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藤原兼雅

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凡例

藤原 兼雅
天子摂関御影』藤原兼雅 (兼雅公)
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期
生誕 久安4年(1148年
死没 正治2年7月18日1200年8月29日
別名 後花山院左大臣
官位 従一位左大臣
主君 近衛天皇後白河天皇二条天皇六条天皇高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇
氏族 藤原北家花山院家
父母 父:藤原忠雅、母:藤原家成の娘
兄弟 兼雅、忠恵、忠雲、忠子、源通親側室、兼経
養兄弟:行雅隆雅
平清盛の次女
九条良通室、花山院忠経五辻家経、兼信、兼成、円雅
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系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 待賢門院璋子の御給による。
  2. ^ この時、上臈の頭中将藤原家通を超越して叙せられた。
  3. ^ 前年に春宮大夫を止められた時に恐懼に処せられていたことによる。
  4. ^ 子・家経参議に申任するためという。
  5. ^ 『系図纂要』

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︿2811985ISBN 978-4-02-259381-8 

︿1992ISBN 978-4-642-05196-5