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ドイツ国内でのマイン川の位置
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マイン川周辺の地形図
マ イ ン 川 は バ イ エ ル ン 州 と ヘ ッ セ ン 州 を 流 れ 下 る 。 ヴ ェ ル ト ハ イ ム 付 近 で は 、 約 2 5 k m の 間 バ イ エ ル ン 州 と バ ー デ ン = ヴ ュ ル テ ン ベ ル ク 州 と の 州 境 を な し て い る 。
こ の 他 の ド イ ツ を 流 れ る マ イ ン 川 よ り も 長 い 川 、 た と え ば ド ナ ウ 川 、 ラ イ ン 川 、 エ ル ベ 川 、 オ ー ダ ー 川 、 モ ー ゼ ル 川 は 、 い ず れ も 水 源 ま た は 河 口 が ド イ ツ の 国 外 に あ り 、 純 粋 な 国 内 河 川 で は な い 。 こ の た め 、 マ イ ン 川 は ﹁ ド イ ツ 国 内 最 長 の 川 ﹂ と 呼 ば れ る こ と が あ る 。 こ の 呼 称 は 間 違 い で は な い も の の 、 注 意 が 必 要 で あ る 。 ヴ ェ ー ザ ー 川 は 、 一 般 に ヴ ェ ラ 川 と フ ル ダ 川 が 合 流 し た 後 の 4 5 2 k m を 指 し 、 マ イ ン 川 の 長 さ 5 2 4 k m に は 及 ば な い 。 し か し 、 ヴ ェ ラ 川 も フ ル ダ 川 も ど ち ら も ド イ ツ 国 内 を 水 源 と し ド イ ツ 国 内 を 流 れ る 川 で あ る 。 よ り 長 い ヴ ェ ラ 川 を 計 算 に 入 れ る と 湧 水 地 点 か ら 河 口 ま で は 、 長 さ 7 4 4 k m の 国 内 河 川 と な る 。 一 方 、 マ イ ン 川 は 、 同 様 に 、 よ り 長 い 経 路 と な る レ グ ニ ッ ツ 川 お よ び ペ グ ニ ッ ツ 川 を 合 計 し て も 、 そ の 総 距 離 は 5 6 7 k m で あ り 、 ヴ ェ ラ 川 - ヴ ェ ー ザ ー 川 に は 及 ば な い 。
マ イ ン 川 は 、 ヴ ァ ル テ 川 と そ の 支 流 ネ ッ ツ ェ 川 と な ら び 、 東 か ら 西 へ 流 れ る 中 央 ヨ ー ロ ッ パ に は 希 な 河 川 で あ る 。 中 央 ヨ ー ロ ッ パ の 大 部 分 の 川 は 北 に 向 か っ て 流 れ 、 ド ナ ウ 川 だ け が 西 か ら 東 へ と 流 れ る 。
マ イ ン 川 と そ の 支 流 の 流 域 面 積 は 、 2 7 , 2 9 2 k m ² で 、 フ ラ ン ケ ン 地 方 の 広 い 地 域 、 バ ー デ ン 地 方 北 東 部 、 ヘ ッ セ ン 南 部 が 含 ま れ る 。 南 部 は ド ナ ウ 川 の 流 域 と な っ て い る 。 両 者 の 境 界 は ヨ ー ロ ッ パ の 主 要 分 水 界 で あ る 。 白 マ イ ン 川 の 数 百 m 南 に は フ ィ ヒ テ ル ナ ー ブ 川 の 水 源 が あ る 。 こ の 川 は ナ ー ブ 川 を 経 て ド ナ ウ 川 に 注 ぎ 、 黒 海 へ と 下 っ て 行 く 。
マ イ ン 川 の 平 均 水 流 は 1 9 5 m ³ / s ︵ フ ラ ン ク フ ル ト 水 位 計 ︶ で 、 ア ー レ 川 ( 5 9 0 m ³ / s ) 、 モ ー ゼ ル 川 ( 2 9 0 m ³ / s ) に 次 ぎ 、 ラ イ ン 川 支 流 中 3 位 の 流 量 で あ る 。
マ イ ン 川 は 、 バ ン ベ ル ク か ら 3 8 8 k m が 航 行 可 能 [ 1 ] で 、 さ ら に ラ イ ン ・ マ イ ン ・ ド ナ ウ 運 河 で エ ル ラ ン ゲ ン ・ ニ ュ ル ン ベ ル ク を 経 由 し 、 分 水 嶺 を 越 え て 、 ケ ー ル ハ イ ム ︵ ド イ ツ 語 版 、 英 語 版 ︶ で ド ナ ウ 川 に 接 続 し て い る 。 特 に 、 フ ラ ン ク フ ル ト 周 辺 の ラ イ ン = マ イ ン 産 業 集 中 地 域 に は 多 く の 大 規 模 な 河 川 港 が あ る 。
マ イ ン 川 に 沿 っ て 、 マ イ ン 遊 歩 道 や マ イ ン 自 転 車 道 が 走 っ て い る 。
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﹁ マ イ ン ﹂ と い う 名 前 は ケ ル ト 語 起 源 で あ る 。 こ の 川 は 、 M o i n ま た は M o g i n と 呼 ば れ て い た 。 紀 元 前 1 世 紀 に や っ て 来 た ロ ー マ 人 は 、 た と え ば 大 プ リ ニ ウ ス の ﹃ 博 物 誌 ﹄ や タ キ ト ゥ ス の ゲ ル マ ニ ア に は 、 ラ テ ン 語 化 し た M o e n u s と い う 名 前 で 、 記 述 し て い る 。 似 た よ う な 名 前 の 川 は 、 ア イ ル ラ ン ド ︵ M a o i n ︶ や イ ギ リ ス ( M e o n 、 ラ テ ン 語 で m a i o n u s ) に あ る 。 名 前 の 起 源 に は 多 く の 説 が あ る 。 一 つ は 、 イ ン ド ・ ヨ ー ロ ッ パ 語 族 の 古 語 で ﹁ 水 ﹂ を 意 味 す る m e i に 由 来 す る と い う も の で あ る 。 同 様 の 例 と し て は 、 ﹁ 沼 地 ﹂ を 意 味 す る ラ ト ヴ ィ ア 語 の m a i n a 、 リ ト ア ニ ア 語 の m a i v a が あ る 。 別 の 説 は 、 壁 や 柵 を 意 味 す る と い う も の で あ る 。 ラ テ ン 語 で m o e n i a は ﹁ 円 形 の 壁 ﹂ を 意 味 す る 。 中 世 に は 、 多 く は M o y n ま た は M o y n e と 記 録 さ れ て い る 。 M e y n と い う 名 前 が 初 め て 表 れ る の は 14 世 紀 で あ る 。
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マ イ ン 川 は 緩 や か に 蛇 行 を 繰 り 返 し な が ら 東 か ら 西 に 向 か っ て 、 オ ー バ ー フ ラ ン ケ ン 、 ウ ン タ ー フ ラ ン ケ ン 、 ヘ ッ セ ン 南 部 を 流 れ 下 り 、 バ イ ロ イ ト ︵ 赤 マ イ ン 川 ︶ 、 ク ル ム バ ッ ハ 、 バ ン ベ ル ク 、 シ ュ ヴ ァ イ ン フ ル ト 、 ヴ ュ ル ツ ブ ル ク 、 ア シ ャ ッ フ ェ ン ブ ル ク 、 フ ラ ン ク フ ル ト ・ ア ム ・ マ イ ン と い っ た 都 市 を 通 っ て 、 マ イ ン ツ 近 郊 の マ イ ン シ ュ ピ ッ ツ ェ で ラ イ ン 川 に 注 ぐ 。 マ イ ン 川 は 特 に ウ ン タ ー フ ラ ン ケ ン で は 人 口 密 集 地 を 流 れ る が 、 ア シ ャ ッ フ ェ ン ブ ル ク か ら 河 口 ま で の ウ ン タ ー マ イ ン 平 野 は ほ ぼ 完 全 に 産 業 集 中 地 帯 お よ び 交 通 路 ラ イ ン = マ イ ン 地 域 を 形 成 し て い る 。
以 下 、 流 路 を 上 図 で 色 分 け し た 5 つ の 部 分 に 分 け て 詳 述 す る 。
白 マ イ ン 川 の 水 源
マ イ ン 川 に は 、 2 本 の 短 い 源 流 、 白 マ イ ン 川 と 赤 マ イ ン 川 が あ る 。
長 さ 4 1 k m の 白 マ イ ン 川 は 、 マ イ ン 川 右 岸 、 す な わ ち 北 側 の 源 流 で あ る 。 こ の 川 は 、 バ イ ロ イ ト か ら 北 東 に 直 線 距 離 で 2 0 k m 、 フ ィ ヒ テ ル ベ ル ク 北 西 の フ ィ ヒ テ ル 山 地 に 湧 出 す る 。 標 高 1 , 0 2 4 m の オ ク ゼ ン コ プ フ 山 の 東 斜 面 、 海 抜 8 8 7 m の 地 点 に 花 崗 岩 で 造 ら れ た 水 源 が あ る 。 標 高 6 7 9 m に 位 置 す る ビ シ ョ フ ス グ リ ュ ン が 、 白 マ イ ン 川 が 初 め て 通 過 す る 町 で あ る 。
こ の 生 ま れ た て の 川 は 、 薬 泉 の ベ ル ネ ッ ク や シ ト ー 会 修 道 院 で 知 ら れ る ヒ ン メ ル ク ロ ン を 抜 け 、 プ ラ ッ セ ン ブ ル ク 城 を 戴 く ビ ー ル 町 ク ル ム バ ッ ハ に 至 る 。
白 マ イ ン 川 の 水 源 地 域 は 白 み が か っ た 花 崗 岩 か ら 成 っ て お り 、 こ の た め 水 が 白 っ ぽ く 見 え る こ と か ら 、 こ の 名 が 付 い た 。
全 長 7 3 k m の 赤 マ イ ン 川 は マ イ ン 川 左 岸 、 す な わ ち 南 側 の 源 流 で あ る 。 こ の 川 は 、 バ イ ロ イ ト の 南 1 0 k m 、 ク ロ イ セ ン の 西 5 k m の フ レ ン キ シ ェ ・ ア ル プ に 湧 出 す る 。 そ の 水 源 ︵ 木 製 の 筒 な の だ が ︶ は 、 ヘ ル ラ ス ロ イ ト ︵ ク ロ イ セ ン の 一 地 区 ︶ か ら わ ず か 2 k m 北 西 の リ ン デ ン ハ ル ト の 森 の 中 に あ る 。 こ の 生 ま れ た て の 川 が 流 れ る 堆 積 岩 で で き た ロ ー ム 質 の 土 壌 が 水 に 赤 い 色 を 付 け 、 川 の 名 前 の 由 来 と な っ た 。
ヘ ル ラ ス ロ イ ト が 赤 マ イ ン 川 が 初 め て 出 会 う 小 集 落 で 、 ク ロ イ セ ン は 初 め て 出 会 う よ り 大 き な 町 で あ る 。 赤 マ イ ン 川 は こ の 後 、 オ ー バ ー フ ラ ン ケ ン の 中 心 都 市 で 、 リ ヒ ャ ル ト ・ ワ ー グ ナ ー 祝 祭 音 楽 祭 で 世 界 的 に 知 ら れ る バ イ ロ イ ト ま で 北 に 向 か っ て 流 れ る 。 川 筋 は 何 度 も 蛇 行 し な が ら 、 狭 い 谷 を 北 西 に 向 か っ て 進 む 。
2 つ の 源 流 は 、 ク ル ム バ ッ ハ の 西 の 外 れ に あ る シ ュ タ イ ネ ン ハ ウ ゼ ン 城 付 近 で 合 流 す る 。 こ こ が マ イ ン 川 の 出 発 点 で あ る 。 た だ し 、 他 の 多 く の 川 と 同 じ く 、 川 の 距 離 の カ ウ ン ト は こ こ が 出 発 点 で は な く 、 こ こ が ゴ ー ル と な る ︵ ラ イ ン 川 な ど は 例 外 的 な 川 で あ る ︶ 。 マ イ ン 川 の 里 程 は 河 口 か ら 遡 っ て 計 測 、 表 示 さ れ る 。
オ ー バ ー マ イ ン [ 編 集 ]
