「霧の彫刻」の版間の差分
←新しいページ: 「{{Infobox artwork |artist=中谷芙二子 |material= 純水 |weight= |city= 常設展示はキャンベラ(1983年)、立川市(1992年)…」 |
記述の整理。リンク追加。カテゴリ追加。 |
||
19行目: | 19行目: | ||
[[ルネサンス]]以降の西洋絵画で[[遠近法]]が導入されると、雲や霧は空間の奥行きを示すものとして描かれるようになった。18世紀に気象学者の[[ルーク・ハワード]]が雲の分類と体系化を行い、絵画における雲の描写は、水蒸気の生成変化として科学的に表現できるようになった。ハワードの理論は画家の[[ジョン・コンスタブル]]に影響を与え、コンスタブルは雲についての習作を描いた。画家の[[ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー|ターナー]]は、ロンドンの霧を初めて描いたともいわれ、自然現象としての霧と人工物である蒸気機関の霧が混じり合う﹃[[雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道]]﹄︵1844年︶などの作品を発表した{{Sfn|岡崎|2018e|pp=230-232}}。
|
[[ルネサンス]]以降の西洋絵画で[[遠近法]]が導入されると、雲や霧は空間の奥行きを示すものとして描かれるようになった。18世紀に気象学者の[[ルーク・ハワード]]が雲の分類と体系化を行い、絵画における雲の描写は、水蒸気の生成変化として科学的に表現できるようになった。ハワードの理論は画家の[[ジョン・コンスタブル]]に影響を与え、コンスタブルは雲についての習作を描いた。画家の[[ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー|ターナー]]は、ロンドンの霧を初めて描いたともいわれ、自然現象としての霧と人工物である蒸気機関の霧が混じり合う﹃[[雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道]]﹄︵1844年︶などの作品を発表した{{Sfn|岡崎|2018e|pp=230-232}}。
|
||
物理学者の |
中谷芙二子の父親である物理学者の[[中谷宇吉郎]]は、雪の結晶を研究して世界初の人工雪の制作に成功した{{efn|宇吉郎が学んだ物理学者の[[寺田寅彦]]は、﹁茶わんの湯﹂というエッセイで、茶碗の湯気の観察から始めて霧や雲などの気象現象の原理を解説している{{Sfn|寺田|2000|pp=}}{{Sfn|岡崎|2018e|pp=238-239}}。}}。宇吉郎は、[[ウィルソン・ベントレー]]の﹃雪の結晶﹄という写真集がきっかけで雪の研究を始めたが、写真に撮られるような整った雪の結晶は自然環境においては少なく、変形した結晶が多いことに気づいた{{Sfn|岡崎|2018e|p=242}}。宇吉郎は、美しいとされる結晶だけが写真に撮られ、人々に鑑賞されることを問題視した{{efn|宇吉郎は著書﹃雪﹄で、この問題を書いている{{Sfn|中谷|2012|p=}}{{Sfn|岡崎|2018e|p=242}}。}}。そして、雪の結晶が形成されるプロセスをナカヤ・ダイヤグラムとして明らかにした{{Sfn|岡崎|2018e|pp=239, 241-243}}。
|
||
=== テクノロジーと芸術 === |
=== テクノロジーと芸術 === |
||
25行目: | 25行目: | ||
=== 作者 === |
=== 作者 === |
||
中谷は、固定しているように見える絵画作品も、その素材は |
中谷は、固定しているように見える絵画作品も、その素材は時間とともに変質していくという点に注目した{{Sfn|岡崎|2018c|p=}}。1950年代から1960年代にかけて、腐敗するキャンパスや自然の物質崩壊プロセスなどの物質代謝を作品に取り込む試みをした{{efn|[[構図|コンポジション]]に対する呼称として、中谷は自らの作品をデコンポジションと名付けた{{Sfn|岡崎|2018e|p=246}}。}}。中谷は腐敗のプロセスを生きたプロセスの一つと考えて﹁土に還る絵﹂を描き、やがて常に変化する雲へと関心が移っていった{{Sfn|中谷|2019|p=198}}。1964年に来日したビリー・クルーヴァーとロバート・ラウシェンバーグに会った中谷は、1966年にニューヨークで開催された﹃{{仮リンク|九つの夕べ - 演劇とエンジニアリング|en|9 Evenings: Theatre and Engineering}}﹄でパフォーマンスに参加し、同年に設立されたE.A.T.