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鎌倉公方

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明徳2年/元中8年(1391年)時点の鎌倉公方管轄国
新編鎌倉志-関東公方屋敷図

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歴代鎌倉公方[編集]

名前 在職期間 備考
- 足利義詮 1336年(南朝:延元元年、北朝:建武3年) - 1349年(南朝:正平4年、北朝:貞和5年)
初代 足利基氏 1349年(南朝:正平4年、北朝:貞和5年) - 1367年(南朝:正平22年、北朝:貞治6年)
2代 足利氏満 1367年(南朝:正平22年、北朝:貞治6年) - 1398年(応永5年)
3代 足利満兼 1398年(応永5年) - 1409年(応永16年)
4代 足利持氏 1409年(応永16年) - 1439年(永享11年) 永享の乱で自刃。これによって鎌倉公方は一時断絶する。
5代 足利成氏 1449年(宝徳元年) - 1455年(康正元年) 1455年に下総国古河へ移り、古河公方となる。
- 足利政知 (事実上、鎌倉公方として在職できず) 1457年、鎌倉公方として幕府より派遣されるも鎌倉に入れず。伊豆国堀越に留まったため、堀越公方と称される。
- 足利成氏 1483年(文明14年) - 1483年、幕府との和睦(都鄙和睦)により、政治的に鎌倉公方として復権するが、鎌倉には戻らなかった。

※これ以降は、歴代古河公方を参照。

脚注[編集]

出典[編集]



(一)^ ab 2022, p. 11.

(二)^  2022, p. 13.

(三)^   5195912 

(四)^ 319832886887 

参考文献[編集]

  • 田辺久子『関東公方足利氏四代 基氏・氏満・満兼・持氏』(吉川弘文館、2002年) ISBN 4642077898
  • 谷口雄太『足利将軍と御三家 吉良・石橋・渋川氏』吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー559〉、2022年11月1日。ISBN 978-4-642-05959-6 

関連項目[編集]