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●司馬遼太郎の小説﹃新選組血風録﹄では、普段から水で耳を洗う癖が仇となって中耳炎で死去したとされているが創作である。そもそも耳を洗う癖は無く、耳を患ったこと自体生涯に一度もなかったという︵長男夫人談︶。
●﹃秦林親日記﹄は日記ではなく、本人が明治末年に執筆した回顧録である。
●篠原の遺した手帳から、御陵衛士が英語を学んでいたとする説がある。篠原は息子の英語教育に熱心で、後年、建築家になった長男の泰親は帝国ホテル建築に参加した際、設計者フランク・ロイド・ライトに可愛がられた。泰親は子母澤寛との親交が深く、子母澤の新選組関連著作にも証言者として登場する。もっとも子母澤が書いた篠原関連のエピソードには耳の件ほか創作が多い。
●父・元助は入婿で、旧姓が秦である。また、一説に丸橋忠弥の血筋ともいう。
●維新後の篠原は、伊東一派の新選組加盟の目的を、新選組を勤王に衣替えするためだったと語っている。近藤は﹁徳川あっての今日だ﹂と言って聞き入れなかったと書き残している。
●御陵衛士拝命は、篠原の尽力であったとされる。
●篠原の神奈川奉行所勤務は、窪田が神奈川奉行所取締役に就任したことによる。
●上京後、伊東らとは違い新選組には即座に加盟せず、大坂の谷万太郎道場に滞在するなど京坂を見学した後、慶応元年︵1865年︶に至って加盟している。なお、谷とは維新後も交友が続いた。
関連項目[編集]
●新選組#新選組を主題にした作品
●浦辺登著﹃維新秘話福岡﹄花乱社、2020年、ISBN978-4-910038-15-5