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[[幼名]]は'''川上 音吉'''(かわかみ おときち)。[[上方噺家]]としての[[名跡]]は'''浮世亭 ◯◯'''(うきよてい まるまる)。[[号]]は'''歎水'''。

[[幼名]]は'''川上 音吉'''(かわかみ おときち)。[[上方噺家]]としての[[名跡]]は'''浮世亭 ◯◯'''(うきよてい まるまる)。[[亭号|号]]は'''歎水'''。



== 経歴 ==

== 経歴 ==

[[Image:Sadayakko and Otojiro Kawakami.jpg|thumb|left|250px|川上音二郎(右)、妻・貞奴と]]

[[Image:Sadayakko and Otojiro Kawakami.jpg|thumb|left|250px|川上音二郎(右)、妻・貞奴と]]

=== 生い立ち ===

=== 生い立ち ===

1864年([[文久]]4年)、[[筑前国]][[博多]]中対馬小路町、現在の[[福岡市]][[博多区]][[対馬小路]]に生まれた。[[福岡藩]]主[[黒田氏]]の[[郷士]]及び[[豪商]]・川上専蔵の子。[[論語]]や[[孟子]]を学び、[[福岡県立福岡高等学校|旧制福岡中学校]]の前身に進学するが、継母と折り合いが悪く、1878年(明治11年)、家を飛び出し大阪へ密航。見つかるが出奔し[[東京都|東京]]へ行った<ref>{{Cite book|和書|author=石村 智|title=地形と歴史から探る福岡|publisher=エムディエヌコーポレーション|date=2020-10-6|page=200|isbn=978-4295200369}}</ref>。


1864[[]]4[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[ ()|]][[|]]187811[[]][[|]]<ref>{{Cite book||author= |title=|publisher=|date=2020-10-6|page=200|isbn=978-4295200369}}</ref>


[[無銭飲食]]で追われつつ江戸にたどり着き、[[口入れ屋]]・「桂庵」の奉公人に転がり込むが長続きせず、[[吉原遊廓]]などを転々とする。

[[無銭飲食]]で追われつつ東京にたどり着き、[[口入れ屋]]・「桂庵」の奉公人に転がり込むが長続きせず、[[吉原遊廓]]などを転々とする。



[[増上寺]]の小僧をしていた時に、毎朝寺に散歩に来る[[福澤諭吉]]と出会い、[[慶應義塾]]の[[学僕]](雑用を手伝いながら勉強する生徒)・[[書生]]として慶應義塾に学び<ref>[http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/naniwa060916.html なにわ人物伝 -光彩を放つ-]川上 音二郎 ―かわかみ おとじろう―</ref>、一時は[[警視庁 (内務省)|警視庁]][[巡査]]となる。しかし長続きせず、反政府の[[自由党 (日本 1890-1898)|自由党]]の[[壮士]]となったとか、1883年(明治16年)には[[立憲帝政党]]員となると言われたが、真偽は不明。(井上理恵著『川上音二郎と貞奴 明治の演劇はじまる』社会評論社参照)旧福岡藩士を中心にした[[玄洋社]]の結成に参加している。

[[増上寺]]の小僧をしていた時に、毎朝寺に散歩に来る[[福澤諭吉]]と出会い、[[慶應義塾]]の[[学僕]](雑用を手伝いながら勉強する生徒)・[[書生]]として慶應義塾に学び<ref>[http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/naniwa060916.html なにわ人物伝 -光彩を放つ-]川上 音二郎 ―かわかみ おとじろう―</ref>、一時は[[警視庁 (内務省)|警視庁]][[巡査]]となる。しかし長続きせず、反政府の[[自由党 (日本 1890-1898)|自由党]]の[[壮士]]となったとか、1883年(明治16年)には[[立憲帝政党]]員となると言われたが、真偽は不明。(井上理恵著『川上音二郎と貞奴 明治の演劇はじまる』社会評論社参照)旧福岡藩士を中心にした[[玄洋社]]の結成に参加している。