水 源 か ら バ ン ベ ル ク ま で は オ ー バ ー マ イ ン ラ ン ト と 呼 ば れ る 。 2 つ の 源 流 が ク ル ム バ ッ ハ の シ ュ タ イ ネ ン ハ ウ ゼ ン 城 付 近 で 合 流 し て 誕 生 し た マ イ ン 川 は 、 フ レ ン キ シ ェ ・ ア ル プ 北 辺 の 狭 い 谷 を 西 に 向 か っ て 流 れ る 。 源 流 沿 い の バ イ ロ イ ト や ク ル ム バ ッ ハ を 別 に し て 、 マ イ ン 川 は こ の 行 程 で 初 め て 、 よ く 保 存 さ れ た 歴 史 的 な た た ず ま い を 持 つ い く つ も の 小 都 市 に 出 会 う 。 カ ロ リ ン グ 朝 の 城 を も つ ブ ル ク ク ン シ ュ タ ッ ト や 町 の 防 衛 施 設 の 一 部 が 遺 る リ ヒ テ ン フ ェ ル ス な ど で あ る 。
ブ ル ク ク ン シ ュ タ ッ ト で 左 岸 か ら 合 流 し て く る 支 流 は 、 名 前 を ヴ ァ イ ス マ イ ン 川 ( W e i s m a i n ) と い う 。 白 マ イ ン 川 ( W e i ß e r M a i n ま た は W e i ß m a i n ) と 混 同 し や す く 注 意 が 必 要 で あ る 。
十 四 聖 人 聖 堂
リ ヒ テ ン フ ェ ル ス と 川 沿 い の 次 の 町 で あ る バ ー ト ・ シ ュ タ ッ フ ェ ル シ ュ タ イ ン と の 間 の 左 岸 の 丘 陵 上 に ド イ ツ ・ バ ロ ッ ク 様 式 の 最 も 重 要 な 建 築 物 の 一 つ で あ る 十 四 聖 人 聖 堂 が 建 っ て い る 。 こ の 建 物 は バ ル タ ザ ー ル ・ ノ イ マ ン 設 計 の 建 築 で あ る 。 マ イ ン 川 流 域 の 、 特 に ヴ ュ ル ツ ブ ル ク 周 辺 に は ノ イ マ ン の 作 品 が し ば し ば 現 れ る 。 十 四 聖 人 聖 堂 の マ イ ン 川 を 挟 ん だ 真 向 か い 、 右 岸 沿 い の 丘 陵 に 11 世 紀 に 創 設 さ れ た ベ ネ デ ィ ク ト 会 の バ ン ツ 修 道 院 の 豪 壮 な 建 築 が あ る 。
バ ン ツ 修 道 院
バ ー ト ・ シ ュ タ ッ フ ェ ル シ ュ タ イ ン は 、 そ の 上 流 地 域 の 極 端 に 豊 か な 文 化 財 の 他 に も 、 歴 史 的 な 町 並 み や 17 世 紀 か ら 建 設 さ れ た 大 規 模 な 木 組 み 建 築 を 見 る こ と が で き る 。 ま た 、 標 高 5 4 0 m の シ ュ タ ッ フ ェ ル ベ ル ク は 、 そ の 岩 だ ら け の 山 頂 平 面 部 分 に 石 器 時 代 か ら 人 が 住 ん で い た こ と が 知 ら れ て お り 、 紀 元 前 30 年 に 放 棄 さ れ た ケ ル ト の 都 市 と ギ リ シ ア の 地 理 学 者 ク ラ ウ デ ィ オ ス ・ プ ト レ マ イ オ ス が 記 録 し て い る M e n o s g a d a が こ こ で あ る と 推 定 さ れ て い る 。
バ ー ト ・ シ ュ タ ッ フ ェ ル シ ュ タ イ ン を 過 ぎ る と 川 は 南 に 向 き を 変 え る 。 多 く の 川 が マ イ ン に 注 ぎ 込 み 氾 濫 原 を 形 成 す る 。 ブ ラ イ テ ン ギ ュ ス バ ッ ハ 付 近 で 右 岸 か ら イ ッ ツ 川 が 注 ぎ 込 む と 、 そ の 数 km 後 に は 、 マ イ ン 川 沿 い の 文 化 的 白 眉 バ ン ベ ル ク へ 至 る 。
バ ン ベ ル ク 大 聖 堂
無 傷 で 遺 さ れ た も の と し て は ド イ ツ 最 大 の 旧 市 街 を 有 す る こ の 都 市 は 、 1 9 9 3 年 に ユ ネ ス コ 世 界 遺 産 に 登 録 さ れ 、 一 般 に 知 ら れ て い る 。 そ び え 立 つ 巨 大 な ロ マ ネ ス ク 建 築 の 大 聖 堂 を 中 心 に 、 都 市 を 形 成 す る 核 と な る 建 築 が 、 マ イ ン 川 の 支 流 で あ る レ グ ニ ッ ツ 川 の 両 岸 と 中 州 に 点 在 し て 広 が っ て い る 。 そ の 中 で も 15 世 紀 に 建 て ら れ た 旧 市 庁 舎 は 、 レ グ ニ ッ ツ 川 の 真 ん 中 に 建 て ら れ て い る ほ ど で あ る 。 レ グ ニ ッ ツ 川 は 、 こ の 街 の 郊 外 で マ イ ン 川 に 合 流 す る 。
マ イ ン 川 は 、 し か し 、 こ の 都 市 の 中 心 部 を 流 れ て い る の で は な く 、 街 の 北 郊 を 流 れ て い る 。 マ イ ン 川 に と っ て バ ン ベ ル ク が 重 要 な の は 、 そ の 歴 史 的 ・ 文 化 的 背 景 の 重 要 性 の み で は な く 、 こ こ に ラ イ ン ・ マ イ ン ・ ド ナ ウ 運 河 の 北 端 が 通 じ て い る こ と に あ る 。 こ の 運 河 は 、 か な り の 距 離 を レ グ ニ ッ ツ 川 と 共 有 し て お り ビ シ ュ ベ ル ク 付 近 で マ イ ン 川 に 接 続 す る 共 通 の 河 口 を 有 し て い る 。 こ の 河 口 近 く の マ イ ン 川 の 河 岸 に は 、 新 し い 港 が 設 け ら れ て い る 。
マ イ ン 川 と ド ナ ウ 川 の 間 の 運 河 は 、 1 8 4 3 年 に は す で に ル ー ト ヴ ィ ヒ 運 河 が 開 通 し て い た 。 こ の 運 河 も や は り バ ン ベ ル ク で マ イ ン 川 に 接 続 し て い た の だ が 、 運 河 の 川 筋 に 沿 っ て 曳 舟 道 が あ り 、 幅 の 狭 い 運 河 を 馬 が 船 を 引 い て 往 き 来 し て い た 。 こ の 運 河 は 、 技 術 的 に 時 代 遅 れ に な っ て い た こ と や 第 二 次 世 界 大 戦 で 被 害 を 受 け た こ と か ら 、 1 9 5 0 年 に 廃 止 さ れ た 。 近 代 的 な 運 河 掘 削 の 計 画 は 1 9 2 0 年 か ら す で に あ っ た 。 1 9 6 0 年 に バ ン ベ ル ク 側 で 工 事 が 始 ま り 、 1 9 7 2 年 に 、 ま ず は ニ ュ ル ン ベ ル ク ま で の 区 間 が 開 通 し た 。 こ れ に よ り 、 人 口 1 0 0 万 人 を 数 え る ニ ュ ル ン ベ ル ク 工 業 地 域 が マ イ ン 川 の 内 陸 航 行 シ ス テ ム に 結 び つ く こ と と な り 、 交 通 状 況 の 改 善 を 印 象 づ け た 。 1 9 9 2 年 に 運 河 は 、 ド ナ ウ 川 沿 岸 の ケ ル ハ イ ム ま で 完 成 し 、 両 河 川 間 の 交 通 が 接 続 さ れ た 。
船 で の 交 通 が 可 能 と な っ た マ イ ン 川 は 、 バ ン ベ ル ク か ら 西 に 向 か っ て 流 れ て ゆ く 。 シ ュ ヴ ァ イ ン フ ル ト ま で の 間 は 、 比 較 的 直 線 的 な 行 程 で あ る 。 こ こ で も 、 城 下 町 エ ル ト マ ン 、 木 組 み 建 築 と マ ル ク ト 広 場 が 印 象 的 な ツ ァ イ ル 、 マ リ ア ブ ル ク ハ ウ ゼ ン 修 道 院 の 町 ハ ー ス フ ル ト と い っ た ロ マ ン テ ィ ッ ク な 小 都 市 が 沿 岸 に 並 ぶ 。 リ ム バ ッ ハ ︵ エ ル ト マ ン 市 内 ︶ と ツ ァ イ ル に は 、 そ れ ぞ れ 有 名 な 巡 礼 教 会 が あ る 。 マ イ ン 川 の 右 岸 は ハ ー ス 山 地 、 左 岸 は シ ュ タ イ ガ ー ヴ ァ ル ト で あ る 。 ハ ー ス フ ル ト か ら 約 2 0 k m で シ ュ ヴ ァ イ ン フ ル ト に 到 着 し 、 こ こ か ら ﹃ マ イ ン ド ラ イ エ ッ ク ﹄ ︵ マ イ ン の 三 角 ︶ と 呼 ば れ る 区 間 に 入 る 。
マ イ ン ド ラ イ エ ッ ク [ 編 集 ]
マ イ ン 川 の 行 程 に は 、 そ れ ぞ れ マ イ ン ド ラ イ エ ッ ク ︵ マ イ ン の 三 角 ︶ 、 マ イ ン フ ィ ー ア エ ッ ク ︵ マ イ ン の 四 角 ︶ と 呼 ば れ る 、 目 立 っ た 特 徴 が あ る 。 マ イ ン ド ラ イ エ ッ ク と は 、 シ ュ ヴ ァ イ ン フ ル ト 、 オ ク ゼ ン フ ル ト 、 ゲ ミ ュ ン デ ン ・ ア ム ・ マ イ ン 間 の マ イ ン 川 を 指 す 。 こ の 区 間 を 地 図 で 見 る と 、 頂 点 を 下 に 、 上 に 開 い た 逆 三 角 形 を 描 い て い る の が 分 か る 。
シ ュ ヴ ァ イ ン フ ル ト 付 近 ま で 東 か ら 西 に 流 れ て き た 川 は 、 南 に 流 れ の 向 き を 変 え る 。 三 角 形 の 一 番 南 の ポ イ ン ト は マ ル ク ト ブ ラ イ ト と オ ク ゼ ン フ ル ト の 間 で あ る 。 こ の 間 、 マ イ ン 川 は 数 km 西 に 向 か い 、 再 び 北 向 き に 、 こ れ ま で と 逆 行 す る か の よ う に 進 路 を 変 え る 。 ゲ ミ ュ ン デ ン ・ ア ム ・ マ イ ン か ら は 再 び 西 向 き に 流 れ る 。
マ イ ン ド ラ イ エ ッ ク は 、 特 に ワ イ ン づ く り で 有 名 で あ る 。 フ ラ ン ケ ン ワ イ ン の 生 産 地 の 多 く が 、 マ イ ン ド ラ イ エ ッ ク に 直 接 面 し て い る か 、 あ る い は そ の 周 辺 に 位 置 し て い る 。
マ イ ン ド ラ イ エ ッ ク の 起 点 で あ る シ ュ ヴ ァ イ ン フ ル ト は 、 か つ て の 帝 国 自 由 都 市 で 、 後 に ボ ー ル ベ ア リ ン グ 生 産 の 中 心 地 と な っ た 。 こ の た め 、 第 二 次 世 界 大 戦 中 に は 激 し い 空 爆 を 受 け た ︵ ダ ブ ル ・ ス ト ラ イ ク 作 戦 と 呼 ば れ る ︶ 。 シ ュ ヴ ァ イ ン フ ル ト の 最 も 重 要 な 保 護 文 化 財 で あ る 旧 ラ ー ト ハ ウ ス ︵ 1 5 7 2 年 建 造 ︶ は 、 南 ド イ ツ の ル ネ サ ン ス 建 築 中 、 最 も す ば ら し い も の の 一 つ で あ る 。
グ ラ ー フ ェ ン ラ イ ン フ ェ ル ト 原 子 力 発 電 所 の 冷 却 塔
シ ュ ヴ ァ イ ン フ ル ト の 数 km 下 流 の 左 岸 に グ ラ ー フ ェ ン ラ イ ン フ ェ ル ト 原 子 力 発 電 所 が あ る 。 こ の 発 電 所 の 、 そ れ ぞ れ 1 4 3 m の 高 さ が あ る 2 本 の 冷 却 塔 は 、 数 km の 範 囲 の ど こ か ら で も 目 に 付 く ラ ン ド マ ー ク で あ る 。
こ こ か ら 2 0 k m ほ ど 下 っ た 蛇 行 部 の 頂 点 に フ ォ ル カ ハ が あ る 。 こ の 町 は 、 ワ イ ン づ く り と 、 町 は ず れ に あ る ﹁ ブ ド ウ 畑 の マ リ ア 巡 礼 教 会 ﹂ で 有 名 な 小 都 市 で あ る 。 マ イ ン 川 は 、 ゆ っ た り と 蛇 行 し 、 山 を 取 り 囲 む よ う に 流 れ て い る 。 こ こ に あ っ た フ ォ ー ゲ ル ブ ル ク 城 は か つ て 、 河 川 の 航 行 を 取 り 仕 切 っ て い た 。 蛇 行 部 は 途 中 か ら 船 の 航 行 に 便 利 な よ う に 運 河 が 設 け ら れ シ ョ ー ト カ ッ ト さ れ て い る 。 こ れ に よ っ て で き た 運 河 と 本 流 に 挟 ま れ た 島 を 、 ワ イ ン 島 と 呼 ぶ 。
