金色夜叉
金色夜叉 | |
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作者 | 尾崎紅葉 |
国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
ジャンル | 長編小説 |
発表形態 | 新聞掲載 |
初出情報 | |
初出 | 『読売新聞』1897年1月1日号-1902年5月11日号(未完) |
刊本情報 | |
刊行 |
前編・中編・後編・続編・続々 春陽堂 1898年-1903年 |
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﹃金色夜叉﹄︵こんじきやしゃ︶は、尾崎紅葉が書いた明治時代の代表的な小説。読売新聞に1897年︵明治30年︶1月1日 - 1902年︵明治35年︶5月11日まで連載された。
前編、中編、後編、続金色夜叉、続続金色夜叉、新続金色夜叉の6編からなっている。執筆中に作者が死亡したため未完成である。尾崎の病没後、熱烈な読者の求めに幾人かの作家が書き継ぎ、貫一とお宮を甦らせている。紅葉門下の小栗風葉が1909年︵明治42年︶に﹁終編金色夜叉﹂を書き継いだ[1]。大正には、長田幹彦が北海道置戸に訪れ﹁続金色夜叉﹂﹁金色夜叉終編﹂を書いている。昭和に入って、映画、ドラマ化されるようになった。
この作品は、バーサ・M・クレー (Bertha M.Clay) 、本名シャーロット・メアリー・ブレイム (Charlotte Mary Brame 1836-1884) の﹃Weaker than a Woman[2][3]︵女より弱きもの︶﹄の翻案であることがのちに判明している︵後述︶。
尾崎紅葉
未完のまま作者が亡くなったため、作品の全体像が掴めないという難点はあるが、雅俗折衷の文体は当時から華麗なものとして賞賛された。だが、自然主義文学の口語文小説が一般化すると、その美文がかえって古めかしいものと思われ、ストーリーの展開の通俗性が強調され、真剣に検討されることは少なくなった。
1940年頃に企画された中央公論社版の﹃尾崎紅葉全集﹄の編集過程で、創作メモが発見され、貫一が高利貸しによって貯めた金を義のために使い切ること、宮が富山に嫁いだのには、意図があってのことだったという構想の一端が明らかにされた。しかし、戦渦の中でこの全集が未完に終わったこともあって、再評価というほどにはならなかった︵この件に関しては勝本清一郎﹃近代文学ノート﹄︵みすず書房︶に詳しい︶。
三島由紀夫は、金色夜叉の名文として知られる、﹁車は馳せ、景は移り、境は転じ、客は改まれど、貫一は易らざる其の悒鬱を抱きて、遣る方無き五時間の独に倦み憊れつゝ、始て西那須野の駅に下車せり﹂を挙げ、この名文が浄瑠璃や能の道行の部分であり、道行という伝統的技法に寄せた日本文学の心象表現の微妙さ・時間性・流動性が活きている部分だと解説し、﹁﹃金色夜叉﹄は、当時としては大胆な実験小説であつたが、その実験の部分よりも伝統的な部分で今日なほ新鮮なのである﹂[13]と述べている。また小説の主題である金権主義と恋愛の関係については、﹁金権主義が社会主義的税制のおかげで一応穏便にカバーされてゐる現代は、その実、﹃金色夜叉﹄の時代よりもさらに奥深い金権主義の時代なのであるが、これに対する抗議が今ほど聞かれない時代もめづらしい。といふのは、現代では、金権主義に対抗する恋愛の原理が涸渇してゐるからであり、﹃金色夜叉﹄において、金に明瞭に対比させられてゐる恋愛の主題には、実はそれ以上のものが秘められてゐたのである﹂[13]と述べている。
あらすじ[編集]
高等中学校の学生の間貫一︵はざま かんいち︶の許婚であるお宮︵鴫沢宮、しぎさわ みや︶は、結婚を間近にして、富豪の富山唯継︵とみやま ただつぐ︶のところへ嫁ぐ。それに激怒した貫一は、熱海で宮を問い詰めるが、宮は本心を明かさない。貫一は宮を蹴り飛ばし、復讐のために、高利貸しになる。一方、お宮も幸せに暮らせずにいた。 お宮を貫一が蹴り飛ばす、熱海での場面︵前編 第8章︶[注釈 1]は有名である。貫一のセリフとして﹁来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる﹂が広く知られているが、これは舞台・映画でのもっとも簡略化したセリフに基づいたものであり、原著では次のように記述されている。 ﹁吁︵ああ︶、宮︵みい︶さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処︵どこ︶でこの月を見るのだか! 再来年︵さらいねん︶の今月今夜……十年後︵のち︶の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ! 可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ﹂[4] 高等中学生の秀才間貫一と、寄寓先の鴫沢の美しい娘宮は許婚どうし。みなからその未来を羨望されている。宮は、銀行頭取の息子富山唯継にかるた会でみそめられ、美貌におごり、金に憧れ、求婚に応じて許婚をすてる。 貫一は悲憤して、熱海の海岸で﹁一生を通して、一月十七日は僕の涙で必ず月を曇らして見せる。月が曇ったらば、貫一は何処かでお前を恨んで今夜のように泣いていると思ってくれ﹂と言葉を投げて宮と別れ、学業を廃して、行方をくらます。貫一は復讐を思い、死を思う。強欲非道な高利貸鰐淵の手代となり、残酷な商売にしたがい、かろうじてその苦しさを忘れ、自ら金を積み、恨みを晴らそうとする。宮は、富山と結婚し、金に目がくらむいっぽうで、胸の飢えは満たされない。 4年後、2人は相見て、宮は、貫一の恨みをとくためにこの境遇をすてようと思う。貫一は、鰐淵が火事で死んだので仕事を受け継ぎ、宮の悔悟の手紙を手にとろうともしない。しかし、親友荒尾譲介から、宮の心情をつたえられて貫一も心がかすかに動揺し、暁の悪夢のなかで悔悟の自殺をした宮に、赦すという言葉を与え、その唇をすう。 心はますます苦しくなるが、用事で塩原へ出向き、温泉宿の隣室で男女が心中しようとするのをすくう。その女は富山唯継のえじきになろうとしたものであったから、貫一は宮の周辺の不幸な状況を知る。宮はまえにもまして思いの丈を訴えた手紙を貫一のもとに寄こす。モデル[編集]
文芸評論家北嶋廣敏によれば、主人公・間貫一のモデルは児童文学者の巖谷小波である。彼には芝の高級料亭で働いていた須磨という恋人がいた。が、小波が京都の新聞社に2年間赴任している間に、博文館の大橋新太郎︵富山唯継のモデル︶に横取りされてしまった。小波は別に結婚する気もなかったのでたいして気にも留めていなかったというが、友人の紅葉が怒って料亭に乗り込み須磨を足蹴にした。熱海の海岸のシーンはそれがヒントになったという。須磨︵須磨子︶は、ある旅館の若主人が東京放浪中に生ませた娘であったが、舞踊にも秀でた美人で、大橋と結婚後は8人の子を生み、五女の豊子は金子堅太郎の息子・武麿に嫁いだ[5][6]。 1980年代になって、硯友社文学全体の再評価の中で、典拠や構想についての研究が進み、アメリカの小説にヒントを得て構想されたものであるという説が有力になり、2000年7月、堀啓子北里大学講師が、ミネソタ大学の図書館に所蔵されているバーサ・M・クレー (Bertha M.Clay) ことシャーロット・メアリー・ブレイム (Charlotte Mary Brame) の ﹃Weaker than a Woman︵女より弱きもの︶﹄が種本であることを解明した[7][8][9][10][11]。初出は、イギリスのen:Family Herald紙に、1878年8月17日から同年11月23日まで連載されたものである[12]。︵下記外部リンク参照︶作品評価・解説[編集]
文学碑[編集]
●熱海サンビーチ﹁お宮の松﹂︵静岡県熱海市︶ 追いかけて許しを乞うお宮を貫一が下駄で蹴り飛ばす場面が銅像になっている。 ●顔ハメ看板が駅前にある名店街の通りにある。映画版[編集]
テレビドラマ版[編集]
●1955年﹃金色夜叉﹄ - 放送‥日本テレビ系列/貫一‥伊志井篤、お宮‥水谷八重子 ●1962年﹃近鉄金曜劇場 金色夜叉﹄ - 放送‥TBS系列/貫一‥和田孝、お宮‥朝丘雪路、その他出演‥中村伸郎、沢村貞子、原保美、丹波哲郎、小山明子、須藤健、並木一路 ●1963年﹃コメディフランキーズ 笑説金色夜叉﹄ - 放送‥TBS系列/貫一‥菅原謙二、お宮‥朝丘雪路 ●1965年﹃金色夜叉﹄ - 放送‥NHK/貫一‥川崎敬三、お宮‥冨士真奈美 ●1966年﹃金色夜叉﹄ - 放送‥フジテレビ系列/貫一‥勝呂誉、お宮‥高須賀夫至子、その他出演‥金子信雄、久保菜穂子 ●1973年﹃水曜ドラマ 金色夜叉﹄ - 放送‥NHK/貫一‥山本亘、お宮‥佐久間良子、その他出演‥藤木悠、加賀まりこ、加藤嘉、堀越節子、東野孝彦、岡本茉莉 ●1982年﹃土曜劇場 金色夜叉﹄ - 放送‥テレビ東京系列 ●1990年﹃新金色夜叉 百年の恋﹄ - 放送‥フジテレビ系列/貫一‥石橋保、お宮‥横山めぐみ、その他出演‥田辺靖雄、内藤剛志、小島三児、佐々木すみ江、二階堂千寿、大川栄子、杉原あつ子、星野博美、大場健二、矢野明仁、立原ちえみ、伊東知則、中沢敦子、井上香、中村篤、松村冬風、斉川一夫、川倉淳、伊藤高、沼崎悠、石田純子、原田和代、田嶋基吉、ナレーター 神田紅 原案:早坂暁舞台版[編集]
