河竹黙阿弥

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黙阿弥

  1816311323- 189326122   -

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14[1]

61835  [1]12 (1841)   141843    4185111

1-36-3

[ 1]71853稿

21866殿

300西141881退

退鹿 

2618931222[3][4]76[5]

[6]

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調使調






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本外題 別外題 通称 初演 劇場 分類
  みやこどり ながれの しらなみ
都鳥廓白浪
  しのぶの そうた
「忍の惣太」
1854年4月
安政元年三月
江戸
河原崎座
世話物
白浪物
  つたもみじ うつのや とうげ
蔦紅葉宇都谷峠
  ぶんや ごろし  うつのや とうげ
「文弥殺し」 「宇都谷峠」
1856年9月
安政三年九月
江戸
市村座
世話物
 
  ねずみこもん はるの しんがた
鼠小紋東君新形
  ねずみこぞう
「鼠小僧」
1857年2月
安政四年正月
江戸
市村座
世話物
白浪物
  あみもよう とうろの きくきり
網模様燈籠菊桐
  こざる しちのすけ
「小猿七之助」
1857年8月
安政四年七月
江戸
市村座
世話物
白浪物
  こそで そが あざみの いろぬい
小袖曾我薊色縫
  さともよう あざみの いろぬい
『花街模様薊色縫』
  いざよい せいしん
「十六夜清心」
1858年3月
安政五年二月
江戸
市村座
世話物
白浪物
  くろてぐみ くるわの たてひき
黒手組曲輪達引
  くろてぐみの すけろく
「黒手組の助六」
1858年4月
安政五年三月
江戸
市村座
世話物
  さんにんきちさ くるわの はつがい
三人吉三廓初買
  さんにんきちさ ともえの しらなみ
『三人吉三巴白浪』
  さんにんきちさ
「三人吉三」
1860年2月
安政七年正月
江戸
市村座
世話物
白浪物
  かがみやま ごにちの いわふじ
加賀見山再岩藤
  こつよせの いわふじ
「骨寄せの岩藤」
1860年4月
万延元年三月
江戸
市村座
時代物
御家物
  はちまん まつり よみやの にぎわい
八幡祭小望月賑
  ちぢみや しんすけ
「縮屋新助」
1860年8月
万延元年七月
江戸
市村座
世話物
 
  あおとぞうし はなの にしきえ
青砥稿花紅彩画
  べんてんむすめ めおの しらなみ
『弁天娘女男白浪』
  おとにきく べんてんこぞう
『音菊弁天小僧』
  しらなみ ごにんおとこ  べんてんこぞう
「白浪五人男」    「弁天小僧」
1862年3月
文久二年三月
江戸
市村座
世話物
白浪物
  かんぜんちょうあく のぞき からくり
勧善懲悪覗機関
  むらい ちょうあん
「村井長庵」
1862年8月
文久二年八月
江戸
守田座
世話物
大岡政談
  むすめ ごのみ うきなの よこぐし
処女翫浮名横櫛
  きられ おとみ
「切られお富」
1864年5月
元治元年四月
江戸
守田座
世話物
白浪物
  つきの かけざら こいじの よいやみ
月缺皿恋路宵闇
  べにざら かけざら
「紅皿欠皿」
1865年3月
慶応元年三月
江戸
守田座
世話物
白浪物
  ふねへ うちこむ はしまの しらなみ
船打込橋間白浪
  いかけまつ
「鋳掛松」
1866年3月
慶応二年二月
江戸
守田座
世話物
白浪物
  ぞうほ ももやま ものがたり
増補桃山譚
  じしん かとう
「地震加藤」
1869年9月
明治二年八月
東京
村山座
時代物
活歴物
  くすのきりゅう はなみの まくばり
樟紀流花見幕張
  けいあん たいへいき まるばし ちゅうや
「慶安太平記」   「丸橋忠弥」
1870年4月
明治三年三月
東京
守田座
時代物
活歴物
つゆこそで むかし はちじょう
梅雨小袖昔八丈
  かみゆい しんざ
「髪結新三」
1874年
明治6年5月
東京
中村座
世話物
大岡政談
  くもの うえの さんえの さくまえ
雲上野三衣策前
  くもにまごう うえのの はつはな
天衣紛上野初花

  ゆきの ゆうべ いりやの あぜみち
雪暮夜入谷畦道

  こうちやまと なおざむらい(こうちやま)
「河内山と直侍(河内山)」

  みちとせと なおざむらい
「三千歳と直侍」

1875年
明治7年10月
東京
河原崎座
世話物
白浪物
  なとりぐさ へいけ ものがたり
牡丹平家譚
  しげもり かんげん
「重盛諌言」
1876年
明治9年5月
東京
中村座
時代物
活歴物
  ふじびたい つくばの しげやま
富士額男女繁山
  おんなしょせい しげる
「女書生繁」
1877年
明治10年3月
東京
新富座
世話物
散切物
  じつげつせい きょうわ せいだん
日月星享和政談
  えんめいいん にっとう
「延命院日当」
1878年
明治11年10月
東京
新富座
世話物
 
