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勝山城 (長門国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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勝山城
山口県
勝山城遠景
勝山城遠景
別名 且山城、勝山御殿
城郭構造 山城
築城主 永富嗣光?・内藤氏
主な改修者 毛利元周
遺構 石垣
指定文化財 国の史跡「勝山御殿跡」
位置 北緯34度01分57.5秒 東経130度58分12.6秒 / 北緯34.032639度 東経130.970167度 / 34.032639; 130.970167座標: 北緯34度01分57.5秒 東経130度58分12.6秒 / 北緯34.032639度 東経130.970167度 / 34.032639; 130.970167
地図
勝山城の位置(山口県内)
勝山城

勝山城

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殿殿[1]201931226殿[2][3]

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殿
青山城
青山は、勝山の南西方向で尾根続きとなっている。築城年代は不明だが、大永7年(1527年)の勝山青山の戦いで、青山城は陥落したと言われている。その後永禄年間(1560年頃)に、大友氏への備えとして毛利氏が築城(修改築)したと考えられている。頂上付近には、曲輪・石垣・竪堀などが残っている。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 史跡等の指定等について(平成30年11月16日)「新指定・新登録・新選定」答申物件 (PDF)史跡等の指定等 (PDF) ) - 文化庁
  2. ^ a b 「勝山御殿跡」(文化遺産データベース)文化庁公式HP
  3. ^ a b 「官報」平成31年(2019年)2月26日号外
  4. ^ [1]
  5. ^ 勝山城跡の説明板「勝山の歴史」(平成15年3月・勝山三山を守る会)より。
  6. ^ a b c d 小都 1986, p. 220.
  7. ^ 武家諸法度の築城禁止規定により勝山御殿と称したものの、実態は総石垣造りの本格的なであった。
  8. ^ 城門から侵入しようとする敵兵の側面を攻撃(迎撃)ができるよう、城郭から枡形の張り出しが造られている。横矢掛りとも呼ばれる。
  9. ^ 【今こそ知りたい幕末明治】(38)近世城郭の“最終形”勝山御殿 - 産経ニュース(産経新聞)2017年11月10日

参考文献[編集]

小都隆「元就関係の史跡・城郭事典」(河合正治編『毛利元就のすべて』新人物往来社、1986年)

外部リンク[編集]