幽霊坂
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幽霊坂︵ゆうれいざか︶は、日本に数多くある地名の一つ。
三田の幽霊坂
︵2019年1月25日撮影︶
本項で扱う幽霊坂は、同音異字で有礼坂とも記されるところの、東京都港区三田四丁目に所在する、坂の名称である。他の幽霊坂との明確な区別が必要な場合は、三田の幽霊坂︵みた の ゆうれいざか︶と呼ばれる。
地名の由来[編集]
当地は江戸の昔から﹁ゆうれいざか﹂と呼ばれているが、その名の正確な由来は不明である。 他にもある幽霊坂と同様に漢字では﹁幽霊坂﹂と記すのが通常であるが、﹁有礼坂﹂と記す場合があり、下記のとおり、双方に由来説がある。 ●幽霊坂の由来説 坂の周辺地域には、寛永12年︵1635年︶の江戸城拡張に伴って、八丁堀より移転されてきた寺院群が、道の両脇に建ち並び、昼でも幽霊が出そうなほど暗い場所であったことから、あるいは、それほどに寂しい場所であったから。 ●有礼坂の由来説 明治時代、文部大臣・森有礼︵﹁有礼﹂を音読みにすると、﹁ゆうれい﹂になる︶の屋敷が付近にあったことに因む。 ただし、後者の説は定説ではなく、むしろ単純に﹁幽霊﹂が持つ﹁負﹂のイメージを嫌って︵もっとも、これを殊更嫌うのは、明治以降の日本人の感覚である︶、地域にゆかりの人物名にこじつけたと考えるのが自然である。特徴[編集]
国道1号から登り、聖坂と交差し終わる。左右に寺院が並び、勾配は途中からかなりきつくなる。 昭和40年代︵1970年前後十年代︶までは、坂の上から三田、麻布方面が一望できた。御田小学校への通学路にあたり、後年になって歩道が完備されたが、ガードレールまでは設置されていない。立ち並ぶ寺院群[編集]
幕末には、坂上に次のような寺院が建ち並んでいた。移転した正泉寺以外は現存する。 国道1号から歩いて、 ●向かって左に─── (一)随応寺︵ずいおうじ︶ ‥浄土宗。三田4-6-19。 (二)正泉寺︵しょうせんじ︶ ‥旧称・泉蔵院。承応年間︵1652- 1655年︶、溜池より三田に移転。幕末から明治元年にかけてフランス、イギリス、スイスの各領事館員宿舎となる。明治44年︵1911年︶、目黒区碑文谷1丁目へ移転[1]。 (三)仙翁寺︵せんしょうじ︶ ‥曹洞宗。三田4-5-12。 (四)實相寺 ‥浄土宗。会津藩主・保科正之が江戸での菩提寺に定めた。三田4-12-15。 ●向かって右に─── (一)長松寺︵ちょうしょうじ︶ ‥浄土宗。坂より忍願寺︵にんがんじ。浄土真宗東本願寺派。三田4-7-30︶脇を入った場所︵三田4-7-29︶に所在。 (二)称讃寺︵しょうさんじ︶ ‥浄土宗。三田4-7-7。 (三)玉鳳寺︵ぎょくほうじ︶ ‥曹洞宗。三田4-11-19。 (四)正覚院︵しょうかくいん︶ ‥臨済宗妙心寺派。三田4-11-26。東京都区部にある、他の幽霊坂・ゆうれい坂[編集]
東京都区部にある、他の﹁幽霊坂﹂および﹁ゆうれい坂﹂の一部を記す。
●幽霊坂 ‥文京区目白台一丁目、和敬塾わき。
●幽霊坂 ‥文京区目白台二丁目、日本女子大学わき。
●幽霊坂 ‥北区田端一丁目与楽寺脇の路にある坂。
●幽霊坂 ‥千代田区神田淡路町二丁目、損保会館前。
●幽霊坂 ‥千代田区神田駿河台、ニコライ堂北側(元は淡路町幽霊坂と一続き)。
●幽霊坂 ‥千代田区富士見一丁目と二丁目の境界、角川書店本社の間を下る坂。
●幽霊坂 ‥新宿区牛込、弁天公園南側。
●幽霊坂 ‥港区高輪、高輪幼稚園わき。
●ゆうれい坂︵幽霊坂︶ ‥品川区南品川五丁目、品川ろう学校前。この坂の名をモチーフにしたホラー小説﹃ゼームス坂から幽霊坂﹄︵吉村達也著、双葉社︶がある︵ゼームス坂も品川区の坂︶。
脚注[編集]
関連項目[編集]
- 乃木坂 - 旧称が「幽霊坂」であった。