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==王冠の法的効果==
==王冠の法的効果==
[[ファイル:Ferenc József.jpg|300px|thumb|right|ハンガリー王として戴冠する[[フランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝)|フランツ・ヨーゼフ1世]]]]
[[ファイル:Ferenc József.jpg|300px|thumb|right|ハンガリー王として戴冠する[[フランツ・ヨーゼフ1世]]]]
王冠の金や宝石の物質的価値は、[[19世紀]]前半の試算で[[フォリント]]金貨2万枚といわれた。だが美術的価値や宗教的な権力は計り知れない。カーロイ1世は生涯に3回戴冠式を行っている。これは、1310年の聖冠による戴冠以外は正式な戴冠として認められなかったためである。このように、戴冠は法的な義務として認識されてきた。他にも、聖冠の権力を示すより近年の例としてはこのようなものがある。第一次世界大戦後のハンガリーにおいて、[[カール1世 (オーストリア皇帝)|カール1世]]はハンガリー王位を取り戻そうとして失敗し([[カール1世の復帰運動]])、ハンガリー王は空位となった。それから1946年に共和政体が敷かれるまで、ハンガリーは[[ハンガリー王国 (1920-1946)|王がいない王国]]を続けた。
王冠の金や宝石の物質的価値は、[[19世紀]]前半の試算で[[フォリント]]金貨2万枚といわれた。だが美術的価値や宗教的な権力は計り知れない。カーロイ1世は生涯に3回戴冠式を行っている。これは、1310年の聖冠による戴冠以外は正式な戴冠として認められなかったためである。このように、戴冠は法的な義務として認識されてきた。他にも、聖冠の権力を示すより近年の例としてはこのようなものがある。第一次世界大戦後のハンガリーにおいて、[[カール1世 (オーストリア皇帝)|カール1世]]はハンガリー王位を取り戻そうとして失敗し([[カール1世の復帰運動]])、ハンガリー王は空位となった。それから1946年に共和政体が敷かれるまで、ハンガリーは[[ハンガリー王国 (1920-1946)|王がいない王国]]を続けた。
2012年10月29日 (月) 01:24時点における版
ハンガリーの王冠、剣、宝珠
聖 イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン の 王 冠 ︵ せ い イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン の お う か ん ︶ ま た は ハ ン ガ リ ー の 聖 冠 ︵ ハ ン ガ リ ー の せ い か ん 、 ハ ン ガ リ ー 語 ‥ M a g y a r S z e n t K o r o n a ︹ マ ジ ャ ル ・ セ ン ト ・ コ ロ ナ ︺ 、 ド イ ツ 語 ‥ S t e p h a n s k r o n e ︹ シ ュ テ フ ァ ン ス ク ロ ー ネ ︺ 、 ク ロ ア チ ア 語 ‥ K r u n a s v e t o g a S t j e p a n a 、 ラ テ ン 語 ‥ S a c r a C o r o n a 、 英 語 ‥ H o l y C r o w n o f H u n g a r y ︶ は 、 現 存 す る 王 冠 の 中 で 唯 一 の 聖 な る 象 徴 ︵ h o l y a t t r i b u t e ︶ と し て 知 ら れ る 王 冠 で あ る 。
概要
宝 珠 ・ 笏 ・ マ ン ト と と も に 、 ハ ン ガ リ ー 王 国 の 戴 冠 の 証 と し て 数 え ら れ 、 12 世 紀 以 降 ハ ン ガ リ ー の 王 が 代 々 引 き 継 い で き た も の で あ る 。 宝 珠 は ア ン ジ ュ ー 家 の カ ー ロ イ 1 世 の 紋 章 が 描 か れ た も の で あ る が 、 冠 を 含 め た 他 の 証 は す べ て イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 に ち な む も の で あ る 。
こ の 王 冠 は 聖 イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン の 王 冠 の 地 ︵ ハ ン ガ リ ー 、 ク ロ ア チ ア 、 リ エ カ 周 辺 ︶ か ら の 持 ち 出 し が 禁 じ ら れ て い る ︵ e n : D o c t r i n e o f t h e H o l y C r o w n 参 照 ︶ 。 ハ ン ガ リ ー 王 は こ の 冠 を 受 け な い 限 り 、 正 式 な 戴 冠 を 受 け た と 認 め ら れ な い 。 ハ ン ガ リ ー 史 上 の 50 人 以 上 の 王 が こ の 冠 を 受 け て き た 。 こ の 冠 を 受 け な か っ た の は ヤ ー ノ シ ュ ・ ジ グ モ ン ド と ヨ ー ゼ フ 2 世 の 2 人 の み で あ る 。