1 0 k m ほ ど 下 っ た 左 岸 に 、 ベ ネ デ ィ ク ト 会 ミ ュ ン ス タ ー シ ュ ヴ ァ ル ツ ァ ハ 修 道 院 の 修 道 院 教 会 が あ る 。 そ れ に 続 い て 右 岸 に 現 れ る の が 、 市 壁 を 含 め 中 世 風 の 佇 ま い を 残 す ワ イ ン 町 デ ッ テ ル ベ ル ク で あ る 。 歴 史 的 な ワ イ ン 取 引 の 町 キ ツ ィ ン ゲ ン ︵ 中 世 の マ イ ン 川 の 橋 、 フ ァ ル タ ー 塔 ︶ 、 小 都 市 マ ル ク ト ブ ラ イ ト ︵ ル ネ サ ン ス 様 式 の ラ ー ト ハ ウ ス 、 バ ロ ッ ク 様 式 の ワ イ ン 商 人 の 館 ︶ 、 豪 奢 な オ ク ゼ ン フ ル ト ︵ ゴ シ ッ ク 様 式 の ラ ー ト ハ ウ ス 、 一 部 が 遺 さ れ た 1 5 1 9 年 製 の マ イ ン 川 の 橋 ︶ が 、 マ イ ン ド ラ イ エ ッ ク の 南 の 頂 点 部 分 、 す な わ ち マ イ ン 川 の 行 程 中 最 も 南 に 並 ぶ 。
マ イ ン 川 に 架 か る 古 い 橋 と ヴ ュ ル ツ ブ ル ク 旧 市 街
こ の 後 す ぐ 下 流 が マ イ ン ド ラ イ エ ッ ク の 変 曲 点 で あ る 。 ヴ ィ ン タ ー ハ ウ ゼ ン 、 ゾ ン マ ー ハ ウ ゼ ン を 過 ぎ る と 、 ヴ ュ ル ツ ブ ル ク で あ る 。 ヴ ュ ル ツ ブ ル ク は 、 フ ラ ン ケ ン 地 方 で 2 番 目 に 大 き な 都 市 で 、 世 界 遺 産 に 数 え ら れ る 歴 史 的 な 街 並 み 、 ロ マ ネ ス ク 様 式 の 大 聖 堂 、 マ リ エ ン ベ ル ク 城 塞 、 バ ロ ッ ク 様 式 の レ ジ デ ン ツ な ど 建 築 文 化 史 上 国 際 的 に も 重 要 な 建 造 物 群 を 有 し て い る 。 衛 星 都 市 で あ る フ ァ イ ツ ヘ ー ヒ ハ イ ム に は 、 有 名 な ロ コ コ 庭 園 や ヴ ュ ル ツ ブ ル ク の 司 教 領 主 の 夏 の 離 宮 が あ る 。 こ れ ら の 城 館 施 設 は 、 既 述 の バ ル タ ザ ー ル ・ ノ イ マ ン の 作 品 で あ る 。
マ イ ン ド ラ イ エ ッ ク の 西 側 の 行 程 は 人 口 密 度 の 低 い 地 域 で あ る 。 ヴ ュ ル ツ ブ ル ク と 北 西 の 角 ま で の 間 に は 、 カ ー ル シ ュ タ ッ ト と 、 2 、 3 の 小 都 市 が あ る だ け で あ る 。 ゲ ミ ュ ン デ ン ・ ア ム ・ マ イ ン か ら 、 マ イ ン フ ィ ー ア エ ッ ク に 入 る 。
マ イ ン フ ィ ー ア エ ッ ク [ 編 集 ]
マ イ ン フ ィ ー ア エ ッ ク ︵ マ イ ン の 四 角 ︶ は 、 マ イ ン ド ラ イ エ ッ ク に 隣 接 す る 。 北 に 開 い た 四 角 形 の 角 に は 、 ゲ ミ ュ ン デ ン ・ ア ム ・ マ イ ン 、 ヴ ェ ル ト ハ イ ム 、 ミ ル テ ン ベ ル ク 、 ア シ ャ ッ フ ェ ン ブ ル ク が そ れ ぞ れ 相 当 す る 。 マ イ ン 川 は 、 シ ュ ペ ッ サ ル ト 山 地 の 南 部 を 約 1 0 0 k m に わ た っ て 取 り 囲 ん で い る 。
ゲ ミ ュ ン デ ン ・ ア ム ・ マ イ ン で 、 シ ュ ペ ッ サ ル ト 山 地 が マ イ ン 川 の 行 く 手 に 立 ち は だ か り 、 川 は 南 西 に 向 き を 変 え る 。 ロ ー ル ・ ア ム ・ マ イ ン で ロ ー ル 川 が 合 流 す る 辺 り か ら 狭 く 森 の 豊 か な 渓 谷 を 南 に 向 か っ て 流 れ て ゆ く 。 ロ ー テ ン フ ェ ル ス 城 の 上 流 側 に 同 名 の ご く 小 さ な 町 が あ る 。 こ の 町 、 ロ ー テ ン フ ェ ル ス は 人 口 約 1 , 0 0 0 人 の 、 バ イ エ ル ン 州 で 最 も 小 さ な 市 で あ る 。 マ イ ン フ ィ ー ア エ ッ ク の 南 東 角 に 、 2 つ の 小 都 市 、 マ ル ク ト ハ イ デ ン フ ェ ル ト と ヴ ェ ル ト ハ イ ム が あ る 。 こ の 両 都 市 の 間 で マ イ ン 川 は 小 さ な 尾 根 の 周 り を 回 る よ う に 蛇 行 す る 。 こ の 蛇 行 の 開 始 点 と 終 了 点 の 間 は わ ず か 数 百 m だ が 、 9 k m の 行 程 を 要 す る 。 こ の 蛇 行 は “ H i m m e l r e i c h ” ︵ ﹁ 神 の 国 ﹂ ︶ と 呼 ば れ て い る 。
ヴ ェ ル ト ハ イ ム で タ ウ バ ー 川 が マ イ ン 川 に 合 流 す る 。 こ の 町 の 中 世 の 街 並 み と 城 址 は 、 ロ マ ン テ ィ ッ ク な 小 都 市 に 恵 ま れ た マ イ ン 渓 谷 の 中 で も 、 最 も 見 事 な 街 の 一 つ で あ る 。 ヴ ェ ル ト ハ イ ム か ら マ イ ン 川 は 蛇 行 し な が ら 西 に 向 か う 。 こ の 辺 り で は 、 マ イ ン 川 が バ イ エ ル ン 州 と バ ー デ ン = ヴ ュ ル テ ン ベ ル ク 州 の 州 境 を な し て い る 。 マ イ ン 川 左 岸 の ヴ ェ ル ト ハ イ ム は バ ー デ ン に 属 し て い た た め 、 右 岸 の ク ロ イ ツ ヴ ェ ル ト ハ イ ム は バ イ エ ル ン 州 だ が 、 主 要 部 分 の 旧 市 街 は バ ー デ ン = ヴ ュ ル テ ン ベ ル ク 州 に 属 し て い る 。
ミ ル テ ン ベ ル ク 旧 市 街 か ら マ イ ン 川 を 望 む 。
こ の 付 近 の 風 景 は 、 マ イ ン フ ィ ー ア エ ッ ク の 東 側 に 似 て い る 。 城 を 戴 く 2 つ の 小 都 市 シ ュ タ ッ ト プ ロ ツ ェ ル テ ン と フ ロ イ デ ン ベ ル ク 、 こ の 地 域 で は 最 も 古 い 都 市 の ド ル フ プ ロ ツ ェ ル テ ン の 他 に は ほ と ん ど 町 は な く 、 シ ュ ペ ッ サ ル ト 山 地 南 部 の 森 に 覆 わ れ た 山 の た め に 川 は 蛇 行 を 繰 り 返 し な が ら の た う つ よ う に 進 ん で 行 く 。
マ イ ン フ ィ ー ア エ ッ ク の 南 西 の 角 は 、 ム ト 川 の 河 口 に 面 し た ミ ル テ ン ベ ル ク で あ る 。 こ の 歴 史 的 小 都 市 は 、 そ の 石 切 場 で 知 ら れ て い る 。 フ ラ ン ケ ン フ ル ト や マ イ ン ツ の 大 規 模 な 中 世 の 教 会 は 、 ミ ル テ ン ベ ル ク の ブ ン テ ル 砂 岩 で 造 ら れ て い る 。 マ イ ン 川 の 船 舶 交 通 を 利 用 し て こ の 石 切 場 か ら 建 設 現 場 ま で 運 ば れ た の で あ っ た 。
こ の 町 の 下 流 で 川 は 方 向 を 北 に 転 じ 、 右 手 に シ ュ ペ ッ サ ル ト 山 地 、 左 手 に オ ー デ ン ヴ ァ ル ト の 両 中 低 山 地 に 挟 ま れ た 狭 い 谷 を 抜 け て 行 く 。 ク リ ン ゲ ン ベ ル ク ・ ア ム ・ マ イ ン や オ ー ベ ル ン ブ ル ク ・ ア ム ・ マ イ ン と い っ た 、 よ く 保 存 さ れ た 旧 市 街 を 有 す る 小 都 市 が こ こ に 点 在 す る 。 マ イ ン 川 沿 い の 人 口 密 度 は 明 ら か に 増 大 し て 行 く 。 こ こ ま で 来 れ ば 、 ラ イ ン = マ イ ン 産 業 密 集 地 域 は 間 近 で あ る 。
ア シ ャ ッ フ ェ ン ブ ル ク の ヨ ハ ン ニ ス ブ ル ク 城
最 後 に ア シ ャ ッ フ ェ ン ブ ル ク に 到 着 す る 。 こ の 、 か つ て の マ イ ン ツ 選 帝 侯 の 宮 廷 都 市 は 、 す で に フ ラ ン ク フ ル ト ・ ア ム ・ マ イ ン を 中 心 と す る ド イ ツ 第 2 の 大 都 市 圏 の 一 部 で あ る 。 ア シ ャ ッ フ ェ ン ブ ル ク の 象 徴 的 建 造 物 で あ る ル ネ サ ン ス 様 式 の 城 館 ヨ ハ ン ニ ス ブ ル ク 城 が マ イ ン 川 を 睥 睨 し て い る 。
ウ ン タ ー マ イ ン [ 編 集 ]
ア シ ャ ッ フ ェ ン ブ ル ク か ら 河 口 ま で 、 言 い 換 え れ ば ヘ ッ セ ン 州 の マ イ ン 川 は 、 完 全 に 大 都 会 の 中 を 流 れ る 。 数 km に わ た っ て 河 岸 に 建 物 が な い 区 間 な ど ほ と ん ど な い 。
ゼ ー リ ゲ ン シ ュ タ ッ ト の ア イ ン ハ ル ト ・ バ ジ リ カ
ア シ ャ ッ フ ェ ン ブ ル ク か ら 下 流 の マ イ ン 川 は 緩 や か に 何 度 も 蛇 行 し な が ら 北 西 に 向 か う 。 ヘ ッ セ ン 州 は 左 岸 の 、 カ ロ リ ン グ 朝 の ア イ ン ハ ル ト ・ バ ジ リ カ が 遺 る 大 変 に 古 い 都 市 ゼ ー リ ゲ ン シ ュ タ ッ ト か ら 始 ま る 。 対 岸 の カ ー ル シ ュ タ イ ン ・ ア ム ・ マ イ ン は バ イ エ ル ン 州 の 町 で あ る 。 ゼ ー リ ゲ ン シ ュ タ ッ ト の 旧 市 街 と シ ュ タ ウ フ ェ ン 朝 の 皇 帝 の 宮 廷 は 、 直 に マ イ ン 川 の 畔 に 接 し て い た 。
こ う し た 歴 史 的 建 造 物 に 対 し て 、 こ の 流 域 の 多 く を な す 新 し い 時 代 の 象 徴 す る 建 築 は 右 岸 の 次 の 街 か ら 姿 を 現 す 。 カ ー ル ・ ア ム ・ マ イ ン に は 1 9 6 1 年 に ド イ ツ で 初 め て 建 設 さ れ た 原 子 力 発 電 所 が あ る 。 そ の 試 験 反 応 炉 は 1 9 8 5 年 に 操 業 停 止 と な り 、 取 り 壊 さ れ た 。 こ の 他 に カ ー ル の 街 で は 、 同 名 の 川 が マ イ ン 川 に 合 流 す る 。
カ ー ル は 、 マ イ ン 川 沿 岸 の バ イ エ ル ン 州 最 後 の 街 で あ る 。 マ イ ン 川 右 岸 最 初 の ヘ ッ セ ン 州 の 街 は 、 遠 く か ら も そ の 姿 を 望 む こ と が で き る 大 規 模 火 力 発 電 所 で あ る シ ュ タ ウ デ ィ ン ガ ー 発 電 所 を 有 す る グ ロ ー ス ク ロ ッ ツ ェ ン ブ ル ク で あ る 。 そ の 対 岸 は ハ イ ン ブ ル ク で あ る 。 さ ら に 数 km 下 る と 、 右 手 に ハ ー ナ ウ が 現 れ る 。 左 手 は か つ て は 独 立 市 だ っ た が 現 在 は ハ ー ナ ウ の 市 区 に 合 併 さ れ た シ ュ タ イ ン ハ イ ム 地 区 で あ る 。
