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平親宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

凡例

平親宗
時代 平安時代末期-鎌倉時代前期
生誕 天養元年(1144年
死没 正治元年7月17日1199年8月10日
官位 正二位中納言
主君 二条天皇六条天皇高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇土御門天皇
氏族 桓武平氏高棟王流
父母 父:平時信、母:藤原基隆の娘
兄弟 時忠親宗時子、冷泉局、滋子清子藤原親隆室、帥局、坊門局
僧女
親国親長宗宣、建春門院新中納言、西園寺公経
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1177-1231


1165-1208

-1184 - [4]

西

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  1. ^ 姉言記
  2. ^ 『玉葉』寿永元年3月12日条
  3. ^ 尊卑分脈』では、藤原道隆流・藤原家範女と藤原基隆女の両項に「美福門院女房少将局平親宗母」の記載がある。これについては、家範(1048年生まれ)の娘が美福門院(1117年生まれ)に女房として仕え、親宗(1144年生まれ)を産んだとするのは年代的に合わないため、藤原基隆(1075年生まれ)の娘とするのが妥当と思われる。
  4. ^ 維盛が入水した噂を聞いて12月に自害したと『尊卑分脈』にある。

参考文献[編集]

  • 中村文『後白河院時代歌人伝の研究』笠間書院、2005年 ISBN 4-305-70296-7、99-119頁