日本テレビのアナウンサー一覧
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日本テレビのアナウンサー一覧(にほんテレビのアナウンサーいちらん)は、日本テレビ放送網 コンテンツ戦略本部 コンテンツ戦略局 アナウンス部[1]に所属するアナウンサーを一覧にしたものである。
アナウンス部 管理職[編集]
- 男性
- 女性
現職アナウンサー[編集]
入社年順に表記
男性[編集]
- 1988年 - 村山喜彦
- 1990年 - 鈴木健[注釈 2]
- 1992年 - 平川健太郎
- 1995年 - 矢島学(報道局員を兼務)
- 1997年 - 蛯原哲、菅谷大介
- 1998年 - 町田浩徳、ラルフ鈴木[注釈 3]
- 2001年 - 森圭介
- 2002年 - 田中毅
- 2004年 - 中野謙吾
- 2005年 - 藤田大介
- 2009年 - 辻岡義堂(社長室の宇宙ビジネス事務局員を兼務)
- 2011年 - 山本紘之
- 2012年 - 安村直樹
- 2013年 - 川畑一志(社長室の新規事業部員を兼務)
- 2014年 - 山﨑誠、山本健太
- 2015年 - 平松修造
- 2016年 - 梅澤廉
- 2017年 - 伊藤大海、伊藤遼
- 2018年 - 弘竜太郎(社長室の宇宙ビジネス事務局員を兼務)
- 2019年 - 大町怜央
- 2020年 - 北脇太基、田辺大智
- 2021年 - 澁谷善ヘイゼル[4]
- 2023年 - 住岡佑樹
- 2024年 - 水越毅郎
女性[編集]
- 1980年 - 井田由美[注釈 4]
- 1996年 - 森富美
- 2003年 - 鈴江奈々
- 2010年 - 水卜麻美
- 2011年 - 徳島えりか(産休中)
- 2012年 - 杉野真実
- 2013年 - 郡司恭子(社長室の新規事業局員として女性向けファッションブランド『Audire』の開発にも従事)、後藤晴菜(育児休業中)[5]、中島芽生
- 2014年 - 岩本乃蒼(休職中)、畑下由佳
- 2015年 - 尾崎里紗(2024年6月末で退職予定)
- 2016年 - 佐藤真知子、滝菜月
- 2017年 - 後呂有紗、佐藤梨那
- 2018年 - 市來玲奈、岩田絵里奈
- 2019年 - 河出奈都美、杉原凜
- 2020年 - 石川みなみ、忽滑谷こころ
- 2021年 - 小髙茉緒[4]、黒田みゆ[4]
- 2022年 - 浦野モモ(社長室の宇宙ビジネス事務局員を兼務)、林田美学
- 2023年 - 山本里咲、渡邉結衣
- 2024年 - 瀧口麻衣、並木雲楓
元アナウンサー[編集]
入社年順に表記、
他部署へ異動[編集]
丸かっこ内の数字は編成局アナウンス部︵現・コンテンツ戦略本部 コンテンツ戦略局 アナウンス部[6]︶在籍期間。 男性 ●多昌博志︵1985年 - 2003年、日テレイベンツ取締役、ティップネス取締役常務執行役員<出向>︶ ●保坂昌宏︵1987年 - 1996年、グローバルビジネス局︶ ●後藤俊哉︵1990年 - 1999年、コンプライアンス推進室︶ ●金子茂︵1991年 - 1999年、総務局総務部長︶ ●野口敦史︵1992年 - 1998年、日本テレビホールディングス経営戦略局広報部︶ ●藤井恒久︵1993年 - 2020年、コンテンツ戦略局宣伝部︶ ●舟津宜史︵1996年 - 2004年、報道局ニュースセンターチーフプロデューサー︶ ●寺島淳司︵1996年 - 2021年、コンテンツ戦略局︶ ●高橋雄一︵1999年 - 