大内義昭
大内 義昭 | |
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生誕 | 1960年3月14日 |
出身地 |
日本・福岡県八幡市 (現・北九州市八幡西区) |
死没 | 2015年5月22日(55歳没) |
職業 | シンガーソングライター、音楽学校講師、プロデューサー |
大内 義昭︵おおうち よしあき、1960年3月14日 - 2015年5月22日︶は、福岡県を拠点に活動していた日本のミュージシャン、プロデューサー。個人事務所であるアイム・ヒアー代表取締役。
人物[編集]
福岡県八幡市︵現・北九州市八幡西区︶出身[1][2]。北九州市立引野中学校、八幡大学付属高等学校︵現・九州国際大学付属高等学校︶卒業。 1980年代から、本格的な音楽活動を開始。自ら歌うほか、多くのミュージシャンに楽曲を提供。DU-PLEXというバンドのメンバーとなり、﹁サイキック・マジック﹂︵G.I.オレンジのカヴァー︶などをリリース。1994年の第45回NHK紅白歌合戦に女優藤谷美和子と﹃愛が生まれた日﹄のデュエットで初出場。 その後帰郷し小倉に在住。地元に本拠を置いて活動を続けるとともに﹁九州アーティスト学院﹂を開校して若手の育成にも乗り出す。1996年に開校した北九州市立あやめが丘小学校の校歌の作詞作曲、そして母校である九州国際大学付属高校の系列校で2000年に開校した九州国際大学付属中学校の校歌の作詞作曲も担当[3][4]。 地元のNHK北九州放送局との関係を強めており、同局の番組にも2年間レギュラーとして出演したほか、様々な番組のテーマ曲などを手掛けた。 2014年に食道癌が見つかった後、治療しながら音楽活動を続けていたが、翌2015年5月上旬に体調が急速に悪化。22日に入院していた北九州市八幡東区の病院で死去した。55歳没[5][6]。しのぶ会には北橋健治、ファンなど約200人が参列した[7][8]。個人事務所アイムヒアーは没後の2016年1月、﹃株式会社 大内義昭ミュージックアソシエイト﹄と社名変更され、遺された所属アーティストのマネジメント業務を引き続き行っている。ディスコグラフィ[編集]
アルバム[編集]
●TDK ●﹃Back Seat﹄︵1989年︶ ●﹃Remember Blues﹄︵1990年︶ ●﹃TENDERNESS﹄︵1992年︶ ●コロムビア ●﹃Lady Blue﹄︵1994年︶ ●﹃Tear drops﹄︵1996年︶ ●ベスト ●﹃FLASH BACK﹄︵1994年︶du-plex[編集]
du-plex︵DU-PLEX、ドゥ・プレクス、デュー・プレックス︶は、大内一記︵大内義昭︶と江尻利幸により結成されたグループで、以下のようなシングル、アルバムを出した。シングル[編集]
●Human Woman /素直になりたくて(1984年、CBS SONY、7"Single、07SH 1557︶ ●Human Woman︵作詞‥竜真知子、作曲‥大内一記、編曲‥土屋昌巳︶ ●素直になりたくて︵作詞・作曲‥大内一記、編曲‥John Adams︶ ●Misty Blue/誘惑のスウィング︵1985年、CBS SONY、7"Single、07SH 1611︶ ●Misty Blue︵作詞‥三垣ケンジ、作曲‥大内一記、編曲‥笹路正徳︶ ●誘惑のスウィング︵作詞・作曲‥大内一記、編曲‥John Adams︶ ●Psychic Magic/Misty Blue︵1985年、CBS SONY、7"Single、07SH 1663︶ ●Psychic Magic︵作詞・作曲‥Carl Whitworth、訳詞‥三垣ケンジ、編曲‥笹路正徳︶ ●Misty Blue︵作詞‥三垣ケンジ、作曲‥大内一記、編曲‥笹路正徳︶アルバム[編集]
