大東亜戦争肯定論
大東亜戦争肯定論 | |
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作者 | 林房雄 |
国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
ジャンル | 評論 |
発表形態 | 雑誌連載 |
初出情報 | |
初出 | 『中央公論』1963年9月号-1965年6月号 |
刊本情報 | |
出版元 | 番町書房 |
出版年月日 |
1964年8月5日(正) 1965年6月1日(続) |
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大東亜戦争肯定論︵だいとうあせんそうこうていろん︶は、林房雄の著作の題名[注釈 1]。林は、大東亜戦争の開始を1845年 (弘化2年) とし、西欧勢力の東漸に対する反撃として"大東亜百年戦争"を本質は解放戦争であると主張した[2]。林は戦後、GHQによる公職追放を受け、中間小説などを発表していたが、1963年︵昭和38年︶、﹃中央公論﹄9月号に﹁大東亜戦争肯定論﹂を発表して論壇再登場となった[3]。
内容[編集]
最初は﹃中央公論﹄ (1963年9月~65年6月)に連載され、1964年~65年にかけて正・続二冊にまとめられ番町書房から出版された[注釈 2]。1976年に合冊本の改訂新版[注釈 3]が、1984年に新書版[注釈 4]が出され、2001年に復刻版[注釈 5]が刊行された[4]。東亜解放百年戦争史観にもとづく﹃緑の日本列島﹄[5]が﹃東京新聞﹄に連載された[6]。 林は本書で、従来﹁太平洋戦争﹂と称された﹁大東亜戦争﹂の名称をあえて用い、これは﹁東亜百年戦争﹂とも呼ぶべき、欧米列強によるアジア侵略に対するアジア独立のための戦いであった、と述べた[要ページ番号]。同時に、その理念が捻じ曲げられ、﹁アジア相戦う﹂ことになったことを悲劇と見て、﹁歴史の非情﹂を感じると述べている[要ページ番号]。 後半は、幕末維新期の歴史に説き及び、西洋の衝撃に対して維新の志士たちがどれほど誠実に対処したかを論じる[要ページ番号]など、話題は多岐に及ぶ。武装せる天皇制[編集]
林は﹁日清・日露・日支戦争を含む﹁東亜百年戦争﹂を、明治・大正・昭和の三天皇は宣戦の詔勅に署名し、自ら大元帥の軍装と資格において戦った。男系の皇族もすべて軍人として戦った。﹁東京裁判﹂用語とは全く別の意味で﹁戦争責任﹂は天皇にも皇族にもある。これは弁護の余地も弁護の必要もない事実だ。﹂と主張した[7]。三島由紀夫による広告文[編集]
三島由紀夫は、同書の広告文として﹁これは比類なき史書である。行文の裏に詩が感じられる史書といふものを最近私は他に読んだことがない。この本は本当に生きものとしての日本及び日本人をとらへてゐる。﹂[8]と書いた。﹁大東亜戦争肯定論﹂論争[編集]
昭和36年に上山春平が﹁大東亜戦争の思想史的意義﹂で太平洋戦争という呼称を占領下の所産と指摘し[9]、戦中派として戦争の意味、意義を問うなど、占領権力による﹁太平洋戦争史観﹂しかなかったなかで、見直し史観が出されつつあった[3]。昭和38年に林が大胆に﹁肯定論﹂を打ち出したことは驚きをもって受け止められ[3]、昭和39年に上山は﹁再び大東亜戦争の意義について﹂で植民地再編成の戦争であると主張した[10]。 昭和40年、林の﹁大東亜戦争肯定論﹂は、﹃中央公論﹄7月特大号で羽仁五郎[11]の批判を受け、﹃中央公論﹄9月号の"特集・﹁大東亜戦争肯定論﹂批判"では、井上清[12]、星野芳郎[13]、吉田満[14]、小田実[15]らの批判を受けた。また、竹内好は、興亜と脱亜の両面から分析し、対中国戦争が侵略戦争であると主張した[2]。パール論争[編集]
詳細は「パール判決論争#中島岳志著『パール判事』論争」を参照
2007年、中島岳志は、小林よしのりが﹃戦争論﹄で﹃パール判決書﹄の一部分を都合よく切り取り、﹃大東亜戦争肯定論﹄の主張につなげることには大きな問題があると批判し、西部邁、牛村圭、八木秀次らを巻き込む論争に発展した。
論評[編集]
吉田裕によれば、山岡荘八が1962年から71年にかけ﹃講談倶楽部﹄や﹃小説現代﹄に連載した﹁小説太平洋戦争﹂には、林の議論の強い影響が感じられる、という[16]。 丸川哲史によれば、叙述の形態は歴史学者がするような資料批判を通じたものではなく、﹁実感﹂を元にして展開された論である色彩が強いが、90年代以降の﹁新しい歴史教科書を作る会﹂に代表されるような﹁右﹂のイデオローグたちのように、﹁自虐史観﹂なる用語によって仮想敵たる﹁左﹂を押しのけようとする政治意図は薄い、という[17]。 浜崎洋介は、竹内好が大東亜戦争開戦当時に議論された近代の超克について﹁日本近代史のアポリアの凝縮﹂だと評したことを挙げ、﹁その意味で言えば、林房雄が近代日本の戦争を、一つの﹁東亜百年戦争﹂として捉えたことも故なしとはしない。﹂と述べた[18]。脚注[編集]