のメンバーになる{{efn|﹃九つの夕べ﹄の参加者は、[[ジョン・ケージ]]、[[スティーヴ・パクストン]]、[[イヴォンヌ・レイナー]]、ラウシェンバーグ、[[デイヴィッド・チューダー]]など<ref>[https://www.fondation-langlois.org/html/e/page.php?NumPage=294 9 Evenings: Theatre and Engineering]︵Daniel Langlois Foundation、2006年。2021年4月12日閲覧︶</ref>。}}。これが霧の彫刻を技術的に実現するきっかけとなった{{efn|クルーヴァーとラウシェンバーグは、[[マース・カニンガム]]のダンス・カンパニーの日本公演に同行していた{{Sfn|岡崎|2018e|pp=246-247}}。ラウシェンバーグは来日時に[[コンバイン・ペインティング|コンバイン作品]]の公開制作を行なった{{Sfn|池上|2015|pp=272-273, 276-277}}。}}{{Sfn|岡崎|2018a|pp=}}{{Sfn|岡崎|2018e|pp=246-247}}。
|
||
1960年代から1970年代は環境への関心が高まった時期であり、中谷は環境の概念を芸術作品の制作に活用した{{efn|当時、生物学者の[[レイチェル・カーソン]]による著書﹃[[沈黙の春]]﹄︵1962年︶が環境汚染の問題提起を行っていた。また、都市計画が住環境に与える悪影響は[[ジェイン・ジェイコブズ]]の著書﹃[[アメリカ大都市の死と生]]﹄︵1961年︶が指摘していた{{Sfn|岡崎|2018d|p=}}。}}。中谷の関心は自然環境だけでなく、メディアの環境にも向けられており、こうした問題意識は[[メディア・アート]]の活動にもつながった{{efn|中谷は[[ビデオ・アート]]として﹃水俣病を告発する会 - テント村ビデオ日記﹄︵1972年︶を発表した。これは[[公害病]]である[[水俣病]]患者の支援者による、[[チッソ]]への抗議活動を撮影した作品だった{{Sfn|ホリサキクリステンズ|2019|p=277}}。}}<ref name=artscape20100715 />{{Sfn|山峰|2019b|pp=65-66}}。
|
1960年代から1970年代は環境への関心が高まった時期であり、中谷は環境の概念を芸術作品の制作に活用した{{efn|当時、生物学者の[[レイチェル・カーソン]]による著書﹃[[沈黙の春]]﹄︵1962年︶が環境汚染の問題提起を行っていた。また、都市計画が住環境に与える悪影響は[[ジェイン・ジェイコブズ]]の著書﹃[[アメリカ大都市の死と生]]﹄︵1961年︶が指摘していた{{Sfn|岡崎|2018d|p=}}。}}。中谷の関心は自然環境だけでなく、メディアの環境にも向けられており、こうした問題意識は[[メディア・アート]]の活動にもつながった{{efn|中谷は[[ビデオ・アート]]として﹃水俣病を告発する会 - テント村ビデオ日記﹄︵1972年︶を発表した。これは[[公害病]]である[[水俣病]]患者の支援者による、[[チッソ]]への抗議活動を撮影した作品だった{{Sfn|ホリサキクリステンズ|2019|p=277}}。}}<ref name=artscape20100715 />{{Sfn|山峰|2019b|pp=65-66}}。
|
||
31行目: | 31行目: | ||
== コンセプト == |
== コンセプト == |
||
=== 素材 === |
=== 素材 === |
||
霧は微小な水滴が集合し、輪郭をもって空気中をただよう現象を指す。[[水蒸気]]が飽和水蒸気圧を超えることで水滴に変化し、浮遊する。霧の発生には、[[放射冷却]]による放射霧、冷たい空気が暖かい水面に流れて生じる蒸気霧、暖かい空気が冷たい水面に流れて生じる移流霧などさまざまな種類がある{{efn|霧は大気汚染によって増加する性質があり、ロンドンや横浜で |
霧は微小な水滴が集合し、輪郭をもって空気中をただよう現象を指す。[[水蒸気]]が飽和水蒸気圧を超えることで水滴に変化し、浮遊する。霧の発生には、[[放射冷却]]による放射霧、冷たい空気が暖かい水面に流れて生じる蒸気霧、暖かい空気が冷たい水面に流れて生じる移流霧などさまざまな種類がある{{efn|霧は大気汚染によって増加する性質があり、ロンドンや横浜では霧が減りつつある。汚染物質を高濃度に含む酸性霧が環境に与える影響も研究されている{{Sfn|井川|2015|pp=59-60, 62}}。}}{{Sfn|井川|2015|pp=59-60}}。