フ ィ リ ッ プ ス ル ー エ 城
キ ン ツ ィ ヒ 川 は 、 マ イ ン 川 に 合 流 す る 手 前 で 旧 市 街 を 取 り 巻 く よ う に 蛇 行 す る 。 か つ て の 宮 廷 所 在 地 で 軍 の 駐 留 都 市 で あ っ た 市 街 中 心 部 は 、 今 で は そ の 面 影 を 見 る こ と は で き な い 。 そ れ は 、 1 9 4 5 年 の 空 襲 で 完 全 に 破 壊 し 尽 く さ れ て し ま っ た 。 現 在 は マ イ ン 川 最 大 の 港 を 擁 す る 、 人 口 約 9 万 人 の 工 業 都 市 に 変 貌 し た 。 た だ し 郊 外 の フ ィ リ ッ プ ス ル ー エ 城 は 川 か ら 直 接 眺 め る こ と が で き る 。
フ ェ ッ ヒ ェ ン ハ イ ム の 蛇 行
ハ ー ナ ウ か ら マ イ ン 川 は 再 び 西 向 き に 流 れ 、 や が て フ ェ ッ ヒ ェ ン ハ イ ム の 蛇 行 に 達 す る 。 マ イ ン 川 に 周 囲 を 取 り 囲 ま れ た 半 島 状 の 地 域 が フ ラ ン ク フ ル ト の フ ェ ッ ヒ ェ ン ハ イ ム 地 区 で 、 そ の 対 岸 は 、 人 口 12 万 人 の 工 業 と 革 製 品 の 都 市 オ ッ フ ェ ン バ ッ ハ で あ る 。 オ ッ フ ェ ン バ ッ ハ の マ イ ン 川 沿 い の 建 物 で 最 も 有 名 な の は イ ー ゼ ン ブ ル ガ ー 城 で あ る 。
フ ラ ン ク フ ル ト 、 オ ス テ ン ト 地 区 の 東 港
こ の 頃 に は 、 マ イ ン 川 は す で に ド イ ツ 最 大 の 産 業 密 集 地 域 に 流 れ 込 ん で い る 。 フ ラ ン ク フ ル ト の 、 ベ ル ゲ ン = エ ン ク ハ イ ム 地 区 か ら フ ェ ッ ヒ ェ ン ハ イ ム 地 区 、 オ ス テ ン ト 地 区 を 通 っ て 、 マ イ ン 南 岸 の オ ッ フ ェ ン バ ッ ハ ま で が そ れ で あ る 。 こ こ に 3 つ の 港 が 設 け ら れ て い る 。 オ ッ フ ェ ン バ ッ ハ 港 、 フ ラ ン ク フ ル ト 上 港 、 東 港 で あ り 、 あ わ せ て 5 つ の 接 岸 壁 が あ る 。 近 年 の 構 造 変 化 に 伴 い 港 湾 施 設 の 一 部 は 廃 止 さ れ た 。 オ ッ フ ェ ン バ ッ ハ 港 の 突 堤 に は ビ ー チ ク ラ ブ が で き た 。
オ ッ フ ェ ン バ ッ ハ 堰 の す ぐ 下 流 に フ ラ ン ク フ ル ト 市 民 の 憩 い の 場 で あ る ゲ ー バ ー ミ ュ ー レ が あ る 。 こ こ は 1 8 1 5 年 に ヨ ハ ン ・ ヴ ォ ル フ ガ ン グ ・ フ ォ ン ・ ゲ ー テ と マ リ ア ン ネ ・ フ ォ ン ・ ヴ ィ レ マ ー が 密 か に 会 っ た 場 所 で も あ る 。
フ ラ ン ク フ ル ト 中 心 部 を 流 れ る ︵ 画 面 左 上 か ら 右 下 へ ︶ マ イ ン 川 。 上 流 か ら 順 番 に 、 ド イ チ ュ ヘ ル ン 橋 、 フ レ ッ サ ー 橋 、 オ ー ベ ル ン マ イ ン 橋 、 古 橋 、 ア イ ゼ ル ナ ー ・ シ ュ テ ク
こ の 後 、 マ イ ン 川 は フ ラ ン ク フ ル ト 中 心 部 を 流 れ 下 る 。 ド イ チ ュ ヘ ル ン 橋 か ら マ イ ン = ネ ッ カ ー 橋 ま で は 、 ド イ ツ で 最 も 印 象 的 な 大 都 会 の 風 景 を 味 わ え る 場 所 の 一 つ で あ る 。 大 都 会 の 真 ん 中 を 、 河 岸 に 広 く 都 会 的 な 遊 歩 道 を 持 つ 大 き な 川 が 貫 い て い る 風 景 は ド イ ツ で は 珍 し い 。 大 都 市 内 で の 水 を 用 い た 演 出 と い う 意 味 で は 、 ケ ル ン の ラ イ ン 河 畔 や ハ ン ブ ル ク の ア ル ス タ ー 川 ︵ あ る い は ア ル ス タ ー 湖 ︶ と い っ た 例 が あ る が 、 フ ラ ン ク フ ル ト に 似 た 例 は 、 エ ル ベ 川 が 流 れ る ド レ ス デ ン く ら い し か な い 。
高 層 ビ ル を 背 景 に し た 大 聖 堂 の 塔
こ の 区 間 に は 9 本 の 橋 が 架 か っ て い る 。 S - バ ー ン と U - バ ー ン が そ れ ぞ れ 地 下 で 川 を 横 切 っ て い る 。 東 か ら 近 づ く と 、 様 々 な メ デ ィ ア で 馴 染 み 深 い 、 高 層 ビ ル を 背 景 に し た 大 聖 堂 や 旧 市 街 教 会 の 塔 の 風 景 を 見 る こ と が で き る 。 マ イ ン 川 の 右 岸 に は 旧 市 街 が 位 置 し 、 左 岸 は 博 物 館 堤 ( M u s e u m s u f e r ) が あ る ザ ク セ ン ハ ウ ゼ ン 地 区 で あ る 。 マ イ ン 川 の 小 島 の 上 に 古 橋 が 架 か っ て い る 。 レ ー マ ー ベ ル ク の ザ ー ル ホ ー フ と ザ ク セ ン ハ ウ ゼ ン 地 区 の 三 位 一 体 教 会 の 間 を 歩 行 者 専 用 橋 の ア イ ゼ ル ン ・ シ ュ テ ク が 結 ん で い る 。
都 市 中 心 部 の 終 わ り 近 く の 右 岸 に 、 ヨ ッ ト 専 用 港 と し て 用 い ら れ て い る 閉 鎖 さ れ た フ ラ ン ク フ ル ト 西 港 が あ る 。 か つ て 港 湾 施 設 が あ っ た 場 所 は 、 新 し い 住 宅 や 産 業 地 区 に な っ て い る 。
ヘ ヒ ス ト 城
中 心 部 か ら 数 km 下 流 右 岸 の ニ ッ ダ 川 の 合 流 点 近 く に 現 在 は フ ラ ン ク フ ル ト の 市 区 と な っ て い る 古 い 都 市 ヘ ヒ ス ト が あ る 。 大 司 教 の 城 館 の ル ネ サ ン ス 様 式 の 塔 、 カ ロ リ ン グ 朝 の ユ ス テ ィ ヌ ス 教 会 、 よ く 保 存 さ れ た 都 市 防 衛 施 設 は 遠 く か ら も よ く 目 立 つ 。 ヘ ヒ ス ト の 旧 市 街 の す ぐ 西 側 の マ イ ン 川 両 岸 に は 4 k m ² の 広 さ を 持 つ ヘ ヒ ス ト ・ イ ン ダ ス ト リ ー ・ パ ー ク が あ る 。 こ こ は 、 か つ て ヘ キ ス ト 化 学 コ ン ツ ェ ル ン の 本 社 が あ っ た 場 所 で 、 企 業 専 用 港 の ﹁ ト リ モ ー ダ ル ポ ー ト ﹂ 、 コ ン テ ナ の 積 み 降 ろ し 場 や 鉄 道 施 設 な ど が あ っ た 。 さ ら に 下 流 の 右 岸 に 、 フ ラ ン ク フ ル ト の ジ ン ト リ ン ゲ ン 市 区 が 現 れ る と 、 川 は 左 に カ ー ブ し 、 や が て 左 手 に ケ ル ス タ ー バ ッ ハ が 現 れ る 。
ケ ル ス タ ー バ ッ ハ か ら は 、 ケ ル ス タ ー バ ッ ハ 石 油 港 ︵ フ ラ ン ク フ ル ト 空 港 用 で あ る ︶ 沿 い に 右 に 蛇 行 す る 。 石 油 港 の 後 、 左 岸 に は 貨 物 船 の 輸 送 港 が あ る 。 右 岸 に は ハ ッ タ ー ス ハ イ ム の オ ク リ フ テ ル 地 区 が 姿 を 現 す 。 こ こ に は 小 さ な 貨 物 港 が あ る 。 夏 期 だ け だ が オ ク リ フ テ ル - ケ ル ス タ ー バ ッ ハ 間 に 人 や 自 転 車 を 運 ぶ 渡 し 船 が 運 航 さ れ る 。 オ ク リ フ テ ル 地 区 に 続 い て 、 エ ッ ダ ー ス ハ イ ム 地 区 と 同 名 の 堰 が 現 れ る 。
ア ウ ト バ ー ン A 3 号 線 と ド イ ツ 鉄 道 の フ ラ ン ク フ ル ト - ケ ル ン 線 の 橋 を 越 え る と 左 手 に シ ェ ル 石 油 の 石 油 港 が あ る 。 風 景 に わ ず か だ が 自 然 の 姿 が 再 び 現 れ る 。 両 岸 に は 木 が 植 え ら れ 、 一 部 は 砂 の 河 岸 と な っ て お り 、 暑 い 日 に は 泳 い で い る 人 も い る 。 ラ ウ ン ハ イ ム 側 の 左 岸 に 沿 っ て 連 邦 道 B 4 3 号 線 が 走 っ て い る 。 か つ て の ラ ウ ン ハ イ ム の 堰 は ヨ ッ ト ク ラ ブ ・ ウ ン タ ー マ イ ン の 所 有 と な り 、 港 と し て 活 用 さ れ て い る 。 こ の 港 へ の 入 り 口 に 接 岸 壁 が あ る 。
マ イ ン 川 右 岸 は フ レ ア ス ハ イ ム 市 で 、 ボ ー ト ク ラ ブ の 船 着 き 場 や ボ ー ト ハ ウ ス や シ ェ ル の タ ン カ ー の た め の 港 が あ る 。 こ の 石 油 港 の 対 岸 、 左 岸 は ア ダ ム ・ オ ペ ル AG の 本 社 が あ る リ ュ ッ セ ル ス ハ イ ム で あ る 。
河 口 直 前 、 右 岸 の ホ ッ ホ ハ イ ム 付 近 で 、 ブ ド ウ 畑 が 思 い が け な く 現 れ る 。 こ の ワ イ ン は 、 ラ イ ン ガ ウ ・ ワ イ ン 生 産 地 区 に 属 す ホ ッ ホ ハ イ マ ー ・ ワ イ ン と し て 名 高 い 。 そ し て 、 最 後 の 堰 で あ る コ ス ト ハ イ ム の 堰 が 現 れ る 。
マ イ ン 川 河 口
マ イ ン 川 沿 い 最 後 の 町 は 、 右 岸 が コ ス ト ハ イ ム 、 左 岸 が グ ス タ フ ス ブ ル ク で あ る 。 と も に 1 9 4 5 年 ま で は マ イ ン ツ の 市 区 で あ っ た が 、 ヘ ッ セ ン 州 が 行 っ た こ れ ら 市 区 の 分 離 に よ り 、 コ ス ト ハ イ ム は ヴ ィ ー ス バ ー デ ン 、 グ ス タ フ ス ブ ル ク は ギ ン ス ハ イ ム = グ ス タ フ ス ブ ル ク に 属 し て い る 。
ラ イ ン 川 に 注 ぐ 河 口 は 、 マ イ ン シ ュ ピ ッ ツ ェ と 呼 ば れ 、 マ イ ン ツ 要 塞 の 対 岸 に あ た る 。 別 の 古 い 川 筋 は 、 コ ス ト ハ イ ム の 港 と し て 利 用 さ れ て お り 、 そ の 間 の 島 は 、 M a a r a u e と 呼 ば れ て い る 。
地 形 学 と 水 文 学 [ 編 集 ]
地 質 学 [ 編 集 ]
マ イ ン 川 の 原 型 は 、 お よ そ 3 5 0 0 万 年 前 の 漸 新 世 の 初 め に は す で に 存 在 し て い た 。 た だ し 、 現 在 の よ う に 東 か ら 西 に 流 れ て い た の は バ ン ベ ル ク ま で で 、 そ こ か ら は 現 在 の レ グ ニ ッ ツ 川 / レ ド ニ ッ ツ 川 の 川 筋 を 流 れ 、 ア ル プ ス の 前 山 地 方 に 広 が っ て い た 海 、 テ チ ス 海 へ ア ウ ク ス ブ ル ク 付 近 か ら 注 ぎ 込 ん で い た 。 1 4 7 0 万 年 前 に 、 隕 石 の 落 下 ︵ ネ ル ト リ ン ガ ー ・ リ ー ス 盆 地 の 形 成 ︶ に よ り 飛 来 し た 瓦 礫 の 塊 に よ っ て 原 マ イ ン 川 は ト ロ イ ヒ ト リ ン ゲ ン の 北 で 堰 き 止 め ら れ 巨 大 な 湖 を 形 成 し た が 、 や が て そ こ か ら 流 れ 出 す よ う に な っ た 。
