隣松寺
表示
隣松寺 | |
---|---|
隣松寺本堂 | |
所在地 | 愛知県豊田市幸町隣松寺126番地 |
位置 | 北緯35度1分0.94秒 東経137度8分40.93秒 / 北緯35.0169278度 東経137.1447028度座標: 北緯35度1分0.94秒 東経137度8分40.93秒 / 北緯35.0169278度 東経137.1447028度 |
山号 | 稲荷山 |
宗旨 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 承和10年(843年) |
正式名 | 稲荷山 迎接院 隣松寺 |
公式サイト | 隣松寺 |
法人番号 | 6180305005745 |
隣松寺︵りんしょうじ︶は、愛知県豊田市幸町隣松寺126番地にある浄土宗の寺。徳川家ゆかりの寺として知られる。
細川氏三代︵細川義季、細川俊氏、細川公頼︶、内藤清長、松平忠吉等の墓がある。
由緒[編集]
淳和天皇の第三皇子である東山親王国長公が当地に配流され、承和10年薨去した。隣松院殿一位相国天竜大居士と号す。仁明天皇がその追善のために創建した。当初は天台宗であったが、明徳年間に浄土宗に改宗している[1]。 隣松寺境内にある稲荷社は、松平広忠が竹千代︵のちの徳川家康︶誕生にあたり、成長の無事を祈願したと伝わる。徳川家康は三河一向一揆に際し稲荷社に戦勝祈願し、勝利後、寺の山号を﹁玉松山﹂から﹁稲荷山﹂に改め、自身の甲冑姿の木像と念持仏を奉納するとともに朱印地30石を寄進した。東京の三河稲荷神社は、当社の末社である[2]。文化財[編集]
愛知県指定文化財 ●絹本著色観経曼荼羅 2001年に高麗仏画﹁絹本著色観経曼荼羅﹂が韓国人窃盗団により盗まれた。韓国人窃盗団は、2004年10月にソウルで逮捕され、2005年1月には懲役判決を受けた。韓国では、日本にある高麗仏画は文禄・慶長の役や日本統治時代に略奪されたと認識されており、窃盗団は﹁神が﹃日本が略奪した我が国の文化財を取り戻せ﹄と言った﹂と主張したが、盗品をすぐ売却して金に替えており、金銭目的の犯行だと判明している[3]。 曼荼羅は、もとは京都の寺にあり中国の元の末期の作と言われていた。1980年に愛知県の有形文化財に指定された[4]が、1995年に韓国文化財庁の調査により、1323年に高麗で描かれた﹁観経十六観変相図﹂で、韓国では国宝級だと分かった。[5] 豊田市指定文化財 ●本堂[6] - 1667年建立 ●絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図[7] ●絹本著色山越阿弥陀図 ●絹本著色千体地蔵尊図 ●木造徳川家康像 ●冑三尊 ●華曼 ●鐙 ●雲版 ●徳川氏朱印状ギャラリー[編集]
仁王門
山門
稲荷社
境内
細川氏三代の墓
松平忠吉の墓
内藤清長の墓
東山親王国長公の墓碑
隣松寺そばにある鴛鴨松平氏墓所
鴛鴨松平氏墓所内の榊原清長・長政の墓所
鴛鴨松平氏墓所内の於美津の墓
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- 隣松寺 浄土宗のサイト