聖 イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン の 王 冠 が 聖 冠 ︵ S z e n t K o r o n a ︶ と 呼 ば れ る よ う に な っ た の は 1 2 5 6 年 か ら で あ る 。 14 世 紀 頃 か ら 、 王 家 の 権 力 は 単 純 に 君 主 に 象 徴 さ れ る も の で は な く な り 、 明 確 で 客 観 的 な 事 物 で あ る 冠 が 象 徴 と し て の 役 割 を 持 つ よ う に な っ た 。 言 い 換 え れ ば 、 ハ ン ガ リ ー 王 国 は 王 を 飾 る 王 冠 を 求 め る の で は な く 、 王 冠 に 合 う 王 を 求 め る よ う に な っ た と い え る 。 こ れ は ヨ ー ロ ッ パ で も 珍 し い 状 況 で あ る 。
1 4 0 1 年 の ハ ン ガ リ ー 公 式 印 章 は ﹁ ハ ン ガ リ ー の 聖 冠 封 ﹂ と 銘 打 っ て い る 。
聖性の由来
イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 は 戴 冠 式 に お い て 、 N a g y b o l d o g a s s z o n y ︵ 聖 母 マ リ ア ︶ と 王 冠 と の 契 約 を 守 る た め 、 聖 な る 王 冠 に 忠 誠 を 誓 っ た 。 N a g y b o l d o g a s s z o n y は 単 に ハ ン ガ リ ー 王 国 の 守 護 者 と い う だ け で な く 、 ﹁ 女 王 ﹂ と い う 意 味 も 込 め ら れ て い る 。 こ の 契 約 は 、 将 来 に わ た っ て 君 主 に 聖 性 を 付 加 す る た め に 、 ま た 聖 冠 の 教 義 ︵ D o c t r i n e o f t h e H o l y C r o w n ︶ を 基 礎 と す る 政 治 体 制 を 強 化 す る た め に 行 わ れ た 。
王冠の起源
ハ ン ガ リ ー 科 学 協 会 お よ び ハ ン ガ リ ー カ ト リ ッ ク 監 督 会 が 提 唱 し た 説 に よ れ ば [ 1 ] 、 現 存 す る ハ ン ガ リ ー の 聖 冠 は コ ロ ナ ・ グ ラ エ カ ︵ c o r o n a g r a e c a ︶ と コ ロ ナ ・ ラ テ ィ ー ナ ︵ c o r o n a l a t i n a ︶ の 2 つ の パ ー ツ で 出 来 て お り 、 東 ロ ー マ 帝 国 の 影 響 を 受 け た ベ ー ラ 3 世 の 時 代 に 現 在 の 形 に 加 工 さ れ た 、 と さ れ て い る ︵ ベ ー ラ 3 世 は 東 ロ ー マ 帝 国 の 皇 室 で 育 ち 、 一 時 は 皇 太 子 で も あ っ た ︶ 。
の ち に 聖 イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン と し て 列 聖 さ れ る イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 の 戴 冠 を も っ て 、 ハ ン ガ リ ー 王 国 の 成 立 と さ れ る ︵ 戴 冠 の 日 付 は 諸 説 あ り 、 1 0 0 0 年 の 12 月 25 日 と も 、 1 0 0 1 年 1 月 1 日 と も 言 わ れ る ︶ 。
ハ ー ト ヴ ィ ク 司 教 ︵ 1 0 9 5 年 - 1 1 1 6 年 ︶ の 記 し た 、 ロ ー マ 教 皇 が ﹁ 祝 福 と と も に ﹂ イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 に 贈 っ た も の で あ る と い う 記 録 を も っ て 聖 冠 の 起 源 と す る 説 が あ る 。 カ ー ル マ ー ン 1 世 の 要 求 に よ っ て 編 纂 さ れ た ハ ー ト ヴ ィ ク 司 教 の 伝 記 が こ の 説 の 根 拠 と な っ て い る 。 ﹁ ハ ー ト ヴ ィ ク 伝 ﹂ に よ れ ば イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 は エ ス テ ル ゴ ム の ア ス ト リ ッ ク 大 司 教 を ロ ー マ に 派 遣 し 、 ロ ー マ 教 皇 に 王 冠 を 求 め た / 請 求 し た ︵ a s k f o r / r e q u i r e ︶ ︵ 原 注 原 典 の ラ テ ン 語 は ど ち ら に も 解 釈 で き る ︶ 。 