杉原家次
杉原 家次 | |
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
生誕 | 享禄3年(1530年)[異説あり] |
死没 | 天正12年9月9日(1584年10月12日) |
別名 |
通称:七郎左衛門、弥七郎 法名:浄庵 |
墓所 | 長安寺(京都府福知山市奥野部) |
官位 | 伯耆守 |
主君 | 羽柴秀吉 |
氏族 | 尾張杉原氏 |
父母 | 父:杉原家利、母:静室院 |
兄弟 | 家次、源七郎[1]、七曲殿(浅野長勝室)、朝日殿(杉原定利室) |
子 | 雲照院(木下家定室)、長房 |
杉原 家次︵すぎはら いえつぐ︶は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。羽柴秀吉の家臣。丹波福知山城および近江坂本城主。