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●本殿3棟 - 本殿は三殿で構成されている。中殿は一間社春日造で左右両殿は二間社流造、それを渡廊で連結させるという全国でも唯一の珍しい様式で﹁水分造﹂とも呼ばれている。構造の細部も優秀巧緻で建築上の模範とされる。1900年︵明治33年︶に大阪府の神社建築として初めて古社寺保存法に基づく特別保護建造物︵現行法の﹁重要文化財﹂に相当︶に指定され、1950年︵昭和25年︶、文化財保護法施行に伴い重要文化財となった。通常は非公開である。
●中殿︵重要文化財︶ - 建武元年︵1334年︶に後醍醐天皇の勅命で楠木正成により再建。
●左殿︵重要文化財︶ - 建武元年︵1334年︶に後醍醐天皇の勅命で楠木正成により再建。
●右殿︵重要文化財︶ - 建武元年︵1334年︶に後醍醐天皇の勅命で楠木正成により再建。
●神門
●幣殿
●拝殿︵割拝殿︶
●大鳥居 - 元禄3年︵1690年︶造立。笠木の長さ10.6m、高さ7.1mで近代以前の石造鳥居としては全国有数の規模とされる。掛けられている勅額﹁正一位 水分大明神﹂は後醍醐天皇の宸筆である。もともとは楠木正行が奉納した後醍醐天皇宸筆の勅額が掛けられていたが、木製のため額の表面が摩滅してしまったので宝永2年︵1705年︶に前大納言・葉室頼孝が磨滅した後醍醐天皇筆の文字をなぞって金銅製にて作り直したものが現在掛けられているものである。
●狛犬 - 万延元年︵1860年︶造立。石造の狛犬としては大阪府下で最大級である。
●鐘楼 - 神仏習合時代の名残である。太平洋戦争中に金属類回収令により寺院などから梵鐘が供出されていくなか、当社は楠木正成ゆかりの神社であったためか、梵鐘の供出は免れた。
●祭器庫
●旧宝物庫︵国登録有形文化財︶
●神輿庫
●旧絵馬堂
●社務所
●境外
●御旅所 - 当社の北西約1kmの地にある。
●御旅所古墳
●御旅所北古墳
摂末社[編集]
●南木神社︵なぎじんじゃ︶ - 祭神‥楠木正成。摂社。詳細は﹁南木神社﹂を参照。
●本殿︵国登録有形文化財︶
●幣殿︵国登録有形文化財︶
●拝殿︵国登録有形文化財︶
●築地塀︵国登録有形文化財︶
●金峯神社︵きんぶじんじゃ︶ - 祭神‥天照大御神。末社。
文化財[編集]
重要文化財[編集]
●本殿3棟 - 中殿、左殿、右殿からなる。
国登録有形文化財[編集]
●宝庫
●南木神社本殿
●南木神社拝殿及び幣殿
●南木神社築地塀
千早赤阪村指定有形文化財[編集]
●建水分神社の延元5年扁額
千早赤阪村指定有形民俗文化財[編集]
●建水分神社の木造狛犬群8体
●4月25日‥春祭 - この日は楠木正成の誕生日とされていることから春祭は俗称﹁くすのきさん﹂と呼ばれている。
●10月第三土曜日‥秋祭 - 御旅所にて御神輿を中心に19台の地車が集まる風景は、河内随一といわれる。各地車には舞台が付いており︵石川型だんじり︶そこで上方芸能の原点ともいわれる﹁河内にわか﹂が奉納される。
その他[編集]
●日本海軍の戦艦金剛の艦内神社には1930年︵昭和5年︶より建水分神社の御分霊の神鏡が奉安されていた。
外部リンク[編集]
●建水分神社オフィシャルホームページ
●ななかまど-神社ふり~く︵合祀された神社に詳しい︶
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