マジャル人
magyarok | |||||||||||||
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総人口 | |||||||||||||
c. 1400万人から1500万人 | |||||||||||||
居住地域 | |||||||||||||
ハンガリー 9,416,045人[1] | |||||||||||||
ハンガリーの周辺国 | 250万人ほど | ||||||||||||
ルーマニア | 1,434,377 (2002)[2] | ||||||||||||
スロバキア | 520,528 (2001)[3] | ||||||||||||
セルビア | 293,299 (2002)[4] | ||||||||||||
ウクライナ | 156,600 (2001)[5] | ||||||||||||
オーストリア | 40,583 (2001)[6] | ||||||||||||
クロアチア | 16,595 (2001)[7] | ||||||||||||
スロベニア | 6,243 (2002)[8] | ||||||||||||
ヨーロッパ各国 | 30万人から50万人 | ||||||||||||
ドイツ | 120,000 (2004)[9] | ||||||||||||
イギリス | 80,135 (2001) | ||||||||||||
チェコ | 14,672 (2001)[10] | ||||||||||||
トルコ | 6,800 (2001)[11] | ||||||||||||
ロシア | 3,768 (2002)[12] | ||||||||||||
アイルランド | 3,328 (2006)[13] | ||||||||||||
北マケドニア | 2,003 (2002)[14] | ||||||||||||
北アメリカ | 200万人前後 | ||||||||||||
アメリカ合衆国 | 1,563,081 (2006)[11] | ||||||||||||
カナダ | 315,510 (2006)[15] | ||||||||||||
南アメリカ | 20万人から100万人[11] | ||||||||||||
ブラジル | 80,000[16] | ||||||||||||
アルゼンチン | 40,000-50,000[17] | ||||||||||||
オセアニア (AUS / NZL) | 7万人[11] | ||||||||||||
オーストラリア | 67,616 [要出典] | ||||||||||||
ニュージーランド | 1,476 | ||||||||||||
アジア | 10,000人ほど | ||||||||||||
タイ | 3,029 | ||||||||||||
フィリピン | 1,114 | ||||||||||||
アフリカ | 10,000[11] | ||||||||||||
言語 | |||||||||||||
マジャル語 | |||||||||||||
宗教 | |||||||||||||
カトリック、プロテスタント(ハンガリー改革派協会、ルーテル教会、そしてユニテリアン)が優勢であるが、ハンガリー東方典礼カトリック教会、ユダヤ教、無宗教も含まれる | |||||||||||||
関連する民族 | |||||||||||||
ハンティ人、マンシ人、バシキール人 |
マジャル人[注釈 1]︵マジャルじん、ハンガリー語: magyarok︶は、国家としてのハンガリーと歴史的に結びついた民族。日本語の表記ゆれによっては、マジャール人とも呼ばれる[注釈 2]。ハンガリー語では﹁ハンガリー︵マジャル︶人﹂は単数形が magyar [ˈmɒɟɒr]︵マジャル︶、複数形が magyarok [ˈmɒɟɒrok]︵マジャロク︶。﹁ハンガリー民族﹂が magyarság [ˈmɒɟɒrʃɑ̈ːɡ]︵マジャルシャーグ︶または magyar nép [ˈmɒɟɒr ˌne̝ːp]︵マジャル・ネープ︶。
概略[編集]
かつてはモンゴル系遊牧民の流れを汲むという説[注釈 3]があったため、古い資料にはこの名前ではなく﹁モンゴル系ハンガリア︵ハンガリー︶人﹂と呼ばれていた[18]、そのため﹁マジャル﹂はペルシア語のムガルの語源である﹁モンゴル﹂が転訛した呼称の場合があるという。 固有の言語はウラル語族のうちウゴル諸語に属するハンガリー語︵マジャル語︶であり、現在の人種はコーカソイドであり、民族としてはテュルク系諸族︵バシキール人、オグール︵オノグル・ブルガル人︶[19]、クマン人など︶とイラン系︵ペルシア系︶[19][20]をはじめドイツ系︵オーストリア人︶とラテン系︵ルーマニア人、イタリア人の一部︶の一部[19]とギリシャ人[19]、スラヴ人︵西スラヴ人、南スラヴ人︶[19]とユダヤ系︵アシュケナジム︶[注釈 4]などが複雑に混じっている。 ファシズムの研究で知られるオックスフォード・ブルックス大学のロジャー・グリフィンは、﹁ハンガリーはアジア系のマジャル人が建国し、独特の言語を持っている。オスマン帝国、オーストリア帝国、旧ソ連の圧力を受けてきた。ハンガリーはEUの中の孤島だ﹂と述べている[22]。 他のウラル系民族と異なり、上記のようにテュルク系諸族と混血が多く、騎馬遊牧民︵騎馬民族︶を主とする生業を起源としていた。分布[編集]
