田中希代子
表示
田中 希代子 | |
---|---|
生誕 | 1932年2月5日 |
出身地 | 日本 東京府 |
死没 | 1996年2月26日(64歳没) |
学歴 | 旧制東京女子高等師範学校附属女学校中退 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 |
ピアニスト ピアノ教育者 |
担当楽器 | ピアノ |
活動期間 | 1948年 - 1970年 |
田中 希代子︵たなか きよこ、1932年2月5日 - 1996年2月26日︶は、戦後昭和時代に活躍した日本のピアニスト、ピアノ教育者。
田中は、ジュネーヴ国際音楽コンクール︵第14回1952年︶、ロン=ティボー国際コンクール︵第5回1953年︶、ショパン国際ピアノコンクール︵第5回1955年︶[1]の3つの国際コンクールの日本人初入賞者として知られる。
30歳代後半に難病により引退したが、その後は後進の育成に努めた。また、現役時代から当時の皇太子妃︵現美智子皇后︶から慕われたピアニストとしても知られる。