彦五瀬命

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五瀬命
菊池容斎前賢故実』より)

彦五瀬命(ひこいつせのみこと)は、記紀等に伝わる古代日本皇族

日本書紀』では「彦五瀬命」や「五瀬命(いつせのみこと)」、『古事記』では「五瀬命」と表記される。

神武天皇(初代天皇)の長兄である。

関係略系図(表記・記載は『日本書紀』本文による)

鸕鶿草葺不合尊

 

玉依姫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彦五瀬命稲飯命三毛入野命神日本磐余彦尊
1 神武天皇

 

 

 

皇室

記録[編集]

日本書紀』・『古事記』によると、鸕鶿草葺不合尊海神の娘の玉依姫との間に生まれた長男である。弟に稲飯命三毛入野命・神日本磐余彦尊(神武天皇)がいる。

彦五瀬命は弟たちとともに東征に従軍したが、浪速国の白肩津(あるいは孔舎衛坂)での長髄彦との交戦中に長髄彦の放った矢に当たった。彦五瀬命は「我々は日の神の御子だから、日に向かって(東に向かって)戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして(西に向かって)戦おう」と助言し、一行は南へ廻り込んだ。

しかし紀国の男之水門に着いた所で、彦五瀬命の射られた傷が悪化した。この時に彦五瀬命が「賊に傷つけられて死ぬとは」と雄叫びしたので、その地は「雄水門(おのみなと、男之水門)」というとする。その後『日本書紀』によると紀国竈山で亡くなり、竈山に墓が築かれたという。ただし『古事記』では紀国男之水門で亡くなったとする。

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34124.97 1351214.93[1][2][1]

5927西12356913[3][3]


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[4]

脚注[編集]



(一)^ ab19347

(二)^  1999

(三)^ ab   2016pp. 13-16

(四)^  & 1979.

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 11979ISBN 4642005013 

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