大坪健一郎
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大坪 健一郎︵おおつぼ けんいちろう、旧字体‥大坪󠄁 健󠄁一郞、1925年7月7日[1] - 1991年12月25日[1]︶は、日本の政治家。衆議院議員︵2期︶、参議院議員︵2期︶。宮城県仙台市生まれ[1]、佐賀県出身[1]。
経歴[編集]
東京府立一中、旧制静岡高等学校、海軍兵学校を経て、東京大学法学部政治学科卒業
●1949年︵昭和24年︶ - 労働省入省
●1957年︵昭和32年︶ - 徳島県農政部課長
●1959年︵昭和34年︶ - 徳島県総務部財政課長
●1961年︵昭和36年︶ - 労働省職業安定局調整課長補佐[2]
●1964年︵昭和39年︶ - 外務省在西ドイツ大使館一等書記官
●1968年︵昭和43年︶ - 帰国、労政局労政課長[3]
●1969年︵昭和44年︶ - 労働省労働基準局監督課長
●1970年︵昭和45年︶ - 労働省大臣官房国際労働課長
●1971年︵昭和46年︶ - 労働省大臣官房会計課長
●1973年︵昭和48年︶ - 労働省労働基準局賃金福祉部長
●1974年︵昭和49年︶ - 労働省大臣官房統計情報部長、退官[3]
●1976年︵昭和51年︶ - 第34回衆議院議員総選挙に佐賀県全県区から立候補し、当選。衆議院外務、建設、安全保障特別委員会各理事[4]
●1977年︵昭和52年︶ - 衆議院外務委員会多国籍企業等国際経済に関する小委員会委員
●1979年︵昭和54年︶ - 衆議院本会議における首班指名選挙で大平正芳に投票
●1979年︵昭和54年︶ - 第35回衆議院議員総選挙にて2選
●1980年︵昭和55年︶ - 第36回衆議院議員総選挙も立候補するも、落選
●1982年︵昭和57年︶ - 第12回参議院議員補欠選挙にて当選。参議院外交・安全保障特別委員会理事、同社会労働委員会理事、党労働部会長など歴任[4]
●1983年︵昭和58年︶ - 第13回参議院議員通常選挙にて再選
●1985年︵昭和60年︶ - 通商産業政務次官
●1986年︵昭和61年︶ - 参議院議員を辞職。第38回衆議院議員総選挙にて当選。
●1988年︵昭和63年︶ - 衆議院科学技術委員会委員長、納税額番付で国会議員の中で10位︵納税額は5938万円︶。リクルート事件で献金200万円、パーティー券1000万円の購入を受けていたことが発覚。
●1990年︵平成2年︶ - 第39回衆議院議員総選挙にて落選。
●1991年︵平成3年︶ - 呼吸不全のため死去、66歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、従四位に叙されるに叙される[5]。
●1993年︵平成5年︶ - 後継者として原口一博が地盤を引き継ぐ。
家族[編集]
●父親 - 大坪保雄︵元衆議院議員︶脚注[編集]
議会 | ||
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先代 原田昇左右 |
衆議院科学技術委員長 1987年 - 1988年 |
次代 中川秀直 |