長浜町 (愛媛県)
ながはまちょう 長浜町 | |||||
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廃止日 | 2005年1月11日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 大洲市、長浜町、肱川町、河辺村 → 大洲市 | ||||
現在の自治体 | 大洲市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 四国地方 | ||||
都道府県 | 愛媛県 | ||||
郡 | 喜多郡 | ||||
市町村コード | 38421-6 | ||||
面積 | 74.79 km2. | ||||
総人口 |
9,208人 () | ||||
隣接自治体 | 大洲市、八幡浜市、伊予郡双海町、西宇和郡保内町 | ||||
町の木 | サンゴジュ | ||||
町の花 | サルビア | ||||
町の花木 | サツキ | ||||
長浜町役場 | |||||
所在地 |
〒799-3401 愛媛県喜多郡長浜町大字長浜甲480番地の3 | ||||
座標 | 北緯33度36分50秒 東経132度28分46秒 / 北緯33.61392度 東経132.47956度座標: 北緯33度36分50秒 東経132度28分46秒 / 北緯33.61392度 東経132.47956度 | ||||
ウィキプロジェクト |
長浜町︵ながはまちょう︶は、愛媛県の南予地方にあった町。
2005年︵平成17年︶1月11日、大洲市、肱川町、河辺村と合併し、新しい大洲市の一部となった。
地理[編集]
肱川河口に位置し、市街地は河口部に集中しているほか、肱川及び伊予灘の海岸線に沿って集落が点在している。平地が乏しいため、埋め立てによって工業団地等を確保している。肱川の舟運によって古くから栄え、かつては上関︵山口県︶へのフェリー航路も就航していた。 ●山‥金山出石寺、壷神山 ●河川‥肱川 ●島‥青島歴史[編集]
長浜町の港は、坂本龍馬が沢村惣之丞とともに脱藩した港︵1862年3月28日︶であり、ここを母港とした大洲藩のいろは丸に乗って出帆し、長州三田尻︵防府市︶へ向かった。明治時代から、木材を筏に組み河口へと運ぶ筏流しが盛んになり、肱川を下ってきた木材や蝋の集散地・積み替え港として繁栄した。集散地としては、日本の木材の三大集散地の1つに数えられた。略史[編集]
町村制施行以後 ●1889年︵明治22年︶12月15日 - 町村制施行により長浜町、青島、上老松村の一部︵仁久︶が合併して喜多郡長浜町が成立。 ●上老松村の残部は他村と合併して喜多郡相生村︵のちの大和村︶を新設。 昭和の合併以降
●1955年︵昭和30年︶1月1日 - 旧長浜町、喜多灘村、櫛生村、出海村、大和村、白滝村の1町5村が合併して長浜町誕生。
●1956年1月 - 櫛生地区でバス転落事故、9名死亡︵長浜町バス転落事故︶。
●1956年5月 - 金山出石寺と青島が瀬戸内海国立公園に編入。
●1956年12月 - 財政再建団体指定
●1962年 - 出海地区で集団赤痢発生。翌年今坊地区でも発生。
●1962年 - 長浜港ふ頭完成。港の近代化成る。
●1974年10月 - 国道378号昇格。以後整備が進む。
●1977年12月 - 新長浜大橋完成。
●1981年 - 総合エネルギー基地建設基本構想議決。
●1984年 - 河辺川ダム調査特別委員会設置。同ダム対策が長浜町をはじめとする肱川流域市町村の重要課題に。
●1986年︵昭和61年︶3月 - 国鉄内山線開通。
●1986年 - 長浜水族館閉鎖。
●1989年 - 今坊埋立竣工︵1990年﹁拓海﹂と字名決まる︶。
●1995年 - 梅雨前線による豪雨のため肱川氾濫。
●2005年︵平成17年︶1月11日 - 大洲市、肱川町、河辺村と合併、新しい大洲市の一部となり、自治体としての長浜町は消滅。
系譜[編集]
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| <町村制施行時> | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 喜多灘村 |
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長浜 |
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青島 |
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| 長浜町 |
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| 長浜町 |
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仁久 |
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| <昭和30年1月1日> |
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| 櫛生村 |
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| 出海村 |
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| 豊茂村 |
| 大和村 |
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| 相生村 |
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| <大正11年4月1日> |
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| 柴村 |
| 白滝村 |