こ こ で は ﹁ ロ ー マ 教 皇 ﹂ ︵ P o p e ︶ と だ け 記 載 さ れ て お り 、 ロ ー マ 教 皇 の 名 前 は 書 か れ て い な い 。 だ が ポ ー ラ ン ド 王 ミ ェ シ ュ コ 1 世 の 使 節 が 早 く 到 着 し た た め 、 王 冠 は ポ ー ラ ン ド 王 の た め に 作 ら れ る こ と と な っ た 。 そ の 折 、 教 皇 は 夢 の 中 に 天 使 が あ ら わ れ 、 別 の 国 か ら の 使 者 が 現 れ て 、 王 の た め の 冠 を 求 め る だ ろ う と の お 告 げ を 受 け た 。 次 の 日 、 実 際 に ア ス ト リ ッ ク が 教 皇 に 謁 見 し て 冠 を 求 め た た め 、 教 皇 は ア ス ト リ ッ ク に 冠 を 与 え た … … と い う 記 録 で あ る 。 ﹁ ハ ー ト ヴ ィ ク 伝 ﹂ は 1 2 0 0 年 頃 に ハ ン ガ リ ー で 祈 祷 書 と し て 使 わ れ て い た が 、 そ こ で は 当 時 の 教 皇 と し て シ ル ウ ェ ス テ ル 2 世 の 名 が 上 げ ら れ て い る 。 シ ル ウ ェ ス テ ル 2 世 が 王 冠 を 授 け た い き さ つ は キ リ ス ト 教 圏 全 域 に 広 が っ た た め 、 1 6 1 3 年 、 王 冠 守 護 者 の P e t e r R e v a i が 、 聖 冠 は シ ル ウ ェ ス テ ル 2 世 か ら イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 へ と 授 け ら れ た も の だ と 宣 言 す る に 至 っ た 。 し か し な が ら 、 こ の 伝 承 は 脚 色 さ れ て い る と も 考 え ら れ て い る 。 た と え ば ミ ェ シ ュ コ 1 世 ︵ 9 3 5 年 ? - 9 9 2 年 5 月 25 日 ︶ は 、 シ ル ウ ェ ス テ ル 2 世 の 在 位 期 間 ︵ 9 9 9 年 - 1 0 0 3 年 ︶ よ り 前 に 死 亡 し て い る 。 さ ら に 、 イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 が 列 聖 さ れ た 1 0 8 3 年 頃 に 書 か れ た " G r e a t e r L e g e n d " に よ れ ば 、 ﹁ 彼 ︵ イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 ︶ の 父 の 死 か ら 50 年 後 ︵ … … ︶ 教 皇 か ら 祝 福 の 手 紙 が 届 き ︵ … … ︶ 主 に 認 め ら れ た イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 が 王 に 選 ば れ た 。 イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 は 塗 油 を 受 け て 、 誉 れ 高 き 王 冠 を 戴 冠 し た ﹂ と あ る 。 こ の 伝 承 で は 、 聖 冠 が ロ ー マ か ら 授 け ら れ た と い う 描 写 が 完 全 に 欠 落 し て い る 。 さ ら に 、 バ チ カ ン に は こ の 聖 冠 を 授 与 し た こ と を 示 す 文 書 が 全 く 存 在 し な い 。 ロ ー マ か ら 王 冠 を 授 与 す る こ と は 、 ハ ン ガ リ ー 王 国 に 対 し て の 影 響 力 を 象 徴 す る た め 、 ロ ー マ に と っ て 明 確 な 利 益 に な る に も か か わ ら ず で あ る 。
聖 冠 の 起 源 に つ い て 、 有 名 だ が 信 頼 性 に 欠 け る こ ん な 話 が あ る 。 テ ィ ー ト マ ル ・ フ ォ ン ・ メ ル セ ブ ル ク ︵ T h i e t m a r v o n M e r s e b u r g , ? - 1 0 1 8 年 ︶ に よ る 報 告 で 、 そ こ に は 神 聖 ロ ー マ 皇 帝 オ ッ ト ー 3 世 が イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 の 戴 冠 に 同 意 し 、 教 皇 も 祝 福 を 与 え た 、 と 記 述 さ れ て お り 、 多 く の 歴 史 家 が こ の と き 聖 冠 も 与 え ら れ た の だ と 主 張 し た が 、 こ の 報 告 に は 王 冠 に つ い て の 記 述 は 全 く な く 、 聖 冠 が ロ ー マ 教 皇 か ら 与 え ら れ た も の だ と す る 根 拠 と は な ら な か っ た 。
