浮穴郡
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e7/Ehime_Ukena-gun.png)
郡域[編集]
現在の下記の区域にあたるが、行政区画として画定されたものではない。 ●松山市の一部︵井門町、森松町、南高井町以南︶ ●伊予市の一部︵双海町各町・中山町出淵・中山町栗田・中山町佐礼谷・上唐川・両澤・鵜崎︶ ●東温市の一部︵北野田、野田、牛渕、田窪、見奈良、南方、則之内、河之内より南西︶ ●大洲市の一部︵河辺町川上・河辺町北平・河辺町河都・河辺町三嶋および田処の一部︶ ●西予市の一部︵野村町小松︶ ●上浮穴郡久万高原町、伊予郡砥部町の全域 ●喜多郡内子町の一部︵石畳および中田渡、吉野川、寺村、立石以東︶歴史[編集]
近世以降の沿革[編集]
所属町村の変遷は上浮穴郡#郡発足までの沿革、下浮穴郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照 ●﹁旧高旧領取調帳﹂に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。︵103村︶ ●後の上浮穴郡域︵42村︶ - 松山藩、大洲藩、新谷藩 ●後の下浮穴郡域︵61村︶ - 松山藩、大洲藩、新谷藩 ●明治4年 ●7月14日︵1871年8月29日︶ - 廃藩置県により松山県、大洲県、新谷県の管轄となる。 ●11月15日︵1871年12月26日︶ - 第1次府県統合により、全域が宇和島県の管轄となる。 ●明治5年 ●5月15日︵1872年6月20日︶ - 旧松山県︵概ね現在の松山市域・東温市域・久万高原町域︶が石鉄県の管轄となる。 ●6月23日︵1872年7月28日︶ - 宇和島県の管轄地域が神山県の管轄となる。 ●明治6年︵1873年︶2月20日 - 全域が愛媛県の管轄となる。 ●明治11年︵1878年︶12月16日 - 郡区町村編制法の愛媛県での施行により、久万町村ほか42村の区域に上浮穴郡、見奈良村ほか62村の区域に下浮穴郡がそれぞれ発足。同日浮穴郡消滅。脚注[編集]
- ^ 大洲市田処の一部は境界線の比定が困難なため未反映。
参考文献[編集]
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 38 愛媛県、角川書店、1981年10月1日。ISBN 4040013808。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目[編集]
先代 ----- |
行政区の変遷 - 1878年 |
次代 上浮穴郡・下浮穴郡 |