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山本義経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

凡例

山本義経
時代 平安時代末期
生誕 不詳
死没 不詳
別名 山本冠者
官位 兵衛尉伊賀若狭
氏族 清和源氏義光流(近江源氏山本氏
父母 父:山本義定
兄弟 義経義兼
錦部義高(錦織義高)[1]義弘(義広)箕浦義明義成
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  寿

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54

21176

411801120調

近江源氏義光流略系図

   源義光
     ┃
   源義業
     ┣━━━━━━┓
   山本義定   佐竹昌義
     ┣━━━━━━┓
    義経    柏木義兼
    ┣━━┳━━┓
    義高 義弘 義明 


使西使

12使5,0003,0001253,0002,000

西1216()()121121012使1211210[2][3]

寿21183

寿31184120

[4]

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脚注[編集]

  1. ^ 錦織俊政の祖とされる。
  2. ^ 浅香年木『治承寿永内乱序説』
  3. ^ もし、『吾妻鏡』の記載が正しかった場合、これより前の10月21日に河内源氏の源義経は黄瀬川で頼朝と対面しており、二人の義経は同時期に鎌倉に滞在していた可能性がある。
  4. ^ 『姓氏』(樋口清之丹羽基二/秋田書店/1970年)

関連項目[編集]