果たすとプロ野球界に赤ヘル旋風を巻き起こす。その後も広島カープは高橋慶彦、北別府学、江夏豊らの活躍もあり、3度の日本一︵1979年・1980年・1984年︶を成し遂げる。 巨人は、V9以降、1975年に球団史上初の最下位という結果になった。但し、翌1976年・1977年は張本勲、小林繁ら新戦力の活躍によりV2を果たしている。また、1977年9月3日には王貞治がハンク・アーロンの記録を抜く756号を放ち、初の国民栄誉賞を受賞した。 1979年、5位に甘んじたシーズン直後の伊東市での秋季キャンプは﹃地獄の伊東キャンプ﹄として語り継がれ、江川卓、中畑清、松本匡史、西本聖、角三男ら後に巨人の主力となる選手もいた。1978年 ヤクルトスワローズ、球団初のリーグ優勝と日本一[編集]
外国人の活躍[編集]
1980年代 読売ジャイアンツの復活と東京ドーム開場[編集]
入団時の混乱から﹁ヒール﹂とも言われた江川卓・桑田真澄、また若大将こと原辰徳、現役メジャーであったW.クロマティらの活躍により、長嶋茂雄監督解任後のチームの建て直し[注 5]に成功した読売ジャイアンツは、80年代を通じて全てAクラスという安定感を取り戻し、リーグ優勝も1981・1983・1987・1989年に達成。とくに1989年は84勝44敗と他者を寄せ付けない圧勝となった。1988年に東京ドームが開場し、のちの5大ドーム時代の先鞭をつけた。1985年 阪神タイガース、悲願の日本一[編集]
1990年代 ヤクルトの黄金期・阪神暗黒時代、フリーエージェントの導入[編集]
1990年に野村克也がヤクルトの監督に就任した。この年は後にヤクルトの正捕手として活躍する古田敦也、1991年には高津臣吾などが入団し、ヤクルトの黄金期を担うことになる。他にも広沢克己・飯田哲也・池山隆寛・川崎憲次郎・J.ハウエルなどの活躍もあり、1992年・1993年にセ・リーグ連覇を果たす。さらに1993年の日本シリーズでは、パ・リーグ4連覇中の西武ライオンズを破り、1978年以来15年ぶり2度目の日本一を果たした。その後も生え抜き選手では石井一久・伊藤智仁・真中満・宮本慎也・稲葉篤紀など、移籍選手では吉井理人・田畑一也・T.オマリー・辻発彦・小早川毅彦などが活躍し、野村克也監督時代︵1990年~1998年︶のヤクルトは、4度のリーグ優勝︵1992年・1993年・1995年・1997年︶と、︵左記1992年を除く︶3度の日本一を成し遂げた。1998年シーズン終了をもって野村克也監督は退任し、阪神に移籍した。 一方、その頃の阪神タイガースは昭和末期・平成と2度の暗黒時代に突入。1987年~1991年にかけて、︵1989年を除く︶4度の最下位を喫した。しかし1992年は、新庄剛志・亀山努・T.オマリーなどが活躍し、ヤクルト・巨人と優勝争いを繰り広げ、最終的には優勝のヤクルトと僅差で2位︵巨人と同率2位︶と健闘を見せた。しかし、翌1993年以降はBクラスに逆戻り、1995年から2年連続の最下位に転落するなど、再び暗黒時代に突入する。1999年にヤクルト前監督の野村克也が阪神の監督に就任するが、1998年から2001年にかけて4年連続最下位となる。 読売ジャイアンツは90年代をつうじ1990年・1994年・1996年と、黄金期ヤクルトに次ぐ3回の優勝を果たした。中でも1994年の10.8決戦で同率首位の中日を下しての最終戦優勝、1996年のメークドラマ︵首位広島に1996年7月6日時点で最大11.5ゲーム差をつけられながらも逆転優勝︶は国民的な関心を集め、地上波TV視聴率・観客動員も高水準で推移した。また積極的な補強とドラフト戦略の成功により、1990年V2時点の主力︵斎藤雅樹・桑田真澄・槙原寛己の3本柱中心︶から、第2期長嶋茂雄政権での主力︵松井秀喜・上原浩治・高橋由伸ら00年代優勝メンバー︶への転換にも成功した。この間、落合博満・清原和博らのフリーエージェント補強にも成功し、ストーブリーグにおいても話題の中心であり続けた。1998年 横浜ベイスターズ、38年ぶりのリーグ優勝・日本一[編集]
2000年代 巨人・中日・阪神の3強時代、横浜暗黒時代[編集]
この頃のセ・リーグは原辰徳率いる読売ジャイアンツ、岡田彰布率いる阪神タイガース、落合博満率いる中日ドラゴンズが熾烈な優勝争いを繰り広げていた。 巨人は00年代前半には前掲の松井・上原・高橋由、及び阿部慎之助・高橋尚成・仁志敏久・二岡智宏・清水隆行ら生え抜き選手が非常に強く、逆指名などのドラフト改革を追い風としたチーム強化に成功。また、清原和博・江藤智・工藤公康らの移籍組も活躍した。00年代後半は小笠原道大・A.ラミレス・S.グライシンガー・M.クルーン・李承燁らの移籍組がMVP級の活躍、さらに坂本勇人・亀井善行・内海哲也・山口鉄也といった生え抜きスター選手とのベストミックスでV3を達成。00年代の5度のリーグ優勝︵2000・2002・2007・2008・2009︶は最多であった[注 6]。 中日は山本昌・岩瀬仁紀・立浪和義・福留孝介・中村紀洋・和田一浩・谷繁元信・荒木雅博の名球会メンバー、また川上憲伸・浅尾拓也・T.ウッズ・井端弘和・森野将彦・吉見一起らのスター選手を擁し、落合博満監督の在任8年間︵2004年-2011年︶で4度のリーグ優勝︵2004・2006・2010・2011︶、2007年にはリーグ2位からの日本一を達成した。 阪神は2003年の﹁血の入れ替え﹂[4]に象徴されるように、金本知憲・伊良部秀輝・下柳剛・片岡篤史・矢野輝弘らを積極補強し、リストラを断行した。赤星憲広・今岡誠・井川慶・JFK︵藤川球児・J.ウィリアムス・久保田智之︶・鳥谷敬・能見篤史らも活躍し、星野仙一監督︵2002年-2003年︶~岡田彰布監督︵2004年-2008年︶の在任中、2度のリーグ優勝︵2003・2005︶を達成。2006年・2008年にもシーズン2位ながら80勝を突破した。 しかし、横浜ベイスターズは森祇晶・山下大輔・牛島和彦・大矢明彦︵第2期︶・田代富雄︵代行︶・尾花高夫と政権を継いだが、TBS時代︵2001年末にマルハから株式取得︶、すなわち2002年から2011年の10シーズンをつうじて最下位が8度[注 7]という暗黒時代に突入し、結果を残せなかった。