宇和郡
郡域[編集]
現在の下記の区域にあたるが、行政区画として画定されたものではない。 ●宇和島市、八幡浜市、西宇和郡、北宇和郡、南宇和郡の全域 ●西予市の大部分︵宇和町久保・野村町小松を除く︶ ●大洲市の一部︵平野町野田・平野町平地・肱川町西・肱川町予子林︶ ●高知県宿毛市の一部︵沖の島・鵜来島︶歴史[編集]
●7世紀に評制の宇和評として設置された[1]。これが701年に郡制の宇和郡になった。 ●貞観8年︵866年︶11月8日 - 宇和郡を割いて宇和郡及び喜多郡を置く。近世以降の沿革[編集]
所属町村の変遷は西宇和郡#郡発足までの沿革、東宇和郡#郡発足までの沿革、北宇和郡#郡発足までの沿革、南宇和郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照 ●﹁旧高旧領取調帳﹂に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。︵4町194村57浦︶ ●後の西宇和郡域︵1町20村25浦︶ - 宇和島藩、吉田藩 ●後の東宇和郡域︵1町62村9浦︶ - 宇和島藩、吉田藩 ●後の北宇和郡域︵2町97村17浦︶ - 宇和島藩、吉田藩 ●後の南宇和郡域︵15村6浦︶ - 宇和島藩 ●明治4年 ●7月14日︵1871年8月29日︶ - 廃藩置県により、藩領が宇和島県、吉田県の管轄となる。 ●11月15日︵1871年12月26日︶ - 第1次府県統合により、全域が宇和島県の管轄となる。 ●明治5年6月23日︵1872年7月28日︶ - 神山県の管轄となる。 ●明治6年︵1873年︶2月20日 - 愛媛県の管轄となる。 ●明治9年︵1876年︶2月25日 - 母島浦・久保浦・小矢野浦・鵜来島の所属郡が土佐国幡多郡に変更。 ●明治11年︵1878年︶12月16日 - 郡区町村編制法の愛媛県での施行により、八幡浜浦ほか1町22村26浦の区域に西宇和郡、卯之町ほか1町62村9浦の区域に東宇和郡、宇和島ほか2町98村17浦の区域に北宇和郡、城辺村ほか15村2浦の区域に南宇和郡がそれぞれ発足。同日宇和郡消滅。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 38 愛媛県、角川書店、1981年10月1日。ISBN 4040013808。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目[編集]
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