●WITH MY HEART︵1985年、CBS SONY、28AH 1825︵レコード︶、28KH 1634︵カセット︶、32DH 173︵CD︶︶ ●1.ミッドナイト・ダンサー︵Midnight Dancer︶ ●2.WITH MY HEART ●3.GOOD LUCK ●4.黄昏にフォール・イン・ラブ︵Fall In Love︶ ●5.ストップ・ザ・レイン~雨の中の少年達~︵Stop The Rain︶ ●6.HUMAN WOMAN ●7.誘惑のスウィング︵Swing︶ ●8.LOVE FOREVER ●9.ハートはCRAZY ︵Crazy Heart︶ ●10.素直になりたくて︵More Of True Me︶ なお、ソニー・オーダーメイドファクトリー︵OMF︶にて、このアルバムに、未収録の3枚目のシングルの2曲をボーナストラックとして﹁11.ミスティー・ブルー、12.サイキック・マジック﹂と追加し、CDを発売するという企画があり、商品番号︵DYCL-234︶までついていたが、予約数が足りず商品化にいたらなかった。︵OMFのページ︶代表曲[編集]
●愛が生まれた日︵1994年︶ ●オリコンチャートでは最高位5位ながらもロングヒットし、1994年7月18日付シングルチャートでミリオンセラーを達成。132万枚を売り上げるヒットとなり、藤谷と大内は﹃第45回NHK紅白歌合戦﹄への出場、﹃第36回日本レコード大賞﹄では優秀賞、﹃第27回日本有線大賞﹄では最優秀新人賞、﹃第27回全日本有線放送大賞﹄ではグランプリと最優秀新人賞をダブルで受賞した。 ●シティ神戸︵1995年︶ ●シングル発売日直前に阪神・淡路大震災が発生したため、この曲を歌って神戸再建に取り組もうという内容のキャッチコピーがシングルのジャケットに記されている︵初版シングルでは封にシールが貼られている︶。 ●ニュースシャトル北九州のテーマ ●Shaky Lover︵静かなるドン1 - 6 エンディング曲︶ ●燃えろギラヴァンツ〜太陽に向かって〜︵2010年︶ ●ギラヴァンツ北九州球団歌[9]。前身球団歌と異なり自ら歌唱。 ●恋のバカンス︵2011年、TA-SACRAプロデュース・編曲︶ ●ハルカミホとのデュエットカバー ●いっしょにハレピョン︵2014年、NHK北九州のキャラクター“ハレピョン”のテーマソング︶楽曲提供作品[編集]
●井上昌己﹁Just Open The Door﹂︵作曲︶ ●井上武英﹁銀の指環﹂﹁心を濡らす雨﹂︵作曲︶ ●大東恵﹁扉を開けて〜TAKE A CHANCE〜﹂﹁夏の勇気﹂︵作曲︶ ●小沢なつき﹁TALK BACK〜口ごたえ〜﹂﹁15歳の境界線︵ボーダーライン︶﹂︵作曲︶ ●尾高千恵﹁"N"にジェラシー﹂﹁東京MAD CITY﹂﹁We're changin'〜ティア、振り向かないで﹂︵作曲︶※アニメ﹃トゥインクルハート 銀河系までとどかない﹄挿入歌 ●class﹁心のDistance﹂﹁最後の雪が降る﹂﹁サヨナラがにじむ街﹂︵作曲︶ ●小比類巻かほる﹁City Hunter〜愛よ消えないで〜﹂﹁HOLD ON ME﹂﹁TOGETHER﹂DREAMERほか多数︵作曲︶ ●駒田はじめ﹁少年のひとみで﹂︵作詞・作曲︶ ●サブリナ﹁ハローDECEMBER﹂﹁パラダイス〜夏に恋して〜﹂︵作曲︶ ●椎名恵﹁たぶん彼女も水の星座﹂﹁夜毎、ハイウェイを飛ばす女﹂﹁29 Twenty-nine﹂﹁ハート・オン・ファイアー﹂﹁FOR YOU﹂﹁長い夏﹂﹁against﹂︵作曲︶ ●鈴木真仁﹁PLACE IN THE HEART﹂︵作曲︶ ●谷山紀章﹁ほんとのI LOVE YOU﹂︵作曲︶ ●千葉美加﹁Wild Angel﹂︵作曲︶ ●刀根麻理子﹁幸福を焦らないで﹂﹁1000年前の恋人﹂﹁BRAIN SCREENの中で﹂﹁MY BIRTHDAY﹂︵作曲︶ ●中森明菜﹁NECESSARY﹂︵作曲︶ ●西村知美﹁星の砂漠﹂︵作曲︶ ●光GENJI﹁君の涙に虹を見た﹂︵作詞・作曲︶ ●引田香織﹁時空への旅立ち﹂︵作詞・作曲︶ ●保志総一朗﹁僕のヒロイン﹂︵作曲︶ ●前川清﹁幻の駅﹂︵作詞・作曲︶ ●松田樹利亜﹁負けないBroken Heart﹂︵作曲︶ ●松原大典﹁深き想い﹂︵作詞・作曲︶ ●松本圭未﹁SILENT SONG﹂︵作曲︶※アニメOVA﹃クイーン・エメラルダス﹄エンディングテーマ ●丸山みゆき﹁オール・デイ・ロング﹂﹁少年の日の輝きに﹂﹁白いスニーカー﹂﹁Say