︵なお、2011年末から筆頭株主はDeNAに変更。︶ また、広島東洋カープは2002年以降は5位が指定席であり、1998年から2011年にかけての14シーズンでは5位が11度で、全てBクラスであった。その一方で、長年の本拠地だった広島市民球場の老朽化もあり、2009年に新球場への移転に成功するなど、大きなターニングポイントを迎えた。 インターネット社会の到来による娯楽・嗜好の多様化により、プロ野球のTV中継[注 8][注 9]の視聴率が大きく低下した時期でもあり、プロ野球TV中継の主体は、地上波からBS・CSに移行した。 2001年10月からは、自由契約となった選手を対象とした﹁12球団合同トライアウト﹂が開始、また2005年からは育成選手制度もスタートした。セ・パ交流戦︵2005年より導入︶、クライマックスシリーズ︵2007年より導入︶も参照。 2009年1月1日の改定日本プロフェッショナル野球協約発効に伴い、連盟事務局と直下の審判部・記録部はコミッショナー事務局、パシフィック・リーグ事務局と統合され、コミッショナー直属の﹃セントラル・リーグ運営部﹄﹃審判部﹄﹃記録部﹄となり、リーグ会長職は廃止された[5]。2003年 阪神タイガースの18年ぶりセ・リーグ優勝[編集]
2004年 プロ野球再編問題[編集]
2010年代 広島3連覇、パ・リーグとの実力差[編集]
2016年~2018年 広島東洋カープ球団史上初の3連覇[編集]
2016年は緒方孝市監督率いる広島東洋カープは25年ぶりのセ・リーグ優勝を達成。200勝を達成した黒田博樹・2000本安打を達成した新井貴浩の復帰組ベテランと、投手陣は野村祐輔の16勝3敗の快進撃、B.エルドレッド・外国人投手2人目の沢村賞を受賞したK.ジョンソンといった助っ人外国人、生え抜きの﹁タナキクマル﹂︵田中広輔・菊池涼介・丸佳浩︶、若き大砲の鈴木誠也の若手を組み合わせたベストミックスの優勝であった。 2018年まで、上述の主力組が機能しリーグ戦・交流戦で圧倒的な強さを見せ、球団史上初の3連覇を達成した。︵セ・リーグでは巨人以外で初である。︶2020年代以降[編集]
2020年から2021年にかけ、新型コロナウィルスの発生に伴い、各球場とも観客動員を大きく減らした運営を強いられた。特に2020年は120試合のみの開催で1952年以来68年ぶりの規模縮小、入場者数︵275万人、昨対比▲81%︶は草創期である1951年以来の少なさとなった[7]。また、クライマックスシリーズが2020年は中止となったほか、外国人選手の入国制限により、契約そのものが出来ない・契約できても来日や帰国が自由にできず、本人や家族のメンタルの問題で出場試合数を大きく減らしてしまう事もあった。2022年7月にはオミクロン株の感染力の強さにより、巨人戦が7月22日から同31日まで6試合連続で延期[8]となるなど大きな影響を受けた。 経営面では、横浜スタジアムが6,000席を超える増席を行い、DeNAによる球場運営会社の買収も相まって財務面を強化。マーケティング戦略も奏功し、DeNAは人気球団となった。[9]なお、ヤクルトの本拠地である現在の神宮球場は、2031年までの使用予定である。 読売ジャイアンツは、読売新聞グループ本社が関与する、築地市場跡地の2030年代新球場建設計画[10]に関連した本拠地移転については、肯定も否定もしていない状況である。[11] 新機軸としては、2022年12月より﹁現役ドラフト﹂が開始され、2023年シーズンには前ソフトバンクの大竹耕太郎︵阪神︶が12勝2敗、前DeNAの細川成也︵中日︶が24本塁打など、移籍先での活躍を見せた。また、2024年シーズンからは下部2軍リーグに静岡︵ウェスタン︶、新潟︵イースタン︶の両球団が加盟した。[12]2021年 ヤクルト、20年ぶり日本一[編集]
翌、2022年にも村上宗隆の56本塁打と三冠王達成を原動力として、リーグ連覇を果たした。
2023年 阪神の18年ぶりリーグ制覇、38年ぶりの日本一[編集]
現存する加盟球団[編集]
一覧[編集]
球団名 | 保護地域 | 創設年度 | 本拠地球場 | チームカラー | |
---|---|---|---|---|---|
読売ジャイアンツ (Yomiuri Giants) |
東京都 | 1934年 | 東京ドーム (文京区、北緯35度42分21秒 東経139度45分7秒 / 北緯35.70583度 東経139.75194度) |
||
東京ヤクルトスワローズ (Tokyo Yakult Swallows) |
東京都 | 1950年 | 明治神宮野球場 (新宿区、北緯35度40分28.4秒 東経139度43分1.5秒 / 北緯35.674556度 東経139.717083度) |
||
横浜DeNAベイスターズ (Yokohama DeNA BayStars) |
神奈川県 | 1950年 | 横浜スタジアム (横浜市中区、北緯35度26分36.18秒 東経139度38分24.1秒 / 北緯35.4433833度 東経139.640028度) |
||
中日ドラゴンズ (Chunichi Dragons) |
愛知県 | 1936年 | ナゴヤドーム(バンテリンドーム ナゴヤ) (名古屋市東区、北緯35度11分9.5秒 東経136度56分50.88秒 / 北緯35.185972度 東経136.9474667度) |
||
阪神タイガース (Hanshin Tigers) |
兵庫県 | 1935年 | 阪神甲子園球場 (西宮市、北緯34度43分16.43秒 東経135度21分41.91秒 / 北緯34.7212306度 東経135.3616417度) |
||
広島東洋カープ (Hiroshima Toyo Carp) |
