幌内駅
幌内駅 | |
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幌内駅に留置中の石炭車(1983年8月) | |
ほろない Horonai | |
◄幌内住吉 (1.5 km) | |
所在地 |
北海道三笠市幌内町2丁目 北緯43度13分39.9秒 東経141度54分8.1秒 / 北緯43.227750度 東経141.902250度座標: 北緯43度13分39.9秒 東経141度54分8.1秒 / 北緯43.227750度 東経141.902250度 |
所属事業者 |
北海道旅客鉄道(JR北海道) 日本貨物鉄道(JR貨物) |
所属路線 | 幌内線(支線) |
キロ程 | 2.7 km(三笠起点) |
電報略号 | ホロ |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1882年(明治15年)11月13日[1] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)7月13日[1] |
備考 | 幌内線廃線に伴い廃駅 |
幌内駅︵ほろないえき︶は、北海道三笠市幌内町2丁目にかつて置かれていた、北海道旅客鉄道︵JR北海道︶および日本貨物鉄道︵JR貨物︶幌内線の駅である。事務管理コードは▲131504[2]。
1976年の︵貨︶幌内駅と周囲750 m範囲。左が三笠方面。右下 に幌内炭鉱選炭場があり、当鉄道建設当初から明治31年迄はここに駅が設置された。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
●1879年︵明治12年︶‥開拓使が官営幌内炭鉱を開山。
●1882年︵明治15年︶
●11月13日‥官営幌内鉄道の貨物駅として開業[1]。当初の読みは﹁ぽろない﹂と推定される[1]。
●11月14日‥幌内炭を手宮へ初めて発送[3]。
●1883年︵明治16年︶
●2月2日‥旅客・荷物の取り扱いが開始される[4]。
●6月‥停車場竣工[5]。幌内太-当駅間2哩︵マイル︶1746呎︵フィート︶、約3.75 km[6]。
●1889年︵明治22年︶12月11日‥北海道炭礦鉄道に譲渡。
●1892年︵明治25年︶以降 - 1894年︵明治27年︶以前[7]‥幌内太-当駅間2哩︵マイル︶26鎖︵チェーン︶から2哩17鎖へ約180 m短縮。
●1898年︵明治31年︶3月21日‥0マイル43チェーン︵約865 m︶三笠寄りに移転︵幌内太-当駅間1哩54鎖 約2.7km︶[8][9]。駅舎は、三笠幌内川の左岸に設けられた[10]。
●1900年︵明治33年︶‥駅舎を三笠幌内川右岸に新築移転[10]。
●1906年︵明治39年︶10月1日‥北海道炭礦鉄道の鉄道路線国有化により、官設鉄道に移管。
●1972年︵昭和47年︶11月1日‥旅客・荷物の取り扱いを廃止[1]。
●1987年︵昭和62年︶
●4月1日‥国鉄分割民営化により、JR北海道・JR貨物が継承[1]。旅客列車の設定はなかった。
●6月20日‥この日限りで、貨物列車による石炭の出荷を終了。
●6月28日、7月5日、7月11日、7月12日‥臨時快速﹁ほろない号﹂が、小樽駅 - 当駅間で運行される。
●7月13日‥幌内線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
●1989年︵平成元年︶9月29日‥幌内炭鉱閉山[11]。
歴史[編集]
駅構造[編集]
構内は狭い谷間に位置し、北側の市街へ凸に湾曲しており、南側は東から西へ蛇行しながら流れる三笠幌内川︵旧名・上幌内川︶に接する。構内はほぼ水平︵東へ若干の上り勾配︶だが、西側の三笠駅からは構内手前約500 m区間が25パーミルの上り勾配、東の幌内炭鉱選炭場へはさらに最大28.6パーミルの上り勾配の急坂を擁する。 駅舎は北側に位置し、駅舎前に旅客用の単式ホーム1面1線、かつては一般貨物取り扱い用に駅舎横の三笠側︵西側︶に貨物積卸場と引込線を1本有していた。駅裏側には4本の留置線があり、その外側に1本の機回し線、それから東側に分岐して転車台へ向かう側線を有していた。本線と留置線の合流先からは東の選炭場へ向けて、幌内炭鉱専用線が伸びていた。駅周辺[編集]
●三笠市営バス﹁鉄道記念館﹂停留所駅跡[編集]
北海道の鉄道発祥を記念して、1987年︵昭和62年︶9月に三笠鉄道村の中核施設・三笠鉄道記念館として整備され、多くの鉄道車両が保存されている。隣の駅[編集]
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- 幌内線
- 三笠駅 - 幌内駅
脚注[編集]
(一)^ abcdefg石野哲︵編︶﹃停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ﹄JTB、1998年、841-842頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
(二)^ 日本国有鉄道営業局総務課 編﹃停車場一覧 昭和41年3月現在﹄日本国有鉄道、1966年、222頁。doi:10.11501/1873236。2022年12月10日閲覧。
(三)^ 北海道鉄道百年史 上巻 日本国有鉄道北海道総局 昭和51年発行、P46。
(四)^ 北海道鉄道百年史 上巻、P60-66。同日付の太政官布達第三号による。原文は国立国会図書館デジタル化資料 明治16年太政官布達 P14-24。
(五)^ 北海道鉄道百年史 上巻、P42 鉄道関連諸表の﹁停車場﹂項より。それまでは札幌などと同様に、仮停車場にて運用されたか?
(六)^ 明治十八年統計摘要 北海道庁 1887年︵明治20年︶出版︵国立国会図書館デジタルコレクション︶
(七)^ 日本鐵道一覽表 明治25年2月調, 1892年 鉄道庁出版および日本鉄道一覧表 明治27年6月調, 1894年 逓信省鉄道局出版より。︵国立国会図書館デジタルコレクション︶
(八)^ 昭和3年 線路一覧略図 札幌鉄道局発行によると、当駅構内端から幌内炭砿選炭場のある線路終点までが864 mであり、当初はこの選炭場に停車場が設けられたものと推定される。
(九)^ ﹃官報﹄1898年03月28日 内務省通達﹁停車場移転﹂︵国立国会図書館デジタルコレクション︶
(十)^ ab新三笠市史 P274。市史では三笠幌内川ではなく奔幌内川となっているが、この川は上流の北側の支流であり、当鉄道とは全く接していない。当駅構内は三笠幌内川の右岸にあり、移転当初は幌内炭鉱坑口のある対岸︵左岸︶に駅舎が設けられ、三笠幌内川に掛けられた橋を介してホームへ渡ったと思われる。
(11)^ “ヤマの歴史に幕、揺れる地元”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年9月30日)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 田本写真帳から幌内(炭山)停車場 - 函館市中央図書館所蔵デジタルアーカイブ 左上の写真。官営幌内鉄道時代。当時は後の位置より860m程奥の幌内炭礦坑口近くを停車場としていた。
- 北海道大学北方資料データベース 「幌内炭山」 積出ホッパー(明治時代末期)。