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野村望東尼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野村望東尼
誕生 浦野もと子
(1806-10-17) 1806年10月17日
筑前国早良郡
死没 (1867-12-01) 1867年12月1日(61歳没)
周防国三田尻
墓地 福岡市東堅粕 明光寺
職業 歌人、勤王家
教育 大隈言道
代表作 『向陵集』
ウィキポータル 文学
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野村望東尼像
平尾山荘

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逸話[編集]

モトは林家に仕えている時に実家の浦野家が火事となったと知らせを受けて、帰った時の第一声が「水牛の兜はいかに」であった。近所の人達はさすが武家の娘さんだと感心したという。この話は藩の上層部にまで伝わり、後々まで語り種となっていたという。

その他[編集]

生誕地の碑

「向陵集」「上京日記」「姫島日記」「防州日記」などの遺稿が存在する[6]。磯辺実の校訂で、野村望東尼『上京日記 姫島日記』文友堂書店、昭和18年(1943年)に出版されている。

また、密会場所として提供していた山荘は現在も保存されており、山荘の敷地は平尾山荘公園として整備されている。同公園内には彼女の銅像が設置されている。なお、福岡市中央区赤坂3丁目には生誕地の碑が立っている。

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 野村望東尼 - 美術人名辞典(思文閣コトバンク
  2. ^ a b c d e f g h i 野村 望東尼(ぼうとうに) 信念曲げず志士たちを感化 - 日本経済新聞朝刊女性面 2013年7月20日[リンク切れ]
  3. ^ a b c d 平尾山荘 - 福岡市の文化財(福岡市経済観光文化局文化財保護課)
  4. ^ 二川相近 - コトバンク
  5. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.7
  6. ^ 井上精三「 博多郷土史事典」 葦書房 2000年ISBN 978-4751203620 P175-176

登場作品[編集]

外部リンク[編集]