2011年、グローバルビジネス局IPビジネス部プロデューサー︶ ●新谷保志︵1999年 - 2015年、社長室新規事業部︶ ●田邊研一郎︵2000年 - 2024年6月1日、日本テレビホールディングス︶ ●炭谷宗佑︵2002年 - 2006年、コンテンツ戦略局︶ ●望月浩平︵2003年 - 2005年、スポーツ局︶ ●右松健太︵2003年 - 2016年、報道局︶ ●鳥羽博剛︵2004年 - 2010年、報道局ニュースセンタープロデューサー︶ ●安藤翔︵2012年 - 2023年6月1日、報道局︶ 女性 ●大島典子︵1982年 - 1997年、コンプライアンス推進室考査部嘱託社員︶ ●鷹西美佳︵1985年 - 2010年、コンプライアンス推進室番組審議会事務局嘱託社員[7]︶ ●豊田順子︵1990年 - 2023年6月1日、日テレイベンツ取締役、日テレ学院第4代学院長︵人事局現職出向︶︶ ●笛吹雅子︵1991年 - 2001年、報道局社会部専門副部長︶ ●山王丸和恵︵1993年 - 2004年、グローバルビジネス局プロデューサー︶ ●角田久美子︵1993年 - 2003年、スポーツ局プロデューサー︶ ●古市幸子︵1996年 - 2012年、グローバルビジネス局イベント事業部︶ ●河本香織︵1997年 - 2005年、営業局︶ ●延友陽子︵1998年 - 2020年10月1日、コンテンツ戦略局︶ ●杉上佐智枝︵2001年 - 2023年6月1日、社長室主任、サステナビリティ推進事務局︶ ●佐藤良子︵2002年 - 2018年、コンテンツ戦略局︶ ●葉山エレーヌ︵一時期姓が石田の時期あり︶︵2006年 - 2018年、総務局ファシリティ推進部、2016年6月から2018年5月まではインターネット事業局兼務︶活動休止[編集]
●アオイエリカ︵2018年 - 2021年︶ - アンドロイドアナウンサー。音声使用のライセンスが失効して以来、継続的な活動が困難な状況に陥っている[8]。2023年現在、アナウンサープロフィールからも削除されている。退社[編集]
丸かっこ内の数字は日本テレビ在籍期間。特記事項の無い人物は主にフリーアナウンサーやニュースキャスター、司会者、タレントとして活動している︵在職中に死去したした人物も含む︶。※はアナウンス部長経験者。●は故人。男性[編集]
●越智正典︵1953年 - 1975年︶ - NHK[注釈 5]より移籍。スポーツライター。 ●佐土一正︵1953年 - ?︶ ●江本三千年●︵1953年 - ?︶ - 新日本放送︵現‥毎日放送︶より移籍。1987年没 ●茂木太郎︵1953年 - ?︶ - NHK[注釈 6]より移籍。 ●平井文夫︵1953年 - ?︶ ●持田勝彦︵1953年 - ?︶ - NHK[注釈 7]より移籍。 ●大平和夫︵1953年 - ?︶ ●金原二郎※●︵1954年 - ?︶ - 1997年没[11]。 ●赤木孝男︵1956年 - 1979年︶ ●志生野温夫︵1956年 - 1972年︶ - 退社後フリー。アナウンサープロダクション﹃シオノ事務所﹄代表取締役。 ●本多当一郎●︵1956年 - 1994年︶ - 2018年没[12]。 ●清水一郎●︵1957年 - ?︶ - 1997年没。 ●原和男 ︵1957年 - ?︶ - NHK[注釈 8]→文化放送より移籍。2017年現在、東京相撲記者クラブ会友[14]。 ●住井平一郎︵1957年 - 1994年︶ ●長田晨一郎︵1957年 - 1994年︶ - 後に報道局へ異動。 ●久能靖︵1960年 - 1990年[注釈 9]︶ - 退社後、皇室分野を中心としたジャーナリストに転向。