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伊藤組土建株式会社︵いとうぐみどけん︶は、北海道の建設会社である。
前身の伊藤組は新潟県から渡道した伊藤亀太郎により1893年︵明治26年︶に創業した。従業員数名の土工部屋からの出発であったが、1902年︵明治35年︶に札幌木材商組合の評議員となり、その後、鉄道指名業者となってからは戦前から戦中にかけて道内主要工事の多くを受注し、北海道を代表する企業として地崎工業と並ぶ﹁道内土建業の首領﹂とも呼ばれた。1944年︵昭和19年︶、初代の死去にともない伊藤豊次が社長に就任した。後に貴族院議員にも勅選された。戦後の東京進出に備えて中央政財界に太いパイプを築いた。1956年︵昭和31年︶3代目伊藤義郎は30歳で社長に就任し、2002年︵平成14年︶まで在任した。
技術的には北海道特有の厳しい気候に対応できる事が道内同業者と同じくする長所であるが、近年では官公庁関連の完全入札制、同等以上の技術力のあるゼネコン大手の直接進出にともない、受注に関してかつての様に﹁伊藤組さん﹂だからという楽観できない環境下にある。
1946年︵昭和21年︶、伊藤組土建株式会社に商号を変更した。折りしもの好景気にのって全国の大規模建設工事に参加し、海外にも進出を果たした。しかし、バブル景気の崩壊で関連会社など多額の負債を抱えた。伊藤義郎の決断により関連企業を整理統合し、地崎工業のような運命は辿らなかった。スポーツ事業にそれ程手を出さなかったことも幸いした。その後は﹁本業回帰﹂を標榜して着実に受注高を回復させている。
伊藤杯 宮の森ナイタージャンプ大会、伊藤杯シーズンファイナル大倉山ナイタージャンプ大会などの﹁伊藤杯﹂の名称は日本スキー界の発展に貢献した伊藤義郎にちなむ。
北海道ゼロックスやテレビ北海道といった企業の設立にかかわった。
北海道リート投資法人のスポンサーの一社である[2]。
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