=== オッペケペー節 ===

=== オッペケペー節 ===

1883年頃から、「自由童子」と名乗り、大阪を中心に政府攻撃の演説、新聞発行などの運動を行って度々検挙された。1883年9月13日、内務省より集会条例第6条違反で1年間政治演説を禁止された<ref>朝野新聞</ref>。[[1885年]]に講談師の鑑札を取得。[[自由民権運動]]の弾圧が激しさを増した1887年(明治20年)には「改良演劇」と銘打ち、一座を率いて興行を行った。また、落語家の[[桂文之助#初代 2|桂文之助]](後の[[曽呂利新左衛門#二世 曽呂利 新左衛門|二代目曽呂利新左衛門]])に入門、浮世亭◯◯(うきよてい まるまる)<ref>鑑札はにわか師として取られた事が[[倉田喜弘]]の調査で判明している</ref>と名乗った。やがて世情を風刺した『[[オッペケペー節]]』([[桂藤兵衛#上方3代目|三代目桂藤兵衛]]作)を[[寄席]]で歌い、1889年(明治22年)から1894・95年(明治27・28年)の[[日清戦争]]時に最高潮を迎えての大評判となる。<!---音二郎は東京から大阪に移り---> 

1883年頃から、「自由童子」と名乗り、大阪を中心に政府攻撃の演説、新聞発行などの運動を行って度々検挙された。1883年9月13日、内務省より集会条例第6条違反で1年間政治演説を禁止された<ref>朝野新聞</ref>。[[1885年]]に講談師の鑑札を取得。[[自由民権運動]]の弾圧が激しさを増した1887年(明治20年)には「改良演劇」と銘打ち、一座を率いて興行を行った。また、落語家の桂文之助(後の[[曽呂利新左衛門#二世 曽呂利新左衛門|二代目曽呂利新左衛門]])に入門、浮世亭◯◯(うきよてい まるまる)<ref>鑑札はにわか師として取られた事が[[倉田喜弘]]の調査で判明している</ref>と名乗った。やがて世情を風刺した『[[オッペケペー節]]』([[桂藤兵衛#上方3代目|三代目桂藤兵衛]]作)を[[寄席]]で歌い、1889年(明治22年)から1894・95年(明治27・28年)の[[日清戦争]]時に最高潮を迎えての大評判となる。<!---音二郎は東京から大阪に移り---> 



[[1891年]]([[明治]]24年)、[[泉岳寺]]にある[[赤穂事件の人物一覧|赤穂義士]]の墓が荒れ果てているのを見て、貧者救済の名目で寄付をした。同寺は「首洗いの井戸」を整備した<ref>現地石柵「川上音二郎之建立」刻字</ref>。

[[1891年]]([[明治]]24年)、[[泉岳寺]]にある[[赤穂事件の人物一覧|赤穂義士]]の墓が荒れ果てているのを見て、貧者救済の名目で寄付をした。同寺は「首洗いの井戸」を整備した<ref>現地石柵「川上音二郎之建立」刻字</ref>。

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川上一座は書生や壮士ら素人を集めたもので、書生芝居、壮士芝居と呼ばれた。1891年(明治24年)2月、書生芝居を[[堺市]]の卯の日座で旗揚げ。同年、東京の[[中村座]]で「板垣君遭難実記」などを上演。東京でもオッペケペー節が大流行した。川上は[[1893年]]1月1日、鳥越座の初日をまえに突然神戸からフランスへ渡り、2か月ほどの短い間だがパリの演劇事情を視察した。

川上一座は書生や壮士ら素人を集めたもので、書生芝居、壮士芝居と呼ばれた。1891年(明治24年)2月、書生芝居を[[堺市]]の卯の日座で旗揚げ。同年、東京の[[中村座]]で「板垣君遭難実記」などを上演。東京でもオッペケペー節が大流行した。川上は[[1893年]]1月1日、鳥越座の初日をまえに突然神戸からフランスへ渡り、2か月ほどの短い間だがパリの演劇事情を視察した。



[[1894年]]、郷土の先輩である[[金子堅太郎]]の媒酌で、人気芸者の[[川上貞奴|貞奴]](本名:小山 貞)と結婚した。


[[1894]][[]][[|]] [[]]

