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2024年5月5日 (日) 02:43時点における版
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東京地下鉄道1200形電車 | |
---|---|
1249(伊藤昭撮影。1951年3月、上野車両工場) | |
基本情報 | |
運用者 |
東京地下鉄道 →帝都高速度交通営団 |
製造所 |
汽車製造東京支店 川崎車輌兵庫工場 |
製造年 | 1933年12月 - 1934年5月 |
製造数 | 24両 |
改造年 | 1969年から付随車に改造。制御器・電動機・駆動装置等は撤去 |
運用終了 | 1986年10月9日(1244号)[1] |
投入先 | 銀座線 |
主要諸元 | |
編成 | (単車) |
軌間 | 1,435 mm(標準軌) |
電気方式 |
直流600V (第三軌条方式) |
最高運転速度 | 55 km/h |
起動加速度 | 2.0 km/h/s |
減速度 | 2.5 km/h/s |
全長 | 16,000 mm |
全幅 | 2,550 mm (基準幅) |
全高 | 3,495 mm |
車体 | 普通鋼 |
台車 |
軸箱守 + 軸ばね方式 住友製鋼 KSK-93L形→アルストムリンク式 FS-387A形 |
主電動機 |
直流直巻電動機 MB-231-AF形 三菱電機製 |
主電動機出力 | 90 kW×2 |
駆動方式 | 吊り掛け駆動方式 |
歯車比 | 16:61 ≒ 3.81 |
定格速度 | 31 km/h |
制御方式 | 電空単位スイッチ式抵抗制御 |
制御装置 | 三菱電機製 ABF形 |
制動装置 | 自動空気ブレーキ(AMM形)→AMM-E形(電磁吐出弁取付)→AMM-RE形(台車ブレーキ・B中継弁付) |
保安装置 | 打子式ATS |
備考 | 出典[2] |
東京地下鉄道1200形電車︵とうきょうちかてつどう1200がたでんしゃ︶とは、東京地下鉄銀座線の前身である東京地下鉄道が、1934年の銀座駅 - 新橋駅間延伸開業に際し、2 - 3両編成で運転するのに必要となり増備した地下鉄電車。
1933年12月に1231 - 1238の8両、1934年3月に1239 - 1242の4両、同年5月に1243 - 1247の5両、同年6月に1248 - 1251の4両が汽車製造東京支店で、1934年6月に1252 - 1254の3両が神戸の川崎車輌兵庫工場でそれぞれ製造されて1231 - 1254の計24両が出揃った。
概要
従来型の1000・1100形電車を基本にしており、東京地下鉄道としては最後の新規製造形式となった。帝都高速度交通営団成立に際しても同一形式を継承、最後まで銀座線で使用された。車体
基本構造は1000形・1100形のそれを踏襲する。
ただし、溶接技術の進展で1100形と比較しても車体外板のリベットが減少し、屋根の曲線が滑らかになった。また、前面の車両番号表記が連結時にどちらから見ても確認できるよう、左右2か所に記載されたことも外観上の大きな変更点である。
車内では、運転室仕切扉が運転機器をカバーできるように折り畳める構造となっており、客室確保に一役買っていた。これは、1300形以降は車掌台側の折り畳み構造に移行する。室内灯は、1100形までの間接照明に代わって、球の上半分を半透明とした半間接照明となり、これは後年の中間車化までそのままであった。