こ れ ら 2 つ の 説 ― ― ベ ー ラ 3 世 の 時 代 に 作 ら れ た と す る 説 と 、 教 皇 か ら 授 与 さ れ た と す る 説 の 他 に も 、 は る か 古 代 や ア ジ ア に 起 源 を 求 め る 数 多 く の ロ マ ン チ ッ ク な 伝 説 が 存 在 す る 。
イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 の 時 点 で の 聖 冠 は ど の 辺 り ま で か と い う 疑 問 は 、 1 9 7 8 年 に 冠 が ハ ン ガ リ ー に 返 還 さ れ 、 一 通 り の 調 査 が 可 能 に な る ま で 棚 上 げ に な っ て い た 。
エ ナ メ ル 画 に 使 わ れ て い る 技 法 が 複 数 あ る こ と や 、 彫 刻 が サ ー ク レ ッ ト 部 ︵ コ ロ ナ ・ グ ラ エ カ ︶ で ギ リ シ ャ 語 、 バ ン ド 部 ︵ コ ロ ナ ・ ラ テ ィ ー ナ ︶ で ラ テ ン 語 で あ る こ と な ど を 考 え る と 、 2 つ の パ ー ツ が そ れ ぞ れ 異 な る 時 代 に 作 ら れ た 、 と い う こ と に な る 。 し か し な が ら 、 王 冠 を 分 解 し た 記 録 は ま っ た く 残 っ て お ら ず 、 記 録 上 は イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 が 戴 冠 し た も の と 同 一 の も の と 見 な さ れ て い た の で あ る 。
分類
王 冠 に は そ の 使 用 上 、 3 つ の 種 類 が あ る 。
● 装 飾 用 ‥ 特 に 使 用 に 制 限 は な い 。
● 指 導 用 ‥ 特 定 の 場 合 に し か 使 用 で き な い 。
● 相 続 用 ‥ 戴 冠 の 際 し か 使 用 で き な い 。 ハ ン ガ リ ー の 聖 冠 は こ れ に あ た る 。
聖 冠 は 戴 冠 式 の 際 に の み 使 用 さ れ 、 使 用 し な い 時 は 常 に 2 人 の 王 冠 守 護 者 に 守 ら れ て い る 。 王 冠 守 護 者 以 外 に こ の 聖 冠 に 触 れ る こ と が で き る の は 2 人 だ け で あ る 。 時 の n a d o r i s p a n ︵ 俗 界 最 高 の 地 位 ︶ が 戴 冠 式 の 間 、 聖 冠 を 台 座 に 起 き 、 時 の 大 司 教 ︵ 聖 職 者 最 高 の 位 置 ︶ が 王 に 冠 を か ぶ せ る 。
王冠の構成
王冠の絵図 1792年当時のもの(左が前面、右が後面)
聖 冠 は 金 製 で 、 90 の エ ナ メ ル 画 、 宝 石 、 天 然 の 真 珠 、 ア ル マ ン デ ィ ン 等 で で き て お り 、 構 造 上 3 つ に 分 け る こ と が で き る 。 す な わ ち 、 下 方 の 円 環 部 ︵ コ ロ ナ ・ グ ラ エ カ ︶ 、 上 方 の 交 差 し た 帯 ︵ コ ロ ナ ・ ラ テ ィ ー ナ ︶ 、 現 在 は ね じ れ て し ま っ て い る 頂 部 の 十 字 架 の 3 つ で あ る 。
円 環 部 の 左 右 4 本 ず つ 、 後 部 に 1 本 の 鎖 に は 、 そ れ ぞ れ 下 げ 飾 り が つ い て い る 。
コ ロ ナ ・ グ ラ エ カ
コ ロ ナ ・ グ ラ エ カ は 幅 5 . 2 c m 、 直 径 2 0 . 5 c m 。
円 環 部 の 後 部 の 、 カ ッ テ ィ ン グ さ れ た 2 つ の ア ク ア マ リ ン は 、 マ ー チ ャ ー シ ュ 2 世 ︵ 神 聖 ロ ー マ 皇 帝 マ テ ィ ア ス ︶ に よ っ て 補 充 さ れ た も の で あ る 。 正 面 の 絵 に は ﹁ C h r i s t P a n t o k r a t o r ︵ 全 能 の キ リ ス ト 、 イ エ ス ・ キ リ ス ト の 別 名 ︶ ﹂ と 刻 ま れ て い る 。 イ エ ス の 左 右 に は 大 天 使 ミ カ エ ル と ガ ブ リ エ ル が 描 か れ て お り 、 そ の 半 分 の サ イ ズ で 殉 教 者 G e o r g e 、 D e m e t r i u s 、 C o s m a s 、 D a m i a n u s が と も に 描 か れ て い る 。
