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平基盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

凡例

平 基盛
時代 平安時代末期
生誕 保延5年(1139年
死没 応保2年3月17日1162年5月2日
改名 香王、基盛
別名 安芸判官
官位 正四位下越前
主君 近衛天皇後白河天皇二条天皇
氏族 桓武平氏維衡流(伊勢平氏
父母 平清盛高階基章の娘
兄弟 重盛基盛宗盛知盛徳子盛子
重衡完子知度清房御子姫君、他
行盛、女子(藤原季能室)
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寿211554111112使115618[ 1]9

1159

11601211229婿1161915[ 2]

殿224 [ 3]


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寿115517
411

412

1110

1225使

115618
94

917

115820
85

1229

115921
1227

116022
21

1229

116123
226[1]

116224
27


系譜[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 兵範記』『保元物語』にはこの時の基盛の活躍が描かれている。
  2. ^ 山槐記』では基盛は解官とは書かれていない。
  3. ^ 法琳寺別当補任の第35世阿闍梨の宗範が任を去った理由は「越前守平基盛死去依任去。祈祷為依也。」と応保2年の項にあり祈師を務めていた基盛の卒去によるものであった。

出典[編集]

  1. ^ 後白河院庁下文より。

関連作品[編集]

関連項目[編集]