[[伊藤博文]]が貞奴をひいきにしており、伊藤博文の三羽カラスといわれた金子堅太郎に媒酌の役目が回ってきたとも。



=== 戦争劇・新派劇 ===

=== 戦争劇・新派劇 ===

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1900年(明治33年)には、日本通で知られる[[ロンドン]]の[[アーサー・ディオシー]]の歓迎を受け、彼の友人の舞踏家[[ロイ・フラー]]や女優[[サラ・ベルナール]]に紹介され<ref>{{cite journal|和書|url=https://doi.org/10.5024/jeigakushi.1997.1|author=[[長岡祥三]]|title=日本協会の創立者アーサー・ディオシー|journal=英学史研究|volume=1997|issue=29|page=1-12|date=1996|publisher=日本英学史学会|accessdate=2016-3-3}}</ref>、フラーの支援を受けて [[パリ万国博覧会 (1900年)|パリ万博]]で公演し、米国興行に続いて人気を博した。翌年、いったん帰国したあと、再びヨーロッパに渡り、1902年に帰国した。欧米巡業中、1902年(明治35年)11月1日に大日本帝国の俳優として初めて勲章を授与される。[[フランス]]大統領[[エミール・ルーベ]]より官邸の[[エリゼ宮殿]]にて、オフシェー・ド・アカデミー三等勲章(現・[[芸術文化勲章]])を授与。オフシェー叙勲、外国人に贈られる最高章を授章した。

1900年(明治33年)には、日本通で知られる[[ロンドン]]の[[アーサー・ディオシー]]の歓迎を受け、彼の友人の舞踏家[[ロイ・フラー]]や女優[[サラ・ベルナール]]に紹介され<ref>{{cite journal|和書|url=https://doi.org/10.5024/jeigakushi.1997.1|author=[[長岡祥三]]|title=日本協会の創立者アーサー・ディオシー|journal=英学史研究|volume=1997|issue=29|page=1-12|date=1996|publisher=日本英学史学会|accessdate=2016-3-3}}</ref>、フラーの支援を受けて [[パリ万国博覧会 (1900年)|パリ万博]]で公演し、米国興行に続いて人気を博した。翌年、いったん帰国したあと、再びヨーロッパに渡り、1902年に帰国した。欧米巡業中、1902年(明治35年)11月1日に大日本帝国の俳優として初めて勲章を授与される。[[フランス]]大統領[[エミール・ルーベ]]より官邸の[[エリゼ宮殿]]にて、オフシェー・ド・アカデミー三等勲章(現・[[芸術文化勲章]])を授与。オフシェー叙勲、外国人に贈られる最高章を授章した。



1903年、日本で初めてのセリフ劇『[[オセロ (シェイクスピア)|オセロ]]』を日本バージョンで上演する。以後、『[[ハムレット]]』『[[ヴェニスの商人]]』などを積極的に上演し、歌舞音曲のない演劇を日本に定着させようとした。川上は「新派の祖」ではなく、「日本の近代演劇の祖」という存在になる。(井上著『川上音二郎と貞奴3 ストレートプレイ登場する』(2018年)に詳しい)

1903年、日本で初めてのセリフ劇『[[オセロ|オセロ]]』を日本バージョンで上演する。以後、『[[ハムレット]]』『[[ヴェニスの商人]]』などを積極的に上演し、歌舞音曲のない演劇を日本に定着させようとした。川上は「新派の祖」ではなく、「日本の近代演劇の祖」という存在になる。(井上著『川上音二郎と貞奴3 ストレートプレイ登場する』(2018年)に詳しい)




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== 著作 ==

== 著作 ==

* {{Cite book |和書 |editor=中村藤吉 |title=三遊れん新作落ばなし |date=1891-07 |publisher=三友書房 |pages=7-10 |chapter=当世新版オツペケペー |id={{全国書誌番号|41013339}} |ncid=BA74503544}}

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* {{Cite book |和書 |title=新作オッペケペーぶし |date=1891-08 |publisher=[[片田長治郎]] |ncid=BB20232495}}

* {{Cite book |和書 |title=新作オッペケペーぶし |date=1891-08 |publisher=[[片田長治郎]] |ncid=BB20232495}}

