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多利思比孤

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多利思北孤から転送)

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脚注[編集]

  1. ^ 日本では通常、「國」は「倭國」の誤りとされる。
  2. ^ 大王 (ヤマト王権)参照
  3. ^ 日本書紀』、『上宮聖徳法王帝説』の記述とは順序が異なっている。
  4. ^ 吉村武彦 『古代天皇の誕生』p.110 角川書店 ISBN 978-4047032972
  5. ^ a b 石原道博 (編訳)『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝 中国正史日本伝 (1)』 (岩波書店、1985年)
  6. ^ 天足彦国押人命は娘の押媛が弟の孝安天皇の后となり甥で孫の孝霊天皇を産んだとされ、女系では以後の皇室の先祖ともされる。
  7. ^ 森公章 『日本の時代史3 倭国から日本へ』 吉川弘文館 2002年 ISBN 4-642-00803-9 p.8.
  8. ^ 編集白石太一郎 吉村武彦 『新視点 日本の歴史2 古代編Ⅰ 古代►飛鳥時代』 新人物往来社 1993年 ISBN 4-404-02002-3 pp.313 - 314.
  9. ^ 吉田孝岩波新書『日本の誕生』で「中国の役人は、倭王にも当然、姓はあるはずと考えていたので(中略)問い詰められた倭の使者が、苦しまぎれに「姓はアメ」と答えたのかもしれない」と推測している。
  10. ^ 熊谷公男 『日本の歴史03 大王から天皇へ』 講談社 2001年 ISBN 4-06-268903-0 p.237.
  11. ^ 岸俊男 『日本の古代6 王権をめぐる戦い』 中央公論社 1986年 ISBN 4-12-402539-4 p.53.
  12. ^ 『新視点 日本の歴史2 古代編Ⅰ』 p.314.
  13. ^ 同『日本の歴史03 大王から天皇へ』 p.237.
  14. ^ 森田悌 『推古朝と聖徳太子』 岩田書院 2005年 ISBN 4-87294-391-0 p.145.
  15. ^ 同『推古朝と聖徳太子』 p.145.
  16. ^ 同『推古朝と聖徳太子』 p.146.
  17. ^ 王仲殊 西嶋定生監訳 桐本東太訳 『中国からみた古代日本』 学生社 1992年 ISBN 4-311-20181-8 p.145.
  18. ^ 熊谷公男『日本の歴史03 大王から天皇へ』 p.235.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]