和田亀治
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和田 亀治︵わだ かめじ、1871年1月9日︵明治3年11月19日︶ - 1945年12月2日︶は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴[編集]
大分県出身。和田寿七の長男として生れる。職人、徴兵を経て、1889年︵明治22年︶5月、陸軍教導団を卒業。1895年︵明治28年︶2月、陸軍士官学校︵6期︶を卒業。同年5月、歩兵少尉に任官し歩兵第12連隊付となる。1901年︵明治34年︶11月、陸軍大学校︵15期︶を卒業した。 歩兵第12連隊中隊長、参謀本部出仕、参謀本部員などを歴任。日露戦争に第1師団参謀として出征した。陸大教官、陸軍省軍務局課員などを経て、1910年︵明治43年︶12月、陸軍中佐に進級。陸軍省副官兼軍務局課員、麻布連隊区司令官などを歴任し、1915年︵大正4年︶2月、陸軍大佐に昇進。 陸軍省副官を経て、1919年︵大正8年︶1月、陸軍少将に進級し陸大幹事に就任。参謀本部第3部長に異動し、1923年︵大正12年︶8月、陸軍中将に進み陸大校長となった。1925年︵大正14年︶5月、第1師団長に親補され、1928年︵昭和3年︶8月、予備役に編入された。後に帝国在郷軍人会副会長を務めた。栄典・授章・授賞[編集]
- 位階
- 1895年(明治28年)11月15日 - 正八位[1]
- 1897年(明治30年)12月15日 - 従七位[2]
- 1925年(大正14年)12月1日 - 正四位[3]
- 1928年(昭和3年)9月28日 - 従三位[4]
- 勲章等
- 1895年(明治28年)2月1日 - 望遠鏡一個[5]
- 1934年(昭和9年)4月29日 - 昭和六年乃至九年事変従軍記章[6]
- 1936年(昭和11年)10月22日 - 勲一等瑞宝章[7]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[8]