広島県 | 1950年 | 広島市民球場(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島) (広島市南区、北緯34度23分30.76秒 東経132度29分5.03秒 / 北緯34.3918778度 東経132.4847306度) |
※ 球団表記順は野球協約の保護地域表記順
各球団の略年譜[編集]
球団名 | 遍歴 |
---|---|
読売ジャイアンツ |
1934年12月26日に大日本東京野球倶楽部として結成 |
阪神タイガース |
1935年12月10日に阪神電気鉄道を親会社として大阪タイガースを結成 |
中日ドラゴンズ | |
横浜DeNAベイスターズ |
1949年12月15日に大洋漁業を親会社としたまるは球団︵暫定名︶がセントラル・リーグに加盟
1950年、開幕後に球団名を大洋ホエールズに改称。下関市営球場を本拠地とする
1953年、松竹ロビンスとの合併に伴い球団名を大洋松竹ロビンスに改称。大阪スタヂアムに本拠地を移転
1954年、球団名を洋松ロビンスに改称
1955年、松竹の経営撤退に伴い、球団名を再び大洋ホエールズに改称。川崎球場に本拠地を移転
1978年、球団名を横浜大洋ホエールズに改称。横浜スタジアムに本拠地を移転
1993年、大洋漁業→マルハの社名変更に伴い、球団名を横浜ベイスターズに改称
2002年、マルハの球団株式売却により東京放送が経営権を持つ
2011年、東京放送ホールディングスの球団株式売却によりディー・エヌ・エーが経営権を持つ
2012年、球団名を横浜DeNAベイスターズに改称
|
広島東洋カープ |
1949年12月15日に、広島県内の有力企業複数が出資した広島カープがセントラル・リーグに加盟。広島総合球場を本拠地とする |
東京ヤクルトスワローズ |
1950年1月12日に鉄道弘済会などを親会社とした国鉄スワローズがセントラル・リーグに加盟。後楽園球場を本拠地とする |
※親会社の企業名、本拠地の球場名はいずれも当時のもの ※球団名の改称年は改称後の初年度シーズンを起点に表記
過去に存在した加盟球団[編集]
- セントラル・リーグの消滅球団と成績
球団名 | 創設年度 | 優勝回数 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
松竹ロビンス (Shochiku Robins) (1950年 - 1952年) |
1936年 | 1 | 372 | 185 | 176 | 11 | .512 |
西日本パイレーツ (Nishinippon Pirates) (1950年) |
1950年 | 0 | 136 | 50 | 83 | 3 | .376 |
- 成績はリーグが結成された1950年以降のもの
- 球団名・本拠地・親会社の遍歴
球団名 | 遍歴 |
---|---|
松竹ロビンス | |
西日本パイレーツ |
1949年12月15日に西日本新聞社を親会社とした西日本パイレーツがセントラル・リーグに加盟。平和台野球場を本拠地とする |
- 親会社の企業名、本拠地の球場名はいずれも当時のもの
- 球団名の改称年は改称後の初年度シーズンを起点に表記
試合方式[編集]
総当り回数[編集]
1952年のフランチャイズ(ホームタウン)制度採用後はホーム・アンド・アウェー方式で、原則それぞれ半分ずつの試合を行う。
年度 | 試合数 | 内訳 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
リーグ戦 | 交流戦 | |||
1950 | 140 | 20×7 | - | |
1951-1952 | 120 | 20×6 | ||
1953-1962 | 130 | 26×5 | ||
1963-1965 | 140 | 28×5 | ||
1966-1996 | 130 | 26×5 | ||
1997-2000 | 135 | 27×5 | ※1 | |
2001-2004 | 140 | 28×5 | ||
2005-2006 | 146 | 22×5 | 6×6 | |
2007-2014 | 144 | 24×5 | 4×6 | |
2015-2019 | 143 | 25×5 | 3×6 | ※1、※2 |
2020 | 120 | 24×5 | - | |
2021- | 143 | 25×5 | 3×6 | ※1、※2 |
回数・時間制限[編集]
年 | 内容 |
---|---|
1950年 - 1951年 |
シングルの場合は回数・時間制限なし(デーゲームの場合日没まで)。 |
1952年 - 1954年5月24日まで |
シングル、ダブルヘッダーとも原則として勝敗が決するまで時間・回数無制限。 |
1954年5月25日 - 同年の閉幕まで |
デーゲームで開催のシングルの場合は時間・回数制限なし(日没まで。以後1973年まで同じ)。 |
1955年 - 1958年 |
ナイトゲームは22:15まで。 |
1959年 - 1962年 |
ナイトゲームは22:30まで(時間制限は1963年も同じ)。 |
1963年 |
ダブルヘッダー第1試合は延長13回まで。 |
1964年 - 1965年 |
ダブルヘッダー第1試合は延長12回まで。 |
1966年 - 1967年 |
ダブルヘッダー第1試合は延長11回まで。 |
1968年 - 1970年 |
ダブルヘッダー第1試合は延長12回まで。 |
1971年 |
ダブルヘッダー第1試合は延長12回まで。
ナイトゲームは原則として試合開始時刻から3時間20分を過ぎて次のイニングに入らない。
ただし、以下の規定がある︵時間制限は1973年まで同じ︶。
(1)‥19:00以降開始の場合は経過時間に関わらず22:20を過ぎて次のイニングに入らない。
(2)‥9回を満たさずに時間制限が来た場合であっても、9回までは必ず試合する。
|
1972年 - 1973年 |
ダブルヘッダー第1試合は、延長11回まで。 |
1974年 - 1982年 |
ダブルヘッダー第1試合については9回まで(回数制限は1987年まで同じ)。 |
1983年 - 1987年 |