円 環 部 の 後 部 に は ミ カ エ ル 7 世 ド ゥ ー カ ス が 描 か れ て い る 。 そ の 下 左 側 に は コ ン ︵ ス タ ン テ ィ ノ ス ︶ と 刻 ま れ て お り 、 こ れ は コ ン ス タ ン テ ィ ノ ス 7 世 、 も し く は コ ン ス タ ン テ ィ オ ス の こ と で あ る 。 前 者 は ミ カ エ ル 7 世 ド ゥ ー カ ス の 子 、 後 者 は 兄 弟 で あ る 。 そ の 右 に は ハ ン ガ リ ー 王 ゲ ー ザ 1 世 ︵ 1 0 7 4 年 - 1 0 7 7 年 ︶ が 描 か れ 、 ﹁ G e o v i t s a s p i s t o s k r a l e s t o u r k i a s ﹂ ︵ 誠 実 な T u r k s の 王 ︶ と 書 か れ て い る 。 当 時 、 ハ ン ガ リ ー 人 は 東 ロ ー マ 帝 国 で T u r k s と 呼 ば れ て い た 。 こ れ は 東 ロ ー マ 帝 国 の 階 級 制 度 に よ る も の で 、 皇 帝 と ハ ン ガ リ ー 王 の 間 に は 明 確 な 区 別 が あ り 、 ゲ ー ザ 1 世 よ り も む し ろ 聖 人 や 東 ロ ー マ 皇 帝 の ほ う が 重 く 見 ら れ て い た の で あ る 。 こ の こ と は 、 ハ ン ガ リ ー 王 の 名 前 が 黒 や 青 文 字 で 書 か れ て い る の に 対 し 、 皇 帝 の 名 前 が 赤 で 書 か れ て い る こ と か ら も う か が え る 。
C h r i s t P a n t o k r a t o r と ミ カ エ ル 7 世 の 前 後 の 飾 り 板 は 、 そ れ ぞ れ 別 の 方 法 で 接 着 さ れ て い る 。 C h r i s t P a n t o k r a t o r の 板 が 縁 に フ ィ ッ ト し て い る の に 対 し て 、 皇 帝 の 飾 り 板 は 形 が 合 わ な い 。 板 の フ レ ー ム を 上 方 に 折 り た た ん で 、 縁 に く ぎ づ け に す る こ と で 接 着 し て い る 。 し た が っ て 、 ミ カ エ ル 7 世 の エ ナ メ ル 画 は 、 王 冠 の オ リ ジ ナ ル デ サ イ ン に は 含 ま れ て お ら ず 、 ど こ か 別 の 場 所 で 使 用 さ れ て い た も の だ と 考 え ら れ る 。
コ ロ ナ ・ グ ラ エ カ の 、 湾 曲 し て 先 が と が っ た 飾 り 板 は 東 ロ ー マ 帝 国 に お け る 女 帝 の 冠 に 特 有 の 形 で あ る 。 す な わ ち 、 コ ロ ナ ・ グ ラ エ カ は 女 性 用 の 王 冠 だ っ た の で あ る 。 コ ロ ナ ・ グ ラ エ カ は ミ カ エ ル 7 世 か ら 、 ゲ ー ザ の 王 妃 で あ る シ ナ デ ネ ︵ 後 に 東 ロ ー マ 皇 帝 と な る ニ ケ フ ォ ロ ス ・ ボ タ ネ イ ア テ ス の 姪 ︶ に 贈 ら れ た 冠 が 元 で あ る 。 そ の 時 贈 ら れ た の は 新 品 の 王 冠 で は な く 、 皇 帝 の 宝 物 か ら 選 ば れ た 王 冠 を 造 り 直 し た も の で あ る と 考 え ら れ て い る 。 古 い 人 物 が 描 か れ て い た か 、 ハ ン ガ リ ー の 女 王 に は ふ さ わ し く な い 絵 だ っ た の か 、 と も か く 古 い エ ナ メ ル 画 が 取 り 除 か れ 、 造 り 直 さ れ た 。 そ の 結 果 、 現 在 の よ う な 形 の コ ロ ナ ・ グ ラ エ カ が ハ ン ガ リ ー に 贈 ら れ た の で あ る 。
コ ロ ナ ・ ラ テ ィ ー ナ
コ ロ ナ ・ ラ テ ィ ー ナ は 、 コ ロ ナ ・ グ ラ エ カ の よ う に 単 独 で 王 冠 と し て の 機 能 を 果 た す も の で は な い 。 円 環 部 に と り つ け て 、 ド ー ム 上 の 山 に な る よ う 設 計 さ れ て い る 。 形 状 は 、 5 . 2 セ ン チ ほ ど の 幅 を 持 っ た 4 枚 の 金 製 の 板 が 、 7 . 2 セ ン チ 四 方 の 中 央 パ ネ ル に 溶 接 さ れ た 形 に な る 。