マジャル人の総人口は約1450万人で、そのうちハンガリーには約950万人︵2001年︶[23]のマジャル人が居住している。彼らは、およそ1000年間にわたり存在していたハンガリー王国の主要民族であったが、トリアノン条約による領土の分割の結果、多くのマジャル人がハンガリー周辺諸国の少数民族として生活しており、その内訳はルーマニアのトランシルヴァニア地方の大部分とワラキア地方の一部をあわせての144万人をはじめとして、スロバキアの52万人、セルビアのヴォイヴォディナ自治州に29万人、ウクライナおよびロシアの17万人、オーストリアの4万人、クロアチアの1万6000人、チェコの1万5000人、そしてスロベニアの1万人となっている。また、マジャル人を祖先にもつ民族集団は世界の様々な地域︵例えばアメリカ合衆国に140万人︶に居住しているが、ハンガリー語及びハンガリーの文化や伝統を現在も保持している人々は少数にすぎない。起源[編集]
「en:Hungarian prehistory」、「en:History of Hungary before the Hungarian Conquest」、および「en:Hungarian conquest of the Carpathian Basin」も参照
一般的にはマジャル人の起源は以下のように説明される[注釈 5]。当時のマジャル人はニェーク・メジェル・キュルト・ジャルマト・タリャーン・イェーネ・ケール・ケスィなどの有力8部族に分かれていた[19]。
マジャル人はウラル山脈の中南部の草原で遊牧を営み、5世紀ころからアゾフ海北岸付近でテュルク系のオグール︵ブルガール人の祖︶と混合を繰り返した[19]。9世紀ごろになると東ヨーロッパにむけて、集団移動を開始して、西方の黒海北岸に到達した。さらにロシア南部のヴォルガ川南岸を拠点とした大首長︵ジュラ︶アールパードは名誉最高首長︵ケンデ︶クルサーンとともにマジャル人を率いてハンガリー平原に移住し、その後、彼らは生活圏を広げた。アールパードはアールパード家の祖となった。
955年にアールパードの孫タクショニュが、レヒフェルトの戦いにおいてオットー1世に敗れると、タクショニュは今までの部族の宗教だった自然崇拝を廃止し、ハンガリーの繁栄のためにキリスト教化政策を進め、とくにカトリックを普及させて、ハンガリー平原に統一国家を建設するに至った。10世紀後半には、タクショニュの孫イシュトヴァーン1世は本格的にキリスト教︵カトリック︶に改宗し、ローマ教皇からハンガリー王の戴冠を受け、ハンガリー王国が成立した。
同時に﹁マジャル人﹂は歴史的に多くの民族の影響を受けて、上記のように混血を重ねている[注釈 6]。ドハーニ街シナゴーグに代表されるユダヤ教改革派は、ユダヤ教徒のハンガリー人である[注釈 4]。
文化性[編集]
バルトーク・ベーラ︵姓・名の順、以下同様︶作曲・バラージュ・ベーラ︵ユダヤ系︶脚本のオペラ﹁青髭公の城﹂は、サボー・イシュトヴァーン監督、ショルティ・ジェルジ︵ゲオルク・ショルティ︶参加の映画化が決定されていた︵ショルティは死去する︶。サボーはショルティに﹁ハンガリーに優れた音楽家が生まれるのはなぜか﹂と聞かれ、﹁マジャル性とユダヤ性との混交、そこにハンガリー音楽の特性がある﹂と述べている。チャールダーシュという言葉を初めに使ったロージャヴェルジ、トランシルバニア民謡を採集しバルトークを引き継いだリゲティもユダヤ系ハンガリー人であった[注釈 4]。また、バルトークは純粋なハンガリー民謡のみならず、当時のハンガリー王国内に居住していた様々な民族の民謡を採集し、作曲の素材として用いている。そうした多民族性は、ハンガリー音楽・文化を解く重要な鍵としている。言語[編集]
詳細は「マジャル語」を参照
印欧諸語を言語とする周辺民族と異なり、アジアとヨーロッパの境目地域を原住地とするマジャル人はウラル語系に属するウゴル系語のハンガリー語︵マジャル語︶を言語とする。
人種・遺伝子[編集]
マジャル人の人種としては、上記のように、様々な多民族の混血で構成されている。 遺伝子としては、コーカソイドをベースとしたタイプとして、ロシア人などと同様にハプログループR1a (Y染色体)が最多であり[24]、ヨーロッパ各地に広くみられるハプログループI (Y染色体)や、民族的に親近関係にあるバシキール人と同様にY染色体ハプログループR1bの遺伝子もほぼ高~中頻度で見られる[25]。 以下は、433人の調査によるマジャル人のY-DNAの割合である︵2017年5月29日現在︶[26]。- 26.1% R1a
- 19.2% R1b
- 16.9% I2
- 8.3% I1
- 8.1% J2
- 6.9% E1b1b1
- 6.9% G2a
- 3.2% N
- 2.3% Q
- 0.9% T
- 0.5% J1
- 0.2% L
- 0.2% C
脚注[編集]
注釈[編集]
(一)^ 一般的に用いられる﹁ハンガリー人﹂は、本項で解説するマジャル民族を指す他に、日本では民族に関係なく、﹁ハンガリー﹂に居住する人と理解してしまう者が多いため、特に民族について言及する際に﹁マジャル人﹂という呼称を用いる者もいる。ただし、これは﹁ハンガリー国籍のドイツ人﹂とか﹁ルーマニア国籍のハンガリー人﹂のような表現を用いて区別した方が誤解を防げる。
