第二十八号型駆潜艇
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第二十八号型駆潜艇 | |
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艦級概観 | |
艦種 | 駆潜艇 |
艦名 | |
前級 | 第十三号型駆潜艇 |
次級 | 第六十号型駆潜艇 |
要目(計画竣工時) | |
排水量 | 基準:420トン |
全長 | 51.0m |
全幅 | 6.7m |
吃水 | 2.63m |
機関 | 艦本式23号8型ディーゼル 2基 2軸 1,700馬力 |
速力 | 16.0ノット |
航続距離 | 14ノットで2,000海里 |
燃料 | 重油16トン |
乗員 | 80名 |
兵装 | 四十口径三年式八糎高角砲1基 25mm単装機銃3挺(1944年以降) 13mm機銃連装1基 94式爆雷投射機2基 爆雷投下軌条1基(のち2基) 爆雷36個 |
レーダー | 二号二型電探1基(1944年以降) |
ソナー | 九三式水中聴音機1基 九三式水中探信儀1基 |
同型艦 | 31隻 |
第二十八号型駆潜艇︵だいにじゅうはちごうがたくせんてい、旧字体‥第二十八號型驅潜艇︶は日本海軍の駆潜艇。同型艦31隻。
概要[編集]
本艦型は前艦型である第十三号型駆潜艇で保針性能がやや悪かったので艦尾船底の形状を改め、艦尾側面は垂直となった。また戦時量産に適するよう艤装や船殻が簡易化されたが、松型駆逐艦や海防艦で実施したような徹底的なものではなかった。その他兵装等に違いはなく、実質的には第十三号型と同型艇である[1]。 戦時中は船団護衛を主任務とした。他の海軍艦艇と同様機銃の増備が実施され、25mm機銃3挺が追加装備された。また探照燈を移動しその位置に22号電探1基を装備した。その他爆雷投下軌条が2基に増強された。 終戦時9隻が残存、国内にあった無傷の2隻が復員輸送に従事した。同型艦[編集]
●艦番 : 竣工日︵造船所︶。喪失日︵場所︶、または戦後の様子。 造船所は鶴見=日本鋼管鶴見造船所、播磨=播磨造船所、三井玉=三井造船玉造船所、石川島=東京石川島造船所、函館=函館船渠、日立因島=日立造船因島工場、香焼島=川南工業香焼島造船所、新潟=新潟鉄工所、浪速=浪速船渠。 ●第28号 : 1942年5月15日竣工︵鶴見︶。1945年2月1日敵機の攻撃により沈没︵ルソン島北方︶。 ●第29号 : 1942年4月30日竣工︵播磨︶。1944年2月18日トラック島空襲により沈没︵トラック島︶。 ●第30号 : 1942年5月13日竣工︵三井玉︶。1944年12月24日敵潜の雷撃により沈没︵ボルネオ北西︶。 ●第31号 : 1942年6月15日竣工︵石川島︶。1945年1月12日敵機の攻撃により沈没︵仏印南部︶。 ●第32号 : 1942年8月19日竣工︵鶴見︶。1944年9月24日敵機の攻撃により沈没︵コロン湾︶。 ●第33号 : 1942年8月15日竣工︵三井玉︶。1945年3月21日敵機の攻撃により沈没︵カムラン湾︶。 ●第34号 : 1942年8月31日竣工︵播磨︶。1945年3月26日英艦と交戦沈没︵アンダマン諸島沖︶。 ●第35号 : 1943年2月28日竣工︵函館︶。1945年2月23日敵機の攻撃により沈没︵仏印南部︶。 ●第36号 : 1942年10月15日竣工︵石川島︶。1944年11月19日敵機の攻撃により沈没︵フィリピン・スービック湾︶。 ●第37号 : 1942年10月31日[2]竣工︵三井玉︶。1945年5月22日敵機の攻撃により沈没︵奄美大島︶。 ●第38号 : 1942年12月10日竣工︵鶴見︶。青島で終戦。 ●第39号 : 1942年10月31日竣工︵播磨︶。1944年2月16日敵機の攻撃により大破座礁放棄︵カビエン︶。 ●第40号 : 1943年3月31日竣工︵日立因島︶。1944年2月19日敵機の攻撃により沈没︵ビスマルク諸島︶。 ●第41号 : 1943年1月31日竣工︵香焼島︶。シンガポールで終戦。1946年8月3日海没処分︵シンガポール沖︶。 ●第42号 : 1943年5月31日竣工︵日立因島︶。1945年7月31日女川港付近で雷撃を受け損傷、そのまま終戦。 ●第43号 : 1943年4月7日竣工︵新潟︶。1945年1月12日敵機の攻撃により大破炎上擱座、そのまま放置︵カムラン湾︶。 ●第44号 : 1943年5月15日竣工︵香焼島︶。1945年春に南方への護衛船として横須賀港を出港、相模湾沖にて米軍機の攻撃に遭いスクリューを破損。航行不能となり、入れ替わりに帰港する他船に曳航されて横須賀港へ帰還。主機の修理を施されることなく放置され終戦を迎える。終戦後、解体。 ●第45号 : 1943年10月15日竣工︵函館︶。1944年11月29日オルモック輸送作戦中に敵機の攻撃により沈没︵セブ島東方︶。 ●第46号 : 1943年9月30日竣工︵日立因島︶。1944年11月25日オルモック輸送作戦中に敵機の攻撃により沈没︵マスバテ島付近︶。 ●第47号 : 1943年8月12日竣工︵香焼島︶。横須賀で終戦、復員輸送に従事。1947年10月アメリカへ引き渡し。 ●第48号 : 1943年7月31日[3]竣工︵新潟︶。1945年7月14日、釜石艦砲射撃への応戦中に敵機の攻撃により沈没︵釜石湾︶。 ●第49号 : 1944年1月31日竣工︵函館︶。佐世保港で終戦、復員輸送に従事。1947年10月3日青島で中国に引き渡し。 第四十九号駆潜艇, to ROCN >接30>驅潛11 >海宏(SC401)>雅龍(PC106)>渠江
●第50号 : 1943年11月30日竣工︵日立因島︶。1944年7月20日敵機の攻撃により沈没︵父島︶。
●第51号[II] : 1943年11月8日竣工︵香焼島︶。1945年7月28日横須賀で敵機の攻撃により損傷、そのまま終戦。
●第52号[II] : 1943年11月30日竣工︵浪速︶。1945年8月14日佐世保付近で敵機の攻撃により損傷、そのまま終戦。
●第53号[II] : 1944年3月20日竣工︵浪速︶。1944年11月28日オルモック輸送作戦中に敵機の攻撃により沈没︵オルモック沖︶。
●第54号 : 1943年11月12日竣工︵新潟︶。1944年3月25日米潜﹁ポラック﹂の雷撃を受け沈没︵父島北東︶。
●第55号 : 1944年5月31日竣工︵函館︶。1944年9月13日敵機の攻撃により沈没︵セブ島北︶。
●第56号 : 1944年7月26日竣工︵浪速︶。スラバヤで終戦。
●第57号 : 1944年10月28日竣工︵函館︶。1945年6月12日英艦と交戦沈没︵スマトラ島サバン北︶。
●第58号 : 1944年1月26日竣工︵新潟︶。1945年5月22日敵機の攻撃により沈没︵奄美大島︶。
参考文献[編集]
●雑誌﹁丸﹂編集部﹃写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I﹄︵光人社、1990年︶ ISBN 4-7698-0463-6 ●日本造船学会﹃昭和造船史 第1巻﹄第3刷︵原書房、1981年︶ISBN 4-562-00302-2脚注[編集]
関連項目[編集]