刻 印 さ れ た 字 体 や 聖 人 の 絵 か ら 製 造 年 代 が 推 定 で き る 。 古 い 字 体 の 大 文 字 が 並 ぶ 中 で 、 ト マ ス ︵ T h o m a s ︶ の T と パ ウ ル ス ( P a u l u s ) の 2 個 目 の u は 、 東 ロ ー マ 帝 国 の 硬 貨 に 使 わ れ て い る ラ テ ン 文 字 と 共 通 す る 特 徴 が あ る 。 こ の 書 体 は 、 11 世 紀 半 ば に は 廃 れ た 。 こ れ は 教 皇 か ら イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 に 贈 ら れ た 聖 骨 箱 や 小 型 祭 壇 と 同 様 の 字 体 で あ り 、 証 明 す る こ と こ そ で き な い が 、 イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 が 献 上 物 と 交 換 に 王 冠 を 受 け 取 っ た と い う 可 能 性 も あ る 。 し か し な が ら 使 徒 の 絵 は 、 使 わ れ て い る 技 法 で 判 断 す る 限 り 1 0 0 0 年 頃 に 制 作 さ れ た も の で は な い 。
交 差 し て い る 帯 は 金 の ワ イ ヤ ー で 縁 取 ら れ 、 下 方 で 綴 じ て 装 飾 の 体 系 を 締 め く く っ て い る 。 中 央 の パ ネ ル に は 12 個 、 全 部 で 72 個 の 真 珠 が あ し ら わ れ て お り 、 キ リ ス ト の 使 徒 の 数 を 暗 示 し て い る ︵ 使 徒 行 伝 10 章 1 節 ︶ 。
中 央 交 叉 部 の パ ネ ル に は 四 角 形 の 七 宝 焼 き パ ネ ル が あ り 、 C h r i s t P a n t o k r a t o r が 描 か れ て い る 。 4 本 の バ ン ド に は 2 つ ず つ 、 合 計 8 つ の 絵 が あ る 。 こ れ に は 使 徒 の う ち 、 ﹁ 使 徒 行 伝 ﹂ 1 章 13 節 に 書 か れ た 中 の 最 初 の 8 人 ︵ ペ ト ロ 、 ヨ ハ ネ 、 ヤ コ ブ 、 ア ン デ レ 、 ピ リ ポ と ト マ ス 、 バ ル ト ロ マ イ と マ タ イ ︶ が 描 か れ て い る 。
十 字 架
頂 点 の 十 字 架 は 、 キ リ ス ト の エ ナ メ ル 画 を 貫 通 す る 形 で 荒 っ ぽ く 取 り 付 け て あ る 。 取 り 付 け ら れ た の は 16 世 紀 ご ろ と 推 測 さ れ る 。 十 字 架 は 17 世 紀 ご ろ か ら 衝 撃 で 曲 が っ た よ う な 形 に な っ て い る が 、 王 冠 を し ま う 鉄 の 箱 に 入 れ る 際 、 き ち ん と 仕 舞 わ な い ま ま 蓋 を 閉 め て し ま っ た せ い だ と 考 え ら れ る 。
王 冠 全 体
聖 冠 全 体 の 形 は 、 典 型 的 な 東 ロ ー マ 帝 国 の k a m e l a u k i o n 型 の 冠 の 上 部 を 塞 い だ も の に な っ て い る 。 多 く の 絵 画 で み ら れ る 冠 の 使 用 法 も 、 ま た 東 ロ ー マ 帝 国 で の 王 冠 と 共 通 す る 。 お そ ら く ベ ー ラ 3 世 の 時 代 、 東 ロ ー マ 帝 国 の 冠 を 模 倣 す る 形 で 、 コ ロ ナ ・ グ ラ エ カ に 交 叉 型 の バ ン ド が 加 わ り 、 さ ら に コ ロ ナ ・ グ ラ エ カ と 同 様 の 装 飾 が 施 さ れ て 現 在 の 形 に な っ た の で あ ろ う 。
イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 と の 関 係
コ ロ ナ ・ ラ テ ィ ー ナ は お そ ら く 、 元 々 は イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 の 宝 物 で あ っ た の だ と 推 測 さ れ る が 、 そ れ 以 外 に も 、 戴 冠 の 証 と し て 用 い ら れ る べ き 品 が 、 王 冠 と 同 時 に 用 意 さ れ て い た 。
戴 冠 用 の マ ン ト は 、 刺 繍 の 記 述 が あ る 通 り 、 確 実 に イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 と 王 妃 ギ ー ゼ ラ が 1 0 3 1 年 頃 に 作 ら せ た も の だ と 判 明 し て い る 。
宝 珠 と 笏 も ま た 、 イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 の 時 代 の も の と 判 断 さ れ る 。 神 聖 ロ ー マ 皇 帝 ハ イ ン リ ヒ 2 世 や ブ ル グ ン ト 王 ル ド ル フ 3 世 な ど 、 当 時 の 支 配 者 は そ れ ぞ れ 固 有 の 笏 を 持 っ て い る 。 こ れ ら の 、 先 に 宝 珠 が つ い た 短 い 笏 は こ の 時 代 に 固 有 の も の で あ る 。
王冠の法的効果