番組出演は2004年まで日本テレビに限定していた。 ●久保晴生※︵1960年 - 1995年[注釈 10]︶ - 日テレ学院スーパーバイザー兼アナウンススクール講師。長女は元NHKアナウンサーの久保純子。 ●宮尾俊輔︵1960年 - 1997年︶ ●浅見源司郎︵1962年 - 1993年︶ - 同年ラジオ日本へ出向し、その後退職。 ●小川光明︵1962年 - 2004年[注釈 11]︶ - 2006年4月よりBS日テレ﹃ボウリング革命P★League﹄実況 ●徳光和夫︵1963年 - 1989年︶ - 退社後フリー。 ●小林完吾︵1963年 - 1992年︶ - ラジオ南日本︵現‥南日本放送︶より移籍[注釈 12]。定年退職後フリー[15]。 ●倉持隆夫︵1964年 - 2001年︶ - 定年退職を以て引退。 ●舛方勝宏※︵1965年 - 2018年[16]︶ ●田村欣也︵1965年 - 2002年[注釈 13]︶ - 元福島中央テレビ常務取締役、健康管理士[17][注釈 14] ●福留功男︵1966年[注釈 15] - 1991年︶ - 1970年に報道局より異動。退社後フリー。 ●高雄孝昭︵1967年 - 2003年[注釈 16]︶ - 元熊本県民テレビ取締役。 ●竹内公一︵1967年 - 2004年︶ - 元日本テレビビデオ︵現‥日テレアックスオン︶取締役社長。2006年に取締役相談役に就任。 ●芦沢俊美●︵1968年 - 2006年[注釈 17]︶ - 2013年没。妻は江川範子[19]。 ●小早川正昭︵1968年 - 1972年︶ - 退社後フリー。 ●吉田填一郎︵1969年 - 2011年[注釈 18]︶ - ラジオ日本退職後フリー。 ●松永二三男︵1974年 - 2011年[注釈 19]︶ - コンテンツ事業局を経て定年退職後フリー。 ●小山田春樹︵1977年 - 1986年︶ - 退社後フリー。2019年4月より京都市会議員。 ●今井伊佐男︵1977年 - 2014年[注釈 20]︶ - ラジオ日本﹁小鳩の愛 〜eye〜﹂パーソナリティ。 ●白岩裕之︵1979年 - 2014年[注釈 21]︶ - 2016年から2022年までテレビ信州代表取締役社長。 ●小倉淳︵1981年 - 2006年︶ - 広報局へ異動後退職しフリー。日テレ学院アナウンススクール講師、江戸川大学教授。 ●山下末則︵1981年 - 2008年︶ - 宮崎放送[注釈 22]より移籍。定年退職後フリー。スピーチコンサルティング会社﹃パーフェクト・スピーチ﹄代表取締役社長。 ●増田隆生︵1982年 - 2019年︶ - 報道局、出版部、スポーツ局を経て退社。 ●若林健治︵1984年 - 2007年︶ - 中部日本放送[注釈 23]より移籍。事業局を経て退社後フリー。﹃若林健治アナウンススクール﹄主宰。 ●日高直人︵1985年 - 1991年︶ ●船越雅史︵1986年 - 2022年︶- 他部署を経て退社。 ●福澤朗︵1988年 - 2005年︶ - 退社後フリー。 ●河村亮●︵1991年 - 2022年︶- 在職中に死去[20]。 ●羽鳥慎一︵1994年 - 2011年︶ - 退社後フリー。 ●藤井貴彦︵1994年 - 2024年︶ - 退社後フリー。 ●長谷川憲司︵1997年 - 2006年︶ - 一般企業勤務。 ●上重聡︵2003年 - 2024年︶−退社後フリー。 ●青木源太︵2006年 - 2020年︶ - 退社後フリー。 ●桝太一︵2006年 - 2022年︶ - 退社後フリー、同志社大学ハリス理化学研究所助教。 ●加藤聡︵2008年 - 2023年︶報道局を経て退社。退社後姫路市総合教育監。 ●佐藤義朗︵2008年 - 2022年︶ - 退社後は家業である日本用品の代表取締役社長に就任[21]。妻は石川みなみ。 ●篠原光︵2018年 - 2023年︶- 退社後フリー。女性[編集]
