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1
生涯
2
その他
3
フィクションにおける辰姫
4
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大舘御前
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大
舘
御
前
︵
お
お
た
ち
ご
ぜ
ん
、
天
正
20
年
︵
1
5
9
2
年
︶
-
元
和
9
年
7
月
25
日
︵
1
6
2
3
年
8
月
21
日
︶
︶
は
、
安
土
桃
山
時
代
か
ら
江
戸
時
代
初
期
に
か
け
て
の
女
性
。
石
田
三
成
の
三
女
。
弘
前
藩
2
代
藩
主
津
軽
信
枚
の
室
。
子
に
津
軽
信
義
。
名
は
辰
姫
︵
た
つ
ひ
め
︶
、
あ
る
い
は
辰
子
︵
た
つ
こ
︶
。
荘
厳
院
︵
し
ょ
う
ご
ん
い
ん
︶
と
も
。
生
涯
[
編
集
]
石
田
三
成
の
三
女
と
し
て
誕
生
し
た
。
慶
長
3
年
︵
1
5
9
8
年
︶
ご
ろ
、
豊
臣
秀
吉
の
死
後
に
秀
吉
の
正
室
・
高
台
院
の
養
女
と
な
る
。
慶
長
5
年
︵
1
6
0
0
年
︶
、
関
ヶ
原
の
戦
い
で
父
・
三
成
が
徳
川
家
康
に
敗
れ
る
。
そ
の
直
後
に
豊
臣
家
中
で
親
し
く
し
て
い
た
津
軽
信
建
に
よ
っ
て
兄
・
重
成
と
と
も
に
津
軽
へ
逃
さ
れ
た
と
も
、
高
台
院
の
保
護
下
に
あ
り
、
高
台
院
の
側
近
・
孝
蔵
主
に
従
っ
て
江
戸
に
下
り
縁
組
を
整
え
た
と
も
い
わ
れ
る
[
1
]
︵
孝
蔵
主
は
三
成
の
娘
で
辰
姫
の
姉
で
あ
る
岡
重
政
室
を
通
じ
て
石
田
家
と
縁
戚
関
係
に
あ
る
︶
。
慶
長
15
年
︵
1
6
1
0
年
︶
ご
ろ
、
信
枚
に
嫁
ぐ
。
2
人
の
仲
は
良
好
で
あ
っ
た
と
み
ら
れ
る
が
、
慶
長
18
年
︵
1
6
1
3
年
︶
に
家
康
は
養
女
・
満
天
姫
︵
家
康
の
異
父
弟
・
松
平
康
元
の
娘
︶
を
信
枚
に
降
嫁
さ
せ
た
[
2
]
。
こ
れ
に
対
し
津
軽
家
は
、
徳
川
家
を
は
ば
か
っ
て
満
天
姫
を
正
室
と
し
て
迎
え
、
辰
姫
は
側
室
に
降
格
と
な
る
。
辰
姫
は
弘
前
藩
が
関
ヶ
原
の
戦
い
の
論
功
行
賞
と
し
て
得
た
上
野
国
大
舘
に
移
さ
れ
、
大
舘
御
前
と
称
さ
れ
た
。
そ
の
後
も
、
信
枚
は
参
勤
交
代
の
折
は
必
ず
大
舘
に
立
ち
寄
っ
て
辰
姫
と
過
ご
し
、
元
和
5
年
︵
1
6
1
9
年
︶
1
月
1
日
、
信
枚
の
長
男
・
平
蔵
︵
の
ち
の
信
義
︶
が
誕
生
す
る
。
元
和
9
年
︵
1
6
2
3
年
︶
、
大
舘
で
死
去
し
た
。
享
年
32
。
墓
所
は
群
馬
県
太
田
市
の
東
楊
寺
、
青
森
県
弘
前
市
の
貞
昌
寺
。
幼
い
平
蔵
は
江
戸
の
弘
前
藩
邸
に
引
き
取
ら
れ
、
信
枚
の
熱
意
に
よ
り
嗣
子
と
認
め
ら
れ
、
信
枚
の
死
後
に
藩
主
を
継
い
だ
。
そ
の
他
[
編
集
]
●
近
年
、
辰
姫
が
養
女
と
な
っ
て
い
た
こ
と
も
踏
ま
え
て
、
高
台
院
は
、
関
ヶ
原
の
戦
い
で
は
徳
川
家
康
や
い
わ
ゆ
る
武
断
派
諸
将
の
東
軍
を
支
援
し
て
い
た
と
い
う
従
来
の
説
と
は
逆
の
、
実
際
に
は
三
成
ら
と
親
し
く
西
軍
寄
り
の
姿
勢
で
あ
っ
た
と
い
う
説
を
白
川
亨
ら
が
唱
え
て
い
る
。
︵
詳
し
く
は
高
台
院
を
参
照
︶
●
辰
姫
が
大
舘
の
地
で
信
義
を
産
ん
だ
縁
に
よ
り
、
群
馬
県
尾
島
町
︵
現
在
の
太
田
市
︶
で
は
昭
和
61
年
︵
1
9
8
6
年
︶
の
尾
島
ま
つ
り
に
津
軽
特
産
の
ね
ぷ
た
が
登
場
。
現
在
は
毎
年
8
月
に
尾
島
ね
ぷ
た
祭
り
が
開
催
さ
れ
て
い
る
。
●
辰
姫
が
生
ん
だ
津
軽
信
義
の
乳
母
は
、
の
ち
に
船
橋
騒
動
の
火
種
と
な
る
旧
宇
喜
多
家
家
臣
船
橋
半
左
衛
門
の
妻
で
あ
る
。
フ
ィ
ク
シ
ョ
ン
に
お
け
る
辰
姫
[
編
集
]
小
説
●
葉
室
麟
﹃
津
軽
双
花
﹄
︵
2
0
1
6
年
、
講
談
社
︶
映
画
●
関
ヶ
原
︵
2
0
1
7
年
演
‥
高
野
万
優
︶
ゲ
ー
ム
戦国修羅SOUL
(スマホゲームアプリ、
2015年
演:
能登麻美子
)
脚注
[
編集
]
^
関ヶ原の戦い以後も
足守藩
『木下家文書』、
西洞院時慶
『時慶卿記』、
神龍院梵舜
『梵舜日記』に見られる「お客人」「御隔人」が辰姫をさすのではないかとされる。
^
これは、
夷狄
の備えに本州最北の津軽を重視して徳川に近しい勢力を作るためとも、信枚が帰依していた
天海
が
江戸幕府
体制下で津軽家の地位を固めさせておこうとの思惑で家康に推挽したためともみられる。
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