ダブルヘッダー第1試合以外は、開始時刻に関わらず試合開始から3時間20分を過ぎて次のイニングに入らない。 |
1988年 - 1989年 |
延長12回まで、時間制限なし。 |
1990年 - 2000年 |
延長15回まで、時間制限なし。引き分けの場合は再試合(降雨コールド時も含む)。 |
2001年 - 2010年 |
延長12回まで、時間制限なし。 |
2011年 - 2012年 |
延長12回まで[注 11]。ただし、東日本大震災に伴う節電対策として以下の規定がある。
(1)‥試合開始から3時間30分︵雨天等による中断時間も含む︶が経過した場合は次のイニングに入らない。
(2)‥9回を満たさずに時間制限が来た場合であっても、9回までは必ず試合する。
|
2013年 - 2019年 | |
2020年 |
延長10回まで、時間制限なし[注 13]。 |
2021年 | |
2022年 |
延長12回まで、時間制限なし。 |
順位の決め方[編集]
●2000年以前は勝率順で決めており、勝率が同率でシーズンが終了した場合のみ、プレーオフで優勝を決めることとなっていた。 ●2001年は例外的に勝ち星の多い順で順位を決定していた。ただし、勝ち星1位と勝率1位のチームが異なった場合は3戦2勝制のプレーオフを行い優勝を決定する。 ●2002年からは再び勝率順に変更された。ただし、勝率3位以内に勝ち星1位のチームが別にいた場合、3戦2勝制のプレーオフで優勝を決定する。この制度は2006年まで続いた。 ※以上のようなケースによるプレーオフは2006年まで過去1度もなかった。 ●2007年からはクライマックスシリーズの導入により、以下の制度となった︵クライマックスシリーズの結果にかかわらず、レギュラーシーズンの順位がリーグ確定順位となる︶。 (一)レギュラーシーズンの勝率 (二)1が同率の場合、勝利数の多いチームが上位 (三)2も同じ場合、当該球団間の直接対戦で勝率が高い順 (四)3も同率の場合、前年度順位の上位 ※2015年度は3チーム以上が勝率で並ぶ場合があるため、その場合でも2チームが同成績で並んだ場合に従って優勝を決める方式となった。 ●2022年度からは一部改正が施されており、勝率1位球団が複数あった場合、上記の3→4の間に﹁同一リーグの参加チーム︵2022年度‥6チームによる25回総当たり125試合︶の勝率の高いほうを上位扱い﹂とするというルールが定められ、これにより順位決定方法は、 (一)レギュラーシーズンの勝率 (二)1が同率の場合、勝利数の多いチームが上位 (三)2も同じ場合、当該球団間の直接対戦で勝率が高い順 (四)3も同じ場合、同一リーグの参加チーム間における総当たりにおける勝率の高い順 (五)4も同率の場合、前年度順位の上位 に変更された。︵パ・リーグの場合は、1で並んだ場合は、2ではなく、3以下同文の順番である︶[14] ●パ・リーグのような、年間勝率1位球団がV逸した例は、これまで発生していない。結果[編集]
●背景桃色は日本シリーズ制覇。*は左のチームと同率順位 ●2006年までは優勝チームが日本シリーズに出場。クライマックスシリーズ導入後の2007年以降の日本シリーズ出場チームは太字で示す。 ●2011年以降の優勝チームは、︵クライマックスシリーズの結果に関わらず︶翌年﹁セ・リーグ チャンピオン・エンブレム﹂をユニフォームの袖に装着する[15]。年度 | 優勝 | 勝 | 敗 | 分 | 2位 | 勝 | 敗 | 分 | 3位 | 勝 | 敗 | 分 | 4位 | 勝 | 敗 | 分 | 5位 | 勝 | 敗 | 分 | 6位 | 勝 | 敗 | 分 | 7位 | 勝 | 敗 | 分 | 8位 | 勝 | 敗 | 分 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1950 | 松竹 | 98 | 35 | 4 | 中日 | 89 | 44 | 4 | 巨人 | 82 | 54 | 4 | 大阪 | 70 | 67 | 3 | 大洋 | 69 | 68 | 3 | 西日本 | 50 | 83 | 3 | 国鉄 | 42 | 94 | 2 | 広島 | 41 | 96 | 1 |
1951 | 巨人 | 79 | 29 | 6 | 名古屋 | 62 | 48 | 3 | 大阪 | 62 | 51 | 3 | 松竹 | 53 | 57 | 5 | 国鉄 | 46 | 59 | 2 | 大洋 | 40 | 64 | 4 | 広島 | 32 | 64 | 3 | ||||
1952 | 巨人 | 83 | 37 | 大阪 | 79 | 40 | 1 | 名古屋 | 75 | 43 | 2 | 大洋 | 58 | 62 | 国鉄 | 50 | 70 | 広島 | 37 | 80 | 3 | 松竹 | 34 | 84 | 2 | |||||||
1953 | 巨人 | 87 | 37 | 1 | 大阪 | 74 | 56 | 名古屋 | 70 | 57 | 3 | 広島 | 53 | 75 | 2 | 洋松 | 52 | 75 | 1 | 国鉄 | 45 | 79 | 1 | |||||||||
1954 | 中日 | 86 | 40 | 4 | 巨人 | 82 | 47 | 1 | 大阪 | 71 | 57 | 2 | 広島 | 56 | 69 | 5 | 国鉄 | 55 | 73 | 2 | 洋松 | 32 | 96 | 2 | ||||||||
1955 | 巨人 | 92 | 37 | 1 | 中日 | 77 | 52 | 1 | 大阪 | 71 | 57 | 2 | 広島 | 58 | 70 | 2 | 国鉄 | 57 | 71 | 2 | 大洋 | 31 | 99 | |||||||||
1956 | 巨人 | 82 | 44 | 4 | 大阪 | 79 | 50 | 1 | 中日 | 74 | 56 | 国鉄 | 61 | 65 | 4 | 広島 | 45 | 82 | 3 | 大洋 | 43 | 87 | ||||||||||