●阿井喬子︵1953年 - ?︶ ●結城雅子︵1953年 - ?︶ - 開局第一声を担当 ●森美智代︵現姓‥横田、1954年 - ?︶ ●石井百合子︵現姓‥細田、1956年 - ?︶ ●児玉素子︵1956年[22] - ?︶ ●児玉裕子︵現姓‥加藤、1956年 - ?︶ ●白石元枝︵1956年 - ?︶ ●大岡雅子︵1957年 - ?︶ ●土田美保子︵現姓‥小坂、1958年 - ?︶ - 夫は元日本テレビプロデューサーの小坂敬。 ●森瑛子︵現姓‥斎藤、1958年 - ?︶ ●青木道子︵1959年 - ?︶ ●岡雅子︵現姓‥田矢、1959年 - ?︶ ●古賀節子●︵村上姓を経て田原姓、1959年 - ?︶ - エッセイスト。2004年没。夫はジャーナリストの田原総一朗[23]。 ●三箇恭子︵1959年 - ?︶ ●松澤洋子︵1959年 - ?︶ ●安納永子︵1961年 - ?︶ ●加藤淑子︵現姓‥久保、1961年 - ?︶ - 夫は久保晴生、長女は元NHKアナウンサーの久保純子。 ●峯冨佐子︵1961年 - 1998年︶ ●抜山まり子︵1962年 - 1999年︶ ●吉田みどり︵1962年 - 1999年︶ ●今村倫子︵1963年 - 2000年︶ ●南村幸︵現姓‥青尾、1963年 - 2000年[注釈 24]︶ - 定年退職を以て引退。 ●末廣恭子︵現姓‥守田、1964年 - 2001年︶ ●吉武多恵子︵1964年 - 2001年︶ ●久保旺子︵現姓‥白石、1967年 - ?︶ - 日テレ学院アナウンススクール講師。 ●井室喜久子︵現姓‥神山、1967年 - 2013年[注釈 25]︶その後引退 ●山本園子︵1967年 - ?︶ - 元日テレ学院アナウンススクール講師。 ●阿部江美子︵現姓‥中西、1968年 - 2003年︶ ●白石浩子︵1968年 - 2005年︶ ●石川牧子※︵1970年 - 2009年[注釈 26]︶ - 日テレイベンツ非常勤顧問。 ●江川範子︵現姓‥芦沢、1970年 - ?︶ - 退社後フリー[24]。夫は芦沢俊美[19]。 ●楠田枝里子︵1974年 - 1981年︶ - 退社後フリー。 ●小池裕美子︵1974年 - 2010年[注釈 27]︶ - 定年退職後、大正大学教授に就任。 ●清水奈津子︵1976年 - ?︶ - 退社後フリー。日テレ学院アナウンススクール講師。 ●荻原弘子●︵1977年 - 2009年[注釈 28]︶ - 在職中に死去[25]。 ●菅家ゆかり︵1981年 - 1987年︶ - 退社後フリー。日テレ学院アナウンススクール講師、表情トレーナー。ラジオ日本の企画担当も兼務。 ●木村優子※︵1983年 - 2021年︶ - 報道局、日テレ学院を経て、退社。 ●深堀恵美子︵1983年 - 1995年︶ - 国際局、広報局を経て退社。 ●加藤明美︵1984年 - 2021年︶- 他部署を経て退社。 ●斉木かおり︵1986年 - 1994年︶ - 退社後フリー。日テレ学院アナウンススクール講師。 ●大杉君枝︵旧姓鈴木︶●︵1987年 - 2007年︶ - 在職中に死去[26]。 ●関谷亜矢子︵1988年 - 2000年︶ - 退社後フリー。 ●永井美奈子︵1988年 - 1996年︶ - 退社後フリー。 ●米森麻美●︵1989年 - 1995年︶ - 2001年没[27]。 ●藪本雅子︵1991年 - 2001年︶ - 報道局を経て退社後フリー。 ●大神いずみ︵1992年 - 1999年︶ - 退社後フリー。読売ジャイアンツの元木大介と結婚。 ●松本志のぶ︵1992年 - 2009年︶ - 退社後フリー。 ●魚住りえ︵1995年 - 2004年︶ - 退社後フリー。 ●町亞聖︵1995年 - 2011年︶ - 報道局を経て退社後フリー。 ●馬場典子︵1997年 - 2014年︶ - 退社後フリー。 ●柴田倫世︵1998年 - 2004年︶ - プロ野球投手松坂大輔と結婚、退社。 ●河合彩︵1999年 - 2002年︶ - スポーツ部を経て退社。元フィギュアスケートアイスダンス選手、フリーアナウンサー、日テレ学院アナウンススクール講師、フィギュアスケート競技解説者、広告宣伝・ブランディング会社﹃ディオ﹄代表。 ●山本真純●︵1999年 - 2010年︶ - 在職中︵育児休暇中︶に死去[28]。 ●小野寺麻衣︵2000年 - 2006年︶ - 読売ジャイアンツの高橋由伸と結婚後、活動を休止。現在は東京都在住。 ●斉藤まりあ︵2000年 - 2008年︶ - 退社後活動休止。 ●山下美穂子︵2000年 - 2016年︶ - 後にスポーツ局へ異動。退社後フリー。 ●阿部哲子 ︵2001年 - 2007年︶ - 退社後フリー。 ●西尾由佳理︵2001年 - 2011年︶ - 退社後フリー。 ●宮崎宣子︵2002年 - 2012年︶ - 退社後フリー。 ●山本舞衣子︵2002年 - 2011年︶ - 退社後フリー。 ●森麻季︵2003年 - 2011年︶ - 退社後フリー。 ●脊山麻理子︵2004年 - 2009年︶ - 退社後フリー。 ●古閑陽子︵2005年 - 2010年︶ - 退社後活動休止。 ●松尾英里子︵2006年 - 2012年︶ - 退社後フリー。 ●夏目三久︵2007年 - 2011年︶ - 退社後フリー。タレントの有吉弘行と結婚後、引退。 ●小熊美香︵2008年 - 2017年︶ - 退社後フリー。 ●上田まりえ︵2009年 - 2016年︶ - 退社後フリー。元日テレ学院アナウンススクール講師。 ●久野静香︵2012年 - 2022年︶ - 退社後フリー。 ●笹崎里菜︵2015年 - 2023年︶ - 退社後フリー。KAT-TUNの中丸雄一と結婚。局契約[編集]
●木島則夫︵1968年 - 1971年︶ - 元NHK、日本教育テレビ︵局契約︶アナウンサー。NETとの契約満了後に移籍し、﹁ワイドニュース﹂﹁木島則夫ハプニングショー﹂のMCを務めた ●酒井広︵1983年 - 1987年︶ - 元NHKアナウンサー ●生方恵一︵1985年 - 1987年︶ - 元NHKアナウンサー ●加藤亜希子︵2006年 - 2013年︶ - 元中京テレビ放送アナウンサー。主にCS放送・日テレNEWS24を担当 ●千北英倫子︵2014年 - 2015年︶ - 元長崎国際テレビアナウンサー ●原田輝子 - 広報局付リポーターとして﹁番組フラッシュ﹂﹁なんだろう﹂﹁午後は○○おもいッきりテレビ﹂などに出演アナウンサー番組[編集]
●アナちゃん劇場 ●エンパラナイト ●小熊のベア部屋 ●アナウンサーのホンヨミ ●アナウンサーの日進月歩・アナウンサーの日進月歩 ●アナTALK︵2014年 - 2017年︶ ラジオ日本 殆どの番組担当は菅家ゆかりが企画を手掛けた。- きみえの!ラジオ虫
- いってらっしゃ〜い!