|
||
|
中谷は霧を選んだ理由について、それらが敏感な媒体である点をあげている。霧はアーティストの考えを反映する素材ではなく、環境に敏感に反応し、見えるものを見えなくし、風のように見えないものを見えるようにすると述べている。また、霧や雲は自然の特性を物理的にあらわにする効果があり、人々が霧を通して自然に対して敏感になることを中谷は望んでいる{{Sfn|クルーヴァー|2020|pp=}}。
|
||
=== 彫刻としての特徴 === |
=== 彫刻としての特徴 === |
||
62行目: | 62行目: | ||
=== パフォーマンスとの共演 === |
=== パフォーマンスとの共演 === |
||
; |
; アイランド・アイ・アイランド・イア(1974年) |
||
スウェーデンのクナーベルシェア島で、島全体を1つの楽器として演奏する企画があり、中谷は霧の彫刻で参加した。企画を発案したデイヴィッド・チューダー、ジャクリーン・マティス、中谷、クルーヴァーの4名が島で3日間の調査を行った{{efn|チューダーはE.A.T.でも活動し、他にも﹃BANDNEON!﹄などの作品を発表した<ref name=artscape20100715 />。}}{{Sfn|水戸芸術館|2019|p=22}}。自然の霧が発生した場合に霧に覆われるであろう場所を選んで発生させた。崖の上から霧を落としたり、地形の特徴を目立たせることも考えた{{Sfn|クルーヴァー|2020|pp=}}。島には電気や水道がないため、噴霧装置の電力には酸素ボンベ、水は海水を用いた{{Sfn|水戸芸術館|2019|p=22}}。
|
スウェーデンのクナーベルシェア島で、島全体を1つの楽器として演奏する企画があり、中谷は霧の彫刻で参加した。企画を発案したデイヴィッド・チューダー、ジャクリーン・マティス、中谷、クルーヴァーの4名が島で3日間の調査を行った{{efn|チューダーはE.A.T.でも活動し、他にも﹃BANDNEON!﹄などの作品を発表した<ref name=artscape20100715 />。}}{{Sfn|水戸芸術館|2019|p=22}}。自然の霧が発生した場合に霧に覆われるであろう場所を選んで発生させた。崖の上から霧を落としたり、地形の特徴を目立たせることも考えた{{Sfn|クルーヴァー|2020|pp=}}。島には電気や水道がないため、噴霧装置の電力には酸素ボンベ、水は海水を用いた{{Sfn|水戸芸術館|2019|p=22}}。
|
||
72行目: | 72行目: | ||
; CLOUD FOREST(2010年) |
; CLOUD FOREST(2010年) |
||
[[山口情報芸術センター]]︵YCAM︶のインスタレーションでは、前庭の中央公園に装置が置かれ、ダムタイプの高谷史郎が参加した。高谷によるデイヴィッド・チューダーへのオマージュとして、36台のスピーカーによる複雑な音響もあり、霧、光、音による表現をした<ref name=artscape20100715>{{Cite news|url=https://artscape.jp/report/curator/1216611_1634.html |title=環境創造としてのインスタレーション/チュードアへの応答︵中谷芙二子+高谷史郎﹁CLOUD FOREST﹂︶ |last=阿部 |first=一直 |date=2010-7-15 |work=artscape |access-date=2021-04-12 |language= |issn=}}</ref>。
|
[[山口情報芸術センター]]︵YCAM︶のインスタレーションでは、前庭の中央公園に装置が置かれ、[[ダムタイプ]]のメンバーでもある{{仮リンク|高谷史郎|en|Shiro Takatani}}が参加した。高谷によるデイヴィッド・チューダーへのオマージュとして、36台のスピーカーによる複雑な音響もあり、霧、光、音による表現をした<ref name=artscape20100715>{{Cite news|url=https://artscape.jp/report/curator/1216611_1634.html |title=環境創造としてのインスタレーション/チュードアへの応答︵中谷芙二子+高谷史郎﹁CLOUD FOREST﹂︶ |last=阿部 |first=一直 |date=2010-7-15 |work=artscape |access-date=2021-04-12 |language= |issn=}}</ref>。
|
||
; ロンドンフォグ(2017年)、a・form(2017) |