1957 | 巨人 | 74 | 53 | 3 | 大阪 | 73 | 54 | 3 | 中日 | 70 | 57 | 3 | 国鉄 | 58 | 68 | 4 | 広島 | 54 | 75 | 1 | 大洋 | 52 | 74 | 4 | ||||||||
1958 | 巨人 | 77 | 52 | 1 | 大阪 | 72 | 58 | 中日 | 66 | 59 | 5 | 国鉄 | 58 | 68 | 4 | 広島 | 54 | 68 | 8 | 大洋 | 51 | 73 | 6 | |||||||||
1959 | 巨人 | 77 | 48 | 5 | 大阪 | 62 | 59 | 9 | 中日* | 64 | 61 | 5 | 国鉄 | 63 | 65 | 2 | 広島 | 59 | 64 | 7 | 大洋 | 49 | 77 | 4 | ||||||||
1960 | 大洋 | 70 | 56 | 4 | 巨人 | 66 | 61 | 3 | 大阪 | 64 | 62 | 4 | 広島 | 62 | 61 | 7 | 中日 | 63 | 67 | 国鉄 | 54 | 72 | 4 | |||||||||
1961 | 巨人 | 71 | 53 | 6 | 中日 | 72 | 56 | 2 | 国鉄 | 67 | 60 | 3 | 阪神 | 60 | 67 | 3 | 広島 | 58 | 67 | 5 | 大洋 | 50 | 75 | 5 | ||||||||
1962 | 阪神 | 75 | 55 | 3 | 大洋 | 71 | 59 | 4 | 中日 | 70 | 60 | 3 | 巨人 | 67 | 63 | 4 | 広島 | 56 | 74 | 4 | 国鉄 | 51 | 79 | 4 | ||||||||
1963 | 巨人 | 83 | 55 | 2 | 中日 | 80 | 57 | 3 | 阪神 | 69 | 70 | 1 | 国鉄 | 65 | 73 | 2 | 大洋 | 59 | 79 | 2 | 広島 | 58 | 80 | 2 | ||||||||
1964 | 阪神 | 80 | 56 | 4 | 大洋 | 80 | 58 | 2 | 巨人 | 71 | 69 | 広島 | 64 | 73 | 3 | 国鉄 | 61 | 74 | 5 | 中日 | 57 | 83 | ||||||||||
1965 | 巨人 | 91 | 47 | 2 | 中日 | 77 | 59 | 4 | 阪神 | 71 | 66 | 3 | 大洋 | 68 | 70 | 2 | 広島 | 59 | 77 | 4 | サンケイ | 44 | 91 | 5 | ||||||||
1966 | 巨人 | 89 | 41 | 4 | 中日 | 76 | 54 | 2 | 阪神 | 64 | 66 | 5 | 広島 | 57 | 73 | 6 | 大洋 | 52 | 78 | サンケイ* | 52 | 78 | 5 | |||||||||
1967 | 巨人 | 84 | 46 | 4 | 中日 | 72 | 58 | 4 | 阪神 | 70 | 60 | 6 | 大洋 | 59 | 71 | 5 | サンケイ | 58 | 72 | 5 | 広島 | 47 | 83 | 8 | ||||||||
1968 | 巨人 | 77 | 53 | 4 | 阪神 | 72 | 58 | 3 | 広島 | 68 | 62 | 4 | サンケイ | 64 | 66 | 4 | 大洋 | 59 | 71 | 3 | 中日 | 50 | 80 | 4 | ||||||||
1969 | 巨人 | 73 | 51 | 6 | 阪神 | 68 | 59 | 3 | 大洋 | 61 | 61 | 8 | 中日 | 59 | 65 | 6 | アトムズ | 58 | 69 | 3 | 広島 | 56 | 70 | 4 | ||||||||
1970 | 巨人 | 79 | 47 | 4 | 阪神 | 77 | 49 | 4 | 大洋 | 69 | 57 | 4 | 広島 | 62 | 60 | 8 | 中日 | 55 | 70 | 5 | ヤクルト | 33 | 92 | 5 | ||||||||
1971 | 巨人 | 70 | 52 | 8 | 中日 | 65 | 60 | 5 | 大洋 | 61 | 59 | 10 | 広島 | 63 | 61 | 6 | 阪神 | 57 | 64 | 9 | ヤクルト | 52 | 72 | 6 | ||||||||
1972 | 巨人 | 74 | 52 | 4 | 阪神 | 71 | 56 | 3 | 中日 | 67 | 59 | 4 | ヤクルト | 60 | 67 | 3 | 大洋 | 57 | 69 | 4 | 広島 | 49 | 75 | 6 | ||||||||
1973 | 巨人 | 66 | 60 | 4 | 阪神 | 64 | 59 | 7 | 中日 | 64 | 61 | 5 | ヤクルト | 62 | 65 | 3 | 大洋 | 60 | 64 | 6 | 広島 | 60 | 67 | 3 | ||||||||
1974 | 中日 | 70 | 49 | 11 | 巨人 | 71 | 50 | 9 | ヤクルト | 60 | 63 | 7 | 阪神 | 57 | 64 | 9 | 大洋 | 55 | 69 | 6 | 広島 | 54 | 72 | 4 | ||||||||
1975 | 広島 | 72 | 47 | 11 | 中日 | 69 | 53 | 8 | 阪神 | 68 | 55 | 7 | ヤクルト | 57 | 64 | 9 | 大洋 | 51 | 69 | 10 | 巨人 | 47 | 76 | 7 | ||||||||
1976 | 巨人 | 76 | 45 | 9 | 阪神 | 72 | 45 | 13 | 広島 | 61 | 58 | 11 | 中日 | 54 | 66 | 10 | ヤクルト | 52 | 68 | 10 | 大洋 | 45 | 78 | 7 | ||||||||