約 2 0 0 万 年 前 の 第 三 紀 末 期 ま で 、 マ イ ン 地 域 は 南 に 向 か う 川 筋 に よ っ て ド ナ ウ 川 に 排 水 し て い た 。 ま ず 、 オ ー バ ー ラ イ ン 地 溝 が で き た こ と で 、 分 水 界 が 南 東 に 移 動 し た 。 こ れ に 伴 っ て 、 ま ず は マ イ ン 下 流 域 が そ の 川 筋 を 西 に 転 じ 、 や が て マ イ ン 中 流 域 も こ れ に 続 い た 。 マ イ ン 上 流 域 は 、 ド ナ ウ / ギ ュ ン ツ 間 氷 期 に ハ ー ス フ ル ト の コ イ パ ー 層 を 突 破 し 西 に 向 か っ て 流 れ 始 め た 。
更 新 世 の 初 め ま で に 、 マ イ ン 川 の 流 路 は 、 全 域 が 現 在 の そ れ と ほ ぼ 一 致 す る 形 と な っ た 。 こ れ 以 後 、 マ イ ン 川 は 比 較 的 短 い 期 間 に 1 0 0 m も の 渓 谷 を 刻 み つ け た 。 間 氷 期 と 氷 期 の 交 替 に よ り 比 較 的 幅 の 広 い 平 ら な 渓 谷 が 生 ま れ 、 後 に 狭 く 深 い 谷 が 刻 み 込 ま れ た 。 氷 期 に な る と 冷 却 風 化 作 用 で 大 量 の 岩 屑 が 堆 積 、 間 氷 期 に そ れ が 押 し 流 さ れ た 。 こ う し た 気 候 変 動 と そ れ に 伴 う 川 の 流 れ の 度 重 な る 変 化 に よ り 、 谷 は テ ラ ス 状 の 段 丘 と な っ て い っ た 。
段 丘 内 部 で 、 渓 谷 が 埋 ま っ て い た 現 象 を 観 察 す る こ と が で き る [ 2 ] 。 古 更 新 世 の 末 期 に は マ イ ン 川 の 渓 谷 に は 6 0 m に も 及 ぶ 大 量 の 堆 積 物 が あ っ た 。 そ の 原 因 は は っ き り と 判 明 し て い な い 。 こ の 堆 積 物 の 層 は 、 氷 期 - 間 氷 期 の 繰 り 返 し の 間 も そ の ま ま で あ り 、 中 更 新 世 の 末 期 以 降 マ イ ン 川 は 、 こ れ を 現 在 の レ ベ ル に ま で 浸 食 し て い っ た [ 3 ] [ 4 ] 。
マ イ ン 川 の 特 徴 の 一 つ に 、 マ イ ン 川 が ム シ ェ ル カ ル ク の 土 地 と ブ ン テ ル 砂 岩 の 土 地 を 流 れ る こ と に 起 因 す る 蛇 行 の 多 さ が 挙 げ ら れ る 。
出典 は列挙するだけでなく、脚注 などを用いてどの記述の情報源であるかを明記 してください。記事の信頼性向上 にご協力をお願いいたします。(2021年5月 )
マイン川の平均水量は、シュヴァインフルトで112m³/s、ヴュルツブルクで120m³/s、アシャッフェンブルクで155m³/s、フランクフルトで200m³/s、ラン川に合流する河口付近で約225m³/sである。ただし、この水量は、年間で大きく変動する。最も水量が多いのは1月から3月で、夏の終わり頃が最も少なくなる。
1970年代から2000年にかけてバイエルン州は "Überleitung"というシステムを構築した。このシステムは、アルトミュール川 の水をマイン=ドナウ運河を介してマイン川流域に送るもので、これにより水量の少ないレグニッツ川 の水量を15m³/sまで上昇させた。フランケン湖水地方 全体では年間1500万m³がフランケン方面、ひいてはマイン川に振り分けられた。Überleitungは、バイエルン州の水利経済上最大のプロジェクトであった。このプロジェクトは1970年にバイエルン州議会 の全会一致で決議された。これに対して、批判者達は環境への憂慮を表明している。彼らは、Überleitungがドナウ川水系からライン川水系へヨーロッパ分水界を越えて大量の水を移動させることは、自然界の水分平衡に許容し得ない多大な干渉を及ぼしていることだ、と主張している。このプロジェクトの支持者らは、このシステムは、特に水量が減る夏期の水質を改善するなどマイン川の環境改善に寄与し、アルトミュール川およびドナウ川の洪水の危機を軽減するものであるということを強調している。
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20世紀にはいるまで、マイン川は中央ヨーロッパでも魚の豊かな川であった。工業化が推進され人口が増加するにつれ水質は悪化していった。汚水処理施設の建造は、たとえばフランクフルトでは1882年以降、進んでいなかった。
第二次世界大戦後、それまで川に設けられていた水浴場が次々に閉鎖されていった。1960年代には川に魚の死骸が浮き、1970年代の水質検査では水質クラスIII(非常に強く汚染されている)からIV(過度に汚染されている)という評価を受けた。ウンターマインでの汚染のピークは、1976年の夏であったといわれている。そうした中、フランクフルトの生徒達が行った実験が一大センセーションを巻き起こした。生徒達は、金魚を水質を測るモニタとして利用し、フランクフルトの様々な場所から採取した川の水で飼育を行った。その結果、ヘキスト社より下流側で採取した水の金魚が死んでしまったのだ。
自治体も企業も汚染処理施設を改良あるいは新設し、企業排水の改良に配慮がなされた結果、水質は徐々に回復していった。"Biologischen Gewässergüte der Fließgewässer in Hessen"(『ヘッセン州の河川の生物学的な水質』)の活動報告によれば、マイン川のヘッセン州内全域における2000年の水質レベルは、クラスII(かなりの負荷)という評価であった。残された負荷は、上流域の排水の多くの部分、たとえば大量の降雨や農業排水に起因する負荷であり、これを軽減するのは難しい。
それでも、マイン川の水浴びは、微生物による感染の可能性が排除できないとして、引き続き警戒が呼びかけられている。2004年には、トライアスロン ・アイアンマン・ジャーマニーを、それまでのランゲナー・ヴァルトゼー(フランクフルトの南15kmほどにある湖)に替わってマイン川で行うために、オッフェンバッハ堰とグリースハイムの間に10万m³の飲料水を投入して、一時的に水質を改善することで水泳の競技場としようという議論がなされた。一般大衆を含め広い議論が行われたが、このアイデアは未だに実現してはいない。
動植物 [ 編集 ]
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19 世 紀 ま で マ イ ン 川 は 、 動 植 物 種 の 多 い 川 で あ っ た 。 川 沿 い の 多 く の 町 や 村 で は 、 中 世 以 来 、 た と え ば フ ラ ン ク フ ル ト で は 9 4 5 年 以 来 、 漁 師 の ツ ン フ ト が 組 織 さ れ て い た 。 し か し 、 船 舶 の 航 行 に 必 要 な 河 川 改 修 ︵ た と え ば 護 岸 工 事 な ど ︶ に よ り 、 既 述 の 通 り 、 水 質 汚 染 が 生 じ 、 こ れ に 伴 っ て 魚 の 種 類 が 減 っ て い っ た 。 た と え ば 、 ウ ン タ ー マ イ ン で は 、 30 種 か ら 35 種 類 ほ ど い た 魚 が 4 種 類 に ま で 激 減 し た 。 産 業 と し て の 漁 業 は 機 能 停 止 に 陥 っ た 。 水 質 改 善 と と も に 元 来 そ こ に い た 魚 た ち が 戻 り つ つ あ る 。 し か し 、 そ れ は 彼 ら が 生 き 延 び た と い う わ け で は な く 、 飼 育 放 流 さ れ た も の で あ る 。
魚 類 環 境 上 、 マ イ ン 川 は 、 ブ リ ー ム 地 域 あ る い は バ ー ベ ル 地 域 に 属 す 。 観 察 で き る 魚 類 は 、 ヨ ー ロ ッ パ ウ ナ ギ ( A n g u i l l a a n g u i l l a ) 、 バ ー ベ ル ( B a r b u s b a r b u s ) 、 ブ リ ー ム ( A b r a m i s b r a m a ) 、 チ ャ ブ ( L e u c i s c u s c e p h a l u s ) 、 パ ー チ ( P e r c a f l u v i a t i l i s ) 、 シ ル バ ー ブ リ ー ム ( B l i c c a b j o e r k n a ) 、 デ イ ス ( L e u c i s c u s l e u c i s c u s ) 、 ノ ー ザ ン パ イ ク ( E s o c i d a e ) 、 コ イ ( C y p r i n u s c a r p i o ) 、 ネ イ ズ ( C h o n d r o s t o m a n a s u s ) 、 ア ス ピ ウ ス ・ ア ス ピ ウ ス ( A s p i u s a s p i u s ) 、 ロ ー チ ( R u t i l u s r u t i l u s ) 、 ラ ッ ド ( S c a r d i n i u s e r y t h r o p h t h a l m u s ) 、 テ ン チ ( T i n c a t i n c a ) 、 ブ リ ー ク ( A l b u r n u s a l b u r n u s ) 、 ヨ ー ロ ッ パ オ オ ナ マ ズ ( S i l u r u s g l a n i s ) 、 パ イ ク パ ー チ ( S a n d e r l u c i o p e r c a ) で あ る 。 一 方 、 ま だ 戻 っ て き て い な い 魚 も あ り 、 タ イ セ イ ヨ ウ サ ケ と チ ョ ウ ザ メ が そ の 代 表 的 存 在 で あ る 。 2 0 2 0 年 ま で に ラ イ ン 水 系 に サ ケ が 棲 息 で 来 る 生 活 環 境 を 回 復 す る こ と を 目 標 と し た L a c h s 2 0 2 0 ︵ L a c h s = サ ケ ︶ と い う プ ロ ジ ェ ク ト が 創 設 さ れ た 。 そ の 活 動 は 、 河 原 の 草 地 や 川 筋 を 改 良 し 、 適 切 な 産 卵 場 所 を 設 け よ う と い う も の で あ る 。 マ イ ン 川 水 系 で の こ う し た 場 所 に は 、 以 前 サ ケ が 棲 息 し て い た 川 、 た と え ば ロ ー ダ ッ ハ 川 や キ ン ツ ィ ヒ 川 が 候 補 に な っ て い る 。
マ イ ン = ド ナ ウ 運 河 が 開 通 し た 1 9 9 2 年 以 降 、 約 20 種 類 の ド ナ ウ 水 系 の 魚 が マ イ ン 川 に 棲 息 場 所 を 拡 大 し た 。 そ の 中 に は 、 た と え ば 、 モ ツ ゴ ( P s e u d o r a s b o r a p a r v a ) 、 チ ュ ー ブ ノ ー ズ ゴ ビ ー ( T u b e n o s e g o b y 、 P r o t e r o r h i n u s m a r m o r a t u s ) 、 ア ウ ピ ウ ス ・ ア ス ピ ウ ス 、 ヴ ィ ム バ ブ リ ー ム ( V i m b a v i m b a ) 、 ホ ワ イ ト ア イ ブ リ ー ム ( A b r a m i s s a p a ) が あ る [ 5 ] 。