注釈[編集]
(一)^ 斎藤一晴によれば、日本の近現代史における戦争や植民地支配について、日本だけが悪いことをしたのではない、植民地支配にはよい面もあった、日本の戦争のおかげでアジアは独立できた、アジア・太平洋戦争はやむを得ず戦った自衛戦争であるなどの自国中心的な戦争認識、アジアに対する優越意識を伴った歴史認識までを指すことも少なくなく、右派言説のなかでステレオタイプ化され歴史修正主義を支える歴史観の一つになっている、という[1]。
(二)^ 林房雄﹃大東亜戦争肯定論﹄番町書房、昭和三十九年八月五日 発行。林房雄﹃続・大東亜戦争肯定論﹄番町書房、昭和四〇年六月一日 初版発行。
(三)^ 林房雄﹃林房雄評論集第6巻 新訂・大東亜戦争肯定論﹄浪漫、昭和49年6月10日 初版発行、0095-740020-9226、解説 名和一男。
(四)^ 林房雄﹃大東亜戦争肯定論 上︿やまと文庫4﹀﹄心交会、昭和五十九年八月十五日発行、ISBN 4-89522-104-0。林房雄﹃大東亜戦争肯定論 下︿やまと文庫5﹀﹄心交会、昭和五十九年八月十五日発行、ISBN 4-89522-105-9。
(五)^ 林房雄﹃大東亜戦争肯定論﹄夏目書房、2001年8月15日 初版第1刷発行、ISBN 4-931391-92-3。
出典[編集]
(一)^ 斎藤一晴﹁大東亜戦争肯定論﹂吉田裕・森武麿・伊香俊哉・高岡裕之編﹃アジア・太平洋戦争辞典﹄吉川弘文館、二〇一五年 (平成二十七) 十一月十日 第一版第一刷発行、ISBN 978-4-642-01473-1、373頁。
(二)^ ab著者代表=松本健一﹃論争の同時代史﹄新泉社、1986年10月15日・第1刷発行、367~377頁。
(三)^ abc文藝春秋編﹃戦後50年 日本人の発言 [下]﹄文藝春秋、一九九五年八月十五日 第一刷、ISBN 4-16-505370-8、63頁。
(四)^ 尹健次﹁ナショナリズムと植民地支配﹂後藤道夫・山科三郎編﹃講座 戦争と現代4ナショナリズムと戦争﹄大月書店、2004年6月18日第1刷発行、ISBN 4-272-20084-4、185頁。
(五)^ 安永武人﹁戦時下の文学︿その四﹀﹂﹃同志社国文学﹄第4巻、同志社大学国文学会、1969年3月、94頁、CRID 1390009224910196608、doi:10.14988/pa.2017.0000004833、ISSN 0389-8717。
(六)^ 林房雄﹃緑の日本列島-激流する明治百年-﹄文藝春秋、昭和四十一年八月五日 第一刷、330頁。
(七)^ ﹁武装せる天皇制-未解決の宿題﹂林房雄﹃大東亜戦争肯定論﹄番町書房、昭和三十九年八月五月 発行、156頁。
(八)^ 三島由紀夫﹃決定版 三島由紀夫全集 第33巻 評論8﹄新潮社、二〇〇三年八月一〇日 発行、ISBN 978-4-10-642573-8、210頁。初出は﹃日本読書新聞﹄昭和39年11月9日。
(九)^ 上山春平﹁大東亜戦争の思想史的意義﹂﹃中央公論﹄第76巻第9号 通巻886号 昭和36年9月号、98~107頁。
(十)^ 上山春平﹁再び大東亜戦争の意義について﹂﹃中央公論﹄第79巻第3号 通巻917号 昭和39年3月特大号、48~60頁。
(11)^ 羽仁五郎﹁"大東亜戦争肯定論"を批判する-すべての戦死者にささぐ﹂﹃中央公論﹄第80巻第7号 通巻933号 昭和40年7月特大号、164~187頁。
(12)^ 井上清﹁﹁大亜戦争肯定論﹂の論理と事実﹂﹃中央公論﹄第80巻第9号 通巻935号 昭和40年9月号、142~152頁。
(13)^ 星野芳郎﹁体験的大東亜戦争敗因論﹂﹃中央公論﹄第80巻第9号 通巻935号 昭和40年9月号、153~163頁。
(14)^ 吉田満﹁戦争参加者の立場から﹂﹃中央公論﹄第80巻第9号 通巻935号 昭和40年9月号、164~171頁。
(15)^ 小田実﹁戦後世代の視角﹂﹃中央公論﹄第80巻第9号 通巻935号 昭和40年9月号、172~179頁。
(16)^ 吉田裕﹃日本人の戦争観﹄岩波書店、1995年7月25日 第1刷発行、ISBN 4-00-001719-5、128頁。
(17)^ 丸川哲史﹁林 房雄﹃﹁大東亜戦争﹂肯定論﹄-実感に即した史観-﹂﹃東アジア論︿ブックガイドシリーズ 基本の30冊﹀﹄人文書院、2010年10月20日 初版第1刷発行、ISBN 978-4-409-00101-1、178~179頁。
(18)^ 浜崎洋介﹁宿命としての大東亜戦争﹂﹃反戦後論﹄文藝春秋、二〇一七年五月十五日 第一刷発行、ISBN 978-4-16-390648-5、68頁 (初出は﹃文藝春秋 SPECIAL﹄2015年春号)。