ハンガリー王として戴冠するフランツ・ヨーゼフ1世
王 冠 の 金 や 宝 石 の 物 質 的 価 値 は 、 19 世 紀 前 半 の 試 算 で フ ォ リ ン ト 金 貨 2 万 枚 と い わ れ た 。 だ が 美 術 的 価 値 や 宗 教 的 な 権 力 は 計 り 知 れ な い 。 カ ー ロ イ 1 世 は 生 涯 に 3 回 戴 冠 式 を 行 っ て い る 。 こ れ は 、 1 3 1 0 年 の 聖 冠 に よ る 戴 冠 以 外 は 正 式 な 戴 冠 と し て 認 め ら れ な か っ た た め で あ る 。 こ の よ う に 、 戴 冠 は 法 的 な 義 務 と し て 認 識 さ れ て き た 。 他 に も 、 聖 冠 の 権 力 を 示 す よ り 近 年 の 例 と し て は こ の よ う な も の が あ る 。 第 一 次 世 界 大 戦 後 の ハ ン ガ リ ー に お い て 、 カ ー ル 1 世 は ハ ン ガ リ ー 王 位 を 取 り 戻 そ う と し て 失 敗 し ︵ カ ー ル 1 世 の 復 帰 運 動 ︶ 、 ハ ン ガ リ ー 王 は 空 位 と な っ た 。 そ れ か ら 1 9 4 6 年 に 共 和 政 体 が 敷 か れ る ま で 、 ハ ン ガ リ ー は 王 が い な い 王 国 を 続 け た 。
そ う な る と 、 聖 母 マ リ ア が 名 目 上 の ハ ン ガ リ ー 王 と し て 考 え ら れ る が 、 摂 政 の ホ ル テ ィ ・ ミ ク ロ ー シ ュ が プ ロ テ ス タ ン ト で あ っ た た め 叶 わ ず 、 S z e n t K o r o n a Á l l a m e s z m é n y が そ の 替 わ り と な っ た 。 こ れ は 、 聖 冠 を ハ ン ガ リ ー の 法 的 代 表 と し て 、 聖 冠 が 単 独 で 君 主 や 国 家 の 根 幹 と し て の 権 力 を 担 う と い う 考 え 方 で あ る [ 2 ] 。 君 主 や 摂 政 は 、 王 冠 が も つ 武 器 に す ぎ な い と さ れ た 。 こ の 考 え は 、 ハ ン ガ リ ー の 右 傾 化 を 促 進 し た 。 聖 イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン の 王 冠 の 地 の 再 保 障 を 目 指 し た 右 派 は 、 最 終 的 に ア ド ル フ ・ ヒ ト ラ ー の 第 三 帝 国 に 結 び つ き 、 第 二 次 世 界 大 戦 の 悲 劇 を 生 み 出 す に 至 っ た 。
ハ ン ガ リ ー の 公 文 書 や 紋 章 に 以 前 と 同 じ よ う に 聖 冠 が 使 わ れ て い る こ と は 、 近 隣 諸 国 に と っ て 論 争 の 的 で あ っ た 。 ト リ ア ノ ン 条 約 で 領 土 の 大 半 を 失 っ た マ ジ ャ ー ル 人 勢 力 が 、 再 び 聖 イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン の 王 冠 の 地 を 要 求 し て い る の で は な い か と 疑 っ た の で あ る 。 ハ ン ガ リ ー 人 は 、 中 央 ヨ ー ロ ッ パ 1 0 0 0 年 の 動 乱 の 中 で 生 き 残 っ た 象 徴 と し て 、 王 冠 に 当 然 の 敬 意 を 持 っ て い た 。 だ が 、 聖 冠 の 特 殊 な 権 力 を 主 張 す る 右 派 の 政 治 運 動 を 前 に し て 分 裂 に 追 い 込 ま れ る こ と と な っ た の で あ る 。
現代の宝器
ハンガリーの紋章。聖冠が上部にあしらわれている
聖 冠 は こ れ ま で に 、 盗 ま れ た り 、 隠 さ れ た り 、 失 わ れ た り 、 国 外 へ 持 ち 出 さ れ た り も し た 。 戴 冠 の 宝 物 は 王 が 空 位 の 間 セ ー ケ シ ュ フ ェ ヘ ー ル ヴ ァ ー ル に 保 管 さ れ て い た 。 そ の 後 は ヴ ィ シ ェ グ ラ ー ド 、 ポ ジ ョ ニ ︵ ブ ラ チ ス ラ ヴ ァ ︶ 、 ブ ダ を 転 々 と し た 。 第 二 次 世 界 大 戦 中 は 西 ヨ ー ロ ッ パ に 運 ば れ 、 最 終 的 に は ソ 連 か ら 逃 れ る た め ア メ リ カ 軍 に 引 き 渡 さ れ 、 フ ォ ー ト ノ ッ ク ス ︵ ケ ン タ ッ キ ー 州 に あ る 陸 軍 駐 屯 地 ︶ に 、 同 時 期 大 量 に 集 ま っ た 金 と と も に 保 管 さ れ た 。