オ ガ ワ コ マ ド リ
マ イ ン 川 上 流 域 の 草 原 は 、 カ ワ セ ミ 、 コ チ ド リ 、 オ ガ ワ コ マ ド リ 、 ヨ ー ロ ッ パ チ ュ ウ ヒ 、 カ ワ ト ン ボ 科 の ト ン ボ な ど の 珍 し い 動 物 の 生 息 地 に な っ て い る 。 自 然 の 河 床 に 戻 す な ど の 試 み が な さ れ 、 地 域 を 越 え た 重 要 な 生 物 保 護 が 始 ま っ て い る 。
1 9 9 2 年 の ヨ ー ロ ッ パ 動 植 物 生 息 地 指 令 に よ り 、 連 邦 政 府 は 保 護 地 域 に 指 定 さ れ た 地 域 の 環 境 状 況 や 危 機 に 瀕 し て い る 動 植 物 の 生 息 地 に つ い て ブ リ ュ ッ セ ル に 報 告 す る こ と を 義 務 づ け ら れ た 。 政 府 の 提 案 に よ り 採 択 さ れ た 地 域 は 、 EU の 鳥 類 保 護 指 針 に 報 告 さ れ た 鳥 類 保 護 地 域 と と も に ヨ ー ロ ッ パ 自 然 保 護 地 域 シ ス テ ム N a t u r a 2 0 0 0 を 形 成 す る こ と に な っ た 。 バ イ エ ル ン 州 は 、 こ う し た プ ロ ジ ェ ク ト の 枠 組 み の 中 で マ イ ン 川 沿 い の 地 域 も い く つ か 報 告 し て い る 。 た と え ば 、 カ ウ エ ル ン ド ル フ か ら ト レ プ ガ ス ト の 間 の マ イ ン 川 の 草 原 や 石 灰 石 の 斜 面 、 タ イ ゼ ナ ウ か ら リ ヒ テ ン フ ェ ル ス の 間 お よ び シ ュ タ ッ フ ェ ル シ ュ タ イ ン か ら ハ ル シ ュ タ ッ ト の 間 の マ イ ン 渓 谷 、 エ ル ト マ ン と ハ ー ス フ ル ト の 間 の 草 原 が そ れ で あ る 。
マ イ ン 川 の 洪 水 と 流 氷 [ 編 集 ]
2 0 0 5 年 2 月 の 洪 水 。 ヴ ュ ル ツ ブ ル ク
何 世 紀 も の 間 に は 、 甚 大 な 被 害 を 与 え 、 人 命 を 奪 っ た マ イ ン 川 の 氾 濫 が 数 多 く 記 録 さ れ て い る 。 ヴ ュ ル ツ ブ ル ク や フ ラ ン ク フ ル ト の マ イ ン 川 に 架 か る 橋 は 洪 水 に よ り 何 度 か 破 壊 さ れ て い る 。 中 世 の 記 録 は と ぎ れ と ぎ れ で バ ラ バ ラ の 記 録 で あ る が 、 17 世 紀 以 降 の 大 規 模 な 洪 水 に 関 し て は 、 記 録 文 書 と 測 定 値 が 遺 さ れ て い る 。 ヴ ュ ル ツ ブ ル ク に は 、 14 世 紀 に ヴ ュ ル ツ ブ ル ク を 襲 っ た 最 も 激 し か っ た 洪 水 の 記 録 が あ る 。 洪 水 の 被 害 範 囲 は そ れ ぞ れ ま っ た く 異 な っ て い る 。 た と え ば 、 2 0 0 3 年 1 月 の 洪 水 で は ヴ ュ ル ツ ブ ル ク の 水 位 計 測 所 で は 1 9 9 5 年 1 月 の 洪 水 よ り も 約 3 0 c m 高 い 浸 水 が あ っ た が 、 フ ラ ン ク フ ル ト は ギ リ ギ リ の と こ ろ で 洪 水 の 難 を 逃 れ て い る 。
フ ラ ン ク フ ル ト ・ ア ム ・ マ イ ン で の 平 均 水 位 は 、 水 位 計 の ゼ ロ ポ イ ン ト ︵ 海 抜 9 0 . 6 4 m ︶ か ら 1 7 7 c m で あ る 。 水 位 が 3 0 0 c m に な る と 船 舶 の 航 行 が 制 限 さ れ 、 3 7 0 c m で 全 て の 船 舶 の 航 行 が 禁 じ ら れ る 。 さ ら に 水 位 が 上 が る と 、 堤 防 を 越 え て 浸 水 が 起 こ る 。 こ う し た 浸 水 は 、 平 均 3 年 に 1 回 起 こ っ て い る 。
フ ラ ン ク フ ル ト 市 内 の 建 物 の 壁 に 付 け ら れ た 洪 水 の 水 位
1 8 2 6 年 以 降 、 フ ラ ン ク フ ル ト に お け る 水 位 は 、 最 初 は 物 理 学 協 会 に よ っ て 、 1 8 4 5 年 か ら は 市 の 測 量 局 に よ っ て 常 時 測 定 さ れ て い る 。 19 世 紀 に は 浸 水 の あ っ た 年 が 40 回 あ っ た 。 多 い 年 に は 2 回 、 1 8 4 5 年 に は 3 回 も 浸 水 に み ま わ れ て い る 。 規 模 の 大 き な 浸 水 は 、 以 下 の 通 り 。
● 1 8 4 5 年 3 月 : 約 6 . 4 0 m
● 1 8 8 2 年 11 月 27 日 : 6 . 3 3 m
● 1 8 9 6 年 2 月 21 日 : 6 . 2 0 m
● 1 8 8 2 年 12 月 31 日 : 5 . 7 0 m
20 世 紀 か ら 21 世 紀 ︵ 2 0 0 7 年 10 月 現 在 ︶ に は 、 浸 水 に み ま わ れ た 年 は 35 回 あ っ た 。
● 1 9 2 0 年 1 月 16 日 : 6 . 1 8 m
● 1 9 0 9 年 2 月 : 5 . 9 6 m
● 1 9 9 5 年 1 月 30 日 : 5 . 4 7 m
● 1 9 7 0 年 2 月 27 日 : 5 . 4 0 m
総 じ て 、 マ イ ン 川 の 河 川 改 修 に 伴 い 川 が 深 く な っ た 後 は 、 洪 水 の 減 少 が 認 め ら れ る 。
何 世 紀 も 前 の 時 代 に は 、 は る か に 大 規 模 な 洪 水 が 伝 承 さ れ て い る 。 記 録 さ れ て い る 最 悪 の 氾 濫 は 1 3 4 2 年 7 月 に 起 こ っ た 、 い わ ゆ る マ グ ダ レ ー ナ 洪 水 で あ る 。 こ の 時 は 、 ヴ ァ イ ス フ ラ ウ エ ン 教 会 の 1 . 7 1 m の s i e b e n S c h u h の 高 さ ま で 水 が あ っ た [ 注 釈 1 ] 。 こ れ は 、 現 在 の 水 位 で は 7 . 8 5 m に あ た る 。 こ の ほ か の 歴 史 的 な 洪 水 は 以 下 の 通 り 。
● 1 6 8 2 年 1 月 17 日 : 約 6 . 9 0 m
● 1 7 8 4 年 1 月 27 日 か ら 3 月 4 日 : 約 6 . 5 9 m
マ イ ン 川 の 氾 濫 は 、 も っ ぱ ら 冬 期 に 起 こ っ て い る 。 ま た 、 雪 解 け 時 の 降 雨 の 後 に も 起 こ っ て い る 。 前 世 紀 以 前 は 特 に 、 溶 け だ し た 氷 が 流 れ 出 す の と 洪 水 が 同 時 に 起 こ り 甚 大 な 被 害 を 及 ぼ し た こ と が 、 た と え ば 1 3 0 6 年 、 1 7 8 4 年 、 1 8 8 2 年 の 記 録 に み ら れ る 。
19 世 紀 の 終 わ り ま で 、 ラ イ ン 川 は お よ そ 2 年 に 1 度 の 割 合 で 、 一 番 早 く は 11 月 ︵ 1 5 1 3 年 11 月 13 日 ︶ 、 遅 い と き は 1 月 に 全 域 が 氷 結 し て い た 。 こ の 氷 は 、 1 月 末 か ら 3 月 末 ︵ 1 8 4 5 年 3 月 25 日 が 一 番 遅 い 記 録 ︶ に 割 れ る 。 こ う し て 流 れ 出 し た 氷 が 、 橋 や 堤 防 に 、 し ば し ば 甚 大 な 被 害 を 与 え た 。
最 も 長 く 凍 結 し て い た の は 1 7 6 8 年 で 79 日 間 ︵ 1 月 3 日 か ら 3 月 22 日 ま で ︶ で あ っ た が 、 ゲ ー テ が ﹃ 復 活 祭 の 散 歩 ﹄ ︵ ﹃ フ ァ ウ ス ト ﹄ 第 1 部 ︶ で
﹁ 春 の 恵 み あ る 、 物 呼 び さ ま す 目 に 見 ら れ て 、
大 河 に も 細 流 に も 、 も う 氷 が な く な っ た 。 ﹂ [ 6 ]
と 書 い て い る よ う に 、 東 部 で は こ れ よ り も 長 か っ た ︵ 復 活 祭 は 通 常 3 月 末 か ら 4 月 中 ︶ と 推 測 さ れ る 。
20 世 紀 に な る と 、 河 川 改 修 や 発 電 所 あ る い は 工 業 排 水 の 影 響 で 水 温 が 上 昇 し た た め 、 厳 冬 期 で も 氷 結 す る こ と は ほ と ん ど な く な っ た 。 フ ラ ン ク フ ル ト で 最 後 に 氷 が 見 ら れ た の は 1 9 6 2 年 か ら 1 9 6 3 年 に か け て の 冬 で あ っ た 。 上 流 部 で は 、 こ れ 以 後 も 特 に 厳 し い 寒 さ の 年 、 た と え ば 1 9 8 4 年 か ら 1 9 8 5 年 の 冬 や 1 9 9 5 年 か ら 1 9 9 6 年 の 冬 に は 川 が 凍 結 し 、 船 舶 の 運 航 が 停 止 さ れ た 。 氷 の た め に 船 舶 の 運 航 が 妨 げ ら れ た の は 2 0 0 2 年 1 月 、 2 0 0 6 年 の 1 月 か ら 2 月 に も あ っ た 。
マイン川の航行 [ 編集 ]
出典 は列挙するだけでなく、脚注 などを用いてどの記述の情報源であるかを明記 してください。記事の信頼性向上 にご協力をお願いいたします。(2021年5月 )
古代から19世紀まで [ 編集 ]
クリンゲンベルク を描いた1655年の地誌の挿し絵。船を馬が曳いている様子が描かれている。
す で に ロ ー マ 時 代 に は 、 マ イ ン 川 は 水 上 交 通 路 と し て 利 用 さ れ て い た 。 ア ウ グ ス ト ゥ ス や テ ィ ベ リ ウ ス に よ っ て ロ ー マ 帝 国 が 拡 張 し て い っ た 時 代 に は 、 マ イ ン 川 は 北 ド イ ツ の リ ッ ペ 川 と と も に 2 つ の 主 要 な ゲ ル マ ニ ア 侵 攻 ル ー ト の 一 つ で あ っ た 。 マ イ ン 川 が ラ イ ン 川 に 注 ぐ 河 口 の 向 か い 側 に ロ ー マ 人 が マ イ ン ツ を 築 い た の も こ の 川 筋 が 戦 略 上 決 定 的 な 重 み を 持 っ て い た た め で あ る 。
小 さ な 支 流 の ニ ッ ダ 川 沿 い に あ る ロ ー マ 人 の 入 植 地 で あ る ニ ー ダ ︵ 現 在 は フ ラ ン ク フ ル ト の ヘ ッ デ ル ン ハ イ ム 市 区 内 ︶ か ら ボ ー ト の 港 跡 が 発 見 さ れ た 。 ニ ッ ダ 川 や マ イ ン 川 を 介 し て 、 ラ イ ン 川 右 岸 の c i v i t a s t a u n e n s i u m ︵ ニ ー ダ は そ の 首 邑 で あ っ た ︶ と マ イ ン ツ の 間 で 商 品 の 輸 送 が な さ れ て い た 可 能 性 が あ る 。
出 土 品 か ら も 文 献 か ら も 中 世 に は マ イ ン 川 の 航 行 が 重 要 で あ っ た こ と が わ か る 。 多 く の 入 植 地 が 、 荷 物 の 積 み 下 ろ し お よ び 商 取 引 か 、 あ る い は 通 行 税 徴 収 に よ っ て 発 展 し た 。 カ ー ル 大 帝 は 、 マ イ ン 川 と ド ナ ウ 川 の 間 に 運 河 を 設 け る プ ロ ジ ェ ク ト に 固 執 し た 。 し か し 当 時 は 、 技 術 的 な 困 難 を 克 服 す る こ と は で き ず 、 こ の 計 画 は 頓 挫 し た 。 こ の 時 の 、 F o s s a C a r o l i n a ︵ カ ー ル の 溝 ︶ の 跡 が ト ロ イ ヒ ト リ ン ゲ ン 付 近 に 見 ら れ る 。
