ピエール・ギュヨタ
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ピエール・ギュヨタ | |
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誕生 |
1940年1月9日 ロワール県ブール=アンジャンタール |
死没 |
2020年2月7日(80歳没) パリ |
職業 | 小説家 |
言語 | フランス語 |
国籍 | フランス |
活動期間 | 1967年 - 2020年 |
ピエール・ギュヨタ︵ギュイヨタ︶︵Pierre Guyotat, 1940年1月9日 - 2020年2月7日︶は、フランスの小説家。近代文学が囚われていた“心理的要素”、“論理的要素”から文学を解放し、現代のロマネスクを探求した。徹底した唯物論的姿勢を貫きながらも、独自の詩情を手放さず、読み手の視覚に直接イメージを投げかけるその記述が特徴。
略歴[編集]
1940年1月9日、フランスのロワール県ブール=アンジャンタールで生まれ、9歳で性に目覚める。宗教学校を経たのちリヨンとパリで教育を受け、フランス・オプセルヴァトゥール紙の編集者になる。 1960年から1962年までアルジェリアで兵役︵アルジェリア植民地戦争︶に服すが、反抗兵とし投獄され、懲罰部隊へ入れられる。この戦争体験がギュヨタの想像力に強烈なイマージュを焼きつけ彼を作家にしたと言われている。27歳の時にその体験を元に書き綴った小説、﹃五十万人の兵士の墓﹄を刊行、アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ、ミシェル・レリスらに賞賛される[1]。 その後、1970年に﹃エデン・エデン・エデン﹄がメディシス賞にノミネートされ、選考委員のクロード・シモン、ミシェル・ビュトール、ロブ=グリエらヌーヴォー・ロマンの作家が強く推すも落選、クロード・シモンがその抗議として辞表を公開提出する。ミシェル・フーコーも同書を絶賛し、序文[2]にはミシェル・レリス、ロラン・バルト、フィリップ・ソレルスが寄稿するが、猥褻文書として即発禁処分に。同時期に共産党へ入党。フォルクスワーゲン・タイプ2で旅に出てサハラ砂漠を何度も横断する。重度の鬱病になり1981年には危機的状況におちいる。 2000年にはジャン=リュック・ゴダールの映画、﹃二十一世紀の起源﹄の中で自身のテクストを朗読。2018年メディシス賞受賞。 2020年2月7日、フランス・パリに於いて死去した[3]。80歳没。邦訳作品[編集]
- 『五十万人の兵士の墓─反乱の雅歌篇』1967年 榊原晃三 訳(二見書房)
- 『五十万人の兵士の墓─残酷の黙示録篇』1967年 榊原晃三 訳(二見書房)
- 『エデン エデン エデン』1970年 榊原晃三 訳(二見書房)(ペヨトル工房)
主な作品[編集]
- 『馬にのって』(ドナルバン名義)未訳
- 『アシュビー』 未訳
- 『五十万人の兵士の墓─反乱の雅歌篇』1967年 榊原晃三 訳(二見書房)
- 『五十万人の兵士の墓─残酷の黙示録篇』1967年 榊原晃三 訳(二見書房)
- 『エデン エデン エデン』1970年 榊原晃三 訳(二見書房)(ペヨトル工房)
- 『白痴』 未訳(2018年メディシス賞)
関連項目[編集]
脚注[編集]
(一)^ ﹁あなたはこの本で、実に感嘆すべき作品をお書きになりました。…あなたの作品は詩的で、その精神と文体においては、他のどの作家よりも、われわれすべての師であるロートレアモンの世界に近い作品です﹂マンディアルグ
(二)^ ﹁まったく稀有の事だが、その文章は幻覚をおこさせる力を持っている﹂レリス
(三)^ "L'œuvre de Pierre Guyotat, un univers d'une splendeur cruelle et hanté par la chair". Le Monde (フランス語). Groupe Le Monde. 7 February 2020. 2020年2月8日閲覧。
(四)^ 中上は対談﹃俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて、─﹄の中で、村上龍の処女作﹃限りなく透明に近いブルー﹄に対し、その性描写におけるギュヨタの影響を指摘している。