水 面 下 で の 広 範 な 調 査 で 王 冠 が 本 物 で あ る と 確 か め ら れ た 後 、 ア メ リ カ 政 府 の 命 令 で 王 冠 は ハ ン ガ リ ー に 返 還 さ れ た 。 1 9 7 8 年 、 ジ ミ ー ・ カ ー タ ー 大 統 領 の 下 で の こ と で 、 ハ ン ガ リ ー 王 家 の 服 飾 に つ い て の 学 術 的 調 査 が 始 ま っ た の は こ こ か ら で あ る 。 共 産 主 義 の 凋 落 の 後 、 1 9 9 0 年 に 王 冠 は 紋 章 へ の 復 帰 を 果 た し た 。 国 民 議 会 は 、 コ シ ュ ー ト ・ ラ ヨ シ ュ が 1 8 4 9 年 に 定 め た 王 冠 の な い 紋 章 よ り も 、 戦 前 の 紋 章 を 選 ん だ 。
ヨ ー ロ ッ パ で は 珍 し く 、 戴 冠 の シ ン ボ ル が ほ と ん ど 全 て 現 存 し て い る 。 2 0 0 0 年 1 月 1 日 、 聖 冠 は ハ ン ガ リ ー 国 立 美 術 館 か ら ハ ン ガ リ ー 内 閣 府 へ と 移 動 さ れ た 。 笏 ・ 宝 珠 ・ 剣 も ま た 移 動 さ れ た 。
マ ン ト は 破 損 を 恐 れ 、 国 立 美 術 館 の 不 活 性 ガ ス 容 器 か ら 移 動 さ れ な か っ た 。 王 冠 等 と は 異 な り 、 こ の 赤 い マ ン ト は 1 0 3 0 年 頃 に 作 ら れ た イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 に よ る 純 正 品 だ と 考 え ら れ て い る 。 古 写 本 に よ れ ば 、 マ ン ト は 王 妃 と 侍 女 の 手 作 り で 、 マ ン ト の 背 部 中 央 に は 、 イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 唯 一 の ポ ー ト レ イ ト が 描 か れ て い る ︵ こ こ で の 王 冠 は 、 や は り 現 存 す る 聖 冠 と 異 な っ て い る ︶ 。 ラ テ ン 語 の 刺 繍 に よ れ ば 、 こ の マ ン ト は 司 教 の 礼 拝 用 ロ ー ブ だ っ た よ う で あ る 。
笏 は 、 ハ ン ガ リ ー 王 家 の 所 有 物 の 中 で 美 術 的 な 価 値 が 最 も 高 い と 見 ら れ て い る 。 ラ イ オ ン の 装 飾 が 施 さ れ 、 白 水 晶 球 が は め 込 ま れ て お り 、 柄 は 木 の 芯 に 最 上 質 の 銀 飾 り が 施 さ れ て い る 。 フ ァ ー テ ィ マ 朝 の 貴 重 な 工 芸 品 で あ る 。
イ シ ュ ト ヴ ァ ー ン 1 世 の 槍 ︵ マ ン ト の 肖 像 画 に も 見 ら れ る ︶ は 、 1 1 0 0 年 頃 に 神 聖 ロ ー マ 帝 国 が 手 に す る こ と と な っ た 。
出典
^ Zombori, I, Csefalvay, P., Maria Antonietta De Angelis: A Thousand Years of Christianity in Hungary - Hungariae Christianae Millennium - Published by the Hungarian Catholic Episcopal Conference, Budapest, 2001, for the exhibition in the Musea of Vatican, Vatican City, 10 October 2001 - 12 January 2002 - under the auspices of Prime Minister Viktor Orban
^ 南塚信吾 他、『新版世界各国史 ドナウ・ヨーロッパ史』、山川出版社、1999年、60頁
参考文献
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Kovács É.-Lovag Zs., Die Ungarischen Krönungsingien, Budapest 1980.
Tóth E., Szelényi K., Die heilige Krone von Ungarn, Budapest 2000.
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Vajay Sz. De Corona Regia. Corona. Regni, Sacra Corona: Königskronen und Kronensymbolik in mittelalterlichen Ungarn, in Ungarn Jahrbuch 7, 1976m pp. 37-64.
関連項目
外部リンク
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