公訴棄却
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公訴棄却︵こうそききゃく︶とは、刑事訴訟における手続打切り制度の一種。日本の刑事訴訟法では、第338条及び第339条に定められている。
公訴棄却の事由︵刑事訴訟法条文︶[編集]
※以下の条文は原文のまま掲載。公訴棄却の判決︵刑事訴訟法第338条︶[編集]
左の場合は、判決で公訴を棄却しなければならない。 (一)被告人に対して裁判権を有しないとき。︵第1号︶ (二)第340条︻公訴取消しによる公訴棄却と再起訴の要件︼の規定に違反して公訴が提起されたとき。︵第2号︶ (三)公訴の提起があった事件について、更に同一裁判所に公訴が提起されたとき。︵第3号︶ (四)公訴提起の手続がその規定に違反したため無効であるとき。︵第4号︶公訴棄却の決定︵刑事訴訟法第339条第1項︶[編集]
次の場合は、決定で公訴を棄却しなければならない。 (一)第271条第2項︻起訴状謄本の不送達︼の規定により公訴の提起がその効力を失つたとき。︵第1号︶ (二)起訴状に記載された事実が真実であつても、何らの罪となるべき事実を包含していないとき。︵第2号︶ (三)公訴が取り消されたとき。︵第3号︶ (四)被告人が死亡し、又は被告人たる法人が存続しなくなつたとき。︵第4号︶ (五)第10条又は第11条︻同一事件が数個の裁判所に係属した場合︼の規定により審判してはならないとき。︵第5号︶公訴棄却により裁判が終結した事件[編集]
※括弧内は事件発生年。
●炭鉱国管疑獄︵1947年 - 1948年︶ - 被告人‥庄忠人。1952年6月19日に東京地裁で懲役8月︵執行猶予1年︶の判決を受け、控訴していたが、控訴中に死亡したため、公訴棄却の決定がなされた[1]。
●団規令事件︵1950年︶
●三無事件︵1961年︶ - 被告人‥川南豊作。福岡地裁にて第一審の審理中、被告人が死亡したため公訴棄却決定。
●千日デパートビル火災事件︵1972年︶ - 業務上過失致死傷罪で起訴されていたデパート管理部次長が、第一審係属中に死亡したため、1977年6月30日に公訴棄却の決定がなされた。
●別府3億円保険金殺人事件︵1974年︶ - 被告人‥荒木虎美。最高裁への上告中、被告人が死亡したため公訴棄却決定[2]。
●ロッキード事件︵1976年︶ - 田中角栄・大久保利春・橋本登美三郎︵最高裁への上告中︶・小佐野賢治︵東京高裁への控訴中︶の4被告人。いずれも被告人死亡のため公訴棄却決定。
●福岡連続保険金殺人事件︵1978年︶[3] - 被告人として男女4人が福岡地裁へ起訴されたが、女1人は第一審係属中の1980年3月23日に福岡拘置支所[注 1]で死亡し[5]、公訴棄却となった[6]。
●福山市一家3人殺害事件︵1988年︶ - 第一審︵広島地裁福山支部︶および控訴審︵広島高裁︶でそれぞれ死刑判決を受け、上告していた被告人が死亡したため公訴棄却決定[7]。
●岩手県種市町妻子5人殺害事件︵1989年︶ - 控訴審︵仙台高裁︶で死刑判決を受け、上告していた被告人が死亡したため公訴棄却決定[8]。
●豊田2人刺殺事件︵1995年︶ - 名古屋地裁岡崎支部が﹁被告人は病気で訴訟能力がない﹂という弁護人の主張を認めて公判を停止し、後に公訴棄却の判決[9]。検察が控訴したところ、控訴審︵名古屋高裁︶では破棄差戻し判決が言い渡されたが[10]、最高裁は控訴審判決を破棄して第一審の判決を支持したため、公訴棄却の判決が確定[11]。
●宮崎県官製談合事件︵2006年︶ - 安藤忠恕。最高裁への上告中、被告人死亡のため公訴棄却決定[12]。
●三浦和義による窃盗事件︵2007年︶ - 被告人として窃盗罪で起訴されていた三浦︵1981年のロサンゼルス銃撃事件で逮捕︶が2008年10月に死亡したため、横浜地裁小田原支部︵山田和則裁判長︶は2008年12月15日付で同事件の公訴棄却を決定[13]。
●一関市住職親子強盗殺人事件︵2007年︶ - 第一審・︵盛岡地裁︶で死刑判決を受け、仙台高裁に控訴していた被告人が宮城刑務所・仙台拘置支所で自殺したため公訴棄却決定[14]。
●鹿児島高齢夫婦殺害事件︵2009年︶ - 第一審・鹿児島地裁︵裁判員裁判︶で無罪判決︵求刑‥死刑︶を受けた被告人[15]。検察側が福岡高裁宮崎支部へ控訴していたが[16]、被告人が死亡したため公訴棄却決定[15]。
●ソマリア沖商船三井タンカー襲撃事件︵2011年︶ - 被告人4人のうち1人が起訴後、事件当時は未成年者だった可能性が浮上した[注 2]ことから、東京地裁︵村山浩昭裁判長︶は少年法の手続きを経ていないことを理由に、公訴棄却の判決を言い渡した[18]。この被告人はその後、東京家裁への送致および逆送致を経て[19]、犯行時少年として改めて起訴され[17]、懲役11年の刑を言い渡されている[20][21]。
●加藤暠︵2012年︶ - 金融商品取引法違反事件で起訴されていたが、2016年12月26日に病死し、公訴棄却となった[22]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
(一)^ 田中二郎、佐藤功、野村二郎編﹃戦後政治裁判史録1﹄第一法規出版、1980年。341頁、353-354頁。
(二)^ 最高裁判所第一小法廷決定 1989年︵平成元年︶1月30日 集刑 第251号189頁、昭和59年(あ)第1566号、﹃殺人、恐喝未遂、恐喝被告事件﹄﹁いわゆる別府三億円保険金殺人事件の上告審結果︵被告人死亡による公訴棄却︶﹂。
(三)^ フクオカ犯罪史研究会 1993, p. 237.