中 世 の 船 は 、 排 水 量 10 か ら 2 0 t で 、 1 日 に 1 0 0 k m ほ ど 航 行 す る こ と が で き た 。 船 の 操 舵 は 竿 か 、 曳 い て も ら う か し か な か っ た 。 そ こ で 、 3 0 k m ほ ど の 間 隔 で 宿 営 地 が 設 け ら れ た 。 夜 間 は 航 行 が 許 さ れ な か っ た の で 、 船 乗 り は 岸 辺 に 着 け な け れ ば な ら な か っ た 。
1 6 2 8 年 の フ ラ ン ク フ ル ト 港 の 様 子
12 世 紀 か ら フ ラ ン ク フ ル ト と マ イ ン ツ の 間 に M a r k t s h i f f と い う 定 期 船 が 運 航 し 始 め た 。 14 世 紀 か ら は 、 2 隻 の 船 で 1 日 お き に 上 り 下 り す る よ う に な っ た 。 こ の 船 は 、 人 や 貨 物 あ る い は 郵 便 を 運 ん だ 。 フ ラ ン ク フ ル ト の フ ァ ー ル ト ー ア 前 を 毎 日 10 時 に 出 発 し た 。 マ イ ン ツ ま で の 所 要 時 間 は 約 7 時 間 か ら 9 時 間 ほ ど で あ っ た 。 1 3 9 1 年 に 皇 帝 ヴ ェ ン ツ ェ ル は 、 M a r k t s c h i f f に 関 す る 裁 判 権 を 自 由 都 市 マ イ ン ツ に 与 え た 。 ま た 1 4 7 4 年 に は 、 M a r k t s c h i f f に 対 す る 権 利 は マ イ ン ツ 選 帝 侯 が 有 し て い た 。 フ ラ ン ク フ ル ト は M a r k t s c h i f f に 対 す る 権 利 を 喪 失 し た の で あ る 。
定 期 船 で あ る M a r k t c h i f f に 対 し て 、 自 由 航 路 は ど ち ら か と い え ば あ ま り 重 要 で は な い 。 1 3 3 7 年 以 後 フ ラ ン ク フ ル ト に は 船 員 の ツ ン フ ト は 存 在 し な か っ た 。 少 数 の 船 員 達 は 同 時 に 果 実 商 人 で も あ っ た 。 1 6 0 2 年 か ら 、 春 ︵ バ ラ の 日 曜 日 ︶ か ら 秋 ︵ 聖 ミ カ エ ル の 日 ︶ ま で の 間 、 ハ ー ナ ウ か ら フ ラ ン ク フ ル ト へ の M a r k t s c h i f f が 運 航 さ れ る こ と に な っ た が 、 こ の 権 利 は ハ ー ナ ウ 伯 が 有 し て い た 。
工 業 化 の 時 代 の マ イ ン 川 交 通 [ 編 集 ]
19 世 紀 の 鉄 道 の 普 及 は 、 当 初 マ イ ン 川 の 船 舶 輸 送 の 低 落 を 招 い た 。 蒸 気 船 が 採 用 さ れ た と は い え 、 そ れ は 積 載 量 1 0 0 0 ツ ェ ン ト ナ ー ( 5 0 t ) の 小 型 船 で あ っ た 。 19 世 紀 の 中 頃 、 ラ イ ン 川 に は 積 載 量 1 6 , 0 0 0 ツ ェ ン ト ナ ー ( 8 0 0 t ) の 船 が 航 行 し て お り 、 マ イ ン 川 へ の 輸 送 の 際 に は 、 積 み 荷 を マ イ ン ツ ま た は グ ス タ ー ヴ ス ブ ル ク で 移 し 替 え る 必 要 が あ っ た 。 そ の 上 、 季 節 毎 に 河 口 付 近 が 砂 で 浅 く な っ て し ま い 、 船 の 航 行 が し ば し ば 妨 げ ら れ た 。 ヴ ィ ー ス バ ー デ ン へ の タ ウ ヌ ス 鉄 道 ︵ 1 8 3 9 年 ︶ 、 フ ラ ン ク フ ル ト = ハ ー ナ ウ 鉄 道 ︵ 1 8 4 8 年 ︶ 、 マ イ ン ツ へ の マ イ ン 鉄 道 ︵ 1 8 6 3 年 ︶ が 開 業 し 、 マ イ ン 川 の 船 舶 輸 送 は 、 そ れ ま で 年 平 均 20 万 t ほ ど で あ っ た の が 劇 的 に 減 少 し 、 最 低 を 記 録 し た 1 8 7 9 年 に は 9 3 , 4 0 0 t に ま で 落 ち 込 ん だ 。 同 じ 年 に 鉄 道 で フ ラ ン ク フ ル ト に 到 着 し た 貨 物 は 1 4 0 万 t に 及 ん だ 。
マ イ ン 川 の 運 河 化 と 西 港 開 港 の ポ ス タ ー ︵ 1 8 8 6 年 ︶
フ ラ ン ク フ ル ト の 上 級 市 長 マ ム ・ フ ォ ン ・ シ ュ ヴ ァ ル ツ ェ ン シ ュ タ イ ン の 主 導 で 、 マ イ ン ツ と フ ラ ン ク フ ル ト の 間 に 、 長 さ 3 6 k m の マ イ ン 川 の バ イ パ ス と な る 運 河 を 掘 削 す る 計 画 が 1 8 6 8 年 に 提 唱 さ れ た 。 こ の 計 画 は 何 度 も 修 正 が な さ れ 、 結 局 1 8 7 5 年 に 、 マ イ ン 川 自 体 を 運 河 化 し 、 水 位 を 1 . 5 m 嵩 上 げ し て 2 . 2 m と す る 事 で マ イ ン 川 の 船 舶 輸 送 に 間 に 合 う と 判 断 さ れ た 。 1 8 8 2 年 か ら 1 8 8 5 年 に マ イ ン 川 下 流 域 の マ イ ン ツ か ら フ ラ ン ク フ ル ト の 間 に 5 つ の 堰 ︵ コ ス ト ハ イ ム 、 フ レ ー ア ス ハ イ ム 、 オ ク リ フ テ ル 、 ヘ ヒ ス ト 、 ニ ー ダ ー ラ ー ト ︶ が 建 設 さ れ た 。 1 8 8 6 年 に は 、 マ イ ン 川 北 岸 、 フ ラ ン ク フ ル ト 西 部 に 大 規 模 な 港 、 W e s t h a f e n ︵ 西 港 ︶ が 開 港 し た 。 同 時 に 、 そ の 対 岸 に は 、 K o h l e h a f e n ︵ 炭 港 ︶ が 設 け ら れ 、 1 9 1 2 年 ま で 稼 働 し て い た 。 1 9 0 5 年 ま で の 西 港 の 貨 物 取 扱 量 は 1 , 5 6 5 , 0 0 0 t で 、 そ の 半 分 が ル ー ル 地 方 か ら の 石 炭 や コ ー ク ス で あ り 、 帰 り に は 砂 や 玉 砂 利 が 運 び 出 さ れ た 。 西 港 は 落 成 の 10 年 後 に は す で に 過 負 荷 に な っ て お り 、 1 9 1 2 年 に は 、 こ れ よ り も 明 ら か に 広 大 で 新 し い 港 、 O s t h a f e n ︵ 東 港 ︶ が 開 港 し た 。
1 9 2 0 年 代 に な る と 、 水 門 施 設 を 有 す る 5 つ の 堰 だ け で は 、 マ イ ン 川 を 航 行 す る 船 舶 を 捌 き き れ な く な っ た 。 こ の た め 1 9 2 7 年 か ら 、 水 力 発 電 の 機 能 と 大 規 模 な 水 門 施 設 を 有 す る 3 つ の 堰 ︵ コ ス ト ハ イ ム 、 エ ッ ダ ー ス ハ イ ム 、 グ リ ー ス ハ イ ム ︶ が 建 設 さ れ た 。
マ イ ン ク ー [ 編 集 ]
フ ラ ン ク フ ル ト の 町 並 み を 背 景 に し た マ イ ン ク ー ︵ 1 9 0 4 - 1 9 1 0 年 頃 ︶
西 港 建 設 後 も 、 船 舶 交 通 の 9 0 % は 、 ラ イ ン 方 面 へ の 交 通 で あ り 、 当 時 は ま だ 運 河 が 完 成 し て い な か っ た オ ー バ ー マ イ ン 方 面 へ の 船 は 1 0 % 程 度 に 過 ぎ な か っ た 。 こ の 小 さ な 輸 送 キ ャ パ シ テ ィ を 改 良 す る た め に マ イ ン ツ 市 民 と バ イ エ ル ン 王 国 は マ イ ン ケ ッ テ 株 式 会 社 を 創 立 し た 。 こ の 会 社 は 、 エ ル ベ 川 や ネ ッ カ ー 川 で は す で に 行 わ れ て い た 鎖 牽 引 船 を マ イ ン 川 に 導 入 す る 会 社 で あ っ た 。 川 に 流 れ に 沿 っ て 鎖 が 設 け ら れ 蒸 気 ボ ー ト ︵ マ イ ン ク ー ︶ が こ の 鎖 を た ど り な が ら 、 速 度 5 k m / h r で 川 を 上 っ て い っ た 。 こ の 蒸 気 ボ ー ト は 10 艘 ほ ど の 小 舟 を 曳 航 す る こ と が で き た 。 1 8 8 6 年 8 月 7 日 に 、 こ の 鎖 搬 送 シ ス テ ム は マ イ ン ツ - ア シ ャ ッ フ ェ ン ブ ル ク の 区 間 に 設 け ら れ た 。 1 8 9 1 年 に は 3 艘 の 蒸 気 ボ ー ト が マ イ ン 川 を 行 き 来 し て い た 。 そ の 後 、 鎖 搬 送 シ ス テ ム は 1 8 9 3 年 に ミ ル テ ン ベ ル ク ま で 、 1 9 0 3 年 に キ ッ ツ ィ ン ゲ ン ま で 、 1 9 0 8 年 に は バ ン ベ ル ク ま で と 、 次 第 に 延 長 さ れ て い っ た 。
し か し 、 こ の 鎖 牽 引 船 は 、 結 局 主 流 に は な ら ず 、 一 つ の エ ピ ソ ー ド と し て 、 1 9 2 0 年 代 に 操 業 を 停 止 し た 。 鎖 シ ス テ ム は 、 1 9 4 0 年 ま で 川 に 敷 設 さ れ た ま ま で あ っ た 。
大 規 模 航 路 へ の 拡 張 [ 編 集 ]
現 在 の マ イ ン 川 の 水 運
鎖 牽 引 船 の 導 入 と 並 行 し て 、 堰 の 建 設 に よ る マ イ ン 川 の 運 河 化 は 推 進 さ れ て い っ た 。 拡 張 は 何 段 階 も の ス テ ッ プ を 経 て 上 流 へ と 延 び て い っ た 。 1 9 0 1 年 に フ ラ ン ク フ ル ト か ら オ ッ フ ェ ン バ ッ ハ 港 ま で の 拡 張 が な さ れ 、 同 時 に フ ラ ン ク フ ル ト 東 港 の 建 設 が 開 始 さ れ た 。 こ の 港 が 操 業 を 開 始 し た の は 既 述 の 通 り 1 9 1 2 年 で あ っ た 。 1 9 2 1 年 に は ア シ ャ ッ フ ェ ン ブ ル ク ま で の 区 間 が 運 河 化 さ れ 、 1 9 4 9 年 に は ヴ ュ ル ツ ブ ル ク - バ ン ベ ル ク 間 の オ ー バ ー マ イ ン へ の 拡 張 も 開 始 さ れ た 。 歴 史 的 な 橋 梁 や マ リ エ ン ブ ル ク 城 砦 が あ る 目 前 の 水 路 に ヴ ュ ル ツ ブ ル ク 水 門 を 建 設 す る こ と は 大 き な 挑 戦 で あ っ た 。 1 9 6 2 年 5 月 29 日 に バ ン ベ ル ク ま で の 拡 張 工 事 は 完 成 し た 。
バ ン ベ ル ク で は 、 西 ヨ ー ロ ッ パ の 水 路 と ド ナ ウ 川 と を 結 ぶ マ イ ン = ド ナ ウ 運 河 が 運 用 開 始 さ れ た 。
マ イ ン 川 の 堰 地 図