●2012年﹃金色夜叉オルタナティブ﹄ - 劇団レトルト内閣 2012年6月15日~17日 HEP HALL歌曲[編集]
●﹁金色夜叉﹂1918年︵大正7年︶、後藤紫雲・宮島郁芳という2人の演歌師によって作られた。 ●女流浪曲師・芙蓉軒 麗花が1955年︵昭和30年︶に出したレコード﹁ろうきょく炭坑節﹂(作詞:明石寿恵吉)の歌詞に、﹁宮さん﹂の名や貫一の台詞を簡略化させたもの﹁来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせる﹂が登場する。 ●﹁お宮さん﹂1968年︵昭和43年︶、大映レコードから発売。作詞‥いわせひろし、作曲‥森川登、編曲‥池田孝、歌‥ザ・トーイズ ●﹁暴走金色夜叉﹂2006年︵平成18年︶、ミュージックマインから発売。作詞‥掟ポルシェ、作曲‥掟ポルシェ、ディレイ‥ロマン優光、歌‥ロマンポルシェ。脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ 終編金色夜叉 - Google ブックス 小栗風葉、「終編 金色夜叉」の全文、1909年(明治42年)4月20日初版、1920年(大正9年)6月15日縮刷25版発行、新潮社
- ^ "Weaker than a women" by Brame, Charlotte M., 1836-1884
- ^ Weaker than a woman / by Bertha M. Clay. - Full View | HathiTrust Digital Library | HathiTrust Digital Library - Weaker than a Womanの全文、pp.5-272、Chicago:Donohue Brothers
- ^ 『金色夜叉』:新字旧仮名 - 青空文庫 - 前編、第8章
- ^ 長谷川時雨『明治美人伝』:新字新仮名 - 青空文庫
- ^ 『現代華族譜要』 維新史料編纂会編、日本史籍協会、1929
- ^ 堀 啓子、「金色夜叉」の藍本--Bertha M.Clayをめぐって、「文学」、2000年11-12月号、pp.188-201、岩波書店、ISSN 0389-4029
- ^ CHARLOTTE M. BRAME(1836-1884) Towards a Primary Bibliography p.12 下から6行目
- ^ 尾崎紅葉と翻案: その方法から読み解く「近代」の具現と限界 酒井美紀、p.35,42、2010年5月、花書院、ISBN 978-4903554686
- ^ Weaker than a woman / by Bertha M. Clay. - Full View | HathiTrust Digital Library | HathiTrust Digital Library Weaker than a Woman, by Bertha M. Clay(Brame, Charlotte M., 1836-1884.), Chicago : Donohue Brothers, 272 p.
- ^ 女より弱き者、バーサ・M. クレー(Bertha M. Clay) (著), 堀 啓子 (翻訳)、南雲堂フェニックス (November 1, 2002)、503 pages、ISBN 978-4888962957
- ^ CHARLOTTE M. BRAME(1836-1884) Towards a Primary Bibliography p.31 No.195
- ^ a b 三島由紀夫「解説」(『日本の文学4 尾崎紅葉・泉鏡花』)(中央公論社、1969年)。三島由紀夫『作家論』(中公文庫、1974年)に所収。