; ロンドンフォグ(2017年)、a・form(2017) |
||
81行目: | 81行目: | ||
; 霧の街のクロノトープ(2020年) |
; 霧の街のクロノトープ(2020年) |
||
[[日本における2019年コロナウイルス感染症による社会・経済的影響|新型コロナウイルスの影響]]のなか、2020年12月5日(土)から12月20日(日)にかけて、 |
[[日本における2019年コロナウイルス感染症による社会・経済的影響|新型コロナウイルスの影響]]のなか、2020年12月5日(土)から12月20日(日)にかけて、高谷史郎との共作展覧会『霧の街のクロノトープ』を開催した。高谷がフレームと照明を行い、中谷による霧の彫刻が設置された。会場には、戦前・戦後の混乱や差別、バブル期の地上げや都市開発の影響を受けつつも、多文化共生の文化を育んできた場所として[[東九条]]の北河原住宅跡地を選んだ{{efn|東九条は、[[韓国併合]](1910年)の影響によって戦前から[[在日朝鮮人]]が多く生活し、戦後はバラックの撤去、東海道新幹線敷設などの影響を受けた。密集や火災の多発などの生活環境が社会福祉の観点から問題視されたが、対策が進められたのは1980年以降だった{{Sfn|山本|2009|pp=}}。}}<ref name=霧の街>{{Cite news|url=https://liquid-kcua.jp/2020/10/16/exhibition-2020/ |title=展覧会「霧の街のクロノトープ」 |last= |first= |date= |work=京都市立芸術大学 |access-date=2021-04-12 |language= |issn=}}</ref><ref name=bijutsutecho20201205>{{Cite news|url=https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/23191 |title=中谷芙二子と高谷史郎が見せる「霧の街のクロノトープ」。京都・北河原団地跡地で野外公開 |last= |first= |date=2020-12-5 |work=美術手帖 |access-date=2021-04-12|language= |issn=}}</ref>。 |
||
=== 景観 === |
=== 景観 === |
||
94行目: | 94行目: | ||
ボストンの{{仮リンク|エメラルド・ネックレス公園|en|Emerald Necklace}}で、5つの霧の彫刻を発表した。この公園は、造園家・都市計画家の[[フレデリック・ロー・オルムステッド]]による景観設計がされており、川、湖沼、広場、サイクリングロード、氷河時代の痕跡などがある。中谷は、6マイルの園内で特徴のある地点を選んで霧を発生させた。タイトルのFLOはオルムステッドのイニシャルであり、オマージュを込めている。音響はニール・レオナルド、照明は高谷史郎が行なった{{Sfn|水戸芸術館|2019|pp=52-57}}。 |
ボストンの{{仮リンク|エメラルド・ネックレス公園|en|Emerald Necklace}}で、5つの霧の彫刻を発表した。この公園は、造園家・都市計画家の[[フレデリック・ロー・オルムステッド]]による景観設計がされており、川、湖沼、広場、サイクリングロード、氷河時代の痕跡などがある。中谷は、6マイルの園内で特徴のある地点を選んで霧を発生させた。タイトルのFLOはオルムステッドのイニシャルであり、オマージュを込めている。音響はニール・レオナルド、照明は高谷史郎が行なった{{Sfn|水戸芸術館|2019|pp=52-57}}。 |
||
=== |
=== 雪と氷との対話(2005年-2006年) === |
||
{{仮リンク|ラトビア自然史博物館|en|Latvian Museum of Natural History}}で開催された「雪と氷との対話 芸術と科学における観察/想像展」では中谷が企画に参加し、雪をテーマにした美術作品、雪氷学やアイスコア研究の紹介、そして宇吉郎の活動に焦点をあてた内容となった。中谷はインスタレーションの『霧箱』を展示し、他の芸術家による宇吉郎へのオマージュ作品もあった{{efn|参加した芸術家は[[高谷史郎]]、[[曽根裕]]、[[アルヴァ・ノト|カールステン・ニコライ]]など{{Sfn|村松|2008|p=123}}。}}{{Sfn|村松|2008|p=123}}。 |
