神秘体験
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![]() | この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。(2011年11月) |
本記事では神秘体験︵しんぴたいけん、Mystical experience︶について説明する。
概要[編集]
岸本英夫は神秘体験を﹁知をも情をも越えた、特異で純粋な体験﹂と記述した[1]。 内容はさまざまである。多くは、あるとき突然に、強烈な光を見たり、神々しい感情に打ちのめされたりする。その体験のあまりの強烈さに、人格や考え方が一瞬にして変わってしまうことさえある。 体験した本人にしかわからず、他者からはうかがい知ることができない、と言われている。あくまで自己の内部において体験することであって、第三者が確認できるものではない[要出典]、と言う[誰?]。体験のきっかけ[編集]
神秘体験を惹起するものは多様であるが、以下のようなものが知られている。 ●宗教などの修行[2]。 ●眉間への手かざしによる霊動。鎮魂法とも呼ばれる。[1] ●ヨーガ[3] ●瞑想[2] ●自己啓発セミナー[2] [注 1] ●LSD[2]やアヤワスカ[4]などの幻覚剤 ●肉体的、もしくは精神的な極限状態[5][注 2]脳科学的研究[編集]
ペンシルバニア大学のアンドリュー・ニューバーグは、深い瞑想状態や祈りの状態にある者の脳内の神経学的変化を研究した。ニューバーグによると、深い祈りを込めた瞑想は、上頭頂葉後部の活動を低下させ、血流を減少させていた。また瞑想者のメラトニンやセロトニン濃度は上昇し、コルチゾールやアドレナリン濃度は低下していた。前者2つのホルモンはリラックス時には上昇し、後者2つはストレス負荷により上昇するので、この変化は理に適っているとした。 こうした研究成果は、あくまでも脳と体験に﹁対応関係﹂がある事を示すものである。︵脳内の変化が体験を生み出すという因果関係を証明するものでは無い。︶ニューバーグは、瞑想時における様々な神秘体験が﹁客観的な現実であるか﹂と問われた時に、それは﹁神経学的な現実﹂であると返している。[6]脚注・出典[編集]
注[編集]
- ^ 苫米地は「カタルシス体験」と結びつけて説明した。
- ^ 以下は左記出典NHK「戦跡-薄れる記憶 AFTER THE WAR-」サイトより。「点呼でどもるようになり、どうきも激しかった。行軍中、突然目の前がぱっと明るくなり、観音様の姿が見えた。大声で『観音様だ』と叫んだ。小川にはすの花が咲いて、手に取ってみると、缶詰の空き缶だった。休憩していると、『ここにいると殺されるぞ、早く逃げろ』という声が聞こえ、1人歩いて逃げ出した。友軍に保護され、個室に収容された。毎夜、刑場へ連れて行かれる夢を見た」
出典[編集]
(一)^ ﹃宗教神秘主義‥ヨーガの思想と心理﹄大明堂 1959 p.216
(二)^ abcd苫米地英人﹃洗脳原論﹄︵春秋社 2000年2月15日︶
(三)^ 遠藤康﹁ヨーガ的神秘体験と知識:岸本英夫の主知的宗教神秘主義体系説をめぐって﹂︵PDF︶﹃愛知文教大学比較文化研究﹄第1号、愛知文教大学、1999年、1-13頁、ISSN 13451081、NAID 110000037548。
(四)^ “ペルーアマゾン、アヤワスカツアーをめぐって―観光化、商品化されるシャーマニズム” (PDF). 山本誠 (2012年9月1日). 2023年6月20日閲覧。
(五)^ “50年間、口外してはならない 極秘調査・兵士たちの“心の傷””. 小椋崇広 日本放送協会 (2021年8月26日). 2023年6月20日閲覧。
(六)^ サム・パーニア﹃科学は臨死体験をどこまで説明できるか﹄三交社
参考文献[編集]
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●苫米地英人﹃洗脳原論﹄︵春秋社 2000年2月15日︶
●河原道三﹃人間の心に生じる特異点﹄(リバーフィールド 2000年11月)