Good-bye﹂﹁青春メモリー﹂﹁テイク・ワンス・タイム﹂﹁涙ながすその前に﹂﹁レイニー・シーズン﹂﹁Stay by me﹂﹁Good-bye Days﹂︵作詞・作曲︶﹁あなたの肩越しに﹂﹁いちばん熱い夢﹂﹁風に消えた自転車﹂﹁Tears﹂﹁東京タワーから見えた﹂﹁夏のゆくえ 冬のゆくえ﹂﹁2月はあなたに似ている﹂﹁天使のLOVE SONG﹂﹁きっとあなたなら﹂︵作曲︶ ●三橋くんと中倉くん﹁何でもありの17才﹂︵作詞・作曲・編曲︶※河辺健浩と共同編曲 ●森川美穂﹁PRIDE﹂︵作曲︶ ●森口博子﹁Generation﹂︵作曲︶ ●薬師寺容子﹁原宿物語﹂﹁夏の星座﹂﹁握手して﹂︵作曲︶ ●薬師丸ひろ子﹁マリーンブルーの囁き﹂︵作曲︶ ●結城梨沙﹁ピュアストーン﹂︵作曲︶※アニメ﹃赤い光弾ジリオン﹄オープニングテーマ ●四銃士﹁DO YOUR BEST﹂︵作曲︶ ●TAEKO﹁星たちのささやき﹂︵作曲︶︵神戸連続児童殺傷事件の被害者少女に捧げる歌︶ ●M.C.R﹁LOVE FOR EVER―君を守るために―﹂︵作詞・作曲・編曲︶※アニメ﹃ビーストウォーズネオ 超生命体トランスフォーマー﹄オープニングテーマテレビ番組[編集]
●なんしよ〜ん!?北九州︵2004年4月 - 2006年3月 NHK北九州放送局︶ 初年度は月曜日、次年度は木曜日に出演。北九さんとの掛け合いは時に過熱することもあった。 ●第45回NHK紅白歌合戦紅組歌手︵1994年︶ ●﹁心に音をたずさえて 〜大内義昭の旅名人紀行〜﹂︵2008年7月 - 12月︶ ●iTSCOM TV CH ACCESS﹁古今東西﹂︵2011年1月 - ︶ ●クイズ☆タレント名鑑﹃カラオケ歌われるまで帰れません!﹄︵2011年9月11日︶[10]ラジオ番組[編集]
●FMウィークエンドスペシャル︵JFN︶脚注[編集]
(一)^ “大内義昭さん死去 ﹁愛が生まれた日﹂がミリオン”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2015年5月24日) 2015年7月9日閲覧。
(二)^ “大内義昭さん死去 藤谷美和子とデュエット﹁愛が生まれた日﹂がヒット”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2015年5月24日) 2015年7月9日閲覧。
(三)^ 稲田二郎 (2015年5月31日). “﹁こんな校歌があるのか。ここの子どもたちは幸せだな﹂”. 西日本新聞 (西日本新聞社) 2015年7月9日閲覧。
(四)^ この校歌の歌詞は地域住民による公募によって詩が選ばれた。
(五)^ 作曲家の大内義昭さん逝去
NHK NEWSWEB︵北九州のニュース︶2015年5月23日
(六)^ “ミリオンセラー﹁愛が生まれた日﹂の大内義昭さん死去”. 産経ニュース (産業経済新聞社). (2015年5月24日) 2015年7月9日閲覧。
(七)^ “大内義昭さんしのぶ会に200人 北九州愛した歌に感謝、小倉北区 [福岡県”]. 西日本新聞 (西日本新聞社). (2015年6月27日) 2015年7月9日閲覧。
(八)^ “大内義昭さんしのぶ会‥音楽プロデューサー お別れに170人 鎮魂、引田香織さんが熱唱 小倉北 /福岡”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2015年6月28日) 2015年7月9日閲覧。
(九)^ “︻進め!ギラヴァンツ北九州︼観衆4309人 連勝後押し 九州ダービー 大分に2-1 [福岡県”]. 西日本新聞 (西日本新聞社). (2015年6月1日) 2015年7月9日閲覧。
(十)^ “TVでた蔵”. 2023年5月31日閲覧。
関連項目[編集]
- 九州国際大学付属中高等学校 - 校歌を手がけた。
- 北九州市立若松中学校 - 作詞・作曲を手がけた。
- ギラヴァンツ北九州 - 前身の「ニューウェーブ北九州」時代にも2006年、「なんしよ〜ん!?」のプロジェクトで応援歌を制作したほか、生前クラブ持株会の会員でもあった。
- ハローデイ - 店内ソングの作曲を手がけた。
- TA-SACRA