1977 | 巨人 | 80 | 46 | 4 | ヤクルト | 62 | 58 | 10 | 中日 | 64 | 61 | 5 | 阪神 | 55 | 63 | 12 | 広島 | 51 | 67 | 12 | 大洋 | 51 | 68 | 11 | ||||||||
1978 | ヤクルト | 68 | 46 | 16 | 巨人 | 65 | 49 | 16 | 広島 | 62 | 50 | 18 | 大洋 | 64 | 57 | 9 | 中日 | 53 | 71 | 6 | 阪神 | 41 | 80 | 9 | ||||||||
1979 | 広島 | 67 | 50 | 13 | 大洋 | 59 | 54 | 17 | 中日 | 59 | 57 | 14 | 阪神 | 61 | 60 | 9 | 巨人 | 58 | 62 | 10 | ヤクルト | 48 | 69 | 13 | ||||||||
1980 | 広島 | 73 | 44 | 13 | ヤクルト | 68 | 52 | 10 | 巨人 | 61 | 60 | 9 | 大洋 | 59 | 62 | 9 | 阪神 | 54 | 66 | 10 | 中日 | 45 | 76 | 9 | ||||||||
1981 | 巨人 | 73 | 48 | 9 | 広島 | 67 | 54 | 9 | 阪神 | 67 | 58 | 5 | ヤクルト | 56 | 58 | 16 | 中日 | 58 | 65 | 7 | 大洋 | 42 | 80 | 8 | ||||||||
1982 | 中日 | 64 | 47 | 19 | 巨人 | 66 | 50 | 14 | 阪神 | 65 | 57 | 8 | 広島 | 59 | 58 | 13 | 大洋 | 53 | 65 | 12 | ヤクルト | 45 | 75 | 10 | ||||||||
1983 | 巨人 | 72 | 50 | 8 | 広島 | 65 | 55 | 10 | 大洋 | 61 | 61 | 8 | 阪神 | 62 | 63 | 5 | 中日 | 54 | 69 | 7 | ヤクルト | 53 | 69 | 8 | ||||||||
1984 | 広島 | 75 | 45 | 10 | 中日 | 73 | 49 | 8 | 巨人 | 67 | 54 | 9 | 阪神 | 53 | 69 | 8 | ヤクルト | 51 | 71 | 8 | 大洋 | 46 | 77 | 7 | ||||||||
1985 | 阪神 | 74 | 49 | 7 | 広島 | 68 | 57 | 5 | 巨人 | 61 | 60 | 9 | 大洋 | 57 | 61 | 12 | 中日 | 56 | 61 | 13 | ヤクルト | 46 | 74 | 10 | ||||||||
1986 | 広島 | 73 | 46 | 11 | 巨人 | 75 | 48 | 7 | 阪神 | 60 | 60 | 10 | 大洋 | 56 | 69 | 5 | 中日 | 54 | 67 | 9 | ヤクルト | 49 | 77 | 4 | ||||||||
1987 | 巨人 | 76 | 43 | 11 | 中日 | 68 | 51 | 11 | 広島 | 65 | 55 | 10 | ヤクルト | 58 | 64 | 8 | 大洋 | 56 | 68 | 6 | 阪神 | 41 | 83 | 6 | ||||||||
1988 | 中日 | 79 | 46 | 5 | 巨人 | 68 | 59 | 3 | 広島 | 65 | 62 | 3 | 大洋 | 59 | 67 | 4 | ヤクルト | 58 | 69 | 3 | 阪神 | 51 | 77 | 2 | ||||||||
1989 | 巨人 | 84 | 44 | 2 | 広島 | 73 | 51 | 6 | 中日 | 68 | 59 | 3 | ヤクルト | 55 | 72 | 3 | 阪神 | 54 | 75 | 1 | 大洋 | 47 | 80 | 3 | ||||||||
1990 | 巨人 | 88 | 42 | 広島 | 66 | 64 | 2 | 大洋 | 64 | 66 | 3 | 中日 | 62 | 68 | 1 | ヤクルト | 58 | 72 | 阪神 | 52 | 78 | |||||||||||
1991 | 広島 | 74 | 56 | 2 | 中日 | 71 | 59 | 1 | ヤクルト | 67 | 63 | 2 | 巨人 | 66 | 64 | 大洋 | 64 | 66 | 1 | 阪神 | 48 | 82 | ||||||||||
1992 | ヤクルト | 69 | 61 | 1 | 巨人 | 67 | 63 | 阪神* | 67 | 63 | 2 | 広島 | 66 | 64 | 大洋 | 61 | 69 | 1 | 中日 | 60 | 70 | |||||||||||
1993 | ヤクルト | 80 | 50 | 2 | 中日 | 73 | 57 | 2 | 巨人 | 64 | 66 | 1 | 阪神 | 63 | 67 | 2 | 横浜 | 57 | 73 | 広島 | 53 | 77 | 1 | |||||||||
1994 | 巨人 | 70 | 60 | 中日 | 69 | 61 | 広島 | 66 | 64 | ヤクルト | 62 | 68 | 阪神* | 62 | 68 | 横浜 | 61 | 69 | ||||||||||||||
1995 | ヤクルト | 82 | 48 | 広島 | 74 | 56 | 1 | 巨人 | 72 | 58 | 1 | 横浜 | 66 | 64 | 中日 | 50 | 80 | 阪神 | 46 | 84 | ||||||||||||
1996 | 巨人 | 77 | 53 | 中日 | 72 | 58 | 広島 | 71 | 59 | ヤクルト | 61 | 69 | 横浜 | 55 | 75 | 阪神 | 54 | 76 | ||||||||||||||