(二)^ 短母音の /a/ [ɒ] の直後に流音である /r/ [r] が来ると、前の短母音が長母音で発音されたような印象を持つので、日本人の耳には長母音で聴こえてしまう。しかし言語間の翻字の原則は音素対応であることと、ハンガリー語では短母音と長母音を区別するので、﹁マジャール﹂ではなく﹁マジャル﹂と表記すべきだとされる。
(三)^ 厳密には﹁マジャール人はフン族あるいはアヴァールの流れを汲む民族﹂、﹁フン族あるいはアヴァールはモンゴル系﹂という説。詳しくは﹁フン族﹂と﹁アヴァール﹂などを参照。
(四)^ abcハンガリーではユダヤ人も貴族として優遇された[21]。
(五)^ 一般的に、フィン・ウゴル語派の故地はロシアのサンクトペテルブルク付近のイングリアと考えられているが、マジャル人の故地と若干異なる。
(六)^ フン、アヴァール、ゲルマン人、ケルト人、キンメリオス人、サルマート、スキタイ、カフカス、ハザール、クマン、パローツ、アラン人、スラヴ人、ルーマニア人、ユダヤ人、ロマ︵シンティ︶、ドイツ人、アルメニア人など。
出典[編集]
(一)^ 18. Demographic data – Hungarian Central Statistical Office and calculation at Hungarian people(Number of Hungarians in Hungary).
(二)^ 2002 Romanian census Archived 2009年3月2日, at the Wayback Machine.
(三)^ 2001 Slovakian Census
(四)^ 2002 Serbian Census
(五)^ National composition of population Archived 2007年7月6日, at the Wayback Machine.
(六)^ 2001 Austrian census[リンク切れ]
(七)^ Položaj Nacionalnih Manjina U Republici Hrvatskoj - Zakonodavstvo I Praska Archived 2007年5月16日, at the Wayback Machine.
(八)^ Slovenia
(九)^ Bund Ungarischer Organisationen in Deutschland Archived 2006年2月6日, at the Wayback Machine.
(十)^ Národnost ve sčítání lidu v českých zemích Archived 2010年6月17日, at WebCite
(11)^ abcde2006 community survey
(12)^ Russia Report to COE
(13)^ CSO Ireland - 2006 Census
(14)^ Republic of Macedonia - State Statistical Office
(15)^ The 2006 census
(16)^ Revista Época Edição 214 24 June 2002 Archived 2013年7月3日, at the Wayback Machine.
(17)^ Hungarian Embassy in Buenos Aires 20 June 2009 Archived 2009年2月1日, at the Wayback Machine.
(18)^ 古畑種基﹃血液型の話﹄岩波新書、1962年、183P。なお原文は﹁蒙古系ハンガリア人﹂表記。
(19)^ abcdefg﹃ハンガリーの歴史︵南塚信吾︶﹄河出書房新社、2012年3月30日、7,9-10頁。
(20)^ ﹃民族の世界史4中央ユーラシアの世界﹄︵護雅夫・岡田英弘箸/山川出版社、1990年︶より。
(21)^ ﹃ハンガリーの歴史﹄29-32p より。
(22)^ 木村正人 (2015年9月11日). “難民の子供を蹴ったハンガリーの女性カメラマンが陥った﹁恐怖﹂と﹁嫌悪﹂のワナ”. オリジナルの2021年8月14日時点におけるアーカイブ。
(23)^ 18. Demographic data – Hungarian Central Statistical Office
(24)^ Ornella Semino et al 2000, The Genetic Legacy of Paleolithic Homo sapiens sapiens in Extant Europeans: A Y Chromosome Perspective.
(25)^ Lobov. Y chromosome analysis in subpopulations of Bashkirs from Russia
(26)^ “Family Tree DNA - Hungarian_Magyar_Y-DNA_Project”. Familytreedna.com. 2017年3月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月18日閲覧。