- 日テレラジオ 女子アナミュージックミュージアム
- テレアナランド(2000年代後半から2010年代前半にかけて放送)
- 日テレアナ・ザ・ワールド!(2021年4月 - )
脚注[編集]
注釈[編集]
(一)^ 2018年10月より報道局と兼任。
(二)^ 2015年6月から2017年5月まではスカパー!のアナウンサー・運営スタッフとして出向していた。[3]
(三)^ 2016年以前は報道系番組等で本名の﹁鈴木崇司﹂で出演していたが、2017年から名義を統一した。
(四)^ 2004年6月28日 - 2012年5月は報道局解説委員・キャスター担当部長。
(五)^ 1951年入局[9]。
(六)^ 1940年二次入局[10]。
(七)^ 1950年入局[9]。
(八)^ 1947年後期入局[13]。
(九)^ 後に報道局へ異動し、記者を経てキャスター兼コメンテーター。
(十)^ 国際局長を経て日本テレビアナウンスカレッジ︵現・日テレ学院アナウンススクール︶の創設に参画。
(11)^ 2000年に定年退職し、その後契約社員として勤務。
(12)^ 1960年入社[15]。
(13)^ 報道局へ異動後、政治部長などを歴任。
(14)^ 福島テレビはフジテレビ系列局なので誤り[18]。
(15)^ 報道局記者として入社。
(16)^ 後に報道局へ異動
(17)^ 1996年に事業局へ異動。定年前にアナウンス部教育担当部長を務める。
(18)^ 2003年にラジオ日本へ出向。エグゼクティブアナウンサー、取締役編成局長、同営業局長を歴任。
(19)^ 2003年にコンテンツ事業局へ異動。
(20)^ 2000年にコンテンツ事業局へ異動。現在、公益財団法人日本テレビ小鳩文化事業団の業務に従事。
(21)^ 1990年代前半にアナウンサーを退き、人事局勤務を経て関連会社役員を歴任。
(22)^ 1970年入社。
(23)^ 1981年入社。
(24)^ 1992年に事業局へ異動し、定年まで勤務。
(25)^ 1986年に報道局へ異動し、その後事業局、広報局に勤務。定年を迎えた後も約9年間嘱託でドラマやバラエティの広報を担当。
(26)^ 2001年より関連会社役員を務める。
(27)^ 1994年に編成局・ネットワーク局・営業局等異動し、定年まで勤務。
(28)^ 1993年に報道局へ異動。
出典[編集]
(一)^ “組織図”. 日本テレビ. (2022年6月1日) 2022年6月4日閲覧。
(二)^ “すい臓がん公表 日テレ菅谷アナ 働きながらの闘病語る”. 日テレ NEWS. (2022年8月18日) 2022年8月18日閲覧。
(三)^ 小林健志2015年9月12日のツイート
(四)^ abc“日テレ新人アナ・黒田みゆ、澁谷善ヘイゼル、小高茉緒の3人が10日﹁ZIP!﹂でデビュー”. スポーツ報知. 報知新聞社. (2021年8月10日) 2021年8月10日閲覧。
(五)^ “後藤晴菜アナ、“ふっくらお腹”で産休入り報告﹁いろんな感情がこみあげています﹂”. ENCOUNT. (2022年8月31日) 2022年8月31日閲覧。
(六)^ “組織図”. 日本テレビ. (2022年6月1日) 2022年6月4日閲覧。
(七)^ 公益財団法人世田谷区スポーツ振興財団 各種公告内の理事・評議員名簿︵令和5年度︶に記載あり。
(八)^ “アンドロイドアナウンサーは喋らない︵企画募集記事︶|日テレR&Dラボ / テレビ局が、いろんなところとつながりたいnote”. note︵ノート︶ (2021年8月3日). 2023年11月23日閲覧。
(九)^ abNHKアナウンサー史編集委員会﹁NHKアナウンサー一覧﹂﹃アナウンサーたちの70年﹄講談社、1992年12月21日、16頁。ISBN 4-06-203232-5。
(十)^ NHKアナウンサー史編集委員会﹁NHKアナウンサー一覧﹂﹃アナウンサーたちの70年﹄講談社、1992年12月21日、13頁。ISBN 4-06-203232-5。