{{仮リンク|ラトビア自然史博物館|en|Latvian Museum of Natural History}}で開催された「雪と氷との対話 芸術と科学における観察/想像展」では中谷が企画に参加し、雪をテーマにした美術作品、雪氷学やアイスコア研究の紹介、そして宇吉郎の活動に焦点をあてた内容となった。中谷はインスタレーションの『霧箱』を展示し、他の芸術家による宇吉郎へのオマージュ作品もあった{{efn|参加した芸術家は[[高谷史郎]]、[[曽根裕]]、[[アルヴァ・ノト|カールステン・ニコライ]]など{{Sfn|村松|2008|p=123}}。}}{{Sfn|村松|2008|p=123}}。 |
||
106行目: | 106行目: | ||
; 霧の森(1992年) |
; 霧の森(1992年) |
||
東京都[[立川市]]の[[昭和記念公園]]の遊具として﹃霧の森﹄が |
東京都[[立川市]]の[[昭和記念公園]]の遊具として、建築家の[[北川原温]]とのコラボレーションで﹃霧の森﹄が制作された。﹁こどもの森﹂のエリアに﹃霧の池﹄や﹃霧の滝﹄が設置され、霧の中で遊べるようになっていた。子供は初めは怖がったものの、慣れて霧に出入りするようになったという{{Sfn|水戸芸術館|2019|pp=32-33}}。期間は3月から11月、霧の出る時間帯は10時から16時にかけて、00分と30分に15分間行われる<ref>[https://www.showakinen-koen.jp/facility/facility_child/ 昭和記念公園﹁こどもの森﹂]︵2021年4月12日閲覧︶</ref>。
|
||
[[File:Un buen día (45076376321).jpg|thumb|250px|[[ビルバオ・グッゲンハイム美術館]]の霧の彫刻と、[[ルイーズ・ブルジョワ]]の彫刻﹃[[ママン]]﹄。]]
|
[[File:Un buen día (45076376321).jpg|thumb|250px|[[ビルバオ・グッゲンハイム美術館]]の霧の彫刻と、[[ルイーズ・ブルジョワ]]の彫刻﹃[[ママン]]﹄。]]
|
||
123行目: | 123行目: | ||
== 主な常設展示 == |
== 主な常設展示 == |
||
* 『砂漠の霧微気象圏』 |
* 『砂漠の霧微気象圏』[[オーストラリア国立美術館]]・彫刻庭園、[[キャンベラ]]、1983年{{Sfn|水戸芸術館|2019|pp=32-33}} |
||
* 『霧の森、国営昭和記念公園』 |
* 『霧の森、国営昭和記念公園』[[昭和記念公園]]、立川市、1992年{{Sfn|水戸芸術館|2019|pp=34-37}} |
||
* 『グリーンランド氷河の原』 |
* 『グリーンランド氷河の原』[[中谷宇吉郎雪の科学館]]、[[加賀市]]、1994年{{Sfn|水戸芸術館|2019|pp=38-39}} |
||
* 『F.O.G.』[[ビルバオ・グッゲンハイム美術館]]、[[ビルバオ]]、1998年 |
* 『F.O.G.』[[ビルバオ・グッゲンハイム美術館]]、[[ビルバオ]]、1998年 |
||
* 『フォグブリッジ』 |
* 『フォグブリッジ』[[エクスプロラトリアム]]、[[サンフランシスコ]]、2013年{{Sfn|水戸芸術館|2019|pp=44-45}} |
||
* 『SEA FOG』 |
* 『SEA FOG』大阪北口広場(通称:うめきた広場)、[[大阪市]]、2013年 |
||
* 『NAGI 凪』 |
* 『NAGI 凪』[[品川シーズンテラス]]、[[港区]]、2015年<ref>[https://www.kissport.or.jp/spot/tanbou/1809/ 港区探訪 品川シーズンテラス](Kissポート、2015年。2021年4月12日閲覧)</ref> |
||
*『霧の彫刻』 |
*『霧の彫刻』[[長野県立美術館]]、[[長野市]]、2021年<ref name=美術手帖201117 /> |
||
== 出典・脚注 == |
== 出典・脚注 == |
||
261行目: | 261行目: | ||
{{DEFAULTSORT:きりのちようこく}} |
{{DEFAULTSORT:きりのちようこく}} |
||
[[Category:インスタレーション・アート]] |
[[Category:インスタレーション・アート]] |
||
[[Category:霧を題材とした作品]] |
|||
[[Category:彫刻作品]] |
[[Category:彫刻作品]] |
||
[[Category:日本の彫刻]] |
[[Category:日本の彫刻]] |
2021年5月6日 (木) 01:15時点における版
英語:Fog Sculptures | |