(四)^ ﹃朝日新聞﹄1996年5月11日西部朝刊第14版第一社会面31頁﹁福岡拘置支所、拘置所に昇格 外国人房も新たに設置 密航など増加する事件に対処﹂︵朝日新聞西部本社︶
(五)^ フクオカ犯罪史研究会 1993, p. 245.
(六)^ ﹃朝日新聞﹄1988年3月8日東京夕刊社会面15頁﹁福岡の連続保険金殺人事件の主犯、死刑確定﹂︵朝日新聞東京本社︶
(七)^ 吉村時彦﹁中国新聞地域ニュース > 公判停止のU被告死亡 一、二審死刑▽解説 16年 遅い裁判に疑問﹂﹃中国新聞﹄中国新聞社、2004年7月24日。2004年7月26日閲覧。オリジナルの2004年7月26日時点におけるアーカイブ。
(八)^ ﹃岩手日報﹄1992年10月20日朝刊第2版17頁﹁種市の妻子5人殺害K被告が入院先で病死﹂︵岩手日報社︶
(九)^ ﹁17年停止の裁判﹁打ち切り﹂判決、愛知2人殺害﹂﹃日本経済新聞﹄日本経済新聞社、2014年3月12日。2020年10月19日閲覧。オリジナルの2020年10月19日時点におけるアーカイブ。
(十)^ ﹁裁判打ち切りは﹁誤り﹂ 愛知の2人刺殺、高裁が差し戻し﹂﹃日本経済新聞﹄日本経済新聞社、2015年11月17日。2020年10月19日閲覧。オリジナルの2020年10月19日時点におけるアーカイブ。
(11)^ ﹁﹁訴訟能力回復見込みなければ裁判所が打ち切り可能﹂ 精神疾患の被告の公判で最高裁が初判断﹂﹃産経ニュース﹄産業経済新聞社、2016年12月19日。2020年10月19日閲覧。オリジナルの2020年10月19日時点におけるアーカイブ。
(12)^ ﹁安藤忠恕氏死去/前宮崎県知事﹂﹃四国新聞﹄四国新聞社︵共同通信社︶、2010年4月30日。2020年10月19日閲覧。オリジナルの2020年10月19日時点におけるアーカイブ。
(13)^ ﹁横浜地裁小田原支部、故三浦和義元社長の窃盗罪の公訴棄却/ロスでの死亡受け﹂﹃カナロコ﹄神奈川新聞社、2008年12月15日。オリジナルの2009年9月18日時点におけるアーカイブ。
(14)^ ﹁死刑判決のC被告が自殺 一関・住職親子強殺事件﹂﹃河北新報﹄河北新報、2008年12月29日。オリジナルの2008年12月29日時点におけるアーカイブ。
(15)^ ab﹁無罪被告、死亡で公訴棄却の決定 上級審の判断なく事件終結﹂﹃千葉日報オンライン﹄千葉日報社︵共同通信社︶、2012年3月28日。2020年10月19日閲覧。オリジナルの2020年10月19日時点におけるアーカイブ。
(16)^ ﹁死刑求刑、無罪判決の男性被告が死亡 鹿児島﹂﹃日本経済新聞﹄日本経済新聞社︵共同通信社︶、2012年3月10日。2020年10月19日閲覧。オリジナルの2020年10月19日時点におけるアーカイブ。
(17)^ ab﹁タンカー襲撃事件で海賊のソマリア人少年を起訴﹂﹃MSN産経ニュース﹄産業経済新聞社、2011年12月1日。2021年6月7日閲覧。オリジナルの2011年12月21日時点におけるアーカイブ。
(18)^ ﹁タンカー襲撃で公訴棄却判決 東京地裁﹁成年か疑問﹂﹂﹃日本経済新聞﹄日本経済新聞社︵共同︶、2011年11月4日。2021年6月7日閲覧。オリジナルの2021年6月7日時点におけるアーカイブ。
(19)^ ﹁ソマリア人男性、逆送を家裁決定 タンカー襲撃で公訴棄却﹂﹃日本経済新聞﹄日本経済新聞社、2011年11月30日。2021年6月7日閲覧。オリジナルの2021年6月7日時点におけるアーカイブ。
(20)^ ﹁ソマリア人元少年に実刑 海賊事件で東京地裁判決﹂﹃日本経済新聞﹄日本経済新聞社︵共同︶、2013年4月12日。2021年6月7日閲覧。オリジナルの2021年6月7日時点におけるアーカイブ。
(21)^ ﹁海賊事件、二審も実刑 元少年に東京高裁﹂﹃MSN産経ニュース﹄産業経済新聞社、2014年1月15日。2021年6月7日閲覧。オリジナルの2014年1月15日時点におけるアーカイブ。
(22)^ ﹁﹁兜町の風雲児﹂の公訴棄却 東京地裁 相場操縦事件で公判中に死亡﹂﹃産経ニュース﹄産業経済新聞社、2017年1月19日。2021年6月7日閲覧。オリジナルの2021年6月7日時点におけるアーカイブ。