(11)^ ﹃⾦原 ⼆郎﹄ - コトバンク
(12)^ ﹁事務局から﹂︵pdf︶﹃日本記者クラブ会報﹄第577号、日本記者クラブ、2018年3月10日、25頁、2019年4月17日閲覧。
(13)^ NHKアナウンサー史編集委員会﹁NHKアナウンサー一覧﹂﹃アナウンサーたちの70年﹄講談社、1992年12月21日、15頁。ISBN 4-06-203232-5。
(14)^ 相撲を伝えて70年、名横綱との交流と思い出を語る - みんなで語ろう民放史 No.125 (PDF, 日本民放クラブ 2017年11月22日閲覧)
(15)^ ab日外アソシエーツ 編﹃テレビ・タレント人名事典﹄︵第6版︶日外アソシエーツ、2004年6月25日、463-464頁。ISBN 4-8169-1852-3。
(16)^ 1997年にアナウンス部を離れ、CS日本代表取締役社長、日本テレビ取締役副社長など重役を歴任。
(17)^ “郡山異業種交流会︵MBA21︶ 平成15年4月例会”. メディアハウス. 2018年9月21日閲覧。
(18)^ “群馬県立沼田高等学校 同窓会行事 平成29年度”. 群馬県立沼田高等学校. 2018年9月19日閲覧。
(19)^ ab中村こずえ (2014年1月3日). “箱根駅伝 & 新幹線”. 中村こずえのひとりごと. はまぞう. 2019年4月17日閲覧。
(20)^ “日本テレビ・河村亮アナ脳出血のため死去、54歳…巨人戦、箱根駅伝の実況で活躍”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2022年5月16日) 2022年5月16日閲覧。
(21)^ 日本用品株式会社︵会社法人等番号‥010001033917︶の商業登記簿により得られた情報による。︵2023年3月6日取得︶
(22)^ ﹁リレーエッセイ64﹂︵PDF︶﹃社団法人日本映像ソフト協会会報﹄NO.121、日本映像ソフト協会、2007年4月10日、13頁、2017年9月9日閲覧。
(23)^ “田原総一朗さんの妻の田原節子さん死去”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2004年8月13日). オリジナルの2004年8月13日時点におけるアーカイブ。 2019年4月17日閲覧。
(24)^ ﹁DJ訪問 江川範子﹂﹃週刊朝日﹄、朝日新聞出版、1978年5月12日、50頁。
(25)^ “元・日テレアナウンサー荻原弘子さんが死去”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2009年4月23日) 2019年4月17日閲覧。
(26)^ “日本テレビの大杉君枝アナ自殺”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2007年2月3日). オリジナルの2016年5月31日時点におけるアーカイブ。 2019年4月17日閲覧。
(27)^ “元日本テレビアナ 米森麻美さん急死”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2001年9月19日). オリジナルの2001年12月18日時点におけるアーカイブ。 2019年4月17日閲覧。
(28)^ “日テレ山本真純アナ自殺か飛び降り遺書も”. 日刊スポーツ新聞社 (日刊スポーツ新聞社). (2010年7月28日) 2019年4月17日閲覧。
参考文献[編集]
- NHKアナウンサー史編集委員会『アナウンサーたちの70年』講談社、1992年12月21日。ISBN 4-06-203232-5。
- 『テレビ夢50年 日本テレビ50年史』、日本テレビ50年史編集室、日本テレビ放送網、2004年3月。(データ編 p90、アナウンサー名鑑の項を出典)