マ イ ン 川 の 航 行 水 路 に 指 定 さ れ て い る 全 長 3 8 8 k m 、 標 高 差 1 4 7 m の 間 に は 、 バ ン ベ ル ク 近 郊 の フ ィ ー レ ト か ら マ イ ン 川 河 口 ま で の 現 在 34 の 堰 が 存 在 す る 。 堰 は 5 k m か ら 1 9 k m の 間 隔 で 設 け ら れ て い る 。 閘 門 の サ イ ズ は そ れ ぞ れ 長 さ 3 0 0 m 、 幅 1 2 m で あ る 。 コ ス ト ハ イ ム 、 エ ッ ダ ー ス ハ イ ム 、 グ リ ー ス ハ イ ム お よ び オ ッ フ ェ ン バ ッ ハ の 堰 に は そ れ ぞ れ 2 つ の 閘 門 が あ り 、 そ れ ぞ れ 長 さ は 約 3 4 0 m 、 幅 は 一 方 が 1 2 m 、 も う 一 方 が 1 5 m で あ る 。 ま た 、 す べ て の 堰 に 、 魚 が 遡 上 す る た め の 魚 梯 が 設 け ら れ て い る 。 こ れ ら の 堰 の 総 水 力 発 電 量 は 、 1 7 2 . 5 5 M W で あ る 。
以 下 に 、 す べ て の 堰 の 概 要 を 示 す 。
キッツィンゲン付近のマイン川。
ヴュルツブルクの古い橋から上流方向を望む。
オッフェンバッハを流れるマイン川。
グリースハイムの堰
コストハイムの堰
堰
位置 [河口からの距離] (km)
堰間の距離 (km)
海抜 (m)
落差 (m)
発電量 (kW)
1
フィーレト
380.70
0.00
230.86
6.00
6,200
2
リムバッハ
367.18
13.52
224.86
5.36
3,700
3
クネッツガウ
359.78
7.39
219.50
4.24
2,900
4
オッテンドルフ
345.26
14.52
215.26
7.59
6,300
5
シュヴァインフルト
332.04
13.23
207.67
4.67
3,800
6
ガールシュタット
323.50
8.53
203.00
4.69
3,900
7
ヴィプフェルト
316.29
7.21
198.31
4.31
2,900
8
ガーラッハスハウゼン
300.51
15.78
194.00
6.30
3,900
9
デッテルバッハ
295.40
5.11
187.70
5.50
4,200
10
キッツィンゲン
283.96
11.42
182.20
3.66
3,000
11
マルクトブライト
275.78
8.30
178.75
3.31
2,100
12
ゴスマンスドルフ
269.03
6.65
175.23
3.40
2,000
13
ランダーザッカー
258.89
10.14
171.83
3.30
2,000
14
ヴュルツブルク
252.51
6.37
168.53
2.75
900
15
エアラブルン
241.20
11.31
165.78
4.15
2,700
16
ヒンメルシュタット
232.29
8.91
161.63
4.30
2,500
17
ハルバッハ
219.47
12.82
157.33
4.90
3,000
18
シュタインバッハ
200.67
18.79
152.43
5.14
4,200
19
ローテンフェルス
185.89
14.79
147.29
5.26
4,200
20
レンクフルト
174.51
11.38
142.03
3.99
2,600
21
アイヒェル
160.47
14.04
138.04
4.50
3,100
22
ファウルバッハ
147.07
13.40
133.54
4.51
4,100
23
フロイデンベルク
133.95
13.12
129.03
4.51
4,300
24
ホイバッハ
122.36
11.59
124.50
4.00
3,400
25
クリンゲンベルク
113.05
9.31
120.52
4.00
3,000
26
ヴァルシュタット
101.20
11.85
116.52
4.00
3,400
27
オーバーナウ
92.91
8.29
112.52
4.00
3,200
28
クラインオストハイム
77.91
15.00
108.51
6.80
9,700
29
クロッツェンブルク
63.85
14.06
101.71
2.74
---
30
ミュールハイム
53.19
10.39
98.97
3.77
4,800
31
オッフェンバッハ
38.51
14.67
95.20
3.18
4,100
32
グリースハイム
28.69
9.83
92.02
4.49
4,900
33
エッダースハイム
15.55
13.14
87.53
3.61
3,640
34
コストハイム
3.21
12.34
83.92
(ライン川)
---
河口とヴュルツブルクに近いレンクフルトとの間の年間平均水深は2.90m。マイン川のこの区間には、長さ185m、幅11.45mまでの船や艀 が航行できる。ここは、ヨーロッパ水路のクラスVbに分類されている。ヴュルツブルクとマイン=ドナウ運河の間は、2010年までに深さ2.50mから2.90mに浚渫される予定である。これによってこの区間は、水路クラスVa(長さ110mの船が航行可能となる)に適合することになる。この区間をこれよりも長い船や艀が通行するには特別な許可が必要である。
フォルカハ 付近には水門があり、ガーラハハウゼンへの運河の水量をコントロールしている。
マイン渓谷の交通路 [ 編集 ]
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ギンスハイム=グスタフスブルクのマイン川鉄橋
他の多くの河川と同様、マイン川沿いには船を曳くための道があった。河川沿いはその周辺よりも村落が発達しており、さらにマイン渓谷周辺は山地の多い地形であることからマイン川の河岸には交通路が形成され、現在でも鉄道や近代道路に利用されている。
マイン渓谷の鉄道 [ 編集 ]
鉄道は、マイン渓谷の大部分を東西に結んでいる。ただし、幹線はマインドライエックやマインフィーアエック部分では、支流を経由してショートカットして結んでいる。
道路交通 [ 編集 ]
マイン川は、その全域にわたって連邦道路が併走している。これは、2つの源流も例外ではない。
赤マイン川はクロイセンからバイロイトを経てクルムバッハまで連邦道B85号線が併走している。白マイン川は水源からわずか100mの位置で連邦道B303号線と出会い、ウンターシュタイナハ まで併走する。この町からはB289号線がクルムバッハまでこれを引き継ぐ。
これらの道路は、リヒテンフェルスで合流し、ツェトリッツ からバンベルクまでB173がマイン川左岸を走る。バンベルクからシュヴァインフルトまで、B26号線がエルトマンで左岸から右岸に場所を変えながら併走する。マインタール・アウトバーンとも呼ばれるアウトバーン A70号線もバンベルクからシュヴァインフルトまでマイン川沿いに通っており、バンベルク近郊、エルトマン、シュヴァインフルトで川を渡る。
シュヴァインフルトの下流では、所々、河岸に道路のない箇所がある。B26号線は、マインドライエック沿いの回り道を採らずに直接カールシュタットに通じており、これと交差するB19号線はマインドライエック中央部を垂線状に通り直接ヴュルツブルクへ向かう。オクゼンフルトから再び連邦道がマイン川右岸に現れる。ヴュルツブルクまではB13号線、カールシュタットまではB27号線、ロールまでは再びB26号線である。集落の少ないマインフィーアエックの東部および南部は州道がこれを結んでいる。ミルテンベルク からアシャッフェンブルクまでは連邦道B469号線がマイン川左岸を走る。
アシャッフェンブルクからハーナウおよびフランクフルト市内を経由してフランクフルト=ヘヒストまでマイン右岸を(一部は対岸を通るが)連邦道B8号線が走っている。また、この道からハーナウで分かれるB43号線はオッフェンバッハおよびリュッセルスハイムを経由してマインツまで時折(特にフランクフルト=ザクセンハウゼンからケルスターバッハ まで)マイン川から離れながらも、その左岸を通って行く。対岸の右岸は連邦道B40号線がハッタースハイムからマインツまでのマイン川最後の数kmを結んでいる。
フェリー(渡し船) [ 編集 ]
ゼーリゲンシュタットのフェリー発着所
ヘヒストのフェリー
過去40年の間に不採算性から多くのフェリーが撤退したにもかかわらず、マイン川には12のフェリーが残っている(2007年10月現在)。これらのフェリーは、地方自治体から維持運営のための補助金を受けて運営されている。多くのフェリーは自家用車やトラックを規定積載量まで積んで運航しているが、中には人と自転車のみを運ぶフェリーもある。フェリーは、交通上、地元の人々には重要な機関である。特に農業従事者には、橋までの20kmを迂回せずに済むことで大きな利益がもたらされている。
フレンキシェ・ザーレ川越しに望むザーレック城 。
ニュルンベルク市内を流れるペグニッツ川 。
タウバー川の河畔からローテンブルク・オプ・デア・タウバー を望む。
左岸の支流
右岸の支流
源流
オーバーマイン
マインドライエック
プライヒアハ川 (ヴュルツブルク)
ヴェルム川 (ゲミュンデン=ヴェルンフェルト地区
マインフィーアエック
ウンターマイン
かっこ内はマイン川との合流地点の地名
芸術作品におけるマイン川 [ 編集 ]
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クールベ作『フランクフルトの眺望』
1859年のカール・フリードリヒ・ミリウスの作品。フランクフルトの聖三位一体教会付近。
^ この高さは、第二次世界大戦で破壊された教会に掲げられたラテン語の標板によっている。これに該当する高さは、アイゼルン・シュタイクの建物の壁に表示されている。(本項の写真参照)
参考文献 [ 編集 ]
Erwin Rutte: Rhein – Main – Donau. Eine geologische Geschichte. Thorbecke-Verlag, Sigmaringen 1987, ISBN 3-7995-7045-4
J. Albrecht Cropp, Carlheinz Gräter: Der Main. Weisser Main, Roter Main, Europa-Kanal. Von den Quellen bis zur Mündung. Stürtz-Verlag, Würzburg 1985, ISBN 3-8003-0255-1
Stadt am Fluß – Frankfurt und der Main. Archiv für Frankfurts Geschichte und Kunst (AFGK). Bd 70. Verlag Waldemar Kramer, Frankfurt am Main 2004, ISBN 3-7829-0559-8
Karin Brundiers, Gerd Fleischhauer: Main-Handbuch - Von der Mündung bis zum Main-Donau-Kanal. DSV-Verlag, Hamburg 1995, ISBN 3-88412-216-9
Franz X. Bogner: Der Obermain. Ein Luftbildporträt von Bayreuth bis Bamberg. Ellwanger-Verlag, Bayreuth 2006, ISBN 3-925361-57-X
Wolfram Gorr: Frankfurter Brücken. Schleusen, Fähren, Tunnels und Brücken des Mains. Frankfurter Societät, Frankfurt am Main 1982, ISBN 3-7973-0393-9
(以上の文献は翻訳元であるドイツ語版に挙げられていた参考文献であり、日本語版作製に際し直接参照してはおりません。)
外部リンク [ 編集 ]
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