須賀町 (新宿区)
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須賀町 | |
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戒行寺坂 | |
北緯35度41分3.76秒 東経139度43分20.12秒 / 北緯35.6843778度 東経139.7222556度 | |
国 |
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都道府県 |
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特別区 |
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地域 | 四谷地域 |
人口 | |
• 合計 | 1,408人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
160-0018[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 練馬 |
須賀町︵すがちょう︶は、東京都新宿区の町名[4]。住居表示未実施。丁番をもたない単独町名である。郵便番号は160-0018[2]。
地理
新宿区の南東部に位置する。北部は、四谷三丁目に接する。須賀町の町域の大部分は台地上にあり、東部から南東部にかけては若葉の谷間に続いている。南部は、信濃町、西部は左門町という、いずれも同じ台地上の町に続いている。 町域の南西端が一部で外苑東通りに接しているものの、その他の大部分は大通りからは離れている。また、町域南部の戒行寺坂から外苑東通りに抜ける通り沿いには多くの寺院が並んでいる。主に住宅地として利用される。戒行寺坂
戒行寺坂︵かいぎょうじざか︶は、須賀町9番の日蓮宗戒行寺の前に始まる坂道で、東方の若葉二丁目︵かつての鮫河橋谷町︶に下っている[5]。戒行寺の向かい側は曹洞宗宗福寺であり、坂道の坂下はかつて﹁戒行寺谷﹂と呼ばれていた[5]。 坂の名称は、坂上の戒行寺に因んでいる︵﹃御府内備考﹄︶[6]。また、この坂には﹁油揚坂﹂という別名もあるが、これはかつて坂の途中に豆腐屋があり、その店の油揚豆腐が評判となっていたことによる︵﹃新撰東京名所図会﹄︶[6]。さらに、この地には、その豆腐を買いに来た東福院の豆腐地蔵の伝説も伝わっている[5]。歴史
最初に須賀町が成立したのは1872年︵明治5年︶[年号要検証]のことであった。その後1878年︵明治11年︶11月、四谷区が成立して﹁四谷須賀町﹂となり、1911年︵明治44年︶には四谷の冠が外されて現在の名称﹁須賀町﹂となった。さらに須賀町は1943年︵昭和18年︶、隣接する南寺町︵明治44年以前の名称は﹁四谷南寺町﹂︶を編入して町域を広げた。 1947年︵昭和22年︶、四谷区が消滅して新宿区が成立したことから新宿区須賀町となって現在に至っている。 行政区分の変遷 ●1868年︵明治元年︶9月 - ‥ 東京府 ●1878年︵明治11年︶11月 - ‥ 東京府四谷区 ●1889年︵明治22年︶5月 - ‥ 東京府東京市四谷区 ●1943年︵昭和18年︶7月 - ‥ 東京都四谷区 ●1947年︵昭和22年︶3月 - ‥ 東京都新宿区地名の由来
町域内の須賀神社に由来する。世帯数と人口
2019年︵令和元年︶12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
須賀町 | 852世帯 | 1,425人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 新宿区立四谷第六小学校 | 新宿区立四谷中学校 |
交通
町域に鉄道駅はなく、地下鉄丸ノ内線の四谷三丁目駅やJR総武線︵各駅停車︶の信濃町駅が最寄り駅となる。施設
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/51/Suga_Shrine_stairs_high-angle_20161113-070754.jpg/180px-Suga_Shrine_stairs_high-angle_20161113-070754.jpg)
関連項目
●須賀町 (曖昧さ回避)脚注
(一)^ ab“住民基本台帳人口 町丁別世帯数及び男女別人口”. 新宿区 (2019年12月1日). 2019年12月2日閲覧。
(二)^ ab“郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月22日閲覧。
(三)^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月22日閲覧。
(四)^ ﹃角川日本地名大辞典13 東京都﹄、角川書店、1991年再版、P874
(五)^ abc﹁戒行寺坂﹂ 石川悌二 ﹃江戸東京坂道辞典コンパクト版﹄︵新人物往来社︶ 平成15年9月20日発行
(六)^ ab﹃戒行寺坂﹄ 平成18年2月に新宿区教育委員会が設置した道路標識
(七)^ “通学区域”. 新宿区 (2017年9月19日). 2017年12月22日閲覧。