![]() | |
作者 | 中谷芙二子 |
---|---|
製作年 | 1970年- |
素材 | 純水 |
所蔵 | 常設展示はキャンベラ(1983年)、立川市(1992年)、加賀市(1994年)、ビルバオ(1998年)、サンフランシスコ(2013年)、長野市(2021年)など。写真は昭和記念公園(東京都立川市)の『霧の森』 |
背景
気象と芸術
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a0/Cumulostratus_Etching-_Luke_Howard.png/200px-Cumulostratus_Etching-_Luke_Howard.png)
テクノロジーと芸術
1966年に、芸術家と科学者とのコラボレーション組織であるExperiments in Art and Technology︵E.A.T.︶が設立された。設立の中心人物になったビリー・クルーヴァーはスウェーデンからアメリカへ移住してエンジニアとして働いていたが、エンジニアの状況が退屈だとして不満をもっていた[注釈 3]。クリーヴァーはニューヨーク近代美術︵MOMA︶でジャン・ティンゲリーの作品﹃ニューヨーク讃歌﹄の展示を手伝ったのちに、テクノロジーと芸術の橋渡しとして、芸術家のロバート・ラウシェンバーグらとE.A.T.を設立した[注釈 4]。E.A.T.は異なる組織に属するエンジニアや科学者が協力できるネットワークであり、芸術家の技術的問題を解決するために活動した。中谷はE.A.T.のメンバーでもあった[12]。作者
中谷は、固定しているように見える絵画作品も、その素材は時間とともに変質していくという点に注目した[4]。1950年代から1960年代にかけて、腐敗するキャンパスや自然の物質崩壊プロセスなどの物質代謝を作品に取り込む試みをした[注釈 5]。中谷は腐敗のプロセスを生きたプロセスの一つと考えて﹁土に還る絵﹂を描き、やがて常に変化する雲へと関心が移っていった[14]。1964年に来日したビリー・クルーヴァーとロバート・ラウシェンバーグに会った中谷は、1966年にニューヨークで開催された﹃九つの夕べ - 演劇とエンジニアリング﹄でパフォーマンスに参加し、同年に設立されたE.A.T.のメンバーになる[注釈 6]。これが霧の彫刻を技術的に実現するきっかけとなった[注釈 7][12][16]。 1960年代から1970年代は環境への関心が高まった時期であり、中谷は環境の概念を芸術作品の制作に活用した[注釈 8]。中谷の関心は自然環境だけでなく、メディアの環境にも向けられており、こうした問題意識はメディア・アートの活動にもつながった[注釈 9][20][21]。コンセプト
素材
霧は微小な水滴が集合し、輪郭をもって空気中をただよう現象を指す。水蒸気が飽和水蒸気圧を超えることで水滴に変化し、浮遊する。霧の発生には、放射冷却による放射霧、冷たい空気が暖かい水面に流れて生じる蒸気霧、暖かい空気が冷たい水面に流れて生じる移流霧などさまざまな種類がある[注釈 10][23]。 中谷は霧を選んだ理由について、それらが敏感な媒体である点をあげている。霧はアーティストの考えを反映する素材ではなく、環境に敏感に反応し、見えるものを見えなくし、風のように見えないものを見えるようにすると述べている。また、霧や雲は自然の特性を物理的にあらわにする効果があり、人々が霧を通して自然に対して敏感になることを中谷は望んでいる[24]。彫刻としての特徴
水滴の集合として現れる霧は、固有の形をとどめずに変化し続けるプロセスであり、固定した形を鑑賞しようとする者の認識には抵抗する[4]。こうして霧の彫刻は記録ではなく、出来事として表現される。物質的な状態や振る舞いを意味するメディウムが、中谷の作品に共通する特徴であり、この特徴はメディア・アートなど中谷の他の芸術活動にも共通している[25]。 霧の彫刻は、視覚だけでなく全感覚を通して環境を知覚するのを助け、知覚だけでなく動作にも影響を及ぼす[26]。中谷は、霧の彫刻を最も気に入っている点として、自然条件の均衡そのものの現象であり、条件が少しでも変われば消えてしまう点にあるかもしれないと書いている[27]。サンフランシスコ、ボストン、ロンドンなど霧で知られる地域での展示も多く、これには人工の霧を各地の霧と出会わせるイメージもある[25]。 1980年代には、霧の彫刻の発表を中断した時期もあった。商業イベントで霧の演出を依頼されることが増えたため、消費文化の活動から距離をとるのが目的だった[28]。霧の彫刻について、1996年に中谷は以下のように書いている[29]。 いま、切実に問われているのは、人間と自然の間の信頼関係ではないかと思う。私たち都会人は、ペットボトルの水しか信用しなくなってしまった。水道の水は臭くて飲めない。川や海は汚染されているからプールで泳ぐ。そこまで自然を信用できなくなったら、もうバーチャルな世界で泳ぐしかない。︵中略︶ 人工霧を大量に発生させて、環境とのインタラクションを楽しむ﹁霧の彫刻﹂は、大気の呼吸を視覚化して刻々に変化するライブ環境であり、自然と向き合う媒介項としての彫刻である[29]。技術