  にんげん ばんじ かねの よのなか
人間万事金世中
  かねの よのなか
「金の世の中」
1879年
明治12年2月
東京
新富座
世話物
散切物
  とじあわせ おでんの かなぶみ
綴合於伝仮名書
  たかはし おでん
「高橋お伝」 「かなぶみ」
1879年
明治12年5月
東京
新富座
世話物
散切物
  しもよの かね じゅうじの つじうら
霜夜鐘十字辻筮
  しもよの かね
「霜夜の鐘」
1880年
明治13年6月
東京
新富座
世話物
白浪物・散切物
  きわめつき ばんずい ちょうべえ
極付幡随長兵衛
  ゆどのの ちょうべえ
「湯殿の長兵衛」
1881年
明治14年10月
東京
春木座
世話物
生世話物
  しまちどり つきの しらなみ
島鵆月白浪
  しまちどり
「島ちどり」
1881年
明治14年11月
東京
新富座
世話物
白浪物・散切物
  しん さらやしき つきの あまがさ
新皿屋舗月雨暈
  さかなや そうごろう
「魚屋宗五郎」
1883年
明治16年5月
東京
市村座
世話物
御家物
  ほうじょう くだい めいかの いさおし
北条九代名家功
  たかとき  よしさだ
「高時」 「義貞」
1883年
明治17年11月
東京
猿若座
時代物
活歴物
  すいてんぐう めぐみの ふかがわ
水天宮利生深川
  ふでや こうべえ(ふでこう)
「筆屋幸兵衛(筆幸)」
1885年
明治18年2月
東京
千歳座
世話物
散切物
  しせんりょう こばんの うめのは
四千両小判梅葉
  しせんりょう
「四千両」
1885年
明治18年11月
東京
千歳座
世話物
白浪物・生世話物
  めくら ながや うめが かがとび
盲長屋梅加賀鳶
  かがとび
「加賀鳶」
1886年
明治19年3月
東京
千歳座
世話物
白浪物・生世話物

黙阿弥調の例[編集]

  • 『三人吉三廓初買』(三人吉三)大川端庚申塚の場、お嬢吉三の科白
    月も朧(おぼろ)に白魚の
    (かがり)も霞む春の空
    つめてぇ風もほろ酔に
    心持好く浮か浮かと
    浮かれ烏の只一羽
    (ねぐら)へ帰る川端で
    (さお)の雫か濡れ手で粟
    思いがけなく手に入る百両
    ほんに今夜は節分か
    西の海より川の中
    落ちた夜鷹は厄落とし
    豆だくさんに一文の
    銭と違って金包み
    こいつぁ春からぁ縁起がいいわぇ
  • 『青砥稿花紅彩画』(白浪五人男)雪ノ下浜松屋の場、弁天小僧菊之助の科白
    知らざあ言ってぇ聞かせやしょう
    浜の真砂(まさご)と五右衛門が
    歌に残せし盗人の
    種は尽きねぇ七里ヶ浜
    その白浪の夜働き
    以前を言やぁ江ノ島で
    年季勤めの児ヶ淵(ちごがふち)
    江戸の百味講(ひゃくみ)の蒔銭(まきせん)
    当てに小皿の一文字
    百が二百と賽銭の
    くすね銭せぇだんだんに
    悪事はのぼる上の宮
    岩本院で講中の
    枕捜しも度重なり
    お手長講と札付きに
    とうとう島を追い出され
    それから若衆の美人局(つつもたせ)
    ここやかしこの寺島で
    小耳に聞いた祖父さんの
    似ぬ声色(こわいろ)で小ゆすりかたり
    名せえ由縁の弁天小僧
    菊之助たぁ俺がことだぁ

人物[編集]

家族と門弟[編集]





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1855500[7] 

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退 [8]

[8][8]

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[9][9][9]

使7[9]使[10]

[9]

参考文献[編集]

関連作品[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 今紀文と呼ばれた細木香以が後援者の一人であった[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b すみだゆかりの人々 1985, p. 9.
  2. ^ 野崎左文『増補私の見た明治文壇1』平凡社、2007年、136p頁。 
  3. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)9頁
  4. ^ すみだゆかりの人々 1985, p. 8.
  5. ^ 野崎左文『増補私の見た明治文壇1』平凡社、2007年、151p頁。 
  6. ^ すみだゆかりの人々 1985, p. 10.
  7. ^ 松井今朝子 (2015年9月4日夕刊). “なゐの備え”. 日本経済新聞 
  8. ^ a b c 河竹登志夫『黙阿弥』、講談社学芸文庫、p190からの「「黙」の字の真意」の節
  9. ^ a b c d e 河竹登志夫『黙阿弥』、講談社学芸文庫、p271
  10. ^ この間違えは他にも平凡社の『日本人名大事典』でも秋葉芳美により踏襲された。(河竹登志夫『黙阿弥』、p271)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]