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| 滝川村 |
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| <大正11年1月1日> |
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| 大洲市 |
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| 大洲市 | ||||||||||||||||||||||
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| 肱川町 |
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| <平成17年1月11日> | ||||||||||||||||||||||
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| 河辺村 |
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長浜町以外の明治の旧村及び平成の合併の長浜町以外の系譜については、それぞれの市町村の記事を参照のこと。
行政[編集]
●町長︵昭和の合併以降︶ ●初代 末永芳朗︵昭和30年2月就任、2期︶ ●2代 西田司︵昭和38年1月就任、3期︶ ●3代 菊地嘉彦︵昭和49年9月就任、1期︶ ●4代 二宮重憲︵昭和53年9月就任、2期︶ ●5代 西田洋一︵昭和61年9月就任、1期︶ ●6代 上田邦彦︵平成2年9月就任、2期︶ ●7代︵最終︶ 西田洋一︵平成10年6月就任、2期、通算3期︶教育[編集]
高等学校[編集]
●愛媛県立長浜高等学校中学校[編集]
●長浜町立長浜中学校小学校[編集]
●長浜町立長浜小学校 ●長浜町立喜多灘小学校 ●長浜町立櫛生小学校 ●長浜町立出海小学校 ●長浜町立大和小学校 ●長浜町立豊茂小学校 ●長浜町立白滝小学校 ●長浜町立柴小学校 ●長浜町立戒川小学校︵平成15年度より休校︶交通[編集]
鉄道路線[編集]
四国旅客鉄道︵JR四国︶[編集]
●予讃線‥喜多灘駅 - 伊予長浜駅 - 伊予出石駅 - 伊予白滝駅‥通称﹁海岸回り・海回り﹂と呼ばれ、内子線経由の新線開業︵旧国鉄最後の新線︶まではこちらの方が鉄道ではメインルートであったが、内子線経由の新線開業により所要時間で不利なためメインルートでなくなり、普通列車のみの典型的なローカル線となっている。なお、伊予長浜・向井原間はほぼ中央構造線に沿っており、大雨時に土砂崩れが発生しやすく、不通になるケースが度々発生していた。道路[編集]
高速道路[編集]
●長浜町内に高速道路は走っていない。一般国道[編集]
●国道378号県道[編集]
●主要地方道 ●愛媛県道24号大洲長浜線 ●愛媛県道28号長浜保内線 ●愛媛県道43号長浜中村線 ●一般県道 ●愛媛県道240号櫛生大洲線船舶[編集]
●青島海運 ●旅客船あおしま:沖合13.5 kmに浮かぶ青島と長浜を結ぶ唯一の航路。乗船時間約45分。一日2往復。 ●かつては、神戸港まで結ぶカーフェリーも運行されていた。名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]
●長浜大橋 - 肱川河口にかかる全国的にも珍しい日本最古の道路開閉橋。1935年︵昭和10年︶完成。稼働中の物としては唯一。橋の色が赤色であることから、赤橋とも呼ばれている。 ●坂本龍馬の足跡:赤橋から数十メートル歩いた所、郵便局前に、坂本龍馬・吉村虎太郎が宿泊︵龍馬‥1862年3月27日宿泊︶した富屋金兵衛邸跡がある。 ●末永家住宅旧主屋 - 末永家住宅旧主屋は、末永家の建物の中でも最も古く、明治17年に建築されたもの。外観に見られる格子付窓・黒漆喰の壁やなまこ壁などは、同時期に建築された内子町の本芳我家住宅︵国重要文化財︶によく似た印象を与える建物である。 ●末永家住宅百帖座敷 - 木造平屋建てで、末永家の接客用の建物とされている。18畳二間続きの座敷と5畳の付属室からなり、内部には、手の込んだ折上げ格天井(おりあげ ごうてんじょう)や洋風の照明器具などがみられる。建築年代は、襖絵(ふすまえ)の署名に記された昭和2年︵1927年︶ごろと考えられている。 ●肱川あらし - 冬季早朝、大洲盆地で発生した霧が肱川を下り、河口を吹き抜ける現象。白い霧を伴った冷たい強風。年配者を中心に肱川おろしとも言われる︵こちらが正式名称との見解もある︶が、近年は﹁肱川あらし﹂の呼称の方が一般的。 ●肱川あらし展望公園 - 肱川河口一帯を一望出来る展望台付き公園。冬季の肱川あらしを眺める絶好のポイントである。 ●瑞龍寺 - 沖浦にある寺院。国の重要文化財に指定されている木造十一面観音立像が安置されており、毎年4月17日の祭りでは一般に公開されている。また、墓地は映画﹁世界の中心で、愛をさけぶ﹂のロケ地として使用されている。 ●住吉神社 - 市街地の東側にある御建山︵みたて やま︶に鎮座する神社。江戸時代、参勤交代の際に藩主自ら参詣するなど、歴代藩主の信仰を受けた神社である。﹁鞍馬山中牛若丸図﹂[1]、﹁長浜古図﹂縦147cm、横265cm[2]にもなる大絵馬を所有する。 ●白滝公園 - 県内屈指の滝と紅葉が見所。毎年11月23日には﹁るり姫祭り﹂が催される。 ●長浜町庁舎 - 長浜の市街地に立地する長浜町庁舎︵現・大洲市役所長浜支所︶。昭和初期の洋風庁舎建築の特色が強く表れている。出身人物・ゆかりのある人物[編集]
●石原潔︵山下汽船社員︶ - 日本維新の会共同代表石原慎太郎の父。 ●西村兵太郎︵政治家︶ - 第4代長浜町長。 ●西田司︵政治家︶ ●冲永荘兵衛︵教育者︶ - 帝京大学グループ創始者。脚注[編集]
関連項目[編集]
- 愛媛県の廃止市町村一覧
- 長浜町女性放火殺人事件 - 2004年4月、長浜町で発生した放火殺人事件。