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主な監督作品[編集]
﹃戦艦ポチョムキン﹄の虐殺シーン
●戦艦ポチョムキン︵1925年。Броненосец Потёмкин︶
1904年に黒海で反乱を起こした戦艦ポチョムキンとその船員達を描いた映画史上屈指の名作。モンタージュを駆使して映画の教科書と称されている。もっとも有名なのは反乱を支持しデモ行進をしていた民衆を、コサック兵が虐殺する﹁オデッサの階段﹂のシーンである。
●ストライキ︵1925年。Стачка︶
●十月︵1928年。Октябрь︶
レーニン率いるボリシェヴィキが権力を掌握した十月革命の模様が描かれる。この作品には実際に革命に参加した人々が多く参加しており、エイゼンシュテインの天才的な映像技術とともにそのリアリズムは際だっている[要出典]。ロシア史研究者梶川伸一は、十月革命の実態は、ボリシェヴィキ派の赤軍、武装労働者による軍事クーデターであったが、この映画は、﹁十月革命﹂をあたかも民衆蜂起であったかのように描写する革命十周年を記念するプロパガンダ映画であると指摘する[5]。しかし、NHKが2014年の番組でもこのプロパガンダ映画を、実際の歴史の映像として断りもなく放送したことに見られるように、現在でもこのような通俗的理解が蔓延していると梶川は批判している[5]。
●全線︵1929年。Старое и новое︶
﹃アレクサンドル・ネフスキー﹄
●ベージン草原︵英語版︶︵1937年/1967年。Бежин луг︶
実話をもとにした作品。富豪の陰謀を告発して、その一味に殺された少年の逸話である。スターリンの大粛清が進行する時流に、文化面においても引き締めが強まり、ついに完成に至らず。ネガも戦災で破損し、ごく一部の断片しか残存していない。1967年に、スチル写真編集版が制作された。
●アレクサンドル・ネフスキー︵1938年。Александр Невский︶
ロシアを侵略したドイツ騎士団を撃退した英雄アレクサンドル・ネフスキーの物語。音楽を担当したセルゲイ・プロコフィエフが、後に演奏会用カンタータ﹃アレクサンドル・ネフスキー﹄をまとめている。
●イワン雷帝・第1部︵1944年。Иван Грозный︶
現在のロシアの基礎を築いたイヴァン4世を描いた作品。第1部はイヴァン4世の英雄としての側面が強調されており、スターリンの評価を得た。エイゼンシュテインは1928年に2代目市川左團次の歌舞伎初の海外公演をモスクワで観劇しており、本作には全編において歌舞伎的な様式の演出を見ることができる︵歌舞伎の﹁見得﹂を初めて見たエイゼンシュテインは左團次に﹁歌舞伎の見得は映画の技法でいうクロースアップだ﹂と感想を述べたというのは有名なエピソードであるが、本作ではあるクロースアップショットで主人公に見得を切らせている︶。
●イワン雷帝・第2部︵1946年︶
ラストシーンのみカラーフィルムを使用している。第2部は疑心暗鬼に駆られたイワンが貴族たちを粛清するさまが描かれる。当時の大粛清を彷彿とさせる設定に、スターリンは激怒した。スターリンの死後までこの作品が公開されることはなかった。
●イワン雷帝・第3部︵1946年︶
未完。一部撮影されたが、フィルムの大部分は廃棄させられ、ごく一部しか現存していないという。残された台本のラストシーンは、罪悪感に打ちひしがれたイワンがそれまで粛清してきた人物の名を読み上げ、懺悔するというものであった。その中には、スターリンによって粛清されたエイゼンシュテインの友人たちの名が密かに取り入れられており、第2部以上にスターリンへの批判が明瞭になっていた。
●メキシコ万歳︵1979年︶
1930年にハリウッド資本からの招聘を受け、その資本で製作が開始されたが、製作姿勢や方針の意見相違などから製作が中断され、そのまま放棄された︵ただし、その一部はエイゼンシュテインの許可なく独自の編集が施され、1933年に﹃メキシコの嵐﹄としてアメリカで公開されている︶。その後、当時助監督を務めていたグリゴリー・アレクサンドロフが撮影済みフィルムをかき集め、エイゼンシュテインのシナリオやコンテに基づいて再編集し、シーンに合わせた音楽を付けたサウンド版として、1979年に公開された。
著書︵邦訳︶[編集]
●﹃映画の弁証法﹄佐々木能理男訳編、角川書店︵角川文庫︶1953年︵初版‥往来社、1932年︶
●﹃エイゼンシュテイン全集﹄︵全9巻︶エイゼンシュテイン全集刊行委員会訳、キネマ旬報社
●第1部‥人生におけるわが芸術
●第1巻‥自伝のための回想録︵1973年︶
●第2巻‥﹁戦艦ポチョムキン﹂︵1974年、1977年︶
●第3巻‥革命の映画︵﹁ストライキ﹂﹁十月﹂﹁全線﹂︶︵1975年︶
●第4巻‥映画における歴史と現代︵1976年︶
●第5巻‥﹁イワン雷帝﹂成立と運命︵1977年︶
●第2部‥映画 - 芸術と科学
●第6巻‥星のかなたに︵1980年︶
●第7巻‥モンタージュ︵1981年︶
●第8巻‥作品の構造について︵1984年︶
●第9巻‥無関心な自然でなく / 方法︵1993年︶
●﹃メキシコ万歳! : 未完の映画シンフォニー﹄中本信幸訳、現代企画室︵インディアス群書︶1986年
関連項目[編集]
●ジダーノフ批判
- ^ ロシア語ラテン翻字: Sergéj Michájlovič Ėjzenštéjn、Sergei Mikhailovich Eisenstein
- ^ ロシア語: Ю́лия Ива́новна Эйзенште́йн
- ^ 『増補改訂 新潮世界文学辞典』p.148 新潮社 1990年4月20日発行
- ^ 『百合子 輝いて』(新日本出版社、1999年、ISBN 4-406-02647-9)、p.22
- ^ a b 梶川伸一「レーニン支配と「赤色テロル」」史学 82巻4号、2014 年、p.1-2. 三田史学会、慶應義塾大学
外部リンク[編集]
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