臼杵郡
臼杵郡︵うすきぐん︶は、宮崎県︵日向国︶にあった郡。
郡域[編集]
1879年︵明治12年︶に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。 ●延岡市・東臼杵郡・西臼杵郡の全域 ●日向市の大部分︵美々津町を除く︶歴史[編集]
日向国および西海道の郡では最大の面積を持ち、南で児湯郡と接し、北で豊後国、西で肥後国と国境を成した。 和名類聚抄によると、郡は四つの郷から構成されており、氷上郷、英多郷、智保郷、刈田郷が記載されている。 建久8年の図田帳︵島津家文書︶に依ると、塩見・三十五町、富高・三十町、県庄・百三十町、富田・八十丁、岡富庄・五十町、多奴田・十町、田嶋庄・九十町、高智尾社・八町、新名・五十町、浮目・七十町、伊富形︵いがた︶・十五町、大貫・十二町、三宅郷・二十町、三納︵みのう︶郷・四十町、間世田・八町、右松保廿・五町。他? 合計六百七十三町。とある。同資料における日向の総町数は八千百六十であるので全体の8%程度である。近世以降の沿革[編集]
所属町村の変遷は東臼杵郡#郡発足までの沿革、西臼杵郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照 ●﹁旧高旧領取調帳﹂に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。︵3町75村︶ ●後の東臼杵郡域︵3町53村︶ - 幕府領︵西国筋郡代︶、日向延岡藩、日向高鍋藩 ●後の西臼杵郡域︵22村︶ - 幕府領︵人吉藩預地︶、日向延岡藩 ●慶応4年 ●閏4月25日︵1868年6月15日︶ - 幕府領が富高県の管轄となる。 ●8月17日︵1868年10月2日︶ - 富高県の管轄区域が日田県の管轄となる。 ●明治4年 ●2月 - 領知替えにより、日田県の管轄区域が延岡藩領となる。人吉藩預地が日田県の管轄となる。 ●6月 - 日田県の管轄地域が人吉藩領となる。 ●7月14日︵1871年8月29日︶ - 廃藩置県により、延岡県、高鍋県、人吉県の管轄となる。 ●11月14日︵1871年12月25日︶ - 第1次府県統合により美々津県の管轄となる。 ●明治6年︵1873年︶1月15日 - 全域が宮崎県︵第1次︶の管轄となる。 ●明治9年︵1876年︶8月21日 - 第2次府県統合により鹿児島県の管轄となる。 ●明治12年︵1879年︶2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての臼杵郡が発足。郡役所が延岡に設置。 ●明治16年︵1883年︶5月9日 - 宮崎県︵第2次︶の管轄となる。 ●明治17年︵1884年︶1月26日 - 延岡ほか3町53村の区域をもって東臼杵郡が、三田井村ほか22村の区域をもって西臼杵郡がそれぞれ発足。同日臼杵郡廃止。行政[編集]
鹿児島県臼杵郡長代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 明治12年(1879年)2月17日 | |||
明治16年(1883年)5月8日 | 宮崎県に移管 |
- 宮崎県臼杵郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治16年(1883年)5月9日 | |||
明治17年(1884年)1月25日 | 分割により臼杵郡廃止 |
参考文献[編集]
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 45 宮崎県、角川書店、1986年9月1日。ISBN 4040014502。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目[編集]
先代 ----- |
行政区の変遷 - 1884年 |
次代 東臼杵郡・西臼杵郡 |