1997 | ヤクルト | 83 | 52 | 2 | 横浜 | 72 | 63 | 広島 | 66 | 69 | 巨人 | 63 | 72 | 阪神 | 62 | 73 | 1 | 中日 | 59 | 76 | 1 | |||||||||||
1998 | 横浜 | 79 | 56 | 1 | 中日 | 75 | 60 | 1 | 巨人 | 73 | 62 | ヤクルト | 66 | 69 | 広島 | 60 | 75 | 阪神 | 52 | 83 | ||||||||||||
1999 | 中日 | 81 | 54 | 巨人 | 75 | 60 | 横浜 | 71 | 64 | ヤクルト | 66 | 69 | 広島 | 57 | 78 | 阪神 | 55 | 80 | ||||||||||||||
2000 | 巨人 | 78 | 57 | 中日 | 70 | 65 | 横浜 | 69 | 66 | 1 | ヤクルト | 66 | 69 | 1 | 広島 | 65 | 70 | 1 | 阪神 | 57 | 78 | 1 | ||||||||||
2001 | ヤクルト | 76 | 58 | 6 | 巨人 | 75 | 63 | 2 | 横浜 | 69 | 67 | 4 | 広島 | 68 | 65 | 7 | 中日 | 62 | 74 | 4 | 阪神 | 57 | 80 | 3 | ||||||||
2002 | 巨人 | 86 | 52 | 2 | ヤクルト | 74 | 62 | 4 | 中日 | 69 | 66 | 5 | 阪神 | 66 | 70 | 4 | 広島 | 64 | 72 | 4 | 横浜 | 49 | 86 | 5 | ||||||||
2003 | 阪神 | 87 | 51 | 2 | 中日 | 73 | 66 | 1 | 巨人 | 71 | 66 | 3 | ヤクルト* | 71 | 66 | 3 | 広島 | 67 | 71 | 2 | 横浜 | 45 | 94 | 1 | ||||||||
2004 | 中日 | 79 | 56 | 3 | ヤクルト | 72 | 64 | 2 | 巨人 | 71 | 64 | 3 | 阪神 | 66 | 70 | 2 | 広島 | 60 | 77 | 1 | 横浜 | 59 | 76 | 3 | ||||||||
2005 | 阪神 | 87 | 54 | 5 | 中日 | 79 | 66 | 1 | 横浜 | 69 | 70 | 7 | ヤクルト | 71 | 73 | 2 | 巨人 | 62 | 80 | 4 | 広島 | 58 | 84 | 4 | ||||||||
2006 | 中日 | 87 | 54 | 5 | 阪神 | 84 | 58 | 4 | ヤクルト | 70 | 73 | 3 | 巨人 | 65 | 79 | 2 | 広島 | 62 | 79 | 5 | 横浜 | 58 | 84 | 4 | ||||||||
クライマックスシリーズ開始 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2007 | 巨人 | 80 | 63 | 1 | 中日 | 78 | 64 | 2 | 阪神 | 74 | 66 | 4 | 横浜 | 71 | 72 | 1 | 広島 | 60 | 82 | 2 | ヤクルト | 60 | 84 | |||||||||
2008 | 巨人 | 84 | 57 | 3 | 阪神 | 82 | 59 | 3 | 中日 | 71 | 68 | 5 | 広島 | 69 | 70 | 5 | ヤクルト | 66 | 74 | 4 | 横浜 | 48 | 94 | 2 | ||||||||
2009 | 巨人 | 89 | 46 | 9 | 中日 | 81 | 62 | 1 | ヤクルト | 71 | 72 | 1 | 阪神 | 67 | 73 | 4 | 広島 | 65 | 75 | 4 | 横浜 | 51 | 93 | |||||||||
2010 | 中日 | 79 | 62 | 3 | 阪神 | 78 | 63 | 3 | 巨人 | 79 | 64 | 1 | ヤクルト | 72 | 68 | 4 | 広島 | 58 | 84 | 2 | 横浜 | 48 | 95 | 1 | ||||||||
2011 | 中日 | 75 | 59 | 10 | ヤクルト | 70 | 59 | 15 | 巨人 | 71 | 62 | 11 | 阪神 | 68 | 70 | 6 | 広島 | 60 | 76 | 8 | 横浜 | 47 | 86 | 11 | ||||||||
2012 | 巨人 | 86 | 43 | 15 | 中日 | 75 | 53 | 16 | ヤクルト | 68 | 65 | 11 | 広島 | 61 | 71 | 12 | 阪神 | 55 | 75 | 14 | DeNA | 46 | 85 | 13 | ||||||||
2013 | 巨人 | 84 | 53 | 7 | 阪神 | 73 | 67 | 4 | 広島 | 69 | 72 | 3 | 中日 | 64 | 77 | 3 | DeNA | 64 | 79 | 1 | ヤクルト | 57 | 83 | 4 | ||||||||
2014 | 巨人 | 82 | 61 | 1 | 阪神 | 75 | 68 | 1 | 広島 | 74 | 68 | 2 | 中日 | 67 | 73 | 4 | DeNA | 67 | 75 | 2 | ヤクルト | 60 | 81 | 3 | ||||||||
2015 | ヤクルト | 76 | 65 | 2 | 巨人 | 75 | 67 | 1 | 阪神 | 70 | 71 | 2 | 広島 | 69 | 71 | 3 | 中日 | 62 | 77 | 4 | DeNA | 62 | 80 | 1 | ||||||||
