スペシャルリザーブ
(サントリーリザーブから転送)
サントリースペシャルリザーブ | |
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スペシャルリザーブ (左:10年物時代/右:12年物) | |
基本情報 | |
種類 |
ウイスキー (ブレンデッドウイスキー) |
度数 | 40% |
主原料 |
モルト、グレーン ※グレーンウイスキー、モルトウイスキー共に国産品を使用 |
原産国 | 日本 |
製造元 | サントリー(二代目) |
販売元 | サントリー(二代目) |
詳細情報 |
スペシャルリザーブ︵正式名称・サントリースペシャルリザーブ︶は、サントリー︵二代目法人、旧・サントリーBWS/サントリースピリッツ/サントリービール/サントリー酒類︿二代目法人﹀/サントリーワインインターナショナルほか︶が製造・販売する純国産ブレンデッド・ウイスキー︵日本洋酒酒造組合の定めるジャパニーズ・ウイスキーの表示基準に合致した商品[1]︶の一つである。サントリーの前身、壽屋の創業年の1899年からかぞえ、70周年を記念して発売された。サントリーウイスキーの中ではーホワイト、レッド、角瓶、トリス、オールド、ローヤルにつぐロングセラーブランドである。
歴史[編集]
先代鳥井信治郎の遺志を継いで社長の座に就いた佐治敬三は、1962年の酒税法改正を機に新たなウイスキーの開発を進める。それまで雑酒として扱われていた︵この当時日本では、まだ日本酒主体の税制下にあった︶洋酒が法改正によって細かく分類され、ウイスキーづくりにおいて絶好の機会であった。競合他社のニッカウヰスキーは、一足早く1964年にモルトウイスキーとグレーンウイスキーをブレンドさせた二級ウイスキーのハイニッカ、さらにその翌年には特級ウイスキーから一級ウイスキーに降格し、全面改良を施したブラックニッカ︵2代目︶も発売しており、これがヒット商品になっていた。 一方サントリーは、戦前の1930年に発売され、その後、売れ行き不振で出荷停止になっていた﹁赤札﹂にさらなる改良を重ね、名前をサントリーレッドへ改めて1964年に市場へ投入するもこれは決定打にならなかった。さらに同年、最高級モルト・ウイスキーのみを厳選した特級のブレンデッドモルトウイスキーのインペリアルを送り出したが、これは却って販売価格が高額すぎたため︵当時︶売り上げは一時的なものに留まった。 サントリーは、1970年の大阪・千里で開催される日本万国博覧会にパビリオンを出展することが決まっていたことから、﹁海外から来たお客さんが見ても、見劣りのしないウイスキーを﹂という佐治の号令のもと新しい製品の開発に乗り出し、日本万国博覧会開催の前年の1969年にサントリーリザーブは誕生する。都市圏のバーやパブなどの店では、当時は高嶺の花で手が出なかったオールドよりも頼みやすいとたちまち評判になり、サントリーリザーブは新たなサントリーの看板商品になる。同様に同万博のパビリオンでもサントリーウイスキーは世界各国の観光客から評判を持って迎えられた。 また発売当時の﹁国産品と呼ばずに、国際品と呼んでください﹂というコピーからもわかるように、1971年の舶来ウイスキーの自由化の到来によりできあがった舶来vs国産という構図に世界基準品質という概念を取り入ることで、同社のウイスキーのブランドイメージを確立させようという狙いもあり、それが見事に当たった結果となった。 くしくも1969年は、ニッカウヰスキーが宮城峡蒸溜所を竣工しており、ここからサントリーとニッカ、さらに麒麟麦酒と、カナダのシーグラム社︵現・仏ペルノ・リカール社︶とイギリスのシーバス・ブラザーズ社︵現・仏ペルノ・リカール社︶が3国共同で組んだキリン・シーグラム︵現・キリンディスティラリー︶や三楽オーシャン︵現・メルシャン︶などを巻き込んだ本格的な洋酒業界の競争が始まってゆくことになる︵同様にサントリーもこれから先の需要拡大を見越して、1973年に白州蒸留所を竣工している︶。その他[編集]
脚注[編集]
- ^ 「ジャパニーズウイスキー」の定義 業界団体が作成 - 日本経済新聞 2021年2月16日(2021年3月2日閲覧)