当初中谷は、自然における形態変化を起こす温度差を制作に用いることを考え、ドライアイスをヒーターで温めて雲を作って試した[24]。また、雲を作る装置として、北海道大学の孫野長治に実験を依頼した。実験ではアンモニアガス、炭酸ガス、塩素ガスが使われたが、刺激臭や有毒成分を理由として採用はされなかった[30]。 中谷は、初めて霧の彫刻を発表したペプシ館︵後述︶から、水で作り出す霧を採用している。ノズルから噴射する水を針に衝突させて粒に砕くという仕組みで、ノズルの口径は16ミクロン、噴射する水は70気圧で、針に衝突した水の粒は20から30ミクロンの大きさとなる。その水の粒が空気中に浮かぶことで霧と呼ばれる現象として感知される[31]。水には純水を用いる。純水を選ぶ理由について、霧を外から見るだけではなく霧に入って体験して欲しいからと述べている[24]。主な作品
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/77/ZKM-CLOUD-WALK-Felix-Gruenschloss.jpg/250px-ZKM-CLOUD-WALK-Felix-Gruenschloss.jpg)
パビリオン
ペプシ館︵1970年︶ 霧の彫刻が初めて発表されたのは、1970年に開催された日本万国博覧会でE.A.T.が手がけたペプシ館だった[注釈 11]。ペプシ館は﹁垣根なき世界﹂をテーマとして直径27メートルのミラードームを建設し、60名以上の芸術家や科学者が参加した[注釈 12][20][35]。パビリオンを雲で覆うというアイデアが出ていることを中谷は知り、参加した[34]。 ペプシ館のドームを霧で覆うため、薬品を使わず、人間が安全に中に入れるように水で作ることが検討された。中谷はメーカーや研究機関をあたって方法を調査し、果樹園の遅霜対策の噴霧装置の開発者であるトム・ミーをクルーヴァーに紹介された。それまでのミーの装置はアンモニアと塩素を使っており、ミーは中谷の依頼で水を使った噴霧装置を1969年に開発した。ミーの噴霧装置は、ピン・ジェット型ノズルによって粒径20から30ミクロンの霧を作ることに成功した。装置の霧を見た中谷は、その形状が人間には作り出せない造形だと考えた[注釈 13][37]。ミーの装置を採用したペプシ館の霧の彫刻は、京都大学の光田寧と室田達郎による風洞実験もへて、万博で公開された[注釈 14][39]。パフォーマンスとの共演
アイランド・アイ・アイランド・イア︵1974年︶ スウェーデンのクナーベルシェア島で、島全体を1つの楽器として演奏する企画があり、中谷は霧の彫刻で参加した。企画を発案したデイヴィッド・チューダー、ジャクリーン・マティス、中谷、クルーヴァーの4名が島で3日間の調査を行った[注釈 15][40]。自然の霧が発生した場合に霧に覆われるであろう場所を選んで発生させた。崖の上から霧を落としたり、地形の特徴を目立たせることも考えた[24]。島には電気や水道がないため、噴霧装置の電力には酸素ボンベ、水は海水を用いた[40]。 オパール・ループ︵1980年、2002年︶ アメリカでは、初の室内での霧の彫刻も発表された。ダンサーのトリシャ・ブラウンとの共作で、ブラウンのダンス・カンパニーの公演﹃オパール・ループ/霧﹄の舞台装置として霧が使われた。ノズルのオン・オフで霧の形・量・動きを制御した[41]。2002年には、﹃オパール・ループ/霧﹄の動画をフォグ・スクリーンに投影したインスタレーションとして﹃オパール・ループ/雲﹄を発表した[42]。 男鹿川 霧の彫刻︵1980年︶ 栃木県の男鹿川沿いにある川治温泉で開催された秋祭りにて、﹁霧と音と光のフェスティバル﹂として展示された。ビル・ヴィオラが環境音を編集した音を流した[43]。 CLOUD FOREST︵2010年︶ 山口情報芸術センター︵YCAM︶のインスタレーションでは、前庭の中央公園に装置が置かれ、ダムタイプのメンバーでもある高谷史郎が参加した。高谷によるデイヴィッド・チューダーへのオマージュとして、36台のスピーカーによる複雑な音響もあり、霧、光、音による表現をした[20]。 