2016 | 広島 | 89 | 52 | 2 | 巨人 | 71 | 69 | 3 | DeNA | 69 | 71 | 3 | 阪神 | 64 | 76 | 3 | ヤクルト | 64 | 78 | 1 | 中日 | 58 | 82 | 3 | ||||||||
2017 | 広島 | 88 | 51 | 4 | 阪神 | 78 | 61 | 4 | DeNA | 73 | 65 | 5 | 巨人 | 72 | 68 | 3 | 中日 | 59 | 79 | 5 | ヤクルト | 45 | 96 | 2 | ||||||||
2018 | 広島 | 82 | 59 | 2 | ヤクルト | 75 | 66 | 2 | 巨人 | 67 | 71 | 5 | DeNA | 67 | 74 | 2 | 中日 | 63 | 78 | 2 | 阪神 | 62 | 79 | 2 | ||||||||
2019 | 巨人 | 77 | 64 | 2 | DeNA | 71 | 69 | 3 | 阪神 | 69 | 68 | 6 | 広島 | 70 | 70 | 3 | 中日 | 68 | 73 | 2 | ヤクルト | 59 | 82 | 2 | ||||||||
2020 | 巨人 | 67 | 45 | 8 | 阪神 | 60 | 53 | 7 | 中日 | 60 | 55 | 5 | DeNA | 56 | 58 | 6 | 広島 | 52 | 56 | 12 | ヤクルト | 41 | 69 | 10 | ||||||||
2021 | ヤクルト | 73 | 52 | 18 | 阪神 | 77 | 56 | 10 | 巨人 | 61 | 62 | 20 | 広島 | 63 | 68 | 12 | 中日 | 55 | 71 | 17 | DeNA | 54 | 73 | 16 | ||||||||
2022 | ヤクルト | 80 | 59 | 4 | DeNA | 73 | 68 | 2 | 阪神 | 68 | 71 | 4 | 巨人 | 68 | 72 | 3 | 広島 | 66 | 74 | 3 | 中日 | 66 | 75 | 2 | ||||||||
2023 | 阪神 | 85 | 53 | 5 | 広島 | 74 | 65 | 4 | DeNA | 74 | 66 | 3 | 巨人 | 71 | 70 | 2 | ヤクルト | 57 | 83 | 3 | 中日 | 56 | 82 | 5 |
チーム別記録[編集]
- 2023シーズン終了時点のデータ。データは各前身球団を含む。「Aク」はAクラス、「Bク」はBクラスを表す。
- 太字の項目は最多数を表す。球団の列のソートボタンで元の順序に戻る。
- 松竹・西日本の各球団は消滅しているため参考記録として扱う。
球団 | 1位 | 2位 | 3位 | Aク計 | 4位 | 5位 | 6位 | 7位 8位 |
Bク計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
巨人 | 38 | 13 | 13 | 64 | 7 | 2 | 1 | 0 | 10 |
ヤクルト | 9 | 6 | 6 | 21 | 20 | 15 | 17 | 1 | 53 |
DeNA | 2 | 6 | 12 | 20 | 12 | 17 | 25 | 0 | 54 |
中日 | 9 | 24 | 14 | 47 | 5 | 14 | 8 | 0 | 27 |
阪神 | 6 | 21 | 16 | 43 | 14 | 5 | 12 | 0 | 31 |
広島 | 9 | 7 | 10 | 26 | 16 | 21 | 9 | 2 | 48 |
松竹 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 |
西日本 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 |
「人気のセ」[編集]
各球団監督[編集]
チーム | 監督 | 生年月日(年齢) | 就任年 |
---|---|---|---|
阪神タイガース | 岡田彰布 | 1957年11月25日(66歳) | 2023年(2年目) |
広島東洋カープ | 新井貴浩 | 1977年1月30日(47歳) | 2023年(2年目) |
横浜DeNAベイスターズ | 三浦大輔 | 1973年12月25日(50歳) | 2021年(4年目) |
読売ジャイアンツ | 阿部慎之助 | 1979年3月20日(45歳) | 2024年(1年目) |
東京ヤクルトスワローズ | 髙津臣吾 | 1968年11月25日(55歳) | 2020年(5年目) |
中日ドラゴンズ | 立浪和義 | 1969年8月19日(54歳) | 2022年(3年目) |
歴代リーグ代表者[編集]
リーグ会長[編集]
- 初代:安田庄司(1949年 - 1951年/読売新聞副社長兼編集主幹)
- 2代目:松島鹿夫(1951年 - 1952年/元外務事務次官)
- 3代目:鈴木龍二(1952年 - 1984年/元日本野球連盟会長)
- 4代目:川島廣守(1984年 - 1998年/元内閣官房副長官)
- 5代目:高原須美子(1998年 - 2000年/経済評論家、元経済企画庁長官)
- 6代目:豊蔵一(2001年 - 2008年/元建設事務次官、元住宅・都市整備公団総裁)【リーグ会長職廃止により退任】
リーグ運営部長[編集]
- 初代:大越英雄(2009年 - )
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- プロ野球ユニフォーム物語(著:綱島理友・絵:綿谷寛。2005年、ベースボール・マガジン社発行)ISBN 978-4583038070
- 各外部リンク
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- セントラル・リーグ - NPB.jp 日本野球機構