* {{Cite book |和書 |title=新歌オッペケペイぶし |volume=第2号 |date=1891-08 |publisher=澤久治郎 |ncid=BB2023251X}}

* {{Cite book |和書 |title=新歌オッペケペイぶし |volume=第2号 |date=1891-08 |publisher=澤久治郎 |ncid=BB2023251X}}

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== 演じた人物 ==

== 演じた人物 ==

* [[なぎら健壱]] - 『[[北村透谷 わが冬の歌]]』

* [[松あきら]] - 1982年、[[宝塚歌劇]][[花組]]公演『[[夜明けの序曲]]』にて。

* [[松あきら]] - 1982年、[[宝塚歌劇]][[花組]]公演『[[夜明けの序曲]]』にて。

* [[中村雅俊]] - 1985年、NHK[[大河ドラマ]]『[[春の波涛]]』にて。

* [[中村雅俊]] - 1985年、NHK[[大河ドラマ]]『[[春の波涛]]』にて。

* [[愛華みれ]] - 1999年、宝塚歌劇花組公演『夜明けの序曲』にて。

* [[愛華みれ]] - 1999年、[[宝塚歌劇]][[花組]]公演『夜明けの序曲』にて。

* [[ユースケ・サンタマリア]] - 2007年上演の舞台『[[恐れを知らぬ川上音二郎一座]]』([[シアタークリエ]]こけら落とし公演)にて。

* [[ユースケ・サンタマリア]] - 2007年上演の舞台『[[恐れを知らぬ川上音二郎一座]]』([[シアタークリエ]]こけら落とし公演)にて。



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* [http://www.i10x.com/planb/sp/murakami/03.html 日本現代舞踊の原点(3) 村上裕徳]

* [http://www.i10x.com/planb/sp/murakami/03.html 日本現代舞踊の原点(3) 村上裕徳]

* {{Wayback |url=http://www.chi-bunkei.net/otosada/ |title=川上音二郎・川上貞奴を顕彰する会 |date=20130607143158}}

* {{Wayback |url=http://www.chi-bunkei.net/otosada/ |title=川上音二郎・川上貞奴を顕彰する会 |date=20130607143158}}

* [https://hakatanomiryoku.com/mame/川上音二郎%E3%80%80日本で最初の世界的エンターテイナ 川上 音二郎] - 日本で最初の世界的エンターテイナー

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[[Category:サイレント映画の俳優]]

[[Category:サイレント映画の俳優]]

[[Category:芸術文化勲章受章者]]

[[Category:芸術文化勲章受章者]]

[[Category:日本の国政選挙の立候補経験者]]

[[Category:衆議院議員総選挙の立候補経験者]]

[[Category:明治時代の文化]] <!-- オッペケペー節 -->

[[Category:明治時代の文化]] <!-- オッペケペー節 -->

[[Category:落語家]]

[[Category:落語家]]


2023年12月1日 (金) 14:46時点における最新版

川上かわかみ 音二郎おとじろう
誕生日 文久4年1月1日1864年2月8日
出生地 筑前国博多中対馬小路
(現在の福岡県福岡市博多区
死没年 (1911-11-11) 1911年11月11日(47歳没)
死没地 大阪府大阪市
国籍 日本の旗 日本
運動・動向 新派
芸術分野 芝居落語家講談師
教育 慶應義塾(現在の慶應義塾大学
受賞 オフシェー・ド・アカデミー三等勲章
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1985NHK

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200711

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(一)^  2020106200ISBN 978-4295200369 

(二)^     

(三)^ 

(四)^ 調

(五)^ 

(六)^ JAPANESE ACTORS IN CHICAGO The New York Times October 15, 1899

(七)^ JAPANESE PLAYS IN BOSTONThe New York Times December 06, 1899

(八)^ The Sapho Affair []American Experience

(九)^ 

(十)^ 19972919961-12201633 

(11)^  441112. 

(12)^  201097

(13)^  563

(14)^  

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1980

 

2009 

 2 2015

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 1985

32,34,35,37,72,129,130,1332012ISBN978-4-88329-072-3

139,140,2042019ISBN978-4-86329-197-3

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