ロンドンフォグ︵2017年︶、a・form︵2017︶ ロンドンのテート・モダンのインスタレーション・パフォーマンスで発表された。ダンスは田中泯、音楽は坂本龍一、照明は高谷史郎が行なった。田中、坂本、高谷との共演は、オスロ新国立美術館で発表された﹃a・form﹄でも行われた[44]。 ナイアガラ・リバーブ︵2017年︶ パリで開催された、ポンピドゥー・センターとIRCAMの40周年記念イベントで発表された。霧と電子音楽の共演となり、KTL、Alponom、マヌエル・ポレッティと共演した[45]。 霧の街のクロノトープ︵2020年︶ 新型コロナウイルスの影響のなか、2020年12月5日︵土︶から12月20日︵日︶にかけて、高谷史郎との共作展覧会﹃霧の街のクロノトープ﹄を開催した。高谷がフレームと照明を行い、中谷による霧の彫刻が設置された。会場には、戦前・戦後の混乱や差別、バブル期の地上げや都市開発の影響を受けつつも、多文化共生の文化を育んできた場所として東九条の北河原住宅跡地を選んだ[注釈 16][47][48]。景観
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Fog_Bridge_at_the_Exploratorium.jpeg/250px-Fog_Bridge_at_the_Exploratorium.jpeg)
雪と氷との対話︵2005年-2006年︶
ラトビア自然史博物館で開催された﹁雪と氷との対話 芸術と科学における観察/想像展﹂では中谷が企画に参加し、雪をテーマにした美術作品、雪氷学やアイスコア研究の紹介、そして宇吉郎の活動に焦点をあてた内容となった。中谷はインスタレーションの﹃霧箱﹄を展示し、他の芸術家による宇吉郎へのオマージュ作品もあった[注釈 17][54]。個展﹁霧の抵抗﹂︵2018年-2019年︶
日本初の中谷の大規模個展は、2018年10月27日から2019年1月20日に水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催された[2][55]。霧の彫刻は、﹁崩壊シリーズ﹂と名付けられた作品が2点展示された。﹃シンコペーション﹄は、磯崎新が設計した水戸英術館の噴水に設置され、宙吊りの岩を覆うように霧が発生する。噴水は、日米安保闘争で機動隊が民衆に対して行なった放水をイメージして作られており、霧は放水への抵抗を表現している。夜間の照明は逢坂卓郎が行なった[56]。﹃フーガ﹄は室内インスタレーションであり、室内をスクリーンで仕切り、片側に霧が立ち込める中でカラスの飛ぶ映像が流れる。やがてスクリーンが落とされて突然に室内に霧が満ち、カラスは飛び去ってゆく[57]。常設
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/df/NGA_Fog_sculpture_by_Fujiko_Nakaya_%28429173353%29.jpg/250px-NGA_Fog_sculpture_by_Fujiko_Nakaya_%28429173353%29.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e7/Un_buen_d%C3%ADa_%2845076376321%29.jpg/250px-Un_buen_d%C3%ADa_%2845076376321%29.jpg)
評価
﹃霧の森﹄︵1992年︶によって、中谷は1993年に吉田五十八賞の特別賞を受賞した[58]。2017年には、霧を扱った彫刻の草分けとして、フランスの芸術文化勲章の最高位コマンドゥールを受賞した [66]。2018年には霧の彫刻やビデオ・アートの活動によって高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した[67]。2020年には、メディア・アートや霧の彫刻の活動により、文化庁長官表彰を受けた[1]。主な常設展示
- 『砂漠の霧微気象圏』オーストラリア国立美術館・彫刻庭園、キャンベラ、1983年[58]
- 『霧の森、国営昭和記念公園』昭和記念公園、立川市、1992年[68]
- 『グリーンランド氷河の原』中谷宇吉郎雪の科学館、加賀市、1994年[60]
- 『F.O.G.』ビルバオ・グッゲンハイム美術館、ビルバオ、1998年
- 『フォグブリッジ』エクスプロラトリアム、サンフランシスコ、2013年[62]
- 『SEA FOG』大阪北口広場(通称:うめきた広場)、大阪市、2013年
- 『NAGI 凪』品川シーズンテラス、港区、2015年[69]
- 『霧の彫刻』長野県立美術館、長野市、2021年[65]